二曲目 暗闇の底の君へ
私の全てを 今 君に捧げよう 君のために私はいるから
全身全霊をかけて助けた美少女と幸せになりたいだけの人生だった…………。
夜霧さんを僕のバンドに誘えたのは、嬉しい誤算だった。
後日、とりあえず僕は彼女と一緒に軽音楽部に入部届を提出した。だが、しかし、ロックバンドをするにはあと一人必要だ。例え夜霧さんがいたとしても、まだ僕がアニソンを演奏出来ない事には変わらず、僕は悶々とした気分で高校生最初の一週間目を過ごしていた。
登校初日から一週間、僕は一緒にバンド出来そうな人を探して声をかけてみたが、皆口々に「アニメは好きだけどバンドとかやった事無いんで無理」と言われ断られてしまった。【けいおん!】のようにはいかないものだ。まず演奏すら出来ないなんて。
今日は日曜日、家にいても悶々とするだけなので、以前奏ちゃんと行った商業施設に行って買い物でもする事にした。今度は一人だ。ぼっちの商業施設巡りも意外と楽しい。
バスに揺られながら、窓の外の景色を何を思うでもなく眺める。同時に、携帯音楽プレーヤーがイヤホンを通してアニソンを僕の耳に届けた。
『ねえ この世界にはたくさんの 幸せが あるんだね いつか二人なら』
今流れているのは【supercell】の【My Dearest】。アニメ【ギルティクラウン】の最初のOPソング。
『誰かが君のことを嘘つきと呼んで 心無い言葉で傷つけようとしても 世界が君のことを信じようともせずに 茨の冠を被せようとしても』
切なくも優しい歌詞が、アニメとよく合っていて好きな曲だ。何よりボーカルの歌声がとてもいい。流石、この曲を歌うがために約二千人の中から選ばれただけはあって、彼女以上にこの曲を歌える人はこの世にいないと思う。それほどにいい。さぁ、サビだ。
『私は君だけの味方になれるよ その孤独 痛みを私は知っている』
この曲のテーマは「大切な人を失った痛み」……だと思う。人に限らず、大切なものが無くなった時の喪失感というのは、独特の切ない痛みが迸る。それでも尚、それを抱えて生きていくから辛い。それは取り戻せるものであったとしても、一度失ったという事実は変える事が出来ないのだから。
『so, everything that makes me whole 今君に捧げよう』
……でも、この曲は電子音が強すぎてロック向きではない。ギターとドラムで出来ない事は無いけれど、これはそのまま味わう方がいいアニソンだと思って、僕は少し笑ってしまった。
バスに揺られ、アニソンを聞きながら、例の商業施設に再び僕、降臨。
まずはギターを買うためにお預けになっていたゲームを買おうと電化製品店に寄る。
「ん? あれは……」
店のゲームソフトコーナーに行くと、そこでとある人を見つけた。僕の後ろの席にいる、西園寺雛実さんその人だった。何でこんな場所に。
思わず彼女から離れて様子を伺う。彼女はゲームソフトをいくつか手に取ると、そのままそれを持ってレジに行って購入していた。彼女、ゲーマーなのかな。
「……あ、これ……」
彼女のいた場所に僕も行ってみると、どうやらラノベ原作のゲームを購入したようだった。……まさか、彼女は……。
再び彼女に視線を向けると、購入を終えたのか、レジ前から移動し始めた。……何でオタク趣味を否定していた子が、どうしてこんなゲームを買っているのか。私、気になります。ちょっと追いかけてみよう。
追いかけてみて気が付いた事がある。西園寺さん、めちゃくちゃちんまい! 身長は百五十センチあるかないか程で、身体も細く影も薄い。なんて高ランクの【気配遮断】スキル持ちなんだ。僕じゃ無かったら見失ってたね。
そうして彼女を尾行してみると、彼女はアイスクリーム店に寄って、そこでチョコミントを食べていた。周りには子供連れやカップルしかいないのによく一人で行けるね……。気配遮断スキルといい、彼女のオタクレベルは高めとみた。だけどアイスの好みだけは相容れない。何故ジャモカコーヒーじゃないのか。これが分からない。
……とはいえ、ただのぼっちの高校一年生にしては、彼女の歩き方や所作は、どこか優雅に見えた。言葉にするのが難しいが、立ち姿とか、手足の挙動一つ一つが綺麗に思える。言葉は悪いが、側でかじりつくようにアイスを食べている子供やその親御さんと比べると明らかに違う。育ちが違う、という言葉が思い浮かんだほどだ。
彼女はアイスを食べ終わると、次に楽器店に入って行った。以前、僕も奏ちゃんと一緒に来たお店だ。これには驚きを隠せない。何か楽器やるのかな……。
僕もこっそりお店に入って、物陰から西園寺さんを覗く。ヤバイ、よくよく考えたら僕ほんとにストーカーやってる。これは言い訳の余地なくキモい。奏ちゃんには一生知られてはならない。
彼女は電子キーボードの前に立って、気ままにポロンポロンと指を落として音を鳴らしていた。……適当にやってはいるんだけど、どこか音楽として成立しているような、不思議な旋律だった。音階を理解して弾いている、のか……?
