第三話 スキルを使ってみよう
『チュートリアルその二だよ。スキルを使ってみよう!』
サポの明るい声が響く。
「具体的にはどうすればいい?」
『左腕のブレスレットを軽く叩いてみて』
言われたとおりにすると、目の前に半透明のウィンドウが現れた。
『それがメインメニューだよ。持ってるアイテムやスキル、ステータスや装備なんかも全部ここで確認できるから、後で見ておいてね。それじゃあその中のスキルっていう項目を開いて』
スキルと書かれたタブを開く。画面が切り替わり、ウィンドウからゴツゴツした端子がいくつか張り出してくる。エッジ・コネクタと呼ばれる、SDカード用のスロットだ。
『挿し込むやつがたくさん出てきたでしょ? そこにカードを入れればスキルが使えるようになるんだよ』
ふむ、と頷きながらカードを挿し込む。
画面に『スキルをセットしました』というシステムメッセージが流れ、白いラベルから空中に文字が投影される。
『トランスポーター』。それがこのスキルの名前らしい。
「セットできたようだ」
『じゃあ後は発動させるだけだね。スキルの発動方法は二種類。ボイスコマンドとジェスチャーだよ。ジェスチャーの方は自分で登録しないといけないから、今回はボイスコマンドで発動しようか。投影されたスキル名を唱えてみて』
「声に出すだけでいいのか? 意外と簡単なんだな。……【トランスポーター】」
そう言った瞬間、フォンという風切り音が走る。足が地面から離れ、体が三十センチ程浮き上がった。
「うおっ、浮いたぞ! 何だこれは!」
『暴れると危ないよ。それがスキル【トランスポーター】の効果だよ。落ち着いて、ゆっくりと体を傾けてみて』
「あ、ああ」
おそるおそる言われたとおりにしてみる。するとイチヤの体が空中を滑るように移動し始めた。
『【トランスポーター】は移動用スキルだよ。徒歩じゃ時間がかかるような場所に移動したり、ドゥームを探したりする時に使ってね。慣れれば車よりスピードが出せるよ! その代わり発動中は攻撃も防御もできないから気をつけてね。ちなみにチュートリアルで貰えるスキルは全プレイヤー共通して【トランスポーター】だよ』
サポが説明をしている間にも、イチヤはグラウンドを縦横無尽に滑りまわっていた。
「これは良いな! 思ったよりも自由に動けるしスピードも出る」
『楽しんでもらえたみたいで良かったよ。装備アイテムや消費アイテムも、使い方の要領は同じだからね』
「ああ、了解した。ところで、スキルの【解除】はどうやるんだ?」
尋ねた途端、唐突にスキルが解除される。まだグラウンドを滑っていたイチヤはバランスを崩して派手に地面を転がった。
「うおっ! 痛っ……くないな、あんまり」
『痛覚が緩和されてるからね。持続系スキルを解除するボイスコマンドはそのまんま、【解除】だよ。放っといたら勝手に解除されるスキルもあるけどね。あと、ボイスコマンドが暴発して使いづらかったらメニューで変更できるよ。ジェスチャーに変更しといてもいいかもね』
「……そうだな、時間がある時にでも変えておこう」
じゃないと心臓に悪い。
『じゃあ、イチヤ。チュートリアルその三だよ』
「ん、何だまだあるのか?」
『これで最後だからもうちょっと付き合ってよ。チュートリアルその三は、アトラクタ・バーサスの世界を見ること! だよ!』
尻をさすりながら立ち上がり、首をかしげる。
「世界を見る? どういうことだ?」
『ねぇイチヤ、キミがいるその場所がどこだか分かるかい?』
「ここか? 学校だろう? どこかの……」
呟いて辺りを見回す。いつの間にか暗闇に目が慣れ、周りがよく見えるようになっている。
「ん?」
そこで初めて、周囲の景色に見覚えがあることに気がつく。
「もしかしてここ、俺が通ってた小学校じゃないか?」
色あせた朝礼台、石造りの手洗い場、狭い砂場。どれもこれも当時のままで、強烈な懐かしさを覚える。言われるまで気がつかなかったのが不思議に思えるほどだ。
今の今まで綺麗に忘れていたはずの思い出が蘇ってくる。
「やっぱりだ! 間違いない!」
『うん、多分正解だよ! 最初の転移地点はVRギアのGPSデータを元に決められるからね。そこは現実世界のイチヤがいる場所の近くのはずだよ!』
「そうか、いや、それにしても懐かしい。ドゥームやスキルに夢中でさっぱり気がつかなかった。外から見ることはあったが、中に入るのなんて何年ぶりだ? いや、本当に懐かしい」
イチヤは少し興奮した様子で近くの鉄棒に駆け寄った。サポの声が得意げになる。
『ふふ、すごいでしょ? ここだけじゃなくて、日本中が再現されてるんだよ! それにこの世界じゃあ立ち入り禁止の場所なんてないのさ! これからキミ達プレイヤーは自由にこの世界を見て回り、時には協力し、またある時には……』
「なぁサポ、見てくれよこの鉄棒。妹が初めて逆上がりした鉄棒だ。でもその時にはしゃぎすぎて顔面を強打してな……」
『えっ、うん?』
「それでもまだ嬉しさの方が勝ってたみたいで、あいつ鼻血まみれでニヤニヤしながらいきなり――」
『あの、イチヤ?』
「ああ、悪い。つい懐かしくてな」
イチヤは尚も興奮冷めやらぬといった様子で辺りを見回す。
「なぁ、ちょっと校舎の中に入ってみてもいいか? 色々見て回りたいんだ」
『……もちろん! この地上では何をするのもプレイヤー達の自由だからね!』
「なるほど。じゃあやりたいようにやらせて貰おう」
