第十五話 俺に任せろ
時は戻って、チュートリアルを終わらせた後。
イチヤとの通信を済ませたシュージとミサキは、【トランスポーター】で駅に向かっていた。
「あーはははー!! いけいけー! ふぅー!!」
「もー、ちゃんと走ってよミサキ……」
シュージは困った顔で、フラフラと適当に動くミサキの手を引っ張って駅に急ぐ。
そんなシュージを見て、ミサキの頬がますます緩む。
ミサキは今、この上なく上機嫌であった。
体の弱い兄とこんな風に体を動かして遊ぶことは長年の夢であったのだ。VR空間ではあるものの、夢が叶った。兄の体は快復へ向かっているため、この夢が現実世界で叶う日も近い。それにゲームの中では身体能力が同じになるためか、シュージが普段よりもやや強引なのも新鮮で面白い。
そして更に、最近は勉強勉強とあまり相手をしてくれなかったもう一人の兄まで、今日はとことん自分に付き合って遊んでくれるという。
あれ、そこまでは言っていなかったっけ? まぁとにかく今日は最高の日なのだ。
「ひゃっほーう!! いえー!」
「うわあっ! いきなり暴れないでよ!」
ワイワイと騒ぎながら駅に着き、言われたとおりに繁華街へと転移する。
「わ、本当にワープなんだ」
「すごーい! 便利だね!!」
二人で辺りを見回す。
広い駅だというのに、周囲にプレイヤーは数人しかいない。
シュージもミサキも午前中の混雑ぶりを知らない。ここまで人が少ないのは明らかに異常事態であったが、そんなものだろうかと思って気にしない。
「さてと。じゃあ広場に向かおうか。ミサキ、駅前広場の場所って……分かる?」
「分かんない!」
「だよね」
じゃあ兄さんに聞こうか、とウィンドウを開く。
「オイ、待ちな」
そこで声が掛けられた。
顔を上げると、いつの間にか周囲にいたプレイヤー達が集まってシュージ達を取り囲んでいる。
正面の男がニヤニヤと下卑た笑みを浮かべ、武器を取り出した。
「悪ぃがここは俺達のナワバリだ。勝手に入んねぇでくれや」
「ナワバリ……? 公共の施設じゃないんですか?」
シュージはイチヤと違い、ある程度ゲーム知識がある。アトラクタ・バーサスのことも、一通り下調べをしている。ナワバリなどというシステムは、アトラクタ・バーサスにはまだない。
「はぁ? 俺達がナワバリだっつったらナワバリなんだよ。通りたきゃ金払え」
「ちなみにいくらですか?」
「百万エル」
「えぇ……」
二人の格好は初心者丸出しの初期装備。武器すら持っていない。所持金ももちろんゼロだ。それは向こうも分かっているはず。
ということは連中の目的は金ではない。
シュージ自身にMMOの経験はないが、学校の友人から話をよく聞くため、ある程度のことは分かる。
相手の目的に思い至り、ポンと手を叩く。
「あっ、これPKってやつか」
「ピーケー! 聞いたことある。はぁー、これがあの有名な……」
数人に囲まれて絡まれている状況でも、二人の様子は気楽だ。
もちろん人数差もレベル差も装備差もある。状況は絶望的。それは分かっている。しかし始めたばかりでは失うものも特にないし、これはこれで見世物として楽しい。
「チッ、張り合いのねぇ連中だな。まぁいいや。笑ってられるのも今のうちだ。金が払えねぇってんなら痛い目見てもらうぜ……?」
プレイヤー達が武器を構えて滲み寄ってくる。
しかしシュージとミサキは体験型テーマパークでお芝居を見ているような心境だ。
「凄いね、ミサキ。これもロールプレイってやつかな? 悪役ロールとかかな」
「楽しそうだね! 私もなんかやろうかな」
「舐めてんじゃねぇぞ、オラァ!!」
男が叫び、棍棒のような武器でシュージの胸を殴りつけた。
「うわっ!」
「!」
その瞬間、ミサキの表情が鋭いものに変わった。
シュージが殴られた部分をさすりながら呟く。
「びっくりした。痛くはないけどビリビリ来るね」
「……」
