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親友のエマちゃんが死んだ。
モンスターに襲われて死んだのだ。
でも、そんな事は特別珍しい事じゃない。今、世界は魔王の生み出したモンスターに溢れているのだから。モンスターに襲われて死んでしまう人なんて沢山いる。
わたし達の世界に魔王が現れてから一年とちょっとが経とうとしていた。その間に世界は荒廃し、作物はうまく育たず、モンスターに怯える毎日を過ごしている。
だから、それは当たり前の事。
それが、わたし達の日常なのだから。
それでも、わたしは悲しかった。昨日まで、わたしと一緒に居て笑ってくれていたエマちゃんが突然いなくなってしまった事がショックだった。
こんな世界だからしょうがない。なんて、わたしには割り切れなかった。
きっとわたしにも何か出来る事があるはず。
死んでしまったエマちゃんの為に。
この世界を救う為に。
平和の為に。
そう思ってわたしは勇者の残機ドナーに登録する事を決めた。
◇◆◇
「アイちゃん、本当にいいんだね?」
「はい、神父さま」
わたしが力強く頷くと神父さまは小さくため息を吐き改めてわたしを見た。
「こんな小さな子まで残機にしなければいけない時代とは」
「神父さま? どうしたの?」
わたしが不思議そうに見上げるのに、神父さまは首を振る。
「いや、なんでもないよ。望む者は老若男女問わずに登録するように言われているからね。それじゃあ始めようか」
「はい、神父さま洗礼を……」
わたしそう言って目を閉じると、神父さまの呪文が聞こえてくる。
その日、わたしは町の教会を訪れていた。
それは、勇者の残機ドナーに登録する為だ。
魔王がこの世界に現れてからしばらくして勇者と呼ばれる存在がわたし達の世界に現れるようになった。勇者とは世界の偉い賢者さま達が魔王を倒すために異界から召還した者達の事で、とても強い力を持ち高い不死性を持っている。確かニポン……ニホンだったかな。確かそんな名前の世界からやってきたのだという話だった。
勇者は倒されても教会でお祈りしたり、蘇生魔法を掛ける事で生き返る事が出来る。
しかし、彼らを生き返す為には代わりに誰かが死ななければならない。
その為に生み出されたのが残機ドナー制度。
勇者達が魔王と戦う裏で行われるこの命のやり取りを勇者達は知らない。彼らの戦闘意欲を削いではならないという理由から、この事を伝える事は固く禁じられているからだ。
勇者達の多くは遊び感覚でこの戦いに参加しているので、この事を伝えれば勇者は皆去ってしまうというのが賢者さま達の説明で、それは到底わたし達が納得できるものではなかったけれど、破ればひどい罰を受ける事になるのでみんな言わない。
いや、罰を受けるから言わないのだと思っていたけど、本当は違うのかも知れない。
もはや、わたし達には勇者しか頼るものがないのだ。
「アイちゃん、終わったよ」
神父さまの声にわたしはゆっくりと目を開くと自分の体を確認する。
「特に変わってないね」
残機ドナーの洗礼が終わったらしいが、特別何か体が変わったわけではなかった。
「そりゃそうだよ。でも、ちゃんと終わったよ。ほら、ドナーカード」
神父さまはそう言うと、わたしに一枚のカードを手渡した。
「それが君が残機ドナーになった証明書だよ。大切に持っていなさい」
「これが……」
わたしはマジマジと貰ったドナーカードを見る。
これでわたしも勇者さまの残機になったんだ。
きっとこれで勇者さまが世界を救ってくれる。
「エマちゃん見てくれてる? これでよかったんだよね?」
天国のエマちゃんに語りかける。
返事は返ってこないけど、きっとエマちゃんも褒めてくれるよね。
「じゃあ、神父さま失礼します」
