第十一話 tr.Actの強さ
「やっべぇえええええ!!」
ジンが叫ぶ。
「おいダイゴ!! 出し惜しみしてる場合じゃねぇ!! ぶっつけ本番になるが使うしかねぇぞ!!」
「分かってる!!」
そう、この状況ではもう使うしか道は残されていない。
先ほど手に入れたばかりのスキル、tr.Actを。
tr.Actは強力なスキルである。しかし、ノーリスクで使用できるというわけでは決してない。使用すれば一定時間デスペナルティが大きくなるし、発動時にアイテムやHPを消費するようなものもある。
そのため、tr.Actは万が一にでも暴発をさせないように、システムで二つのセーフティが掛けられている。
一つ目は『ショートカットの禁止』。設定したジェスチャーや短いキーワードで発動させるといった簡易的は発動方法は、tr.Actには使用できないようになっている。便利な反面、予期せぬ暴発の危険が大きくなるからだ。tr.Actの発動は、スキル名を唱える正規の方法に限定される。
しかし、tr.Actは単にスキル名を唱えるだけでは発動しない。会話中の暴発を避けるためだ。それが二つ目のセーフティ、『常時ロック』。tr.Actを発動させるには、解錠キーワードで一時的にロックを外し、その上でスキルの名称を唱えるしかない。
解錠キーワードは全プレイヤー共通して、『tr.Act』。
つまりスキルを発動させるには、必ずこのように発声しなくてはならない。
「tr.Actォオオッ!! 【疾風一番槍】いッ!!」
ジンが悲鳴を上げるように叫ぶと同時に、tr.Actスキル【疾風一番槍】が発動する。
ジンは目の前の二十体のゴリラ型ドゥームに視線を向けた。大きな体をひしめき合わせて一心不乱にこちらに迫っている。
「ンギャアアア! 気持ちワリぃいいい!!」
青ざめたジンが絶叫と共に後ずさる。その瞬間。
ジンの体が霞んだ。
直後、背後から大きな衝撃音が響く。見ると、百メートルほど離れた建物の壁にジンが突き刺さっていた。
「……え」
「何やってんだバカ!!」
ダイゴが大慌てで叫ぶ。しかしそれよりも、イチヤはジンのスキルに驚きを隠せなかった。
ジンのtr.Actスキル【疾風一番槍】は、初速からトップスピードが出せる高速移動のスキルだ。
強いとは思っていた。が、スキルを実際に見て改めて思う。凄まじい性能だ。目で追うことすらできなかった。想像より、ずっと速い。
「うごぉ……、なんだコレ……! 扱いが難しすぎるだろ……!」
くぐもったジンの声が聞こえてくる。
その間にもドゥームは近づいてくる。
「もういい、バカは放っとけ! イチヤ君、俺も使う! 離れていてくれ!!」
ダイゴが叫びながら群れに向かって走り出す。
どうやらダイゴも使う気だ。急いで距離を取る。
「tr.Act!! 【土に根差す鋼鉄】!!」
ドゥーム集団と交錯する寸前、ダイゴがtr.Actを発動させた。
重力を操作するスキル。
二十体のドゥームが、まとめて地面にへばりつく。あれほどパワーのあるドゥームが、モゾモゾともがくことしかできなくなっている。いや、それだけではない。倒れたドゥームのHPがじわじわと減少している。
「……すごい。すごいスキルです、ダイゴさん。……あれ、ダイゴさん?」
ゴリラ二十体をまとめて制圧したはずのダイゴがいなくなった。ドゥームに気をとられている隙に見失ってしまったようだ。まさかスキル発動が間に合わず、タックルを受けてどこかに弾き飛ばされてしまったのだろうか。
辺りをキョロキョロと見回し、ダイゴの姿を探す。
いた。敵の群れの前だ。
倒れこんだドゥーム達に混ざって、一緒に地面にへばりついている。
「……ダイゴさん」
「……!! …………!!」
何か伝えようとしているが、聞き取れない。
「ゴォ■■アアアアア!!」
どうやらダイゴもスキル効果範囲と出力を制御しきれていないようだ。ドゥームが半分ほど効果範囲を抜け出した。そしてダイゴのtr.Actを大きく迂回して迫ってくる。
十体のドゥームがイチヤに向かう。
「くっ……! 多い……!」
「……だんだん分かってきた。今度こそ俺に任せろ」
