その6
サイオン・イマジカでは、スーパーキッズイベントに向けた会議を開くべく、顔合わせの席が設けられていた。スーパーキッズイベントというだけあって、会議参加者のうち、15人は子どもたちだ。保護者、スタッフを入れると、総勢40人近い。
子どもは、紗由たち、すもも組の5人、龍、翼、大地、翔太、匠の小学生5人と、残りは関西方面からやってきた5人で、関西組は全員年長さんだ。
「紗由ちゃん、なんだか、わさわさしてて、おちつかないねえ。さんかんびに、テレビの人が来てるときみたいになってるよ」
真里菜が不服そうにつぶやくと、後ろからポンと肩を叩く女性がいた。
「まりりんちゃーん。超お久でーす! 3日ぶりだよねえ」
「あ…“Minnie”ちゃん。なんで、いるんですか?」警戒気味に見上げる真里菜。
「お供頼まれちゃってえ。京都から来た史緒ちゃんて子。バイトよ、バイト。本当はこんな地味ぃな服、着たくなかったんだけどねえ」
“Minnie”は、ネズミの耳のようにまとめたシニヨン2つと派手な化粧に、リクルートスーツ姿だ。
「はあ」
言われた真里菜は、上から下までじーっと眺めるが、感想はあえて述べない。
「まりりんちゃん、スーパーキッズなんだってぇ? すごいじゃん。スーパーマーケットのスーパーだよねえ」真里菜の肩をパンパンと叩く“Minnie”。
「はあ…」
彼女が苦手なのか、何気なく遠ざかっていく真里菜。
「まりりんの、おともだちの方ですか?」逆に近寄ってきた紗由が“Minnie”に尋ねる。
「あれっ。紗由ちゃんでしょう?」
「はい、そうです」
「覚えてない? この前、“さけみつる”で、うちらの合コンに突入してきたじゃん。あそこにいたんだよ」
耳の前に垂らした一筋の髪を指先でクルクルといじる“Minnie”。
「ああ。あたまにおだんご2つの、おねえさんですね」
「いやーん、うれしいなあ。覚えてくれてて。仲良くしようねえ」
「おねえさんは、まりりんとなかよしなんですか?」
「そうそう、仲良し。もう、超親友って感じ?」
ケラケラと笑う“Minnie”の耳にこっそりと紗由が囁く。
「…“Minnie”さんは、紗由たちの“おなかま”ですよね?」
「ん~?」
「おばあさまには、もう、ばれてますから」
「紗由ちゃんのおばあさまってぇ?」髪の毛をいじり続ける“Minnie”。
「このまえ、“さけみつる”で、紗由といっしょにいました」
「ああ。あの超キレーな人かあ。バレてるって何だかよくわかんないけど、ま、いっか」
「西園寺家の“命”、西園寺華織なら知ってますか?」
「なあに、それ」“Minnie”が髪をいじる速度が速くなる。
「おばあさまからの、でんごんです。“史緒ちゃんをまもりたければ、いしのうごきにちゅういなさい”です」
「石の動き…?」
「では!」
紗由はそう言うと、“Minnie”の傍らをすり抜けるようにして、真里菜たちのところへと戻った。
* * *
「本日は、お忙しい中お集まりいただき、ありがとうございます。皆さんも、ありがとう」
賢児が子どもたちをぐるりと見回しながら挨拶を始めた。
「まあ、会議と言っても今日は顔合わせです。皆でお友達になろうねという会だからね」
「はい!」
紗由が元気に返事をすると、他の子どもたちも、返事をし出す。
「保護者の方々は、あちらのテーブルのほうへどうぞ。お配りした書類についてのご説明と、ざっくばらんな質疑応答をいたしたいと思います。
イベント時には、お子様方がメインとなりますので、お子様たちの親睦をと思い、初回の集まりとさせていただきました。
また近日中に、ご父兄方だけの会合を別途設けさせていただきます。今日の時点での疑問、ご心配等は、またその折にお聞かせください」
賢児が保護者たちを案内すると、後ろから現れた玲香が子どもたちを、大人たちのテーブルの隣のブースにある、大きな丸いテーブルへと案内を始めた。関西組に気を遣っている様子だ。
「九条史緒ちゃん、広幡佳乃ちゃん、賀陽博明くん、薬師寺静流ちゃん、常盤井大和くん。遠くから来ていただいて、お疲れ様です。東京のお友達とも仲良くしてくださいね。おやつを用意しましたから、どうぞこちらへ」
