座敷牢
「やめてください、くっつかないでください。……ホモですか?」
「ホモじゃねぇよ!?寒河江だってそうだろ!?なぁ??お前も怖いんだろ!?」
「怖いですよ…。てか、俺、ホラー苦手って言いませんでしたっけ?………あと近いです。気持ち悪い…」
「近いのはお前もだろ!?じゃあ、オレとこの家、どっちが気持ち悪いんだよ!?」
「……どっちもですね」
「酷いなぁ!?傷付いたなぁ!?名誉毀損かなぁ!?」
「あー!もう!うるさいな、この人は!……ところで考えてみればこれって不法侵入ですよね」
「話聞けよ!?」と騒ぐ市ノ瀬さんを無視する。しかし、本当にこの人うるさい。一度耳鼻科に行った方が良いのではないかと思う。
実際のところ、市ノ瀬さんもかなりの怖がりらしく、俺たちはお互いにシャツの裾を引っ張りながら歩いていた。歩く度に歪に軋む木の床と、踏みつけられた時に鳴る割れた硝子の破片の音が、また恐怖心を沸かせる。
硝子が所々割れた格子戸。外はもう日は完全に沈み、スマホの灯りを消したら暗闇しか広がっていないようであった。それが更なる恐怖心を誘う。
「そもそもさ。玄関があんなに大胆に開いているのに不法侵入もないだろ?」
「ですけど…。あと、俺たち土足っすよ。此処が呪われた家じゃなくても罰が当たったっておかしくない」
「仕方ないだろ。床には硝子や瓦の破片が散っているんだ。怪我はしたくない。万が一、逃げることになった時、靴を取りに行くためだけに、出口を縛られたくないだろ?」
「その意見は最もですが。とは言ってもですねぇ…」
事態の深刻さに、額に浮かんだ汗を拭う。
俺たちは圷さんの姿を完全に見失っていた。玄関から縁側へと通じる廊下まで通ってきたが、彼女の痕跡らしいものは何も無い。とてつもなく嫌な予感が俺の耳元に囁く。
「いないなぁ…。圷〜?圷さ〜ん??」
市ノ瀬さんの声は虚しく大広間へと吸い込まれる。それに圷さんの返事はない。
「寒河江、スマホの充電は大丈夫そうか?」
「残り41%ですね。市ノ瀬さんは?」
「こっちは60切ったかそれぐらいだ。今、オレたちは懐中電灯も予備のモバイルバッテリーも持ってない。どちらにせよ、ここは圏外だから、機内モードと低電力モードにしておけ。余計な電池は消費したくない。……急ぐぞ」
「…はい。手前だけじゃなくて奥も行ってみましょう。…車が無ければここから帰れないんだ…。加えて中を見たら満足するって言ったんですよ。きっと、きっと…、家のどこかに圷さんはいるはずです」
市ノ瀬さんと互いに目を合わせて頷く。
付き纏う恐怖心を心の底に押し込み、大広間の奥へと土足で侵していく。
家の間取りに変わった点は無いようだった。平屋建てらしい作りだ。
玄関の先、縁側を歩くと左側に襖で仕切られた広間がある。その奥には台所、御手洗があるようだ。傷んだ畳と抜けそうな板がここを廃墟であるのだと思わせる。
だが、その点を除けば、中は外ほど朽ちてはなく、3年程度しか家を空けていないように見える。そこがまた妙だった。
「昔は人が住んでいたのでしょうけど、さほど年月を開けていないように見えますね。人が住まないと家は駄目になるって聞きますが。俺たち以外にも誰かが来るのでしょうか?」
「そうだな。もしかしたらマニアの間では心霊スポットとか言われていたりして」市ノ瀬さんは天井を見上げる。「……でもな。かなり変な点が多いな、ここ」
自分が今此処にいるのが夢であるかのように曖昧だ。時空が歪んでしまったように、三半規管が掻き乱されてしまったかのように、ふわふわと宙に浮かんだ感覚になる。
「おい、あれ。なんだ?」
台所の勝手口の奥。そこの扉が枷を外したように開いていた。明らかに誰かが出入りした形跡がある。
その先をさらに光量を上げたライトで照らす。
「…圷?圷だよな!?おい、大丈夫か!?」
8段程度の階段となっており、そこを登った先に圷さんはいた。彼女は俺たちの存在に気が付くと、眩しそうに目を細める。俺は彼女に配慮して少し光量を落とす。
「勝手に行動してどうしたんだよ。そこに何かあるのか?」
「ごめん。ちょっと気になっちゃって。ねえねえ、男子二人ならこれって開けられる?」
彼女のいる場へ向かうべく、階段を登る。
階段は木製で、体重を掛ける度に耳障りな音が鳴る。木はかなり傷んでいて、床が抜け落ちないか心配だ。そして、両端には迫る壁。通路は狭く、大人の男性が1人通れるぐらいの広さだ。