しばらく教会のステンドグラスを通したキラキラとした光を眺めていたが、はっと気がついて神父さまに別れの挨拶をする。
「あの、アイちゃん」
そして踵を返した所で神父さまに声を掛けられた。わたしが振り向くと、
「この事は親御さんには話したの?」
「それは……言ってない」
「ちゃんと話した方いい」
「……はい」
わたしは神父さまに小さく返事をすると教会を後にした。
そして、貰ったばかりのドナーカードを眺めながら家への道を歩いていくと、
「アイちゃん、何を見てるんだい?」
道具屋のおばさんに声を掛けられた。
「あ、おばさん」
ふくよかなおばさんがわたしの方へとやってくると、わたしの持っているドナーカードを取り上げて目を瞬かせた。
「これ残機のドナーカードじゃないか。アイちゃんのかい?」
「うん、今日神父さまの所に行って登録してきたの」
「へぇ、偉いじゃないか。こんなに小さいのにちゃんと世界の事を考えてて偉いねぇ。きっと勇者さまが魔王を倒して世界を救ってくださる。私達に出来るのはドナー登録くらいなもんだ」
道具屋のおばさんはそう言うと、わたしの手にドナーカードを返して頭を撫でてくれた。
「アイちゃんは世界の為に、ちゃんと勤めを果たした偉い子だ」
「えへへ」
道具屋のおばさんが心底嬉しそうな表情をするものだから、なんだかわたしも照れてしまった。
「そうさ。世の中にはまだまだ子供を残機にするべきではないなんて綺麗事を言うやつらが沢山いる。でも勇者さまが魔王を倒す事が出来なかったらこの世界は滅んでしまうんだ。子供だから残機にならなくていいなんて甘っちょろい事を言ってられるような時代じゃないんだよ。子供だからと見逃していたらこの戦いに勝つ事なんて出来ないのさ。世界の為に、勝つ為にはもっと――」
「おばさん?」
ぶつぶつと何か独り言を呟いている。
わたしが不思議そうに眉間に皺を寄せているおばさんを見つめていると、
「アイ!」
突然名前を呼ばれた。なんだろうと思い名前の呼ばれた方を見るとお母さんが慌てた様子でわたしの方に走ってきていた。
「お母さん、そんなに急いでどうしたの?」
わたしが訊ねると、お母さんははぁはぁと荒い息を吐ききっとわたしを睨みつけた。
「あなたが教会に入っていったのを見たって人が居て、急いで来たの。アイ、あなたまさか――」
「うん、勇者の残機ドナーに登録したよ」
わたしはにっこりと微笑むと、自慢げにドナーカードをお母さんに見せた。
「これで、わたしも世界のお役に立てるかな」
「バカ! あなたなんて事をっ」
パンという渇いた音がした。突然の事過ぎて何が起こったのか分からなかったけど、頬がジンジンと熱くなっていくのでお母さんに叩かれたのだと気がついた。
「お母さん……」
「アイ、あなた自分が何をしたかわかってるの? 残機ドナーになるって事はいつ残機になって死んでもおかしくないって事なんだよ」
「……わかってるよ」
「わかってない!」
強い口調で頭ごなしに否定された事に、わたしは反感を覚えて頬を手で押さえながらお母さんに睨むような視線を返す。
すると道具屋のおばさんが呆れたような口調でそんなわたし達の間に割って入ってきた。
「ちょっと宿屋の奥さん。褒めるどころか叩くなんて酷いじゃないか。アイちゃんはね、ちゃんと義務を果たしてるんだ。立派じゃないか、いつまで経ってもドナー登録しないあんたよりもしっかりした子だよ」
「いつ、あの悪魔の制度が義務になったって言うんですか。あれは任意ですよ。ドナー登録する義務なんてありません」