「ジンさん!?」
いつの間にか壁から抜け出していたジンが横に立つ。何だかさっきよりも更にボロボロになっている。
「オラァ! いくぜ!!」
ジンの姿が霞む。残像があちこちに出現し、本体を目で追うことができない。ドゥームも戸惑ったように足を止めるが、何もする事ができない。切り傷だけが増えていく。
「こっちも、ようやく慣れてきた……」
倒れ伏すドゥームの中心で、ダイゴがよろよろと立ち上がった。
「スキルの制御とはこういうことか……これは、気を遣う……」
ゆっくりと歩き、倒れているドゥームに剣を突き立てる。
重力に囚われたドゥームはどうする事もできずに、一体ずつ狩られてゆく。
こうして現れた二十体のゴリラ型ドゥームは、二分足らずで全滅した。
「思った以上だな。tr.Actの強さ」
「だな。正直勝てるとは思ってなかったぜ」
二人がポツリと呟く。
終わってみると、敵から一ダメージも受けることのない勝利であった。とは言えジンもダイゴも自らのスキルでボロボロだ。HPも半分以上減っている。
「確かに、凄まじいですね……」
敵は全てジンとダイゴが倒した。イチヤは見ていただけで、何もしていない。いや、できなかった。tr.Actの有無で強さが本当に大きく変わるようだ。
戦闘には特に貢献していないイチヤだが、それでもいくらか経験値を貰うことはできた。おかげで先ほどレベルが上がった。もういつでもtr.Actを受け取ることができる。
しかし、今だ強いスキルのビジョンが見えない。自分にとっての『強さ』が思いつかない。
そんなイチヤを尻目に、ジンがニカッと笑う。
「こりゃあイチヤのtr.Actも楽しみになってくるな! どういう感じにするかは決めたのか?」
「……いえ、まだです」
「そっか、まぁゆっくり考えろよ! 取得はいつやってもいいんだからさ! イチヤがどんな答えを出すか、楽しみにしとくぜ!」
『答え』。答えか。
天から降ってきた声の問いかけを思い出す。
『貴方にとっての【強さ】とは、一体何でしょうか?』
抽象的な、人によって回答の異なる問題。……そういうのは昔から苦手だ。
「よし。じゃあ昼までもう少し時間があるし、このまま――」
「いえ、自分はここまでにしておきます」
ダイゴが引き続きPT狩りをしようとするが、さすがにこれは辞退する。
まだtr.Actを手に入れていない自分では、さっきみたいなレベルの戦闘にはついていけない。完全なる足手纏いになってしまう。
「それに、そろそろログアウトしないといけない時間なんです」
「そうか? まぁそれなら仕方ないな」
「また一緒に遊ぼうぜ、イチヤ! そうだ、フレンド登録しとこうぜ! tr.Act手に入れたら教えてくれよ!!」
イチヤの目の前にウィンドウが表示される。
『【ジン】様と【ダイゴ】様からフレンド申請を受け取りました。承認しますか?』
「はい、絶対に」
イチヤのフレンドリストに、二つの名前が加わった。
そして、それから数分後。
イチヤは若干迷いながらもなんとか駅に辿りついた。
「……人が増えてるな」
駅前は更にプレイヤーの数が多くなっていた。パーティを組んでいるらしきプレイヤー集団も多く、ガヤガヤと騒がしい雰囲気になっている。
メンバーにしか声が聞こえないチャット設定にしているパーティは意外と少ないらしい。
「ん?」
そのため、そのパーティは少し目立っていた。
三人のプレイヤーが一人の少女の前に立ち、剣呑な目線を向けている。
『――。――――』
少女の正面に立つ男性プレイヤーが口を動かす。声は聞こえないが、どうやら三人と少女の間で何かトラブルがあったらしい。
しかし少女の態度もよろしくなかった。
不機嫌そうに眉根に皺をよせ、斜め下の地面を睨みつけている。見事に「へ」の字を描く口は動く様子がなく、会話を拒絶しているのを隠そうともしていない。
実にふてぶてしい態度だ。
それが火に油を注いだらしい。
『――!! ――――!!』
男性の口の動きが大きくなり、他の二人も目つきを鋭くする。どうやら怒鳴り始めたみたいだ。
これはさすがに見ていられない。