上がった先は少しだけ広くなっており、そこに圷さんと俺、市ノ瀬さんの3人が並ぶ。
目の前にあるのは分厚い漆塗りの扉だった。中学や高校にある音楽室の防音扉と良い勝負ができそうな厚さである。蝶番の様子からして観音扉だろう。
扉の表面は薄い紅色をしていた。劣化してしまったのだろうか。よく見ると家紋のような白く円い模様が透けるように見えなくもない。
「何でしょう…?物置でしょうか?」
「分からないわ。ただ、とても気になるの…。多分、大事な物が中に入ってる」
「見た感じ貯蔵庫みたいだな。しかし何故二階に…?屋根裏って訳でもないよな。変な造りの家」
「ですよね。ここに建てた意味が全く分かりませんよね」
俺は圷さんの方に目をやる。意思は固いみたいだ。
「開けるんですよね…??」
「そう。私1人じゃ出来ないから待ってたのよ」
「だからと言って先に行って言い訳じゃないですよ。市ノ瀬さん、どうします?」
「うーん…。怖いけど、ここまで来たし、開けちゃおっか?」
「本当に軽い男ですね、貴方は…。どうなっても知りませんよ」
どちらにせよ、開けて中を覗かないと、圷さんは絶対帰る意思を見せないだろう。良い迷惑だ。俺はそれを了承するしかない。
「行くぞ」
そう言うと市ノ瀬さんは扉と壁の隙間に指をねじ込むようにした。俺が力を貸さなくても、扉は反応を示した。彼が踏ん張ると重い音を上げて、ゆっくりと開いていく。その錆びた蝶番は、唸り声のような、酷く気味の悪い音だった。
「…」
中は窓がないようだった。暗くて何も見えない。
圷さん、市ノ瀬さんに続き、俺は、恐る恐る中に踏み入る。俺が土足で踏んだ足元から乾いた音が鳴る。
―――カサッ。
なんだろう。疑問に思い、足元を照らす。俺はそれを見て、体を巡っていた血が一気に引いていく気がした。
「うわぁ!?」
御札だった。
大量の御札が、古い和紙の塊が、足元から壁へと広がっていた。夥しい数だ。幾つあるのか検討もつかない。それぐらい一面にあるのだ。
その1枚に注目する。書いてある文字は全く読めない。雰囲気から察するに梵字で書かれているものだ。呪符のような代物だろうか。だとしても、俺の本能は必死に訴えていた。
それだけで悟ってしまう。ここは蔵や倉庫等ではない。悪しき物を現世から強引に隔離させた場所だと。
「なっ…、なんだよ、なんだよこれ…!?」
叫び声に近い声を上げ、その声で我に帰る。市ノ瀬さんは顔を真っ青に変えて、俺の方を振り向き、
「なぁ!?やばいだろ!?……か、帰るぞ!?」
「ま、待ってくださいよ、圷さんが…」
圷さんは俺たちに構わず、部屋の奥へと向かっていた。部屋は6畳ぐらいの狭さだが、暗いことには変わらず、スマホのライトで照らして視野を捉えるのにも限界がある。
それにこの暗さ。見回せば分かる。御札が貼られていることに加えて、この隠し部屋には小窓すらも無いのだ。日本の建築基準法では考えられない。
「開けたオレも悪いけどさ…!あいつ…、常識は何処に置いてきたんだ!?」
「落ち着いてください。帰りたいのは俺も山々ですが、…正直言うと、何故彼女がここに拘るのか、きっと理由があるはずです」
「はぁ!?そんなの知るかよ。自己防衛するのは当たり前だろ?オレはここにいちゃいけないから帰る。圷は見たいから残る。それだけの事じゃないか!」
「ですけど!!!」
俺は反論する。
そしてふと昔読んだ本のことを思い出した。隔離された小さな部屋。外から拒絶される様子はまるで―――
「もしかして…、ここ、座敷牢じゃないですか?」
「座敷牢?隔離部屋がか?昔の悪しき日本の文化だけどさ。…そこまでこの屋敷は古いもんじゃないと思うぞ?」
「まあ確かにその文化は古いですが。…1950年代に中止されたようですけど、その後やっていた家はあるみたいですし。都会からかなり離れた集落ですよ?何もおかしくはないです。…まあ、俺の推測の域ですが」
「でもそう言われればありえるな。閉鎖された隠し部屋だ。見りゃ分かるわな。良からぬ物を隔離していたんだろ。……だが、一体何を?」
その意図が分からず、俺たちは互いに困惑する。
再度、周囲を見回す。木製の壁と、それに張り付く御札。そうだ、この御札。何のためにここまで張り付けていたのだろう。たかが人を閉じ込めておくのに、ここまでする必要はあるのだろうか?
