中山の論文
概要
私中山優彦はここに自身の研究であり人類進化に多大な影響をもたらすと考えられる万能細胞a細胞の研究をまとめました。
奇形種というものをご存じでしょう。そして昆虫。とくに蝶々などが幼虫から成虫へと成るさい蛹という段階を通ることをご存じでしょう。私はこの2つの事実を見てあることを思いつきました。
背景
私の研究テーマ。私は今現在a細胞という万能細胞の研究を行っています。なぜ万能細胞の研究を行っているか。ロマンがあるからです。ただそれを深く掘り下げるならば私の人格形成の段階まで遡ることでしょう。私は幼少期から発達障害だと馬鹿にされてきました。万能細胞に対するロマン的な夢はそのさらに前より持っていましたが私が細胞の研究に着手する決めてとなった出来事はまさにその当時の私を取り巻いた環境のせいであります。
私は小学生時代からよく発達障害だとからかわれてきました。親友と呼べる友はいますが友人が多いわけではけしてないのです。とくに私が酷いと感じることは顔面に対する圧倒的な差別です。私は二重が羨ましい。友人にも二重の人間がいます。彼らは私と話の中で話題も共有できますし仲が悪いわけでもありません。友達ですから。しかし彼らを見ると私は何処か心に闇を抱える。特に1人の友人には恋愛関係にはないものの幼馴染の少女がいる。なおかつ彼は二重だ。私には彼が羨ましくてしょうがない。小学校3年生の頃私はクラス内でいじめにあいました。男子生徒からの暴力的ないじめも受けましたが酷かったのは女子生徒から受けた精神的なものです。その当時クラス内にはリーダー格の女子生徒が一人いました。勉強だって私に比べれば全くできない。はっきり言って頭の悪い女です。くそ女です。私の小学校は毎日給食がありました。地方の公立小学校です。思えばそもそも何で私のような天才がそんな底辺が行くような学校へ行ったのかと今だと感じてしまいますがまだ私にはそれほどの思考力もなくとりあえずは学区内からその小学校へ通っていた。ある日のことでした。クラス内でリーダー格であったくそ女は給食当番をさぼったのです。普段から給食の入った桶を置く専用のテーブルにはその日だけは1つ桶が足りない状態になっていました。クラス内で決められたことを守らない。最低な行為でした。そして誰かが気づいた。桶が1つ足りないことに。普通と呼ばれる思考を持った人間ならば彼女に対し説教を行うことでしょう。最も私はよく普通ではないと呼ばれていますが(笑)。当時の担任は若い男性でクラスメイトに桶が一つ足りないことを言われ当然担当であった彼女の所へ向かいました。大体のクラスメイトが給食をもらうための列に並んでいましたが彼女は取り巻きの女子生徒数名と共にまだ机でおしゃべりを行っていました。おそらく給食は下僕の誰かにでも作らせるつもりだったのでしょう。先生は言いました。桶が1つ足りないと。そして今日その桶を運ぶ担当がくそ女である彼女であると。そこまではおそらく一般的な人間が行う行動です。私もそこまでの行動に文句を言うつもりは全くない。しかし次の瞬間彼女の一言で事態は急変した。彼女は何と言ったの思いますか?その当時彼女はこう言ったのです。
「今日の当番は優彦ですよ。」と。
笑っていました。悪だくみをしている楽しそうな笑顔でした。私は何も言いませんでした。担任の先生が彼女のことを怒ってくれると思っていたからです。しかし違った。あり得ないことでした。次の瞬間担任は私の所(私はもうすでに一品足りない給食を作り終えて自身の机に座ったところでした。)へ来ると怒鳴り散らしました。私には理解ができませんでした。天才である私にも理解ができないことでした。私はすぐに給食の係が書かれた表の所へ行き指をさすと今日の担当が彼女であることを担任に言いました。それでも担任は分かってくれなかった。担任による叱責は続きました。私が反論をしているといつの間にか担任や彼女。くそ女の周りには人だかりができていて皆私が悪いと言い出しました。いじめの始まりです。そして反論を続けた私に担任はしびれを切らして校長室へと私を連れて行きました。そして校長も私の敵に回った。昼休みも説教は続けられて5時限目の授業になってやっと私は開放をされた。食事も許されなかった。放課後になると職員室へと連れられて行きました。説教はされませんでしたが両親へ電話を掛けると言われました。その日はそれで家へと帰されました。家に帰ると両親は私の味方になってくれました。私のことを信じてくれてくそ女が嘘をついていると言ってくれました。
