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第十二話 誠一の大切なもの

 現実世界。

 アトラクタ・バーサスからログアウトした柳木(やなぎ)誠一(せいいち)は、VRギアを外して身を起こすと、ベッドの上で大きく伸び上がった。


 体が少し()っている。それもそうだ。現在の時刻は午前十一時半。ベッドの上とはいえ、寝返りも打たずに三時間近く寝転がっていたことになる。


「少しやりすぎたか。急ごう」


 小さく呟き、部屋を後にする。

 家の中には誠一しかおらず、静まり返っている。しかしあと三十分もすれば家族が全員帰ってきて、一気に騒がしくなるだろう。その前に準備をしておかなければ。


 キッチンに移動し、慣れた手つきで五人分の昼食を作りはじめる。

 柳木家では、家事は両親と誠一で分担して行うことになっている。しかし何曜日に誰それがこれをやる、という決まりは特にない。できる人ができる時に、できる事をやるのだ。

 弟と妹がこの分担に加わらないのには理由がある。二人ともに事情を抱えているため、こういった家の仕事をこなすことが困難であるのだ。


 誠一が熱心に家のことを手伝うのは、この二人を支えるためという意味合いも強い。最初は慣れなかったが、今では一通りの家事はお手の物だ。



 料理をしながら、今日始めたばかりの『アトラクタ・バーサス』の事を考える。


 tr.Actスキルは、どういうものにしようか。

 ゲームには詳しくない。どういうスキルが強いのかなどさっぱり分からない。

 しかし早く決めなければフレンドの二人に置いて行かれてしまう。


「『強さとは何か』、か……」


 その時、ガチャガチャと玄関が開く音がした。


「帰って来たか」


 手を止め、迎えに出る。

 玄関には大きな荷物を抱えて汗をかく父親と、小さな(かばん)を肩に掛けた弟がいた。


「お帰り。父さん。秀二(しゅうじ)

「ただいま。兄さん」


 秀二がにっこりと笑う。

 色白で体の線が細く、ともすると女の子に間違えられてしまいそうなほどだ。


 その横で、父親が大きな荷物をどかりと玄関に下ろした。


「帰ったぞー誠一。ふぅ、久々に重いものを持つと腰にくるな。母さんはまだか?」

「ああ、まだだよ」

「そうか、よいしょ、あぁー重い!」

「俺が持つから、休んでていいぞ」


 誠一は再び大きな荷物を運ぼうとした父親の横をすり抜け、秀二の肩から鞄を取った。


「あ、秀二に言ったのね……。そう……」


 秀二が唇を尖らせる。


「あっ、兄さん! 大丈夫だって」

「いいから、無理はするな。荷物は俺と父さんで運ぶから」

「これくらいなら本当に大丈夫だって。医者(せんせい)も体はもう問題ないって言ってくれてるし」

「それでも念のためだ。もう少し安静にしておけ」

「……まぁ、兄さんがそう言うなら……」


 しぶしぶといった様子で引き下がる。



 柳木家の次男、柳木秀二。今年で高校二年生になるこの少年は、生まれたときから体が弱かった。


 昔からよく体調を崩しては熱を出し、数日寝込む事もそう珍しいことではなかった。今でこそ柔和で落ち着いた雰囲気になっているが、小さい頃は臆病で人見知りも激しく、そんな秀二を守るのは誠一の大きな仕事の一つであった。


 しかし、今から八年前。弟が小学三年生の時、事態は大きく悪化した。

 授業中に突然倒れて救急搬送された秀二に、原因不明の心機能障害という診断が下されたのだ。


 完治の可能性は極々僅かであった。何せ原因が分からないのだ。治療のしようもなく、一時的に症状を和らげることしかできない。焼け石に水である。現状維持ですらない。

 治る可能性があるとすれば、たった二つ。一つは医学が進歩して治療法が見つかること。しかしこれはゼロと言って差し支えないほど低い可能性だろう。


 そしてもう一つは――心臓移植。


 臓器の提供は非常に不定期かつ、症状の重篤(じゅうとく)な患者に優先的に回される。当時まだ比較的症状が軽かった秀二に順番が回ってくることはなかった。悪化するかどうかも不確定であったのだ。