そもそも、ここに閉じ込められていたのは人なのか。
何か正体を掴めるものがあれば良いのだろうが、生憎御札の文字は読めず、意味は分からない。これ以外のヒントは残念ながら見つけられない。
「圷。もう満足したか?」
数メートル離れた圷さんの方に俺らは近寄る。彼女は何かを触っていた。俺らは御札を見ていたと思っていたが、それは間違っていたことを悟る。
一番奥の壁、御札を掻き分けた先に、窪みがあった。それも入口のものと同じように、観音扉になっている。御扉という単語が過ぎった。圷さんがそれを開いたのだ。
大きさはホームセンターで売ってる3000円ぐらいの神棚がすっぽり収まるぐらいだった。見方を変えれば、小さな祭壇のようにも見えなくはない。そして、そこには、何かが納められていた。
「ねぇ、寒河江くん。これなんだと思う?」
「俺ですか…?」
恐る恐る近付く。
扉の内側。そこにあったのは、鞘に入った短刀と小さな桐の箱だった。それは圷さんも分かっているようだが、何故ここにあるのか、その理由がさっぱり分からない。
不可思議に思ったその時だった。
「……臭い、しないですか?」
どこかで嗅いだことのある気がする。そうだ、祖母の法事の時に訪れた寺だ。線香というよりもお香に近い、鼻腔を劈くような強い白檀の薫り。脳内を麻痺させるぐらいとてつもなく濃い。俺は二人に問うものの、否定される。
「臭いって何だよ。死体とかの腐臭か?」
「いや、違います。…なんと言うか、お寺のような、線香みたいな、そんな臭いです。……しません?」
「しないわね。気のせいじゃないのかしら?」
「そんなはずは……」
そう言い、口篭る。
―――俺しか感じない?
そんなはずは無い。と言い聞かせたいが、2人の反応を見てみるに、その線が濃いようだ。
そして俺は臭いの発生源に気付く。
「これだ、これからするんだ…」
小さな木箱。そこから異臭が放たれているのだ。
どんな良い香りの香水も、その匂いが強すぎると臭いに変わる。漂う臭いは決して心地の良いものではない。
化学の実験をする時のように、鼻を遠ざけ、手前から手で煽る。間違いない。そのあまりの強さに目眩がした。
「木箱か…?」
市ノ瀬さんが俺に聞く。俺はそれに頷く。
「だと思う。気持ち悪いぐらい、これから臭いがします」
「へぇ…、これねぇ…。これから臭い、がするのね」
改めて見る。長らく放置されているだろうに、その箱は一切埃を被っていなかった。
それに、この部屋もだ。外が散乱していただけに、ここまで整っているのは、やはり、違和感がある。納得できない。ここにあるものの、この家の全てがおかしいのだ。
圷さんがその表面に優しく触れた。
だが―――――
ドサッ、という音を立てながら。
その瞬間、彼女は崩れるようにして倒れる。
「おい、圷!?圷!?!?」
市ノ瀬さんが支える。こちらから見える彼女は苦しそうに顔を歪め、人とは思えない低い唸り声を上げていた。大きく開いた口からは唾液が零れ落ちていく。まるで自我を失った獣のように、白目を剥き出しにする。力の入った両掌に爪が刺さり、血が滲んでいく。
「は、箱だ…!」
咄嗟の判断で体を引き、箱から彼女の体を離す。そして市ノ瀬さんは、圷さんを担ぎ上げた。女性とは言え、身長は彼とさほど変わらない。やや重たいみたいで、整った顔を顰める。
「あ…、圷さん、圷さんは、ど、どうしたんですか…?」
「知らねぇよ!!こっちが聞きたいわ!」
「……背負えますか?」
「ちと重いがな。……まあ、問題ない。畜生…。寒河江、ライト頼めるか?」
「はい…。しっかり付いてきてくださいよ…」
逃げるしかない。
俺は泣きそうだった。まず、訳が分からなかった。