次の日、私は学校へ登校しました。今思えばその行動を後悔しています。学級教室の前。丁度クラスの中へ入る引き戸の前には女子生徒と男子生徒が数人並んでいました。教室への扉は前後で2つありましたが両方に彼ら彼女らは張り付いていました。時間は7時30分を過ぎたころ。登校の時間として早いわけではありませんが遅いわけでもありません。いたって平均的な時間だと思います。私は教室へ入ろうとしました。その時男子生徒がいきなり私のお腹を蹴ったのです。私は後ろへと倒れ尻餅をつきました。
「遅刻。」
そう一言だけを言われました。無理やりに教室の中に入ろうとしましたが数人がかりの男子生徒の力に私はなすすべもなく力尽きました。やがてチャイムが鳴りだしました。学校が始まる合図。学校の決まりではこの合図までに教室内の自身の席に座っていなければ遅刻とカウントされてしまいます。担任が来ました。生徒たちは席に着きました。私のランドセルを廊下に投げて。私は律儀にランドセルを取りに行きました。チャイムは鳴り終わりました。私は遅刻をしました。初めてのことでした。1時限目の前の休み時間。私は職員室へ呼ばれました。泣いていました。理解ができなかった。本当に理解ができなかった。それほどのことでした。しかし担任はまた昨日のように私に叱責をしました。遅刻について。そして昨日の給食について。さらには両親の悪口までも言ってきました。1時限目には教室へ戻されて授業を受けました。2時限目は体育でした。それも行った種目はリレー。運動会のためのリレーの練習でした。私は足が遅かった。勉強はできましたが運動に関しては得意な方ではなかったのです。30人程度いたクラスメイトを7、8人程度の男女混合のリレーメンバーに分けて4チームでの試合が行われました。私は3人の生徒に抜かれました。結果はビリでした。人にだって得意と不得意がある。私は勉強が得意でも運動はできない。でもそんなことまだ未熟な小学生には分からなかった。授業中であるのに同じチームの男子メンバーが私を殴って蹴りました。ここで反抗をしたことが悪かったのでしょうか。私はその時その男子生徒の腕を噛むと首を力いっぱいに占めたのです。そこで先生が止めに入りました。先生は担任でした。私はまた職員室へ呼ばれ担任に怒られました。どうして私が殴り蹴られている時に助けに入ってくれなかったのかを担任に聞きました。担任は遊んでいると思ったと答えました。私が噛んだ男子生徒は保健室へ連れられて手当を受けていました。放課後に保健の先生に呼ばれ言われました。
「人を殺そうとする人は発達障害よ。」と。
次の日も私は遅刻しました。自分の意志とは違って。またクラスに入ることはできませんでした。そして昨日私が噛んだ男子生徒が近づいてきました。
「優彦って発達障害なんだろ。」そう言われました。何それ。と回りにいた生徒が言いました。口調からしてすでにそれが何かを知ったあとだったんでしょう。そしてきっと昨日保健の先生が彼に何かを吹き込んだのでしょう。私の前で男子生徒は発達障害について説明し周りの生徒は私とそれとがぴったりだとはやし立てました。
次の日、私は姉と共にクラスの前に立ちました。私の家は4人家族でした。前日に両親と相談をして姉がいればクラスにも入れるだろうということになりました。それに姉は児童会に入っていたので私と違って先生たちにも一定のコネクションも持っていました。姉を見ると男子生徒たちは私には暴力を振るわずクラスの中へと通してくれました。その日は遅刻せずにすむことができました。
それからというもの私は姉と共にクラスへと行くようになりました。一度ためしに1人でクラスに行くとまた通せんぼをされたのでまた姉との登校になりました。それでも朝以外でのいじめは続きました。何度かまた給食の係を私がさぼっていると担任に注意を受けたこともあります。クラスのなかで男子からいきなり殴られたこともあります。トイレに入るといきなりズボンを下されたこともあります。それでも私は登校をしました。発達障害だと言われてもあんな人間に負けたくなかったのです。私にはプライドがありました。先生たちとも姉のお陰かその後は大きなももめ事もなく平和になりました。それでも時々担任から理不尽に怒られることもありましたが。