「ありがとうございます」最初に名前を呼ばれた九条史緒が返事をする。「どこにすわればよろしいですか」
「この箱から、クジを1枚引いて下さい。紙に書いてある番号が椅子に貼ってある席に座って下さいね」
「わかりました」
史緒がクジを引いて開けると、「9」の文字があり、該当する席はどこかと椅子の背もたれを確認し、椅子の左側に立った。
そのままじっとしている史緒に声を掛けようとした玲香を遮るようにして、後ろから進が現れた。
「失礼いたしました。どうぞお座りください」
進が椅子を後ろへ引くと、史緒は「ありがとうございます」と言って椅子に座る。
「おおっ。じょーりゅーかいきゅーの子でござるな。こーきゅーレストランのようでありんす…」充が驚く。
「紗由ちゃんもやったら? そうりの、おまごなんだし」真里菜が紗由の腕をつかんだ。
「うーん。とりあえず、クジひくね」スタスタと玲香のほうへ向かう紗由。
「玲香ちゃん。クジください」
「はい。どうぞ」
「…8ばんだ」
1番の椅子を見つけて、順番に数を数えながら進むと、紗由は8番のところで止まった。
「はい。紗由ちゃんもお座り下さい」
進が椅子を引き、椅子に座ると紗由がニッコリ笑う。
「ありがとうございます。進子おねえさん」
「どういたしまして」
「…ちょっと、おとなりのかた?」紗由を見つめる史緒。
「はい。なんですか?」
「おとこの人は、おねえさんではなくて、おにいさんですわ」
「…それは、まちがいです」
「え?」
「人には、いろいろなじじょう、というものがありますから。まあ…はなしても、わからないでしょうから、いいですけど」
「わ、わからない?…かってにきめないでください」微妙に声を荒げる史緒。
「はなせば、わかるんですか?」
「もちろんです」
「ふうん」
紗由はそれだけ言うと、7番の席に座った翼に話しかけた。
「翼くん。きょうは、せっかく、まりりんとデートのよていだったのに。賢ちゃんが気がきかなくて、ごめんねえ」
「そんなことないよ、紗由ちゃん。ここに来る途中、まりりんのモデルの仕事も見学して来たんだ」ニコニコ顔の翼。
「あー、よかったあ」
「あの、ちょっと!」
「はい?」肩を叩かれた紗由が史緒を振り返る。
「さきほどのおはなし、おわってませんけど」
「紗由のなかでは、もうおわりです」
「でも、でも、気になりますから」史緒が少し怒った顔で食い下がる。
「そういうとき、なんて言うか知ってますか?」史緒よりも不機嫌そうな顔で紗由が言う。「おしえてください、って言うんです」
「…なんで、わたしがそんなこと…」
「大地くんも、まりりんといっしょに、さつえいだったの?」
翼のほうを向き、翼の向こう側にいる大地を巻き込んだ形で話を始める紗由。
「ううん。別々だけど、待ってた。僕も真里菜の写真撮ってたんだ。翼くんに見せてあげようと思って」いつもの穏やかな笑顔の大地。
「ちょっと! さゆちゃんとやら!」
「なあに?」
「さっきのはなし、おしえ…」
「なあに?」
「…てください…」
「いいよぉ!」
紗由は途端に満面の笑みになると、史緒に耳打ちした。
「あのね、進子おねえさんは、からだはおとこの子だけど、心がおんなの子なの」
「ええ!?」思わず声を上げ、慌てて口を自分でふさぐ史緒。
「つまりね、おかまさん、てこと」
「おかまさん…でも、でも、あの方、かいしゃの、えらい方なんでしょう? 大谷がいってました」
「そうだよ。進子おねえさんはね、さいのうあるクリエーターなの。おとこの子とか、おんなの子とか、そんなのかんけいないの」
「そう…なんですの?」
「ええ、そうです。進子おねえさんは、かいしゃのためになるおしごとを、いっぱいしてるんです。それで、かいしゃはおかねもちになってます。おねえさんがいないと、だめなんです」
「まあ…」
「ところで、おおたにって、だあれ?」
「わたしのおうちに、つかえているものです」
「ふうん。なんで、進子おねえさんのこと、知ってるの?」
「大谷は、このかいしゃではたらいております」
「へえ。おおたにさんは、イマジカのひとなんだあ」驚く紗由。