表情を険しくしたミサキがシュージを庇うように前に出る。
「あのさぁ……。心臓の近くは攻撃しないでもらえるかなぁ……?」
怒りを抑えたような静かな声であった。
ミサキは普段は能天気であるが、兄達が絡むことには驚くほど真面目になる。
シュージの心臓はもう健康なものであるし、医者からのお墨付きも貰っている。たかがゲームの衝撃でどうこうなることは決してない。それはミサキも分かっている。
分かってはいても、とても穏やかではいられない。大切な兄がようやく手に入れた健康。その象徴が悪意に晒されて、冷静でなどいられない。
「ハッ!! やだね!!」
しかしPKプレイヤーの男にはそんなこと関係がない。男は下卑た表情で叫びながら、ミサキの頭を横薙ぎに殴りつける。
「うっ……!」
「ミサキ!」
まともに攻撃を受けて倒れ込む。
ミサキは自分の動体視力と反射神経には自信がある。今の攻撃も見えていたし、身が竦んだわけでもない。にも関わらず、何もできなかった。
脳の命令に体が反応しなかったのだ。実際に戦闘になるまでは気にならなかったが、レベル一の体は初動が遅く、非力で脆い。思ったように行動することができない。
目の前のプレイヤーにまるで勝てる気がしない。
これがステータスの差。
先行組である男達との間にある、レベルと装備の違い。これはプレイヤースキルだけで埋められるものでは決してない。
「ハハッ! ようやく自分達の立場ってものが分かったみてぇだな!」
ミサキは全身に痺れが走っているため、蹲ったまま動けない。そこをPKプレイヤーが蹴り飛ばす。
「ハッハッハ! ざまぁねぇなぁ、オイ!!」
PKプレイヤーの男が上機嫌に叫ぶ。
周りを囲むプレイヤー達はニヤニヤと笑うだけで手を出そうとしない。
シュージはムッとした表情でミサキに駆け寄って体を起こす。
「……甚振るつもりだ。こいつら性格悪いね。ミサキ、大丈夫?」
「……うん、平気……。痛くはないから……」
完全に悪役ロールに酔った男が、笑みを深めながらシュージに武器を向ける。
「あぁ? 何か文句あんのか? お前らが弱いのが悪いんだろうが! 悔しかったらこの俺を倒してみろよ!」
そして、PKプレイヤーはついにミサキにとっての禁句を発した。
「ハハッ、じゃあ今からお前らに、『死の恐怖』ってものを教えてやるよ!」
その言葉を聞いた瞬間、ミサキの表情から色が消える。
「……………………は?」
あまりの怒りに頭が真っ白になる。
「……ッ!!」
強く歯を食いしばり、男を睨み付ける。
兄に武器を突きつけながら、ニヤニヤと口の端を歪める男を。
死の恐怖を教えてやる、だと?
人生の半分を苦しみ続けた兄の姿が脳裏を過ぎる。
この人は、誰よりもそれを知っている人だぞ。
ずっとそれと闘ってきて、ようやくそれに怯えなくてすむ体を手に入れた人だぞ。
弱い、とも言ったな。お前なんかに何が分かる。
余命宣告を受けて、一時は死を受け入れて。それでも、『最期に三咲の試合が見たい』と笑えるような人なんだぞ。
強い人なんだぞ。
そういう言葉を叩きつけてやりたいが、怒りのあまり口が回らない。
「いいよ、ミサキ。ありがと。僕なら平気」
シュージが困ったような、申し訳ないような顔で笑う。
「ハッ、恨むんなら弱い自分達を恨むんだな!」
PKプレイヤーが勝ち誇ったように叫ぶ。
そして、二人を取り囲んでいたプレイヤーがシュージに向かって武器を突き出す。
胸の真ん中に、何本もの武器が突き立てられる。
「……ッ、にぃ兄!!」
シュージのHPがゼロになる。ダメージを受けた部分、心臓を中心に、ボロボロと体が崩れてゆく。
「ミサキ、僕なら、平……――」
「じゃ、次はお前だ」
武器が振り上げられる。歯を食いしばり、強く敵を睨み付ける。
しかしこちらはまだレベル一。ステータスは低く、スキルも武器もない。
「あばよ」