数秒弾いて満足したのか、彼女はちょっと移動して、今度は電子ドラムを置いている場所で立ち止まった。そこはスティックも常備してあって、自由に試し叩き出来るようになっている。西園寺さんは肩にかけていた鞄を置き、両手にスティックを持って、それを叩き始めた。
「な――!」
思わず僕は驚きの声を漏らしそうになった。彼女は座って電子ドラムを叩き出したのだが、その音があまりにもうまかったのだ。ズンズンズンチャッ、ととう三拍子のリズム、それの倍長い八分の七拍子のリズム、ドコドコドコと連続で叩きリズムを取る二拍三連のリズムなど、ドラム特有の叩き方を見事にその場でキメまくっていたのだ!
「上手い……!」
ギターをメインで練習していた僕よりもずっと上手なドラム捌きだった。隼人君よりも上手い……かはどうか分からないが、初心者なんかでは無い事は確かな程の腕前だった。
西園寺さんは体は小さいけど、指が長くて腕もよくしなるようだ。きっと関節がとても柔らかいんだろう。……ドラムスに向いた身体だ。ドラムスに必要なのは、一度に複数の事を行える頭と素早くドラムを叩ける身体だ。実はあまりパワーは必要無い。
――それより何より、僕はドラムを叩いている時の彼女に目を惹かれた。学校での彼女は、例えるならどんより薄暗い曇り空。だけど、ドラムを叩いている時の彼女は、まさに快晴。今も鼻歌まで歌いながら、本当にいい笑顔で叩いていた。……これは、黙っていられない。
「ドラム、好きなんだ」
「へっ……? ひゃっ!?」
突然声をかけたからか、彼女を肩を飛び上がらせるほど驚かせてしまった。失礼。
「……いつから?」
「ゲーム買ったとこ、から?」
「………………ストーカー……!?」
「違う! 断じて!」
いや違うとも言い切れないんだけどね! でもやらしい目的はありません! だからそんなおぞましいものを見たような視線を向けないで!
「こほん。西園寺さん、ずばり訊いてもよろしいでしょうか」
「…………何」
スティックをそそくさと戻し、鞄を持って彼女は立ち去ろうとしているようだった。逃がしはしない。少し僕に付き合ってもらおうか!
「あの、もしかしてアニメとか好き?」
「う――!」
図星、といった様子で口ごもっていた。即座に否定しないと言う事は、そう言う事なんだろう。次だ。彼女のドラム捌き、あれは!
「それに、バンド経験者?」
「……それは、違う……」
ふと、声を落として彼女は答えた。まだ彼女の言葉が続きそうなので黙っておく。
「私はただ習っただけ……。バンドなんて…………」
「それはちょっともったいないね。西園寺さんほどの腕の持ち主、そうそう見つかるものじゃないのに」
「……勘違いしないで。ドラムなんか、嫌い。他人と一緒に演奏なんて、頼まれてもやらない。――私は、もう叩かない。そう決めたから」
胸が痛くなるほど頑とした、拒絶の声が届く。まるで彼女の目の前に城壁でも見えるかのようだった。「私に近づくな。私に語り掛けるな。私に意識を向けるな」と、彼女の態度と声がそう伝えている。
……怯えているんだ、彼女は。何がそうさせているのかは分からないけれど、彼女は僕に……というより、他人をひどく恐れている。自分の行動と言ってる事が、まるで矛盾しているのにも気が付かないほどに。だから、こんなにも……。だけど……。
「……それは嘘だ。叩いている時の君は、すごく楽しそうだった。そんなに自分を隠して生きるのは、辛くない?」
「っ――――! そんな事言われる筋合い、無い……!」
その話題は、彼女にとっての逆鱗だったのか、声にドスを効かせて、重い怒りを叩きつけてきた。……しまった。いきなり攻めすぎたようだ。僕とした事が、なんて軽率な!