「せいさくぶというところです。さきほどの方のこと、しゃちょうさんが、せいさくぶちょうさんだと、しょうかいしてましたわよね?」
「うん。進子おねえさんはね、せいさくぶちょうさんだよ」
「では、やはり、大谷のじょうしの方ですわね」
「あのね、紗由は進子おねえさんとなかよしなんだよ」
「…そうですか」
「おおたにさんとも、なかよくしたいなあ」
「どうぞ、ごじゆうに」
「もちろん、史緒ちゃんともだよ」紗由がニッコリ笑う。
「はい…」少し恥ずかしそうな史緒。
「ねえねえ。史緒ちゃんのなふだ、どうしてみんなとちがうの? それ、おしゅうじだよね。サインペンじゃないよね。かんじだし」
「これは史緒がかきました」
「へー。すごいねえ。じょうずだねえ」まじまじと名札を眺める紗由。「おしゅうじ、ならってるの?」
「はい。2さいになるまえからです」
「うわあ…ベテランさんなんだ」
「それほどでもございません」
「うーん、“おしゅうじスパイ”…これは、いい“じんざい”ですねえ」
「あの…?」
「あのね、紗由はね、なかよしの子たちと、たんていじむしょをやってるの」
「たんていじむしょ…?」
「せいらんようちえんの子が、紗由のほかに4人いてね…そっちがわの充くんも、そうなの」
紗由は、10番の席に座って11番の常盤井大和と話している充を見た。
「それから、あそこにいる、まりりんと、むこうの奏子ちゃん。あとは、3さいの子がひとりいるの。ふみおちゃんも入らない?」
「え…えーと…おねえさまにきいてみます…」
「だめだめ」紗由がウインクする。
「どうしてですか?」
「じぶんのことは、じぶんで決めないとね」
紗由は凛とした表情で史緒を強く見つめると、再び隣の席の翼に話しかけた。
* * *
「大谷、いるの?」
「はい、ただいま」
イマジカでの説明会を終えた清子は、史緒と自宅の玄関に入るやいなや、大谷を呼んだ。
先に現れたのは、史緒の母、美鈴だった。
「清子さん、おかえりなさい。今、お茶淹れますね」
「ありがとう、美鈴さん。…史緒をお願いします」
清子はそれだけ言うと、大谷を引き連れ、自分の部屋へ入った。
「いかがでしたか、清子さま、今日の説明会は」
「関西の保護者たちが西園寺賢児を独占していて、近寄れなかったわ。“Minnie”風に言うなら、“超うざっ”という感じね。しかも彼女たち、史緒と一緒だというのに、私だと全然気づかないのよ。皆、何度も会っている人ばかりなのに」
「まあ…その化粧では、わかりかねますね。つけまつげが2枚にラメ入りの真っ赤な口紅。清子さまがそのような格好をなさるとは、どなたもお考えにならないでしょう」
「でもね、意外なことに、会合が終わる頃には、史緒がこの格好をすごく喜んでたのよ」
「最初は目を逸らしていらっしゃいましたよね。てっきり、お怒りでいらっしゃるのかと…」不思議そうな大谷。
「“おねえさまは、変装の名人ですね”ですって。史緒は探偵事務所に入るから、変装の仕方を教えてほしいらしいわ」
「探偵事務所とおっしゃいますと?」
「西園寺紗由ちゃんが所長をしている“西園寺保探偵事務所”ですって」
「はあ」意味が理解できず、生返事になる大谷。
「メンバーはね、まりりんちゃん、四辻奏子ちゃん、花巻充くん、有川恭介くん。エコリンピックに出ていた青蘭幼稚園のメンバーと、3歳児が一人いるらしいわ。苗字はわからないけど、ゆうとくんという名前みたい」
「おねえさま!」リビングに史緒が飛び込んで来た。「おちゃが、はいりましたわ。おかあさまがやいた、おいしいケーキも」
「やっぱり、美鈴さんのチーズケーキが一番よね。ふふ」
「では、話はまた後ほど」大谷が頭を下げた。
「あやしい…」史緒が眉間にしわを寄せながら大谷に近寄った。
「どうかなさいましたか、史緒さま?」
「おねえさま。大谷は、あやしいです。おねえさまと、コソコソおはなししてます」
それだと清子も怪しいことになるのだが、史緒はその点には気づいてないらしい。正確には、大好きなお姉さまと仲良くしているのが気に食わないだけなのかもしれない。