迷い込んだ先の、トンネルを抜けたらあった謎の集落。その廃れた中にある一軒の屋敷、謎の隠し部屋に入った。しかもあの部屋は、謎が深すぎる。大量の御札、小さな祭壇、そして供えられた短刀と木箱。数多のキーワードが重なり、駆け巡っていく。情報量が多すぎて俺の脳内がパンクしてしまいそうだ。
それに加えて、背後に背負われている圷さんの口からは、地獄の底から響くような、耳を覆いたくなるような、苦しげな声が漏れだしている。
全速力で階段を降りる。斜め後ろを走る市ノ瀬さんを確認しながら俺は行く。
屋敷から出て、トンネルの向こう側を目指す。途中、ぬかるんだ地面に足元を取られ、バランスを崩しそうになる。それでも必死に足を動かす。
闇の帳に覆われた外は、不気味なぐらいに静まり返っていた。この季節だったならば、虫の声が聞こえてもおかしくないのに、一匹どころか全くしない。この様子に市ノ瀬さんも怪訝に思ったみたいで、
「……なんで、こんなに静かなんだよ!?」
「分かりません……!分からないけど……。俺たちはきっと、とんでもない所に来てしまったんだなって…、思います…」
「…せめて、圷が元に戻れば。スマホの電池残量はまだいけるか?」
「残り20パーセント切りました…」
「……トンネルだ。ここを乗り切れば車がある。ペースを上げるぞ」
運動不足の体は、もう既に悲鳴を上げていた。でも、ここに留まるのは駄目だ。逃げなきゃという固い意思だけに集中する。一分でも早く立ち去りたいがために、太ももに力を入れる。
トンネルが見え、俺たちはその中を行く。
中は行きよりも暗く、そして、ライトでできた歪む影が怖く見えた。乱れた息遣いと、厚底スニーカーの固い足音が幾重にも反響する。
それでも、難なくトンネルを抜け、バリケードから体をよじって元の場へ戻る。
車だ。市ノ瀬さんの車が見えた。
息は途切れ途切れだった。安心感に負け、俺はそのまま膝を付き、空を見上げた。
空は墨汁で塗りつぶしたみたいに真っ黒だった。このまま見てると俺の全てを飲み込んでしまいそうだった。
「…なんだったんだよ、あの部屋」
俺は独りごちる。
奇怪で、奇妙で、気味の悪い場所だった。まだ悪寒に蝕まれている。あれが現実であると思い込むことさえも恐怖に感じる。
「悪い。寒河江、圷と一緒に後部座席乗ってくれるか?」
「…分かりました。…良いですよ」
俺は立ち上がり、車のドアを開ける。
「圷さんは…?」
「見りゃ分かるだろ。…どうすりゃ良いんだ、こりゃ」
市ノ瀬さんは長い前髪を掻き上げ、頭を抱える。
呻き声は発しなくなったものの、彼女は糸が切れたように眠っていた。相も変わらず意識はない。
不安な感情を押し殺し、そのまま圷さんの隣に、俺は座る。
「とりあえずお前の家向かうわ。圷は家族の人に迎えに来てもらうかな。まずは帰ることが大事だろう。……おい、寒河江?どうした?」
「……あ、いや。何か視線を感じて」
「なんだ?もう気味の悪いことは起こさないで欲しいぞ?」
俺も市ノ瀬さんも、この異常事態を受け入れつつあるのが、何とも不思議だった。
とは言っても、まだ変に心の底に固まっているものがある。俺は後部座席の窓から、トンネルの方を、ただじぃっと見つめていた。
市ノ瀬さんは俺の鞄から勝手に学生証を抜き取り、「住所、カーナビに打ち込むからな」と言った。家まで送ってくれるのだろう。だが、タッチパネルを触れる手は止まる。
「あれ…?動かないぞ?おかしいなぁ…」
「どうしたんですか?」
「エンジンを付けたのにカーナビが入力出来ないんだよ。圏外だからかなぁ…?」
「でも行きは表示されたじゃないですか?」
「だよなぁ。おかしいよなぁ?」
