第十三話 貴方にとっての【強さ】とは
「ねぇ、皆で一緒にやろうよ! それなら東京に行ってからも毎日会えるし! いや、寂しいとかじゃないんだけどね」
「まぁ僕はいいけど……。兄さんはいいの?」
「……ああ。 しかし――」
「やったぁ! 早速ダウンロードする!!」
三咲が自分の荷物を漁り、サンバイザーのようなギアを取り出して嬉しそうにする。
秀二と三咲は二人とも自分専用のVRギアを持っている。
と言っても、その用途はもちろんゲームなどではない。
秀二のギアは医療用に分類されるもので、血圧・脈拍・体温等をモニターしたり、家にいながら医師の問診を受けたりするためのものだ。しかしそれ以外に使用できないように機能が制限されているということはなく、一般的なギアでできることは大体できる。
事実、秀二は学校に通うのが難しくなってからはこのギアで授業を受けている。中学までは特例として教室にWEBカメラとマイクを置いてもらい、高校からは第二種通信制という新しい制度の高校に通っているのだ。
これは簡単に言うと、VR空間にある校舎に通って授業が受けられるという制度だ。VR空間という部分以外は全日制高校と変わらない。月曜日から金曜日まで毎日定刻通りに通わなければならないし、部活動や文化祭だってある。取得単位だって全日制と同じだ。
一方、三咲のギアはスポーツ用に分類される。体の使い方やケガの有無をチェックしたり、体を休めながらのVRトレーニングなどに利用されている。簡単な遠征などはこれで済ませる事もあるらしい。
それは余談としても、ここで重要なのは秀二のギアも三咲のギアも借り物であるという所である。
「……お前らいいのか? それにゲームなんか入れて……」
しかしそんな心配をよそに、秀二も三咲もあっさりと頷いた。
「大丈夫だよ、兄さん。ダメなものはそもそもインストールできないようになってるから。ゲームくらいなら全然平気」
「そうそう! ちょっとエッチなのとか入れようとしても勝手に弾かれるし! ……って友達が言ってた!」
なんだ、意外と緩いのか。
ならば断る理由など一つもない。
「それで、何ていうゲームをダウンロードすればいいの?」
「ああ、タイトルは――……」
◇
そしてそのアトラクタ・バーサスの中。繁華街の一角。
ポラリスから転移したイチヤは、静かに周囲を見渡した。
駅前はある程度賑わっているものの、午前中に比べれば人が少なくなっている。みんな昼休憩か、ドゥーム狩りにでも出たのだろうか。
弟や妹とはこの後繁華街を回って遊ぶことになっている。
しかし、二人が来るのはキャラ作成とチュートリアルが終わってからだ。それまでは少し時間がある。
じゃあその時間を利用して、あれを終わらせておくか。
イチヤはウィンドウを開き、マイクをオフにした。これで声が周囲に漏れることはない。
そして『tr.Act取得』のボタンに触れる。
世界がセピア色に染まった。
『プレイヤーネーム【イチヤ】様によるtr.Actスキル取得申請を確認いたしました』
空から声が降ってくる。あの時と全く同じだ。
「ああ。tr.Act作成を頼む」
『承知いたしました。それではtr.Act作成シークエンスに移行させていただきます』
しかし前回とは違い、今のイチヤには迷いも戸惑いもない。心はもう決まっているのだ。
『tr.Actは個々人の要望に合わせて作る、オーダーメイドのスキル。あなたにとって最も頼りになる、【強い】スキルとなるでしょう。しかし、世の中には様々な種類の【強さ】があります』
そうだ。この世界にはたくさんの『強さ』がある。それは優劣のつけられるものではないだろう。それに、優劣をつけて良いものでもない。
『その中で、貴方はどのような【強さ】を望みますか?』
そうだ。重要なのは自分が何を望むかだ。
自分が最も欲する強さ。最も憧れる強さ。そんなものは一つしかない。
誰よりも近い場所で、誰よりも長くそれを見続けてきた。