「あら、それは困ったわねえ」ニヤリと笑い、清子が史緒に聞く。「怪しいんだとしたら、どうしたら、いいかしら?」
「あの…」戸惑う大谷。
「たんていじむしょに、ちょうさをいらいいたしましょう」史緒がキッパリと言う。
「調査してくれるの?」
「はい。うけつけじょうの奏子ちゃんに言えば、しょちょうの紗由ちゃんと、セクシースパイのまりりんと、にんじゃの充くんと、なきむしの恭介くんが、ちょうさしてくれます。史緒は、しんまいなので、ちょうさするかどうか、わかりませんが…」最後が小声になる史緒。
「そうなの。じゃあ、すぐに調査をお願いしましょう」
「清子さま、史緒さま…」
「わかりました。いらいいたします」
史緒はキッと大谷を一瞥すると、皆にもらった名刺が入っているバッグを取りに行った。
* * *
東京のマンションの華織の部屋では、突然おしかけてきた紗由を前に、華織が不機嫌そうに紅茶をすすっていた。
「紗由。おばあさまだって、東京にただ遊びに来ているわけじゃないのよ。それなりに忙しいの」
「おばあさま…きんきゅーちゅうの、きんきゅーなんですよ! だから、はしってきたんです!」
「あら、そう」無表情に答える華織。
「あたらしく入った史緒ちゃんから、ちょうさのいらいがありました」
「史緒ちゃん?」
「ミニーちゃんちの史緒ちゃんです。“おおたにが、コソコソして、あやしい” んだそうです!」
「大谷というのは、九条の命宮かい?」躍太郎が話に入ってくる。
「うーんとね、進子おねえさんのぶかだって」
「息子のほうのようね。あなたは、その方、御存知?」
「去年と今年入った社員とは顔合わせしてないから、直接は知らないな」
「おばあさまは会ってますよ」
「私が?」
「このまえ、ミズキンのとなりにいた人です」
「ああ…あの、派手なメガネの方ね」
華織は記憶をたどり、大谷がかけていた紫のマーブル模様のメガネを思い出す。
「その彼が怪しいから調べてくれと、史緒ちゃんから依頼があったのかい?」
「はい。これから史緒ちゃんがここに来ますから、おはなしをきいてください」
「ここに?」
「紗由のおうちは、きょうは、じいじのおきゃくさまが来てて、SPの人がいっぱいですから」
「ここは探偵事務所の応接間ではありません」
「それでですね、たんていじむしょのみんなは、きょうはダメなので、ひみつかいぎはあしたです。きょうは、紗由が史緒ちゃんのおはなしをきくんです。じぜんちょーさです」
一向に華織の話を聞かない紗由。
「まあ、いいじゃないか、華織。保護者も一緒だろう。いろいろと手間が省ける」
「まあ…そうですけど…」
「華織さま。お客様がご到着です。リビングへお通ししてよろしいでしょうか」
インターホンから家政婦の声が聞こえてきた。
「はい! おねがいします!」
紗由は元気に答えると、華織の手を引いてリビングへと向かった。
* * *
「おばあさま。この子が史緒ちゃんです」
「はじめまして。九条史緒でございます」
史緒が大人びた様子でていねいにお辞儀をすると、華織も大人相手のように挨拶をする。
「西園寺華織です。ようこそいらっしゃいました。こちらは主人の西園寺躍太郎です」
「西園寺です。ようこそ」
「突然失礼いたします。姉の九条清子でございます。この度は妹がお世話になりまして」深々と頭を下げる清子。
「まあ。合コンの時とはだいぶご様子が違っていらっしゃるのね。お着物、とてもお似合いでしてよ」
華織が微笑むと、清子は恐縮したように小声で「ありがとうございます」と言って、再度頭を下げた。
「あれは、おねえさまのへんそうなんです。こちらが、ほんものですの」ニッコリ微笑む史緒。
「まあ、そうだったのね。お姉さまの変装はとってもお上手だわ」
「ありがとうございます」史緒がうれしそうに笑う。
「そちらの方は、サイオン・イマジカにお勤めなんですわよね?」
「申し遅れました。制作部の大谷幹也と申します。1年前よりお世話になっております」
「まあ、そう。うちの主人はね…」
「前社長でいらっしゃいますよね。初めまして」躍太郎に向かって頭を下げる大谷。
