第十話 tr.Actスキル
アトラクタ・バーサスの目玉とも言える要素、tr.Actスキル。
プレイヤー全員に漏れなく一つずつ貰えるこのスキルは、そのどれもが世界に一つしか存在しないユニークスキルである。
その性能は通常のスキルとは一線を画すほどに強力で、切り札や必殺技のような使い方が予想される。その反面、敗北した時のデスペナルティーは通常よりも重いものが課せられる。
戦闘の鍵を握るtr.Actスキルであるが、その大まかな内容や方向性はプレイヤー側で指定することになっている。つまりtr.Actは各プレイヤーの理想とする強さを体現したスキルであり、好みや主義を強く反映したスキルとなるのだ。
このスキルの受け取りはレベル八から可能になる。
現在のイチヤはレベル七。次レベルアップすると、tr.Actスキルを貰う権利が発生する。
ジンとダイゴの二人は、先ほどレベル八に到達した。
二ヶ月間ずっと心待ちにしていたtr.Actスキルをついに取得できるようになった二人は、実はずっと浮き足立っていたのだ。
「ということで、tr.Act取得、いってみよーか!!」
「おおー!!」
「ちょっと待ってください」
機嫌よくユニークスキルを入手しようとする二人をイチヤが止める。
「いいんですか? こんな場所で……」
警戒した表情で周囲を見回す。
三人のいる場所は駅前の広場。周囲は大勢のプレイヤーで賑わっている。
tr.Actスキルはおそらく戦闘の生命線になるであろうスキルだ。もし情報が漏洩して弱点などが知れ渡ってしまえば、対人戦において大きなマイナスになる。
もっと人のいないところでこっそりとやった方がいいのではないだろうか。
「ああ、そうだ忘れてた! イチヤ、チャット設定を『パーティ』に変更しておいてくれ」
「チャット設定……?」
どうやら、会話内容がパーティーメンバーにしか聞こえないように設定を変更できるらしい。他のプレイヤーからは音声が聞こえず、口の動きも違ったものに見えるため、読唇術による盗み聞きもできないようになっている。
二人はすでにこの設定にしていたみたいだ。
……ということはもしかして、今まで外からは自分が独りごとを言っていたように聞こえていたのだろうか。
……まぁいい。
ジンに教わりつつ設定をいじる。
「よし、準備OKだな! これで漏洩の心配はナッシングよ!! さぁて、どうなるか。実はこっから先は俺達も何も知らねぇんだ。いくぜ、tr.Act取得ぅ!!」
「じゃあ俺も取得っと」
ジンとダイゴが同時に、ウィンドウに表示されていた『tr.Act取得』のボタンをタップする。
その瞬間、世界がセピアに染まった。
「なっ……!」
驚いて辺りを見回す。街も、空も、プレイヤーも、三人以外の全てがレトロな色調に変わっている。
「おおー、スゲー!」
「色変わると結構印象変わるな」
しかしジンとダイゴは気楽な様子だ。
周囲のプレイヤーに至っては何のリアクションもない。きっと彼らの目にはいつも通りの世界が映っているのだろう。
不意に、どこからともなく声が響いた。
『プレイヤーネーム【ジン】様。並びに【ダイゴ】様。ご両名様によるtr.Actスキル取得申請を確認いたしました』
感情を感じさせない、機械的で中性的な声。セピアに染まった街の雰囲気も相まって、空から降ってくるようなその声は荘厳であった。
「おお、こんな感じで進むのか。思ったよりも儀式っぽいんだな」
「……なんかちょっと緊張すんな!」
『それではtr.Act作成シークエンスに移行します』
ジンとダイゴが緊張しつつも、堪えきれない様子で笑みを浮かべる。
スキル作成。確かプレイヤー側は大体の要望を伝えるだけで、詳細は向こうが作ってくれるという話だったな。具体的にはどういう手順で進められるのだろうか。
設定項目が細かすぎなければいいのだが。
そう願いつつ、空の声に耳を傾ける。
『tr.Actは個々人の要望に合わせて作る、オーダーメイドのスキル。あなたにとって最も頼りになる、【強い】スキルとなるでしょう。しかし、世の中には様々な種類の【強さ】があります』
いつの間にか騒がしかった駅前から雑音が失われている。
静かな世界に声が響く。
『その中で、貴方はどのような【強さ】を望みますか。貴方にとっての【強さ】とは、一体何でしょうか?』
漠然とした質問だ。
てっきりちょっとしたアンケートに答えていくような方式だとばかり思っていたが、こんな哲学めいたことを聞かれるのか。ゲーム経験や知識が求められるようなら時間が取られると思っていたが、これはこれで答えを出すのに時間がかかりそうだ。
しかしジンはこの問いに即答した。
大きく腕を広げ、胸を張る。
「『速さ』だ!! 何も追いつけねぇ、全てを置き去りにする『速さ』こそが最強だ!!」
なるほど、道理だ。
そう納得して頷いた瞬間、今度はダイゴが声を発した。
強く握り締めた拳を、胸の前に掲げる。
「強さとは即ち『重さ』だ。圧倒的な『重さ』を前にすれば、攻撃も防御も意味を成さない」
再び頷く。こちらも道理だ。
二人とも正しいように思う。いや、むしろこの質問に間違った答えなど存在しないのだろう。
選択肢は無数にありそうだ。ならばその中で、自分は何と答えるべきだろうか。自分にとっての【強さ】とは、一体何だろうか。
思案に沈みかけたイチヤを、空の声が引き戻す。
『ご両名の【強さ】、しかと承りました。それではその【強さ】に相応しいtr.Actを――』