こうして二人は、抵抗らしい抵抗など何もできずにPKされてしまった。
◇
『にぃ兄が、馬鹿にされてっ、目の前でっ、心臓にっ……! いち兄、私、悔しい……っ!』
涙に濡れたミサキの声が響く。
「そうか。分かった。俺に任せろ」
イチヤがいつもと変わらないように見える、鋭い目つきで呟く。
『兄さん……一応聞いておくけど……。何する気……?』
「決まってるだろう」
更に目つきを鋭くし、拳を握り締める。
「報復だ……! 俺の兄弟に手を出したことを、そいつらに必ず後悔させてやる……!」
『やっぱり……って兄さんちょっと野蛮になってない?』
『……やっちゃえっ、いち兄……!』
『ミサキまで……』
シュージが呆れたようにため息をつく。
『相手、六人なんだけど』
「だから何だ? 一度に相手ができないというなら、一人ずつやるだけだ」
動くなら早くしないといけない。シュージ達が転移直後に囲まれたということは、PKプレイヤーがいるのは駅構内。奴らもいつでも転移できる状態にあるということだ。もしポラリスや他の拠点に動かれては追跡のしようがない。
身を翻して駅に向かうイチヤの後を、ジンとダイゴが追う。
「おいおいイチヤ君。もしかして一人で行くつもりか?」
「水臭ぇぞ! 俺達にも手伝わせろ!!」
ツバメも肩を怒らせてその後に続く。
「ゆっ、ゆっ、許せませんっ! わ、わたっ、私も戦いますぅ!」
「……なんで君まで泣いてるんだ?」
「もらい泣きですっ……!」
初めて会った……いや、まだ会ってすらいないというのに、みんな弟と妹のために怒ってくれているらしい。
「皆さん……ありがとうございます。では、行きましょう」
そして、駅構内。
身を隠してこっそりと移動しながら、シュージ達が襲われた転移ポイント付近を伺う。
「……」
何人かいる。一、二、三……、六人。
良かった、間に合った。一人も逃がさずに済みそうだ。
離れた場所にいる三人に目配せをする。ジンとダイゴが、遅れてツバメが小さく頷く。
全員準備はできているようだ。
妹の話では棍棒を持った奴が主犯らしいが、武器は自由に出し入れができる。今は全員武器をしまっているようで、誰がそうなのかは分からない。
仕方ない。じゃあ一人ひとり確かめていくしかないか。
「……」
イチヤは音もなく、つい先ほど設定したジェスチャーでスキルを【解除】した。
「……ん? なんだ?」
転移ポイントに陣取っているPKプレイヤーのうちの一人が、小さく声を漏らした。
何だか周囲が少しだけ暗くなった気がする。
「……?」
他の五人を見るが、様子は特に変わらない。何も感じていないようだ。
自分のいるここの辺りだけ、照明がハトか何かに遮られたのだろうか。そう思って、何気なく天井を見上げる。
その顔面に、何者かの拳がめり込んだ。
「ぶへァ!!」
男が勢いよく床に叩きつけられる。
突然の襲撃者――イチヤが、開きっぱなしのウィンドウに話しかける。
「どうだ?」
『うーん、違うと思う! もうちょい低い声だったはず!』
「ハズレか。次だ」
驚きに口を開いている手近な男に近づく。
「ど、どこから降ってきやがった!? 天井に足場なんか――ごふぁッ!!」
『あー、コレも違う』
「またハズレか」
そう言って『作業』を続ける。
足場などイチヤには必要ない。
駅の天井を伝う梁さえあれば、【ウォール・ラン】で平均台よろしく歩くことができる。あとは敵の真上でスキルを解除すればいいだけだ。
「な、なんだぁ!? テメーはぁ!?」
一人のPKプレイヤーが驚きつつも、武器を取り出して構える。
『あっ、今の! 今の声がそう!』
確認した。武器も棍棒だ。間違いない。
あれが妹を嬲り、弟を愚弄した敵だ。
その敵に正対して正面から睨み付ける。
そして、感情を感じさせない声で淡々と語りかけた。
「お前を殺しに来た」
不思議な事に、これをロールプレイだと思った者は一人もいなかった。