「あんたまだそんな事言ってるのかい。任意だからと言ってドナー登録しなければいずれ勇者さま達が生き返る事が出来なくなって魔王に負けてしまうんだよ。そうなったら、それこそこの世は地獄じゃないか。それに仮に魔王を倒して平和になったとして残機のドナーにもならずに、みんなが残機として命を散らして得た平和をあんたは生きるのか? そんな平和のタダ乗りをしようなんて許されると思ってるのかい? どんだけ面の皮が厚いのさ?」
「あなたみたいな人が居るから……」
お母さんは道具屋のおばさんを睨みつけると、
「あなたみたいな人が煽ったから、本来は任意だったものが、強制みたいになってしまったんじゃないですか。わたしは認めませんよ、こんな人を人とも思わない制度。そんなに魔王を倒す事が大事なんですか」
「当たり前じゃないか。私達はね、戦争やってるんだよ。負けたら意味ないんだ。世界の為に奉仕するのは人の義務だ。あんたみたいな奴は人間じゃない。非人間、猿だよ。キーキー喚いてる暇があるなら、娘に倣ってさっさと教会に行ってドナー登録して人間になってくるんだね」
「……っ」
「お母さん……」
わたしが不安な目を向けると、お母さんは下唇を噛んで小さく震えているのが見えた。
勇者の残機ドナー制度。
勇者が魔王を倒してくれる事を祈り生み出されたこの制度は最初は任意だった。しかし、戦況が悪化し生活が悪くなっていくに連れて次第に強制の色を帯びてくる。それは勇者を召還した賢人たち、そして国や都市、実際にドナー登録を執り行う教会がそのような方向に持っていったという事もあるが、この道具屋のおばさんのような普通の人達がそのような空気をどんどんと作っていったのも理由として大きかった。特に都会や魔王城に近い地域ほど酷く、ドナー登録してない人は人間ではないと罵られ、追い立てられ、迫害されるのだという。
わたしの住んでいるこの町は田舎で、魔王城にも近くないので割りと自由な感じだけど。それでも、わたしのお母さんは勇者嫌いでずっとこの制度に否定的な事を言い続けていたから、その事でうちの宿屋も一時期は酷い落書きや怒声を浴びせられるという事が続いた事があった。
もっとも今は落ち着いているけど。
この田舎の町ですらそうなのだから、都会では本当にすごいのだろう。
そんなお母さんだから、勇者の残機ドナーにわたしが勝手に登録してしまった事にとても怒ったのだ。逆に言えば、だからわたしは両親に相談せずに決めたのだけど。
褒めてくれるとは思ってなかったけど、何も叩かなくてもいいのにな……。
「改めて言うけどね、アイちゃんは偉い子だよ。それを叩くなんてとんでもない母親だ。今までは子供は勇者の残機ドナーにしないという空気があったが、これで少しは変わって来るだろうね」
「あなたは……子供達にまでこんな事を強要するつもりなんですか」
「強要だって? むしろ子供達から選択肢を奪っているのはあんた達のような大人なんじゃないかい? 子供達だってこの世界の為に役に立ちたいと思ってるんだよ。それがあんた達のような大人が押さえつけてるんだ」
そう言うと、道具屋のおばさんはわたしを見た。
「アイちゃんは強要されて、勇者の残機ドナーに登録したのかい?」
「わたしは……、エマちゃんがモンスターに殺されちゃったから勇者さまがモンスターを倒してくれたらと思って……」
本当に、わたしの理由はそれだけだった。エマちゃんが死んでしまった事がショックで何かしたいと思ったというだけで。
「アイ……」
わたしがふるふると首を横に振ると、お母さんが何かを言いたそうにわたしを見たが、その先の言葉は飲み込まれてしまったのか続く事はなかった。
「ほら、アイちゃんもこう言ってるじゃないか」
「アイはまだよくわかってないだけです」
「自分の娘の言う事も信用してあげられないなんて、本当にひどい母親じゃないか」
「……っ」
お母さんは眉間に皺を寄せて道具屋のおばさんを睨みつけていた。そして、ふいに視線を逸らすと、
