04:お持ち運びされました
今回は主人公が比較的真面目です。
「臭いが強い酒はあるか。」
ズンズンと速い足取りでこちらに来ながら、開口一番ランドグリフィンさんはそう尋ねた。
「に、においが強い酒ですか?」
「ああ。町の付近の森でベアーリンが暴走している、それを止めたい。ここにはどんな酒もあると聞いた。急ぎ用意してくれ、あまり時間がない。」
『ベアーリン・暴走・酒』その単語でピンときた。ベアーリンは熊と犬を混ぜたような見た目をした気性の荒いモンスターで、きついアルコールの臭いに弱いと前にシモンズくんが言っていた。
「ベアーリンですね?分かりました。」
実はモンスターが暴走したのは過去に何度かある。初めこそは『リアルRPGじゃん…!』と興奮したり怖がったりしたものだが今ではもう慣れっこである。
ベアーリンに効くとっておきの臭いが強い酒となるとアレしかない。たしか倉庫にあった筈だ。
急ぎ倉庫に向かおうとそちらに足を向けると、ちょうどクレアが出てきたところだった。
「すいませんサーラさん、届いた新しいお酒、これだけがどうしても場所が分からなくって…。」
クレアの手の中には大きな酒瓶が抱えられていた。おお!なんてグッドタイミング!それは今まさに求めていたものだ。
「大丈夫よ、今からそれを使うから。取りに行く手間が省けたわ。」
「ええ?そうですか?」
よく状況を分かっていないクレアからそれを受け取ると、私はランドグリフィンさんに向き直った。
彼の綺麗な深い青と目を合わせる。
「当店で1番臭いの強い酒はこのイーサク酒です。」
イーサク酒というのはもともとは東の方の小さな部族の中で作られていた酒だ。その地域で取れるある特殊な実─これがイーサクの実だ─を潰して混ぜて何年も何年も発酵させる。そうして出来上がったイーサク酒の大きな特徴はその強烈な臭いだ。
私はおもむろに酒瓶の蓋をキュポンッと開けた。
途端にランドグリフィンさんとクレアが鼻を押さえた。おおっ、いい反応だね。
「く、くさい!くさいです!!鼻がもげそうです!」
「…成る程、これならベアーリンによく効くだろう。」
顔を歪めたクレアは一目散に外の空気を吸いに行く。
一方で真剣な顔で頷くランドグリフィンさんだが、鼻を摘んでるため変に声が上ずって全然締まっていない。
イーサク酒は何度か扱ったことがあるため私はこの臭いに慣れているが、初めて嗅いだ人はひとたまりもないだろう。私は2人の鼻の安全のために蓋を閉めた。
ちなみに、イーサク酒は臭いこそ強烈だが味は甘くて美味しいのだ。
私は大きな酒瓶を抱え直し、言葉を続けた。
「確かにイーサク酒はベアーリンによく効くと思います。ですが、使う量を間違えると騎士団の人達までこの臭いにやられてしまいます。」
あまりにも強い臭いを持つイーサク酒を扱うには十分な注意が必要だ。
人間でも臭いに弱い人は気分が悪くなるし、もっとひどいと気絶することや、嗅覚がおかしくなってしまうことだってあるかもしれない。
いつも心の中でふざけてばかりいる私だが、今回ばかりはそうもしてられない。私は至極真面目な顔に見えるように、顔をキリッとさせた。
「いいですか。イーサク酒の扱いは少しややこしくて、まず…」
「待て。」
細かな用法を説明しようとしたところで、ランドグリフィンさんに止められる。
ちょっと!思いっきり出鼻をくじくのやめてくれる!?
「言っただろう、あまり時間がないと。」
ああ!!そうだった!
そんな悠長に説明してる場合じゃない。でも説明はしないといけないし、どうしよう…。
狼狽える私に、ランドグリフィンさんはさも当然かのようにこう言った。
「説明はいい。貴女を一緒に連れて行けばいいからな。」
「え?」
「用法の説明は現場で頼む。」
「え?え?」
え?なに、どういうこと?
ランドグリフィンさんの言ったことをちゃんと理解する前にあれよあれよと流されるまま店の外に連れていかれ、馬に乗せられ。
ハッと気がついた時には彼に後ろから抱きしめられるようにして支えられていた。いや近いな!!
「ちょ、ちょっとランドグリフィンさん!?私を連れて行くってどういうことですか!?」
もうちょっとちゃんと説明してくれない!?言葉じゃなくて行動で意見を示す派なの!?だから近いよ!!
