下 凱旋
「アイちゃん……ですよね?」
シスターは中を覗き込むわたしを見つけるとパタパタとした足取りで外に出てきてくれた。
「何か御用ですか?」
身を屈ませながらシスターが訊ねるのに、わたしは少し躊躇うと思い切って顔を上げた。
「あの、ユミルは」
「ユミル?」
わたしが言うと、シスターは途端に表情を曇らせた。わたしがどうしたのだろうと次の言葉を待っていると、シスターは沈んだ声で続けた。
「ユミルは昨日死にました」
「え……」
死んだ? 昨日?
「ええ、残機に選ばれて」
そう言うと、シスターは頷くとひどく残念そうな顔をする、
「アイちゃんはユミルとお友達だったんですか?」
「昨日、少し話をしただけだけど」
「昨日?」
わたしがとつとつとした口調で言うと、シスターが怪訝な顔をした。
「昨日というのは何時ですか?」
シスターが訊ねるのに、昨日のお父さんのお葬式の後だと伝えるとシスターはそれはあり得ないと首を振った。
「ユミルが死んだのは昨日の朝ですよ。私が起こしに行ったらベッドで死んでいたんです。それからすぐにお墓に弔われました。それは、アイちゃんのお父さんのお葬式の前です」
「そんな、じゃあわたしが会ったユミルは? シスター嘘言ってるんじゃ。孤児院の他の子にも訊いてみないと」
「この孤児院にもう子供は一人もいません。ユミルがこの孤児院の最後の子供だったんです」
「え、でも……」
あの時、墓地に居た孤児院の子供達は……。
わたしがその事を言うと、シスターは目を丸くした。
「アイちゃん、少しお時間いいですか?」
シスターが言うのにわたしがうんと頷くと、付いて来てくださいとシスターに促されて、わたしは孤児院から教会の前を通って墓地へと歩いていく。
そして一つの墓石の前に来た。
それは孤児院の子供達が勇者さま、万歳をしていたお墓だった。
墓石には孤児院の子供達の名前が刻まれている。
彼らが勇者の残機ドナーに登録してから、次々に勇者の残機に選ばれて死んでいったのだという。
「不運な事でした。あんな立て続けにだなんて。子供達は孤児院の子のお葬式の度にここで勇者さま万歳をするんです」
「じゃあ、わたしが会ったユミルは……」
「それは幻を見たか、もしくは――」
沈黙が流れる。ざあざあと風に葉が揺れる音だけが鳴っていた。
「ねぇ、シスター。ユミル達は本当に不運だったの?」
「なぜ、そんな事を?」
「ううん、なんでもない」
わたしはフルフルと首を振る。
わたしが押し黙っていると、シスターが孤児院の子供達の墓石に目をやり口を開いた。
「ユミルは最後に何か言っていましたか?」
「わたしの事を恨んでいたみたい」
「恨んでいた?」
わたしがコクンと頷く。
ユミル達が勇者の残機ドナーに登録しなければならなくなったのはわたしのせいだから。
「わたしが勇者の残機ドナーに登録しなければ、自分達は登録しなくて済んだのにって」
そして、彼は理由を知りたがっていた。多分、伝わったと思うけど、満足してくれたのだろうか。
「そうですか」
シスターは小さく相槌を打つと、
「でも、そんな事ないと思いますよ」
そう言って否定した。
「あの子達は、人を恨むような子達じゃありません。あの子達は本当にいい子達でしたから」
「いい子……」
わたしは目を閉じると孤児院の子供達の名前が刻まれた墓石にお祈りをした。
するとパンパンと遠くで花火の上がる音がした。
見ると町の中央からピンク色の煙が立ち上っていた。
「あれは招集の狼煙……」
それは何か連絡がある際に打ち上げられる狼煙で、ピンク色の狼煙を見た時は中央広場に集まる事になっている。
「一体なんでしょう?」
「わからない」
わたしはシスターと顔を見合わせると、中央広場へと足を急がせる。
そこで聞いたのは、ついに勇者が魔王を打ち倒したという報告だった。
勇者が魔王を倒したという話は瞬く間に町中に広がった。
死んだようだった町が息を吹き返したように湧き上がっていた。
魔王を倒した勇者達の凱旋があらゆる都市で行われ、わたし達の町にも勇者達の凱旋団がやってきた。