弟妹以上に『強い』人間を、俺は知らない。
『貴方にとっての【強さ】とは、一体何でしょうか?』
決まってる。
その声に真直ぐ答えることができるよう、空を見上げる。
「俺にとっての『強さ』とは、――『積み重ねること』。苦しくても、辛くても、前を向いて進み続ける。それが人の持つ、世界で最も尊い『強さ』だ」
ジンさんやダイゴさんに比べたら、地味な答えかもしれない。ゲーム向きではないかもしれない。
しかし胸を張って断言できる。
自分の中では間違いなく、これが一番の『強さ』だ。
『イチヤ様の【強さ】、しかと承りました。それではその【強さ】に相応しいtr.Actを――』
目の前に白金色に輝くメモリーカードが出現する。
「……これが俺のtr.Actか」
それを手にすると同時に、世界に色と音が戻ってくる。
「……よし。やるべきことは終わった。これであとはあいつらを待つだけか」
スキル欄を開き、手に入れたtr.Actスキルをセットする。
「さて、どんな効果になったかチェックしてみるか。っと、その前にジンさんとダイゴさんに報告をしなければ」
tr.Actを手に入れたら連絡する。そういう約束だ。
アトラクタ・バーサスでは、プレイヤー名さえ分かっていれば通話をすることができる。ちなみに弟には『イチヤ』というキャラクターネームをすでに伝えてある。チュートリアルが終わり次第向こうから連絡がくる手はずだ。
フレンドリストでジンとダイゴが両方ログインしていることを確認したあと、ジンの方に電話をかける。
『もしもーし! どうしたイチヤ!』
ワンコールもおかずに繋がった。
しかし電話の向こうからは激しい戦闘の音が聞こえてくる。
「あ、すみません。お取り込み中でしたか?」
『どわぁっ!? あっぶね! ――いや、全然大丈夫だ! それで、何か用事か? あ、もしかしてtr.Act手に入れたのか!?』
「ええ。それを報告したかっただけで――」
『分かった! じゃあ駅前広場で集合しよう! こっちもすぐ終わらせてダイゴと向かうから、ちょっとだけ待っててくれ!!』
通信が途切れる。
「あー……」
会うことになってしまった。
まぁいい。弟たちがチュートリアルを終わらせるのはもう少し時間がかかるだろう。
指定された駅前広場はすぐそこだ。歩いて一分もかからない。ウィンドウを閉じながら踵を返す。
「っと」
「わ!」
そこで人とぶつかりかけてしまう。
どうやら向こうもウィンドウを操作していてイチヤに気がつかなかったらしい。
「失礼しまし……ん?」
その相手をまじまじと見る。見覚えのある少女だった。
「あっ」
「君は……」
確か、午前中に男性プレイヤーに怒鳴られていた子だ。
あの時はふてぶてしい表情だったが、今は目を見開いて凍り付いている。
「……!!」
まるでできるだけ会いたくないと思っていた人に街中でばったり遭遇してしまったかのような表情だ。
「……」
イチヤは自分で口下手を自覚している。そのため知らない人との会話は極力避ける傾向がある。このような状況、普段であれば軽く会釈でもして通り過ぎるところだ。しかし、今回はこの少女に話しかけることにした。
なぜなら現在、イチヤはここ数年で一番と言っていいほど機嫌が良い。
数年ぶりに兄弟三人で遊べることになり、午前中からの懸念であったtr.Actスキルにも満足のいく答えを出すことができた。
要するに浮かれていたのだ。
一方、相手の少女、ツバメはここ数年で一番の恐慌状態に陥っていた。
「……っ! ……ッ!!」
イチヤの目を見ながら、顔を白黒させる。
うわぁー!! あ、会ってしまった!! どうしよう!!
しかもこの目……! 私の想像以上に怒っている!! めちゃくちゃ不機嫌だ!!
そんなツバメに、上機嫌のイチヤ話しかける。
「また会ったな。さっきぶりだ」
「……!!」
ツバメの肩が跳ね上がる。
さっきのことを責めているんだ!!