ジンとダイゴの目の前の空間が、柔らかく輝く。
その中心には白金色に光る一枚のメモリーカードが浮いている。
二人がそれを手に取った瞬間、唐突に色と音が戻ってきた。
「おお、終わりか。ふぅー、緊張したぁ」
ダイゴが息をつく。
「なぁ、それよりもさ! 早くスキルの性能見てみようぜ!!」
「だな!」
二人がワクワクした様子で手に入れたスキルをセットする。
そしてジンが唐突に声を上げた。
「うおおっ! マジか!! ちょ、ちょっとこれ見てくれ!!」
興奮した様子でウインドウをこちらに向けてくる。
そのウィンドウには、ジンの手に入れたtr.Actスキルの効果が表示されていた。
・AGIが五十倍になる
・自分の体・装備品にかかる慣性を無視する
「これは……」
思わず声が漏れる。
さすがに初心者の自分でも分かる。このスキルは強すぎる。
ジンと交換したスキル【AGIゲインⅠ】の効果が確かAGIプラス五%だった。それを基準に考えると、ステータス強化だけであのスキルよりも千倍近く強いことになる。更に二つ目の効果も凄まじい。助走不要でトップスピードが出せるし、ムチャな急停止だってできてしまう。
興奮した様子でジンがまくし立てる。
「コレむちゃくちゃ強くないか!? もしかして俺大当たり引いちゃったんじゃねぇの!?」
「なぁジン、俺のも見てみろよ」
ダイゴが苦笑しながらウィンドウを見せる。
表示されているのはもちろんtr.Actの詳細説明。
・自身の質量を上限五十倍までの間で操作する
・周囲の重力を上限五十倍までの間で操作する
これも非常に強いスキルに見える。
質量が五十倍になるということは、六十キロの体重が三トンになるということだ。ちょっとやそっとの攻撃ではビクともしないだろう。それに二つ目の効果も併用すれば体重二千五百倍。百五十トンだ。どうなるか想像もつかない。
二つ目の効果のみ使用すれば広範囲の敵にダメージを与える事も出来る。
「おお!? お前のもだいぶ強ぇな。ってことは……」
「ああ。俺達だけが強いスキルを貰ったとは考えづらい。tr.Actスキルは全部このくらいの性能になると見るべきだろう」
ジンががっくりと肩を落とす。
「まぁそうだよなぁ。自分だけ特別なんてやっぱ幻想か」
「そう気を落とすなよ。――どうだイチヤ君、参考になったか?」
「はい」
参考にはなった。スキル作成は想像していたほど煩雑ではない。
とは言え、。それにどういうスキルにすればいいかのビジョンが全く見えないのは変わっていない。
「イチヤは今何レベルだ?」
「七になったばかりです」
「じゃああと一個レベルを上げりゃあもうtr.Actか。よし、善は急げだ! 経験値稼ぎといこうぜ! さてどこに――って、イチヤの用事に付き合う約束だったな。忘れてたぜ」
ジンは心なしか少しそわそわしている。おそらく手に入れたスキルを早く使いたくて仕方ないのだろう。
「自分の用事……、そうでしたね。ありがとうございます」
イチヤの目的は大学への道の下見である。しかし前回は迷ったせいで延々地図アイテム狙いの狩りをするハメになった。
PTを組んでいる今回は、道に迷う心配はない。ジンとダイゴはこの辺りの地理に詳しい。
「では――」
しかし、だからと言って。
「――地図アイテムの入手を目指しましょう」
一度建てた目的を曲げるような、融通の利くイチヤではない。
「え!? それはもういいだろ!? 道知ってる人間がいるんだからさ!」
「一度決めた事ですので」
イチヤが堅すぎる表情で告げる。冗談を言っている雰囲気ではない。
「そ、そうか? まぁ俺らはレベル上げさえできれば何でも構わないんだけどよ」
「では地図アイテムの入手を優先しましょう」
よく分からないところで頑固さを見せつけるイチヤに譲る形で、方針が決定した。
そして駅を離れ、大学に近づかないように注意ながら移動する。
ジンとダイゴの頭に『二度手間』という単語がよぎるが、頭を振ってそれを散らす。
適当なところで【トランスポーター】を解除し、警戒態勢に入る。とは言っても、三人とも既にゴリラのことは怖いと感じていない。ゴリラは確かに初見殺しの行動は多いが、気をつけるべきポイントさえ分かっていれば、ただ力が強いだけのサンドバッグだ。
三対一ならば負ける気がしない。三対一ならば。
ザザ。砂嵐のようなノイズが聞こえる。
イチヤはそれに素早く反応すると二人に注意を促した。
「出ました。ドゥームで……す……」
しかし振り返って凍りつく。
余談であるが、アトラクタ・バーサスには出現する敵のレベルが跳ね上がるタイミングがいくつか存在する。
一つはレベル五に到達した時。これを境に初心者用のサービス期間が終了し、ウォーミングアップ期間に移行する。
そしてtr.Actの取得をトリガーとして、アトラクタ・バーサスは更にもう一段階ギアを上げる。
「……は?」
「おいおいおい……」
ジンとダイゴも、イチヤ同様に表情を引きつらせる。
武器を構えることも忘れて、呆然と立ち尽くす。
『ゴオオ■■オオアアア■■アア!!』
出現した敵が咆哮を上げる。
現れたのは、ゴリラ型ドゥーム。
手の内は分かっているとは言え、油断するとやられかねない強敵である。
それが、二十体ほど。
「はぁああああああ!?」
「おいおいおぉぉい!!」
「…………ッ!!」
『ゴ■■ォォオ■オオアアア■■■■アア!!!』
ゴリラの群れが、襲い掛かる。