「無神経な発言だった、ごめん」
「っ…………。別に……」
僕が慌てて謝ると、彼女もまた冷静になったのか、また声を静かなトーンへ戻した。気まずくなってしまい、何と切り出せばよいか、とお互いに口ごもってしまう。
しかし、その均衡はすぐに崩れた。彼女の方がまず、落ち着くように一息ついてから、再び僕を、そのやや長い前髪の奥から見つめる。
「……名前、もう一度聞いても?」
「海藤真一。真を一つ、って書いて、真一」
「そう。……海藤君が思ってる通り、私はアニメ好き。でも、それだけ……。私はそれを学校でばらしたりしないし、したくない。仲間だなんて思わないで。……それから、私がオタクって事、誰にも言わないって約束して」
理由は言わなくても分かるでしょう、とその後に続くように必死な視線を向けてきた。あぁ、分かるとも。西園寺さんがそれほど望むなら約束しよう。けれど……。
「……分かった。誓って、誰にも言わないって約束する。でも、最後にもう一つだけ言わせて欲しい」
そう言うと、ため息とともにうんざりした表情で睨まれてしまった。それでも言わせてもらう。そこまで拒絶されても、いや、そこまで硬くなだからこそ、僕はやっぱり君を放っておけない。無理かもしれない。駄目かもしれない。お節介だと嫌われるかもしれない。それでも一歩前へ踏み出す。それが、ロックがくれた僕の勇気!
さぁ行くぞ今言うぞ! せーのっ!
「僕と一緒に、バンドやらない?」
「――――――――――。」
言ってやった! 言ってやった!
彼女にとってはあまりに唐突で、突拍子もない事だっただろう。事実、今の彼女は信じられない、と表情を驚きで凍らせている。
「僕、軽音楽部に入ろうと思うんだ。そこでアニソン弾きたくてさ。今バンドメンバーを集めてる。西園寺さん、僕と一緒にアニソン演奏しない?」
「………………正気? 学校でアニソンなんか演奏したら、蔑まれて笑われるに決まってるのに……? 馬鹿馬鹿しい、やる訳が無い……! 私は何事も無く学校が終わればそれでいい。自殺に誘うなんて、ほんと、どうかしてる……!」
とんだ茶番に付き合わされた、話はこれで終わりだ、とばかりに彼女はぐんと目の前から去ろうとする。待て、勝手に話を終えるな。少し強引だけど、僕は彼女の細い腕を掴んで、まだ目の前に引き留めた。
「いい加減に――!」
「確かに! 君の言う事は正しい。オタクは弱い存在さ。それは僕も分かってる」
とにかくまだ話を聞け、と念を込めて、僕は口調を強めて言葉を続ける。
「他の人がアニオタを馬鹿にするのは、アニメが低俗でキモいものって思われてるから……だと思う。だけど、僕はそれをロックで覆す」
駄目だ。それは認められない。アニメが好きで何が悪い。アニソンを歌って何がおかしい。人に迷惑かけているならともかく、勝手にやってるだけで文句つけられる筋合いは無いはずだ!
「アニメソングはカッコいいものだって、ロックの力で皆に知らしめる。だけど、それには三人必要だ」
一人は僕、一人は夜霧さん。そして最後の一人は――!
「君の力が必要なんだ、西園寺さん。どうか、僕と一緒にアニソンを叩いてくれないかな」
握る場所を彼女の腕から手に移し、しっかりと目を見て、僕は真摯にそう言った。彼女のように、自分はオタクだから弱いと思っている人と一緒に僕はロックしたい。そう熱をこめて。
西園寺さんの前髪の奥で瞳が揺れている。「嫌だ」と喉に出かかって、口を閉じて止めてしまうような動きをして、彼女は必死に僕から視線を逸らしていた。おそらく、僕の願いは届いてはいる。だけど、彼女の中の理性が戦っているのかもしれない。「口車に乗るな。アニソンなんか演奏すれば、孤独どころか排斥の対象になるぞ」って。正直、それは間違いない。馬鹿にしてくる人は耐えないだろう。だけど、それでも、僕はアニソンを演奏する気持ちよさを知っている。あれをもう一度味わいたい。夜霧さんや、君と!