「初めまして。ここ1、2年は、新しい社員と顔合わせしてないし、在任当時から、制作部の採用は高橋くんに一任していたものでね」
「高橋部長には大変お世話になっております」
「今日はメガネをなさってないのね。ところで、あなたと依頼者の史緒ちゃんとのご関係は?」華織が尋ねる。
「…父が九条家で執事をしております。私自身は、東京で清子さまのお世話を」
「いやだわ。そんなに恐縮なさらなくてもよくてよ。取って食おうというわけじゃありませんわ」
「は、はい」返事しながらも、手の汗をズボンでそっと拭う大谷。
「でも、どういうことかしら。史緒ちゃんは、大谷さんを怪しがっているのよね? 調査する相手が一緒に探偵事務所に来るというのは、聞いたことがありませんわ」
「おばあさま。それは紗由がちょうさしますから」ぷーっとふくれる紗由。
「ああ…ごめんなさい。所長さんのお仕事だったわね」
「どうしてなんですか、大谷さん?」紗由が身を乗り出しながら聞く。
「それは…ですね、所長さんに私の言い分も聞いていただきたかったからです」
「でも、でも、大谷はあやしいです!」すねたように言う史緒。「いつもおねえさまと、なかよくおしゃべりして、史緒にはひみつにして…そんなの、そんなのずるいです! 史緒はずっと、がまんしてたのに…おねえさまと会えなくても、がまんしてたのに…」
「ふむふむ。史緒ちゃんは、おおたにさんが、おねえさまとなかよくするのが、いやなんですね」
「ええ、いやです」
「それは、やきもちですね。大谷さんがあやしいかどうかとは、べつのもんだいです」
「そんな…」唇をかむ史緒。
「あやしい大谷さんは、ほかにいるのかもしれないですね」腕組みして大谷を見つめる紗由。
「実はそうなんです」清子が華織を見つめた。
「…まあ、そうでしたの」ゆったりと微笑む華織。「ねえ、紗由。依頼者の史緒ちゃんは、あなたのお話の聞き方には、ご不満なご様子よ。もっと詳しく、1対1でお話を聞いて差し上げたほうがよくなくて?」
うつむいたままの史緒を見た紗由は、華織の言い分を受けることにした。
「そうですね。そうします。史緒ちゃん、ごめんなさい。紗由、もっとちゃんと、おはなしをききますから。あっちのおへやで、ふたりでおはなししましょう」
「はい」
史緒がうなづくと、紗由は史緒の手を握り、リビングのドアに手をかけた。
「あ…おばあさま、おやつがきたら、ぜんぶむこうにおねがいします」
「はい、はい」
眉間にしわを寄せ、うんざりした様子の華織に、清子と大谷が思わず笑う。
「し、失礼いたしました…」そろって頭を下げる二人。
「いえ」コホンと小さく咳をする華織。「そうそう、清子さん。史緒ちゃんが紗由とお友達になったからには、おやつの食べすぎに注意したほうがよろしくてよ」
「あたまをつかうと、とうぶんをつかいます。おやつは、あたまのえいようです。がくしゃのとうさまが、そう言ってました」
「そうだな。ちゃんと頭を使って、史緒ちゃんの話を聞いておいで」
「はい、グランパ。では!」
紗由はにんまり笑うと、ドアを開けた。
* * *
「では、ご事情をゆっくりと聞かせていただこうかしら」
「は、はい…」
西園寺華織に会いたいと言っていたものの、いざ実現してみると、その存在感に圧倒されて、清子は思うように言葉が出ない。
「ああ、その前に、改めて自己紹介させていただかないと、いけませんわね」華織がゆるりと立ち上がり、両手を前に組んだ。「西園寺家“弐の命”、西園寺華織でございます」
「…九条家“弐の位”、九条清子でございます」立ち上がり頭を下げる清子。
「九条家命宮・大谷慎也の長子、大谷幹也でございます」
大谷が立ち上がり、若干、清子から下がった位置につくと、躍太郎も立ち上がった。
「西園寺家御用宿、黒亀荘亭主、西園寺躍太郎です」
「ああ…」
「清子さま」座り込みそうになる清子の肩を大谷が支える。
「ありがとう、大谷。…申し訳ございません、西園寺さま。失礼をお許しください。ですが…やっと、やっと、ここまで来ることが出来ました」清子が涙を浮かべ、口元を抑える。
「いろいろと、お辛い思いをなさったのね。何でもお話になって、お気を楽にして…どうぞ、お座りになって」