「安心してくれ、貴女を決して危険な目には合わせない。」
「いやそういうことじゃっ、ちょっ、まっ、」
「行くぞ!!しっかり掴まってろ!!」
「ちょっ、ウワァァァァ!!!」
ランドグリフィンさんの馬が勢いよく走り出し、「サーラさん!頑張ってくださいね!」というクレアの声を聞いたのを最後に、店から現場に着くまでの私の記憶は一切ない。
◇
…結論から言おう。ベアーリン退治は上手くいった。
騎士団の迅速な対応のおかげで被害は最小限に抑えられたし、私は後日ベアーリン退治に一役買ったとして騎士団から感謝状までもらった。
…でも、でも!でもだよ!?
前世も含めて初めての乗馬のせいで全身筋肉痛になって丸2日動けなかったし、ランドグリフィンさんの運転荒すぎて記憶飛んだし!?
何より私、一般人!!酒場のお姉さん!!モンスター退治の現場にいるべき存在じゃないよ!?確かに危険なことはなかったし、急がないといけない場面だったってことはわかるけど!
「おや、分かってるんなら、なんでそんなに怒ってるんだい。」
そこまで先日のベアーリン事件について話したところで、オーナーがそう言った。
今日はクレアは非番で、久しぶり店にやってきたオーナーに事件の顛末という名の愚痴を聞いてもらっていたのだ。
「分かってますけど…、あの時はああした方がよかったってのは分かってますけど、なんかムカつくんですよ!」
「なんかって、何がだい?」
「えっ…、それは…だから、なんかはなんかですよ!」
自分で言っててもよく分からないが、とにかくなんかランドグリフィンさんのことがムカつく。それしか言いようがない。ローレンツ×クレアの件で勝手に感じていた申し訳なさも吹っ飛んだ。
でもこのモヤモヤの原因が何なのか、自分でも分からないのだ。
「何に怒ってるか自分でも分からないなんて、サーラ、アンタめんどくさい女だねぇ。」
オーナーはケラケラと笑うと右手に持ったグラスをグイッと傾けた。光を受けてキラキラと輝くグラスの中のお酒までもが神々しく見えるのは私の心が荒んでいるからだろうか。
オーナーは何だか不思議な雰囲気を持った人で、飄々とした性格なのだが、その中に何でも受けとめてくれる母性のようなものを強く感じさせるご婦人だ。
あまり店にも顔を出さないので、週に1、2回店に来たらいい方だ。クレアなんかは出会えたらその日は何かいいことが起きるのでは?と考えているそうだ。いやどんだけレアキャラなの。
そんなレアキャラ扱いされているオーナーだが、私とは十年来の付き合いで、私にお酒の知識を叩き込んでくれたのもこの人である。私にとっては母のような存在の人だ。
コトリとグラスを置くとオーナーはこちらを真っ直ぐ見た。何もかも見透かされたような、私の心の中を透かして見ているような、そんな視線だ。
「アレだね。アンタ、もの扱いされて怒ってるんだよ。」
「…もの扱い?」
「差し詰めイーサク酒の取扱説明書ってところかね。アンタの意思も聞かずに便利な“もの”扱いされて怒ってんのさ。頭で分かってても心でね。」
「……」
…確かにあの時、あんな有無を言わせない勢いで連れて行くんじゃなくて、もうちょっとちゃんとした説明とか、「一緒について来てもらえないか」って言われたりしてたら、こんなにムカムカしなかったかもしれない。
でももしかしたらランドグリフィンさんもあの時割と切羽詰まってたのかもしれないし…顔も険しかったし…いや険しいのは元々か…それに何であの事件の後からぱったり来なくなったんだろ…いや元々常連さんってわけじゃ無かったし…でも1回くらい謝りに来てくれたってよくない?……いやでも忙しいのかもしれないし…
ああでもないこうでもないと自問自答がしばらく続き。やがてぐるぐると頭の中で回っていた思考が、プツリと切れた。
「あ〜〜!もう!!考えるのやめた!」
やめだやめだ!こういう謎のモヤモヤを抱えたりするのは少女漫画の主人公だけで十分だ!!
突然大きな声を出した私にオーナーはピクリともせず、2本目の酒瓶に手を出し始めていた。
「うるさいよ。喚くなら手洗い場にでも行きな。」
「いいじゃないですか、今は開店前で誰もいないんだし。」
「アタシがいるだろう。」
「オーナーはノーカンです。」
「のーかん?なんだいそりゃあ。」と首をかしげるオーナーを尻目に、私は大きなため息を1つ吐いた。
あーあ、気晴らしに明日の休みにどこか出かけようかな。