しかし、彼女は言葉を飲み込むように一度喉を鳴らすと、諦観に似た、悲し気な表情を浮かべて、首を横に振った。
「…………無理……。オタクに人権なんか無い……。私たちはそうやってイキった人から死んでいく……。そんなの、海藤君だって分かってるくせに……!」
彼女の下した決断は厳しいものだった。脣を真一文字に引き結んで、悲しそうに僕に返事をした。……あと一押し足りなかったか。
「…………確かに、アニオタって自己主張するようなものじゃないのかもしれない。僕も友達に呆れられたよ。ロックでアニソンを演奏したいって言った時」
もうあれから一年も経過する。隼人君に助けてもらったの、丁度去年のこのぐらいの時期だったな……。懐かしすぎて頬が緩むね。
「だけどさ……好きなものを好きって言えないって……やっぱり悲しすぎるよ」
偏見があるのはもう仕方ない。だから、その偏見をも覆し凌駕する方法で表現するしか、僕らに残された道は無い。人に迷惑かけず、自分の『好き』を表現する。それがロックだと、僕は思う。
「明日の放課後、軽音楽部の部室で最初の自己紹介あるからさ、よければ一緒に来て欲しい」
「…………知らない、そんな事」
最後にそう言って、西園寺さんは僕の手を離し、今度こそ僕の前から去って行った。僕も追わない。これ以上は逆効果になりそうだったから。後は天運に任せるのみだ。
さて。
場に残されたのは僕だけになった。今のプロポーズで、ちょっと精神力を使いすぎた。緊張で呼吸も乱されているので、一度、深呼吸して落ち着いた。
「……むふふん。ねぇ、そこのハンサム君」
……でも、彼女がドラムやってくれなかったらどうしよう。もしかして、ホントに僕バンド出来ないんじゃ!? あぁ、そんな事になったら、夜霧さんに顔向け出来ない。
「あれ? ねぇ! ちょっと?」
もしかしたら夜霧さんも“やっぱアニソンとか無理”って思ってるかもしれないし……? いや、駄目だ駄目だ。悪い事は考えてもどうしようも無い! ここは、バンドメンバーが集まるまで根気よく探すしかないな……。
「君に話しかけてるんだけどぉ!」
「おぉぉっ!?」
その時、不意に肩をパンパンと叩かれたので、思わず肩を飛び上がらせるほど驚いてしまった。えっ、何!? なんか、いつの間にかどこの誰とも知らない女の人が僕の目の前にいるんだけど!?
「失礼しちゃうぞぉ。こんなに可愛い女の子が話しかけてあげてるのに無視なんて」
「自分で言うんですか……」
思わず反射的にツッコミを入れてしまったが、やっぱり僕の記憶をサーチしても相手の名前はヒットしない。オーケーグーグル、この目の前の美少女は誰?
「ぬふふ。ちゃんとツッコんでくれたね? いいノリだ。………………はっ!」
その何某さんは満足気に笑っていたと思ったら、すぐに何か閃いたように目を見開いた。今度は何だろうか?
「初対面の女の子に……ツッコむなんて……いくらハンサムだからってひくわー……」
「自分何言ってんですか?」
まさかの下ネタだった。何なのこの人……。記憶なんか検索してる場合じゃなかった。オーケーグーグル、面倒そうな女性の追い払い方。
僕の困ったような視線にまた満足したのか、相手はくすくすと笑って背筋を伸ばし、姿勢を整えた。
「ごめんね。真一君があまりにも魅力的だったから」
「はっ? 何で僕の名前を? えっと、どこかで会いましたっけ?」
「そんな訳ないじゃん。初対面だよ」
「………………………………。」
何言ってんのお前、みたいな態度で言い返されてしまったので、なんか色んな感情がわきあがって、思わず黙り込んでしまった。何、どついていいの?