 そしてその間、病魔はじわじわと秀二の体を(むしば)み続けた。

 病は命に関わるものに成長した。秀二は優先的に回される側となった。しかし、臓器提供者(ドナー)は現れなかった。


 入退院を繰り返しながら、いつ現れるか、現れるかどうかも分からない臓器提供者(ドナー)を待つ日々。不定期に起こる発作に怯え、生活の全てが制限される。足音を殺して忍び寄る死の気配に、ひたすら耐える毎日。


 まさしく闘病。


 一体どれほどの恐怖があっただろうか。

 しかし、誠一は弟の口から弱音が(こぼ)れたのを聞いたことがない。

 前だけを見つめて懸命に生きる弟を、誠一は尊敬していた。


 そしてこの冬。

 ついに、ついに、ついに待望の臓器提供者(ドナー)が現れた。


 柳木家は歓喜の涙に包まれた。

 手術は無事に成功。心配していた合併症や拒絶反応もなく、晴れて今日退院となった。


 照れくさそうに笑う秀二に話しかける。


「秀二、退院おめでとう。……長かったな」

「……うん。皆にはずっと迷惑かけっぱなしだったね」

「そんなことないさ」


 秀二が元気になってくれるなら、この程度のことはなんでもない。



 その後、車に積んでいた秀二の荷物を家の中に運び入れる。

 秀二がまたもや何か運ぼうとしていたので、問答無用で取り上げる。


「大丈夫なのに……。あ、そうだ。父さんから聞いたよ。ゲーム始めたんだって? どう、楽しい?」

「ああ。早速フレンドが二人できてな。繁華街で待ち合わせをして、さっきまで遊んでいたんだ」

「うぇ!? オフ会!? は、早くない!?」


 秀二が目を丸くする。


「ハァハァ、誠一、父さんも重いの運んでるんだけ――」


 直後、玄関が勢い良く開けられた。


「いち(にい)!! たっだいまぁー!!」


 元気な声を出しながら満面の笑みを浮かべた少女と、微笑を浮かべた母親が帰ってくる。


「おかえり。母さん。三咲(みさき)


 騒がしいのが帰って来た。妹の三咲だ。その背中には縦長の大きなバッグが(かつ)がれている。そのままはしゃぎ回るため玄関が一気に狭くなる。

 ともあれ、これで家族全員集合だ。父親が目を細める。


「皆おかえ――」

「ねぇ聞いていち兄!! あのね、今日ね……ああーっ!! にぃ兄もいるぅーっ!! おかえり、にぃ兄! いつ帰ったの!?」

「もー、三咲声が大きい。はいはい、ただいまただいま」


 家がにわかに騒がしくなる。これが柳木家の日常。



 長女、柳木三咲。次の四月で高校生になる柳木家の末っ子だ。


 性格は(しゅうじ)の真逆。昔から好奇心旺盛で物怖じせず、いつの間にかどこかに消えては生傷を作って帰ってくる。そんな子どもだった。ある程度成長すれば落ち着くものとタカをくくっていたが全く変わらず、ついにあと数日で高校生にまでなってしまう。この元気すぎる三咲を抑えることも、昔の誠一の大きな仕事の一つであった。