「あなたには子供がいないからそんな事が平然と言えるんですよ。子供がいないあなたに母親を語る資格なんてないです」
「私だって好きで子供を作ってないわけじゃないんだよ。ただ出来ないだけだ」
「そんな思想だから子供が出来ないんじゃないですか? コウノトリだって人を選ぶんだわ」
「なんだって! もう一回言ってみろ!」
「あら、図星なんですね」
「こいつっ」
道具屋のおばさんがお母さんに掴みかかってくる。
「お母さん、言いすぎ。言いすぎだよ。おばさんも熱くならないで」
わたしが仲裁に入ると、おばさんはお母さんの洋服を掴む手を緩めて離れた。
「今日の所はアイちゃんに免じて許してやるよ。でもね、そんな態度を続けてたらあんたこの町に住めなくなるよ。せいぜい旦那と娘に感謝するんだね」
吐き捨てるように言い残すと、道具屋のおばさんは大股で去っていった。
「……」
「……」
「アイ、私達も帰りましょう」
「うん」
お母さんはそんな道具屋のおばさんの後ろ姿を睨みつけていたが、何かを抑えつけるようにぐっと目を瞑ると深く息を吐いた。そして、わたしの手を握った。
「あの、お母さん……」
「何?」
「……なんでもない」
やっぱり怒ってるのかな。相談せずに勝手に決めちゃった事。しかし、お母さんがその事をわたしに話す気配さえなかった。険しい顔をしたまま真っ直ぐに前を向いている。何を考えてるんだろうと、もやもやとした気持ちを抱えながらお母さんに手を引かれて家路へとつこうとした時だった。
背後からざわざわとざわつくのが聞こえてきた。
何事だろうとお母さんと共に、戻って人だかりの中心を見ると道具屋のおばさんが倒れていた。
「どうも心臓発作だったようだ」
そう回りの人たちが噂をする。
「じゃあ、道具屋のおばさんは……」
勇者の残機にドナー登録した人が実際に残機として選ばれた場合、その症状は心臓発作と区別がつかない。
この場にいる誰もが、道具屋のおばさんが本当に心臓発作で死んだのではない事をわかっていた。道具屋のおばさんは残機に選ばれて死んだのだ。
「勇者さま、万歳――」
道具屋のおばさんの死体を取り囲んでいた人たちの誰かが、ポツリと漏らすように口にする。
「勇者さま、万歳!」
「勇者さま、万歳!」
「勇者さま、万歳!」
それが合図となったのか、波紋が広がっていくようにすぐさまおばさんの死体は「勇者さま、万歳」というコールに包まれた。一体誰が最初にやり始めたのか。勇者の残機として死者が出た場合、勇者さま万歳と言うのが通例となっていた。
勇者さま万歳コールなんて今までも何度も聞いたはずなのに、今まで特に気にする事もなく聞き流していたそれが今日はなんだか妙に耳についた。
さっきまで普通に話していた道具屋のおばさんが冷たくなって転がっている。
それを見ていると、何だか段々体が震えてくる。
勇者の残機ドナーに登録して初めてわかった。勇者の残機となって死んだ人を見る事がこんなに恐ろしい事なんだって。次は自分かも知れない。みんなそう思っているのだ。
行き場のない感情を吐き出したい気持ちになる。
もしかしたら、勇者さま万歳という合唱を最初に始めた人はその恐怖を紛らわせる為に言ったのかも知れないと思った。
わたしがそんな事を考えながら震えていると、不意に柔らかい感覚に包まれた。
「お、お母さん」
お母さんがわたしの事を抱きしめてくれたのだ。わたしがびっくりして声を上擦らせていると、お母さんの低くて小さい、そして強い声がわたしの耳に届いた。
「アイ、大丈夫。お母さんが出来る限り守ってあげるから」
「……っ」
お母さんに抱きしめられていると段々と震えが収まってくる。
包み込む暖かさに恐怖が薄れてく。
「お母さん?」
ただわたしを抱きしめるお母さんの目は、わたしじゃなくてどこか遠くを見ているような気がした。