ボタンを弄くり回すものの、反応はない。例の『展望台』の赤く染まった3文字が、ディスプレイに表示されたままだ。
不意に俺はバックミラーを見た。何故見たか分からない。渦巻いていた違和感が囁いたからか、それにあの部屋を出てから“誰かに見られてる”感覚がするからか。俺の第六感というやつだろうか。
子供がいた。黒蜜を垂らしたような髪と陶磁器のように白い綺麗な肌をした、小さな女の子だ。赤く鮮やかな着物のような服を纏っている。その年は7つにも満たないだろう。
だが、その双眸は生きている人のものではない。
――――その少女が俺たちが乗る車を、焼き尽くすほど睨んでいた。
その美しく白い肌に生える汚れた赤。顔のあらゆる穴や傷口から真っ赤な体液が垂れ落ち、鮮やかな着物の色と混じる。そして、その口元は大きく裂け、三日月に歪められたそれは殺意と憎悪しか感じられない。
「市ノ瀬さん!?!?」
俺は叫んだ。市ノ瀬さんも何かに気付いたらしい。カーナビを入力することを投げ出し、ハンドルを握る。
車が動き出すと同時に、衝撃が走った。
ダンッ!!!!
音が鳴る。それもひとつではない。幾重にも、何重にも、その正体が子供の掌だというのが分かってしまうぐらいに、激しく車窓を叩きつける。
何が、外にいる。俺たちを囲んでいる。
「何だよ!?何が起こってるんだよ!?」
「子供が、子供がいます!!!!」
「はぁ!?子供!?!?!?」
「見えないんですか!?!?ちっちゃい子供です!!!!上にもいるし、横にも…!車にも張り付けています!!」
あの部屋の御札のように、乗りこんだ車を囲み、沢山の子供が掌を叩きつけていた。10人、いや、20人はいる。見ることができる方向がないぐらい、子供が溢れているのだ。
俺は我を忘れて市ノ瀬さんに怒鳴りつける。
「ねえ!?なんで!?見えないんですか!?!?」
市ノ瀬さんは黙った。そして一言零す。
「……ごめん。オレには、音しか聞こえない」
「どうして!?」
なんで?どうして俺しか見えない?
あの白檀の臭いがした時もそうだ。俺しか感じることが出来なかった。今迄、霊感があるなんて言われたことはない。分からない。訳が分からない。
俺の視界は何処にも向けられない。両手で目を覆っていないと、あの子供たちと目が合うからだ。無機質で感情のない、白濁した瞳。人なんかじゃない。あれはこの世のものでは無い、化物だ。
「……その子供とやらは、何人いるんだ?」
「20人はいます!……もう、見たくない!…怖い、怖いです……」
「いい。見たくないものは見なくて良いんだ。お前は目を瞑っていろ。オレが無事に帰してやる」
「すみません。……どうして?なんで……?」
両手でより強く顔を塞ぐ。襲い掛かる不安と恐怖心。
それに加えて、「どうして俺だけが」という疑問だけが満ち溢れていく。
いや、本当に俺だけか?1番初めに、トンネルの先へ行こうと言い出したのは圷依里だった。それに、自己中心的にあの屋敷に入り、小部屋の扉を開けさせ、甘い蜜に誘われるように木箱に手を触れたのもだ。
何故圷依里はこの場所に拘ったのだろう?そして、何故俺は、本来五感で感じることの出来ないものに気が付くこと出来るのだろう?
「ねぇ」
女の人の声がした。左隣からだ。声の方に恐る恐る振り向く。
圷さんだ。眠っていたはずの彼女が目を覚ましたのだ。
「……圷さん?」
俺は問う。声が震えた。外からは、まだ叩きつける音は喧しいままで止まない。
その女性の雰囲気は、圷さんとは似て非なるものだった。俺の嫌な予感は的中する。これは絶対、圷依里なんかじゃない、と。
彼女の首の関節が唸り、顔が俺の方を向く。目が合う。
「…この体、とっても素敵ね」
俺の意識はそこで途切れた。