 そんな三咲に変化が生じたのも八年前。秀二が初めての発作に倒れてからだ。

 苦しい闘病生活を始めた兄の姿に、三咲なりに何か思うところがあったらしい。珍しく真面目な表情で両親と話し合っていたのを覚えている。


 そしてその次の日から、三咲は『プロになる』と言ってスポーツを習い始めた。通うスクールも、元プロ選手が教えるような本格的なところだ。


 そのスポーツとは、テニスであった。

 不器用でせっかちな三咲に向いているとはとても思えなかった。事実、同時期に始めた子ども達の中でも一番下手で、どんどん差をつけられていったらしい。


 三咲は飽きっぽい。だからすぐに投げ出すと思った。これまでのように、自分が楽しいと思う方に流れていくと思った。

 しかし、『プロになる』と言った三咲の覚悟は本物だった。どれほど馬鹿にされても、どんなに辛いことがあっても、三咲は泣きながらラケットを振り続けた。


 何が妹をそうまでさせたのかは分からない。しかし、三咲はそれまで全方位に向けていたエネルギーをテニスのみに集約するようになった。


 何度も何度も壁にぶつかっては打ちのめされ、その度に大泣きし、これでもかというくらいに落ち込む。

 しかし放り投げることだけは一度もなかった。泣きながら、落ち込みながら、それでも必ず歯を食いしばって前に進んでゆく。


 折れることなく努力を続ける妹は、いつしか誠一の誇りになっていた。


 そして去年。

 家族全員で応援に行った全国中学生テニス選手権大会で、見事優勝。


 その実績を引っさげ、高校からは更に本格的にプロへの道を歩むことになっている。早ければ在学中にプロデビューもあり得るという話だ。


「ねぇ、にぃ兄いつ帰って来たの!? ねぇいつ!?」

「もー、三咲うるさい」

「うるさいのはいつもの事だろう」


 これが、誠一が今まで必死で支え続けてきたもの。何よりも大切なもの。


「さぁ、飯にしよう。二人とも腹が減ってるだろう」




 柳木家は食卓でも騒がしい。

 と言っても、騒ぐのは一人なのだが。


「ねーねー、にぃ兄ー、体はも大丈夫なの? ねぇってばー、ねぇ」

「もー、三咲うるさい。静かに食べなよ」

「いいじゃーん! 別にー!!」


 三咲が秀二の軽く三倍は平らげながら笑う。

 ちなみに食事のメニューはテニススクールの栄養士から指導が入っており、毎食指定量の栄養を満たしたバランスの良い献立が作られている。秀二の健康にも良いはずだ。


「……まぁ、僕なら一応大丈夫だよ。医者(せんせい)も軽い運動ならしてもいいって」

「本当!? じゃあ食べ終わったら『叩いて被ってジャンケンポン』しよ?」

「嫌だよ! なんでそのチョイスなの! 三咲には配慮ってものがないの!?」

「でも私強いよ?」

「だから嫌なの!!」


 ギャーギャー騒ぐ二人を眺める。

 秀二が帰って来たことでいつもより騒がしい。


 しかし、それもあと僅かだ。


 実は三咲は四月から、家を出ることになっている。

 東京にある有名私立高の寮に入り、アスリートとして徹底したサポートを受けられる環境に身を置くのだ。

 本格的に活動しようとすると海外遠征も多くなる。高校からは家族のサポートだけではやっていけないのだ。


 午前中に三咲がいなかったのは、来月から住むことになる寮や練習場の実地案内があったためである。


 少し、寂しくなる。

 三咲の方もそう思っているようで、今日はいつもより家族に甘えているように見える。


 食べ終わった後、三咲が秀二に(まと)わりつきはじめた。


「もー、暑い! 放してよ三咲」

「んー? んー」

「聞いてないし……」

「いち兄もこっち来て」


 そして誠一も目をつけられてしまう。


「いや、今から皿を……」

「ちょっとだけ!」


 拒否権はないらしい。秀二ともども妹に捕まってしまう。

 三咲は両手て兄達をがっちり掴んで満足げな表情を浮かべている。


「ふふふ、私今最強」

「もー……」

「……」


 誠一も秀二も迷惑そうな表情をしているが、特に抵抗する様子は見せない。これは何だかんだ言いつつも妹が可愛いから、というわけでもなく、単純に腕力で適わないからだ。


「ねぇ三咲。せめて兄さんは離してあげようよ。今日ぐらいはゲームさせてあげようって決めたじゃん」

「なんだ、お前らも一枚噛んでたのか」

「まぁね。ね、三咲。寂しいのは分かるけどさ」

「……別に寂しいとかじゃないし」


 三咲がむすっとした顔で二人を解放する。その後何か思いついたようでパッと手を合わせる。


「あ、そうだ! じゃあこの後皆でゲームして遊ぼうよ!」

「えー……。それってもしかして、『叩いて被って――」

「違うよ!! VRゲーム!! 私たちもいち兄と同じゲームで遊べばいいんだよ!!」


 両手を上げ、笑顔でそう言い放つ。


「ね? 決まり!!」

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