「ありがとうございます」
「話は私のほうからさせていただきます」
大谷は強い眼差しで華織と躍太郎を見ると、清子と自分が東京に出てきた理由を話し始めた。
* * *
「だから…史緒はさみしかったです。それなのに、大谷は。おねえさまを、ひとりじめにして…そんなの、そんなの、ずるいです」涙目で紗由に訴える史緒。
「一年も会えなかったんだ…。さみしいよね、すごく、さみしかったよね。紗由は、にいさまとそんなに会えなかったら、ないちゃうよ。ケンカもいっぱいするけど、だいすきだもの。おねえさまから、おでんわもなかったの?」
「おねえさまは、おてがみは、くださったの。だから史緒は、いっしょうけんめい、おてがみをかいたの」
「えらいね、史緒ちゃん。おねえさまは、きっとうれしかったとおもうよ」大きく頷く紗由。「だって、きっと、おねえさまも史緒ちゃんに会いたくてしかたなかったとおもうもの」
「紗由ちゃん…」
「おねえさまは、いっぱいさみしかったから、大谷さんとおはなしして、がまんしてたんじゃないのかなあ。大谷さんは史緒ちゃんのかわりだったんだよ、きっと」
「わたくしのかわり?」
「うん、そう」紗由は少しうつむきながら言った。「紗由、わかるよ、そういうの。会いたいけどね、とおくにいて、あんまり会えないの。だいすきなのに、あんまり会えないの。さみしいよね」
「紗由ちゃんも、会えないおねえさまがいるの?」
「ううん。紗由のきょうだいは、にいさまだけ。でもね、フィアンセの翔太くんは、しずおかにすんでるの。だから、あんまり会えないの…」
しょんぼりする紗由を見て、史緒が励ます。
「だいじょうぶ、紗由ちゃん。史緒も、会いたいっておもってたら、会えたもの。紗由ちゃんも会えますから。きっと、きっと、会えますから」
「ありがとう…」
「あのね、さみしいときは、そうぞうするといいですよ」
「そうぞう?」
「はい。史緒はいつも、おねえさまと、あたまのなかでおはなしをしていました。ほんものの、おねえさまではありませんが、でも、でも、たのしかったです」恥ずかしそうに微笑む史緒。
「わかった。紗由もやってみるね。ありがとう、史緒ちゃん」
「はい」
二人は笑うと、おやつのマドレーヌを頬張った。
* * *
九条家の“命”が危機に見舞われていて、かつ京都方面で不穏な動きが感じられるという大谷の言葉を聞き、華織は、いったん目を閉じると、しばらくしてから、ゆっくりと目を開けた。
「いくつか、おうかがいしてもよろしいかしら?」
「はい、何でしょうか」
「今おっしゃったような懸念を、“命”に直接ぶつけてみたのかしら?」
「はい。私のほうから父に話しました。父の力が落ちているように見えること。他から何らかの力が働いているような気がすること。
そして京都に蔓延する嫌な“気”のことや、史緒に力が出たときに彼女の身が心配だとの思いも…。ですが、父は取り合ってくれませんでした」
「あなたの力が落ちていること、命宮や神命医を疑っていることについては?」
「そこに行くまでに話を打ち切られてしまいました。父は私の状態については知りません。それに気づく力も今はないということです」
「…そう」
「“命”は自分の力の低下を自覚していて、図星だったから、いらだったということも考えられるな」
「そうね。風のうわさでは、とてもプライドの高い方だとお聞きしているわ」
「はい。ただ、自分の力で大勢の人間を支配するとか、そういう野心家のプライドとはちょっと違うのですが…」
「“命”に使うのも変な表現かもしれないが、職人気質なのだろうねえ」躍太郎が言う。
「おっしゃる通りです。自分のやり方を頑として譲りませんし、自分の弱みを見せるようなことはしません。おそらく命宮にも、私の指摘は伝えてないでしょう」
「ところで、清子さんのお父さまは“壱の命”でしたわね。“弐の命”は今どなたが?」
「父の弟、道隆が務めておりますが、現在は、ほぼ交流がありません」大谷が答える。
「宿へはお二人で詣でていらっしゃるのかしら」