ほんと、誰ですかこの人。……確かに、自分で言うだけあって、とても愛らしい容姿をしているとは思う。奏ちゃんや冬華ちゃんとはまた違う美人だ。二人より今時風な、活発的な雰囲気を持っている。……有り体に言えば、陽キャ。あれだ、誰にでも優しく明るく接する、クラスのアイドルポジションの女子。オタクの天敵だ……困ったなぁ……。
「……えと、怒っちゃった? ……ごめんなさい。調子に乗りました」
僕が黙ってしまったのを見て、相手はちょっとばつが悪そうな表情で頭を下げてきた。……その手には乗らない。訓練されたオタクをなめてもらっては困る。
「いえ、怒ってないですよ。顔を上げて下さい」
「ほんと! よかったー!」
「でもうざいとは思ってます」
「うざっ……!?」
希望を与えられ、それを奪われる。その時にこそ人間は一番美しい顔をする。
とあるデュエリストが残した言葉をふと思い出す。美しいかはともかく、上げて落とすという手法は非常に精神ダメージが大きい。現に、相手はちょっと傷ついたようにふらりと僕から一歩後退した。これが決闘者流ファンサービスだ。テストに出るよ。
「あの、ほんと、何の用ですか?」
「サイテー。女の子にうざいって言うとか、君モテないでしょ?」
「さよなら」
「あぁごめん! ほんと、ごめんってばぁ!」
あまりの面倒くささに思わず回れ右して去ろうとしたが、慌てて彼女に引き留められてしまった。くそぉ、そんな体を腕に引っ付けないで下さいあぁ柔らかいいい匂い……。
「……次だるい事したらほんと帰りますからね」
「おっけーおっけー。もうしない。私を信じて☆」
爪の先ほども信じられないけど、まぁ、いいか。
僕もまた彼女に向き直る。すると、彼女もようやくふざけた空気を消してくれた。
「えっとね、まず確認するね? 君、S高校の一年生?」
「はい、まぁ……。何で分かったんですか?」
「分かるとも。あんなに熱心にバンドに誘う高校生なんて、S高の生徒以外あり得ないし。ここら辺で軽音部が有名なの、S高しかないもん」
ふざけた態度から一転した、彼女の明晰な推理にちょっと驚いてしまった。……ん? と、言う事は。
「……盗み聞きは良く無いですよ」
「にゃはは。ごめんね。だけど、あんな見事なドラム捌きを見せられたらさ、ちょっと惹かれちゃうじゃん?」
西園寺さんのさっきの演奏の事を言っているんだろう。確かに、彼女の腕は素人レベルではなかった。そして目の前にいる彼女も、彼女の実力が分かったって事は、少なからずバンドを齧っている人と察せるけど……。
「うちはおぉーすごーいって見てたんだけど、そしたら君がいきなり現れて、ナンパし始めるじゃん? だから、面白そ……じゃない。もし君が変な男だったら助けてやろう、って思って、盗み聞きしてたの」
「…………そうですか」
ツッコまない。ツッコまないぞ。ここでツッコんだからまたダルくなる気がする!
……えーと。西園寺さんとのやり取りを盗み聞きしてたから僕の名前も知ってたと。あれ、まだ肝心な事が解決してない。
「それで、何で僕にまで話しかけてきたんですか?」
「うん、えーっとね……」
そこで彼女は言葉を切ると、とても得意気な表情で、僕の胸を軽く叩いてきた。
「……うちから見る限り、あの子に届いてるよ。君のロックな思い。でも、あと一歩足りない。女の子はね、誰だって頼れる男の子が好きなの。君が頼りになるイケメンだって分かれば、あの子もきっとついて来てくれる」
――――――そんな、いきなりはっとなる助言を彼女はくれた。さっきまでのうざさなど欠片も無く、今はただ、迷える僕に道標を与えるお姉ちゃんのような雰囲気を持っていた。
「言葉だけで従ってくれるほど、あの子は安くないよ。もっとだ。もっとアピールしないと」
「……それは、僕のロックを見せろって事ですか」
「分かってるじゃん。バンドリーダーって言うのは、そういうカリスマが必要なんだよ。君にはまだそれが足りない。……だけど、君はバンドリーダーの素質あるよ。諦めないで」
――カリスマ。あぁ、言い得て妙とはこの事だ。胸の中にすとんと落ちる思いがした。
隼人君にあって、僕に足りないもの。僕がまだ本当にロックな男になれない理由。それがカリスマだったのか。あまりに納得してしまって、何と返事すればいいか分からなくなってしまった。
「それを言いたくて、思わず声をかけちゃったの。ふふ。初対面なのに、恥ずかしいね。ごめんね、長々と喋っちゃって。じゃあまたね!」
その人は本当にそれだけ言うと、照れくさそうにはにかんで、商業施設の人込みの中にささっと走り去ってしまった。…………嵐のような人だった。結局、名前聞けなかったな……。
「…………ん? また、って何!?」
恐ろしい事に、彼女の中では、再開する事が決定事項になっているらしい。なんてこった。……なんか、いなくなったらいなくなったで寂しさを感じた。不思議な、でも魅力的な人だったな。次はもうちょっとおふざけに付き合ってあげようかな。あと、ちゃんと名前を聞こう。
「……………………」
そして、この場に残されたのは、僕と、さっきまで西園寺さんが叩いていた、電子ドラムセットだけとなった。……オタクはイキりから死んでいく、か。そうかもしれない。だけど……それでも、僕は――――!
引用
曲名:My Dearest
作詞:ryo(supercell)
該当箇所
『ねえ この世界にはたくさんの 幸せが あるんだね いつか二人なら』
『誰かが君のことを嘘つきと呼んで 心無い言葉で傷つけようとしても 世界が君のことを信じようともせずに 茨の冠を被せようとしても』
『私は君だけの味方になれるよ その孤独 痛みを私は知っている』
『so, everything that makes me whole 今君に捧げよう』