私は小学4年生になりました。姉は近くの公立中学校へと進学をしました。いじめが再開しました。より酷いことになって。
発達障害。私はこの言葉が大嫌いです。皆人は平等だと言います。なによりこの言葉は教員がよく言っているように私は感じます。私は4年生になってから親友を作りました。クラスの中ではつねに彼らと共にいるようにしました。彼らも私のことを守ってくれました。でも皆が行く近くの公立中学へは進学せず県外の全寮制の中学校へと
進学しました。私は昔から万能細胞というものに夢や憧れを抱いていた。しかしそれを現実の物にしたいと確信したのはこの時だと思っています。万能の細胞があれば発達障害なんて言われない。言われたら身体を作りかえればいい。普通と呼ばれるまでに作り替えればいい。ダウン症を除いて発達障害は遺伝子的なものではない。だったら細胞を使って問題のある場所を作り替えてしまえば私は誰からももう発達障害だなんて呼ばれることはない。それが私が万能細胞であるa細胞を研究する理由です。
実験・次段階
私は冒頭にも書いたとおり奇形種と蝶々などの蛹に目をつけました。蝶々の幼虫、芋虫は蛹になったさい自身の細胞を一部の神経を残して一度タンパク質の段階にします。そしてその元々細胞だったそれを材料に新たに細胞を分裂させて身体を成虫へと発展させる。私はこれに目を付けた。今研究されていく多くの万能細胞は細胞に特殊な遺伝子を混ぜたりなどをしてまだ遺伝子が発現をしていない段階にもどしまた遺伝子を発現、対外で培養させる。そして例えば心臓であれば病気の患者の体外で作り出した心臓と体内にある何等かの病気を抱えた元々の心臓とを交換するなどして病気の治療をする。しかし患者への負担が大きい。またこの方法では私が望む脳の作成が不可能になる。さらに言えば臓器の細胞に残された記憶なんかも病気とともに摘出ことになる。だから私は蝶々のような細胞を提案する。例えば患者の体内に細胞を細胞のまま注入をする。そして虫の細胞をモデルに作ったこの細胞に病気の心臓をタンパク質に戻させる。簡単に言うならば万能細胞による食事です。細胞は患者の心臓、タンパク質を食べ新たな心臓、体を作り出す。体に障害が生じない程度のスピードでこれを 実行していき新たな心臓を完成させる。これが私の計画です。これならば脳への応用もきく。唯一の欠点と言えば患者の身体に酷い激痛が走ること。私はネズミを使って実験を行いましたが数匹の個体は痛みに耐えかねて病気ではなくショック死をした。精神力が必要でしょう。もしくはモルヒネのようなものが。新たな臓器の形成の段階はまさに奇形種のようなものに近い。そう私は考えます。しかし唯一の違いとして元々の臓器をタンパク質かするために2つの臓器が入り混じることがない。またこちらには元々の臓器を食べることでの魂の引継ぎが可能になる。実際に虫は神経の一部があると言っても幼虫時代の記憶を引き継ぐ。また奇形種は脳を形成することも研究から分かってきている。つまり実用化の段階に入ればa細胞はまさに最強の細胞へとなれるのです。さらにこれを応用すれば相同器官、痕跡器官の再生も可能になってくる。尻尾の遺伝しを発現させ尾てい骨部に細胞を注入すれば先祖帰りが可能になる。また男性器ないに残る女性器の痕跡たる部分の細胞遺伝子を発現させれば男性が女性になることも可能になる。まさにa細胞は理想的最強の細胞なのです。
私はこの実験に成功し細胞が実用段階になれば自分自身に注入をします。私のことを発達障害だと豪語した人間たちに細胞を使って私が発達障害ではないことを指し示します。まだまだやることは多いです。実験はまだ仮説段階でしかない。しかし実際に自然現象として奇形種と昆虫がやってのけていることなのです。
コメント
私は実験が必ず成功すると確信している。人類がさらなる進化をし神に近づくと信じている。a細胞は必ず成功します。私がそれを保証します。
題名:Report of “a cell”(a細胞に関するレポート)
著者:Masahiko Nakayama(中山優彦)