勇者達はこうやって町を巡り終えた後は召喚が行われた丘へ向かい元の世界へと還っていくのだという。わたし達の町は召喚の丘から割合近い場所にあるので、勇者達がやってきたのは勇者が魔王を倒したという一報からかなり経ってからの事だったが、それでも盛り上がりは冷める事はなくみんな町の中を凱旋する勇者さまに声援を送っている。
勇者嫌いだったお母さんですら声援を送るくらい、みんながみんな勇者さまを称えていた。
わたしはお母さんに連れられてそのパレードを眺めていたが、あまりに沢山の人の波にさらわれてはぐれてしまいお母さんを探していると、路地裏に二人の男女が入っていくのが目に入った。
「もう、こんな所で誰か見られたらどうするの?」
「大丈夫だよ、今は全員パレードの方に集中してるからこっちには誰も来ないって」
「あん、そんながっついちゃ駄目。もっと優しくしてくれなきゃ――あ……」
女の人と目が合ってしまった。
「勇者さま?」
見た所、二人は勇者さまのようだった。どうやら何か用事があってパレードを抜け出して来た所らしい。思わずついてきてしまったけど、まずかったのだろうか。
わたしが声を掛けると、
「な、なんでもない。なんでも!」
二人はぱっと離れると、女の方の勇者さまがひらひらと手を振った。
「?」
わたしが首を傾げていると、勇者さま達はわたしの元に来ると、
「こんな所でどうしたの?」
そう言って、女の人の方の勇者さまがわたしと同じ目線の高さまで身を屈めると優しく言った。
「お母さんとはぐれてしまって」
「ああ、迷子なんだ。お姉さん達が一緒にお母さん探してあげようか?」
「ううん、大丈夫」
わたしがフルフルと首を振ると「そっか」と女の人の方の勇者さまは屈めていた体を起こして立ち上がった。
「あの……」
「ん?」
わたしがおずおずと声を掛けると、勇者さま達がわたしを見る。
「勇者さま達は、魔王と戦ったの?」
「うん、戦ったよ」
「強かった?」
「うん、まあ……」
女の方の勇者さまがちょっと考えていると、男の方の勇者さまが言った。
「おう、めっちゃ強かったぞ。何しろ即死攻撃がバンバン飛んでくるんだ。あれはやばかったなぁ」
「いや、あんた無意味に死にすぎだから。あんなのジャンプすれば簡単に避けられるのに毎度毎度当たるんだから、その度に生き返す私の身にもなってよね。MP尽きるかと思ったわ」
「わりぃ、わりぃ」
「まったくもう。レイドを組んでる他のパーティの人にも笑われてたよ。ちょっとは避ける努力をしてよね」
「どうせ蘇生魔法で生き返るんだから、別にいいじゃん」
「だからMPは無限じゃないんだよ」
男の人の方の勇者さまが頭を掻きながら笑うのに、女の方の勇者さまがジト目を向けていた。
「……」
わたしには勇者さま達の話してる事は半分もわからなかった。でも、沢山死んで、沢山生き返ったんだろうなって事はわかった。
楽しそうに話す勇者さま達を見ていると段々と心がモヤモヤとしてきてしまう。しょうがないからと蓋をしていた心の淀みが溢れ出してくるようだった。
訊くんじゃなかった。話すんじゃなかった。遠くから眺めているだけなら幸せな気分でいられたのに。そう思ったけどもう遅い。
あなた達を生き返すために沢山の人が。
エマちゃんも、お父さんも、ユミル達もあなた達のために。
みんな、みんなあなた達のために。
あなた達の――――。
「まあ、強かったというよりは大変だったかな。って、どうしたの? 顔色が悪いよ」
「お腹空いてるんじゃないか?」
「あ、そうだ。確かここに」
男の方の勇者さまが言うのに、女の勇者さまがごそごそと腰につけたポーチをまさぐる。
「これ、チョコレート。よかったら食べて」
そう言うと、小さく包まれたブロック状のチョコレートをわたしの手の平に置いた。
わたしはそのチョコレートをぎゅっとぎゅっと握り締める。
「ありがとう……」
心の中を色々な思いが渦巻いていたのに。
辛うじて言葉に出来たのはそれだけだった。
「どういたしまして。じゃあ、お姉さん達はそろそろ行くから。バイバイ」
勇者さま達はそう言って手を振ると去っていった。
わたしはしばらくその場に立ち尽くしていたが、やがて崩れ落ちるように座りこむ。
「うぅ……えぐ……」
ぽろぽろと流れ落ちた涙が敷きレンガに染みを作る。
そして、わたし達の世界は平和になった。