礼も言わずに冷たく立ち去った事を詰られている!!
そしてそんな相手とすぐに再会してしまう間の悪さを笑われている!!
ツバメは少しだけ思い込みが激しい面があった。
つらい。涙がこみ上げる。しかし泣いてなるものかと、口をへの字にして我慢する。しかしイチヤがその顔を覗き込むようにして尋ねる。
「どうした、気分でも悪いのか?」
「……!!」
ツバメが鋭く息を呑む。
ひ、皮肉を言われているぅ……!!
『気分が悪いのはこっちの方だぜ』と言外にほのめかしているんだ……!!
あと『気分が悪い? 感じが悪いの間違いだろう?』というニュアンスも込められているんだきっと……!!
ツバメは少しだけ思い込みが激しいのだ。
「ううっ……」
あまりの言われように涙がこぼれそうになる。
ひどい。そこまで言わなくてもいいではないか。
でも、あの時の事は謝らなきゃ。
「うぇ……あ、ごぇ、なさ……」
そこでもう一度チラリとイチヤの目を見てしまい、ツバメの表情が歪む。
「……う、うぁああぁー!」
そして泣きだしてしまう。
周囲には他のプレイヤーも大勢いる。奇異の視線が一気に二人へ集まり、一瞬辺りが静まり返る。
そしてヒソヒソと嫌な雰囲気のざわめきが生じる。
「うわ、あいつ女の子泣かしてるよ」
「サイテー」
「通報するか?」
そんな声が漏れ聞こえる。
ツバメは泣きながら、どこか冷静な頭の一部でぼんやりと考えた。
ああ、やってしまった。
またこの雰囲気だ。これが嫌だから泣きたくないのだ。
泣いてしまうと事情を知らない周囲は相手を責める。今回などは明らかに自分に非があるというのに。これじゃあ相手だって言いたいことが言えなくなってしまう。
「う、うぅ、うああぁあー……!」
それは卑怯だ。ズルいのは良くないことだと思う。
私は自分の非をきちんと受け止めることのできる人間でありたい。でも『弱い』私にはそれができない。どうしても我慢しきれず泣いてしまう。
卑怯なやつになんかなりたくないのに。私だって『強い』人になりたいのに。
泣くことは私にとって、『弱さ』の証明だ。
「ううー……!」
涙に滲む視界で、自分のせいで針の筵に立たされてしまった人を見つめる。
これでこの人は何も悪くないのに、悪者のレッテルを貼られてしまった。理不尽な仕打ちに恨み言を言いながら、ここから立ち去ってゆくだろう。
また、人から嫌われてしまう。
「…………」
「うぇ……?」
しかしツバメの予想に反し、イチヤは一向に立ち去ろうとしなかった。
無神経で無責任な茨の視線を堂々と受け止めている。というかいきなり目の前で泣かれたのに、落ち着き払って動揺すらしていないように見える。
イチヤが口を開く。
「大丈夫だ。よく分からないが、とにかく大丈夫だから落ち着け。」
恨み言を言うどころか、こっちを宥めにかかってきた。
「わたし……、ひぐっ、酷……さっき……」
「焦らなくていい。言いたいことがあるなら落ち着くまで待つから、まずは深呼吸だ」
その落ち着いた態度に今更ながら思い出す。
そうだ、この人は元々私を助けてくれようとした人だった。悪い人のはずがないんだ。
「あー! イチヤこんなところにいたのか!」
遠くから誰かがそんな声をあげ、ズカズカと近づいてくる。
「ジンさん。それにダイゴさんも」
「うお、何だ!? 女の子泣かしてんのか!?」
「え、これどういう状況だ?」
「いや、それが俺にもさっぱりで……」
新しく現れた二人も野次馬の視線の中で自然に振舞っている。自分のように周囲の目を気にしてオドオドビクビクしていない。
すごい。みんな『強い』。
気がつくと、野次馬はいなくなっていた。