イチヤは急ぎ足で校舎に近づいてゆく。記憶にある姿そのままの昇降口を通り、校舎の中に入る。
そして近くにあった引き戸に手を掛け、ガラガラと勢い良く開け放つ。
数年ぶりに見る、小学校の教室。すっかり高校のものに慣れてしまったイチヤからすれば、机も黒板もとても小さく感じる。
しかしイチヤは小さく肩を落とした。
「……違う。ここは保健室だった。弟や妹を何度も連れてきたんだ。間違いない」
落胆の滲み出た声でボソリと呟く。
『……うん、そうなんだ。ごめんねイチヤ。建物の中までは再現されないんだよ。再現されるのはあくまでも街並み、外側だけ。中身に関しては一日毎にランダム生成されるだけなんだ。プライバシーとか防犯とか、色々問題が多くてね』
「……残念だな。まぁ、考えてみれば当然か」
中身が別物ならば校舎を見て回る意味はない。イチヤは教室を後にし、再び昇降口に戻った。
「……ん? でもここはちゃんと再現されてるな」
『こういう公共施設の、半分屋外になってるっていうか、解放されたような場所は再現されることもあるんだよ』
「そうか……。なら、この懐かしい下駄箱が見られただけでも運が良かったということか。そうだ、今思い出した。弟は大泣きするほど虫が苦手なんだが、むかし弟の上履きに――」
『イチヤ、そういうの忘れてあげるのも優しさだよ』
外に出て、再び校庭を見て回る。
『チュートリアルその三はお気に召してもらえたかな? ここは現実の外観を模した世界。それだけ理解してもらえれば、もうチュートリアルは終了だよ』
「ああ。よく分かったよ。ありがとう、サポ」
チュートリアルはここまでか。ということは、ここからは自分から動いていかなければならないわけだ。
『さぁ、ここからは本当にイチヤの自由だよ。やりたいことを、好きなようにやっちゃって! 『自由』こそがゲームの本質だからね。僕はプレイヤーの自由を何よりも尊重するよ。じゃあ、僕はこれで! 何か聞きたいことがあったら、ウィンドウに向かって喋りかけてくれればいいからね!』
直後、ブツッと通信が途切れる。
「……ふぅ」
思わず息をつく。ここからは一人か。なんだか急に寂しくなったように感じる。
とりあえずもう少し思い出に浸ろうと、別の遊具に歩いていく。しかしその時、校庭に異変が生じた。
グラウンドの中央辺りにぼんやりとした光が生じ、それが集まってだんだんと人の形を形成していく。それを皮切りにしたように、数箇所で同様の現象が起き始める。
「ドゥームか?」
先ほどのグロテスクな姿を思い出して身構える。
しかし人の形をした光は、皆忙しない動きでキョロキョロと辺りを見回している。先ほどのドゥームにはなかった人間らしさを感じる動きだ。
「いや、これはプレイヤーか。……む、だとしたらまずい」
サポの説明を思い出し、眉をひそめて切迫した表情を浮かべる。
サポは確か、最初の転移地点は家に近い場所になると言っていた。だとしたらあのプレイヤー達は、近所の人だということになる。もしかしたら知っている人かもしれない。
顔を合わせるのは――気まずい。
「【トランスポーター】」
イチヤは相手が完全に転移しきる前に退散することにした。
迅速に学校から離れつつ、今後の事を考える。
サポは自由にやれなどと言っていたが、ゲーム初心者の自分にとってはそれが一番困るのだ。
とりあえずドゥームを探して倒せばいいのだろうか? それともゲームシステムや仕様の把握が先か? いや、もしかするとゲーム慣れしていない自分では思いもつかない定石があるかもしれない。
「……方針が定まらないな。何か参考になるものが欲しい。そうだ、他のプレイヤーを見れば何か分かるかもしれない」
現実世界では、この辺りで一番人が多い場所と言えば駅前だ。
小ぢんまりした駅だが、利用者はそこそこ多い。あそこなら他のプレイヤーがいるかもしれない。
【トランスポーター】にももう慣れた。駅までの移動にはそれほど時間は掛からないだろう。
そして駅に到着する。
期待通り、そこには先客が一名いた。イチヤと同じく初期装備の男性プレイヤーだ。
イチヤにとっては初めてとなる、他プレイヤーとの遭遇。
そのプレイヤーの行動をこっそり観察しながら、深く頷く。
「ほう、なるほど……。そういうことか」
『この世界は自由だ』とサポは言った。それがいまいちよく分からなかったのだが、実際にプレイヤーを見ると一発で分かった。百聞は一見に如かずとはこのことだ。
そのプレイヤーは、全力で『自由』を体現していた。
「あああああッ!!」
大声をあげながら、とあるオフィスの看板を思い切り殴りつけている。
「このッ、このッ!! クソ野郎!! ハゲ部長!!!」
彼の暴行は止まる様子を見せない。事情は分からないが、並々ならぬ怨恨を感じる。
彼の周囲にはドゥームも何匹か徘徊している。倒せば経験値が貰えるし、有用なアイテムも得られるかもしれない。しかし彼はドゥームになど目もくれず、看板を痛めつける手を休めない。
感情の赴くまま。恥も外聞もなく。やりたいことをやりたいように。
「おらああッ!! オルァアアアア!!」
イチヤはその姿を見て再び頷いた。『自由こそがゲームの本質』。サポの言葉がすとんと胸に落ちてゆく。
「そうか、分かったぞサポ。あれがお前の言っていた『自由』の姿だな。……ようやく一つ、『ゲーム』を理解した」
この世界では、我慢をしなくていいということか。
こうしてイチヤは、『ゲーム』への理解を一歩目から間違えた。