「そこまでにしときましょう」
少女の前に割って入る。
「何があったかは知りませんが、寄って集って一人を責めるのは――」
「――! ――きなり何なんだアンタは!」
声がイチヤにも聞こえるようになった。男が興奮した様子でまくしたてる。その声に、何だ何だと野次馬の目線が集まる。
男はさらにヒートアップしてゆく。
「出しゃばってくるんじゃねぇよ!! 関係ねぇ奴は黙って引っ込んでろ!!」
「断る。関係ないからと見過ごすには度が過ぎている」
「はぁ!? 俺らが悪いってのか!? 悪いのは全部ソイツだっつーの! 何も知らないクセに……! あぁクソ、腹立つ!! もういいわ、行くぞお前ら!!」
男は集まった野次馬をチラリと見て憎憎しげにそう言い放つと、少女をパーティから追放してドスドスと去って行った。
イチヤが少女に振り返る。
「大丈夫だったか? 次からこういうトラブルはサポに押し付――」
「…………」
しかし少女は黙ってイチヤの横をすり抜けた。相変わらずのむすっとした表情で、イチヤに一瞥もくれずに駅の構内へと入ってゆく。
その様子を見て、野次馬がヒソヒソと呟いた。
「なんだアイツ」
「感じ悪いなあ」
「礼くらい言えよ」
◇
ポラリスのプライベートルームが、一瞬だけ眩くなる。
現れたのは、先ほどイチヤが助けた少女。相変わらずの不機嫌そうな表情を浮かべている。
「……」
真っ白でがらんどうの部屋は、さっきまでの喧騒が嘘のように静まり返っている。
それに安心したのか、少女の険しい表情がほんの少しだけ緩む。
「ふぅー……」
見事なへの字を形成していた口を軽く開き、息を吐く。
「……ッ」
それと同時に緊張の糸が切れてしまう。
慌てて口を結ぶが、もう遅い。
今まで顔を顰めて必死に堪えていたものが、溢れ出してしまう。
「う、うう……!」
あっという間に涙がたまり、ポロポロとこぼれていく。
「な、なにもあんなに……。あんなにどららなくても……いいじゃんかぁ……」
鼻の頭が赤く染まり、嗚咽交じりに弱弱しく呟く。
「ひぐっ……」
ギュッと目をつむり、胸の前で結んだ手に力を込める。
男の人に大きな声で怒鳴られて、こわい。
せっかく楽しく遊んでいたのに、かなしい。
言いたい放題言われてしまって、くやしい。
様々な感情が混ざり合い、処理することができなくなる。
「ひぐ……う、うぅぅ……うああぁぁー!」
そしてついに大泣きをし始めてしまう。
その少女、プレイヤーネーム『ツバメ』は、ただ泣き虫で気が弱いだけの女の子であった。
人見知りな性格を直そうと、思い切ってVRMMOを始めた。
現実で知らない人と喋るのはハードルが高いが、バーチャルの世界でならできそうだと思ったのだ。それにゲームで楽しく遊んでいる人ならば怖くなさそうだ。
実際、勇気を出して知らない人に話しかけ、パーティを組むことには成功した。
その達成感も相まって、途中まではとても楽しく遊ぶことができていた。
途中まで――。アイツが現れるまでは。
突如パーティの前に現れたアイツ――ゴリラ型ドゥームは、瞬く間にツバメたちをボロボロにした。
命からがら逃げ延びたが、その後でパーティメンバーからお前のせいでこうなったと責められてしまった。
理不尽だ。
しばらく泣いた後、深呼吸をしてゆっくり心を落ち着かせる。
「すぅ……、はぁー…………」
そういえば、怒鳴られてる時に助けてくれた人がいた。あの人には悪いことをした。今にも泣きそうで余裕がなかったから、無視したような形になってしまった。今度会った時にはちゃんと謝らないといけない。
「……でも、……たぶん怒ってるよね」
せっかく親切にしたところにあんな態度を取られたのだ。怒って当然だ。
嫌味を言われたり、詰られたりするのだろうか。
怖い。気が重い。
「……でも、私は変わるって決めたんだ。次会ったら、絶対謝る」
両手を握って決意する。
まぁ。
とは言っても、あの人が今後も自分と同じ加総市でプレイするかどうかなんて分からないし、そうだとしても加総市は広い。人も多い。その機会が訪れることなんて、永遠にないかもしれないけれど。