「表向きはそうなっていますが、別々に詣でているようです」清子が唇をかむ。「お恥ずかしい話なんですが、もう5年以上、父は叔父の“受けとった”ものを命宮から間接的に把握しているだけのようです」
「それだと、伝書鳩のさじ加減ひとつで、ご兄弟の仲も、伊勢への連絡も、どうにでもなってしまうわね」
「はい」今度は大谷が答えた。「しかも、うちの父は以前“弐の位”をしていたことがあります。…実は大谷家はいわゆる3代前の九条の妾からつながる家でして、伊勢からは九条分家とみなされております。
父は、今はその頃のような力はないと言っていますが、もし、力がまだ保たれていたなら、父の考え一つで九条家の“命”は…危ういことになりかねません」
「だが大谷くん、“命”自身の力に、むらがある場合も多いと聞く。その調整のために、命宮側から“命”へ働きかけることもあるとは思うがね」
「いえ。清隆さまは、元々かなり力の安定した“命”です。
京都方面は…あまり大きい声では言えませんが、伊勢の決まりを守っておらず、親戚・遠戚関係にある者が多いことから、“命”の身分を隠さずに日頃普通に交流しております。その中で清隆さまは実質的なリーダーでいらっしゃいました」
「それが3年前から、力に陰りが見えてきたのね」
「はい。先ほども申し上げました通り、誰かが何らかの意図をもって、力を操作しているように思えてなりません。そういうことが可能なのかどうか、正直私にはわかりかねるのですが…」
「あら、でも私がこれまで伊勢でお会いした“命”たちより、清子さんのほうが、まだお力がおありに見えるわ」
「恐れ入ります」
「九条の実力を考えたら、ご不満なのはわかりますけど」微笑む華織。
「大谷くん。確認なんだが、君は、清子さんと“命”へある種の操作をしているのが、君の父君だと思っているんだね」
「はい。ちょうど3年ぐらい前から私や家族と妙に距離を取る様になり、振る舞いが妙なのです。家族にしかわからない微妙な部分かもしれませんが、だからこそ、私は父のその変化が、“命”さまのお力の件と関係しているように思えるのです。それから神命医の花園医師も関わっているのではないかと」
大谷が清子を見ると、清子は頷いて話を続けた。
「3年前、九条家には大きな変化が3つありました。神命医が交代したこと、私が数えで成年に達したこと、夢宮が他界したことです。まずは神命医の交代ですが、西川重治先生がオブザーバー的な位置に回られ、実際の担当は花園医師に交代しました」
「花園先生との相性はどうなのかな?」
「西川先生と比べるのは酷かもしれませんが、伊勢も何をお考えなのか…」不服そうな清子。
「相性があまりよろしくないのね」
「簡単に言えば、そういうことです。九条家というものを、わかっていらっしゃらないのです」
「花園先生に悪意があるなしに関わらず、力に影響を及ぼしそうなのは間違いないね。神命医との相性は、“命”の命綱と言っても過言ではない」
「お父さまも花園先生にご不満なのかしら?」
「父は当初、かなり落胆していました。これもあまり大きな声では言えませんが、姻戚の一条家のご担当になるはずだった西川先生を、伊勢に直参して九条に回していただいたんです」
「まあ、そうでしたの。確かに一条の“命”もおっしゃっていたわ。先代が、それはもう、西川先生びいきでいらっしゃったって。それを回していただいた…」
「遠縁に当たる一条の先代と、うちの父は、それで仲たがいしたようです。…一条の“命”はお元気でいらっしゃいますか?」
「ええ。とてもお元気よ。今日中には京都から戻るはずだから、明日の探偵事務所の秘密会議にお呼びしましょうか」
「彼はね、紗由と、まりりんと奏子ちゃんが試験をして認めた、探偵事務所の特別所員なんだよ」笑う躍太郎。
「まあ、そうでしたの」清子も思わず微笑む。「…あの、誠さんは京都へ?」
「ええ。重治先生のところへ」
「実はね、一条家の神命医から、大徳寺先生がはずれることになったんだよ。その後任の件で相談にね」
「大徳寺先生が?」驚く大谷。
「そんなに驚くようなことかね?」
「大徳寺一派が一条を手放すとは信じられません。花園先生が九条に入ったのも、一派の勢力を増すための布石としか…。ご後任はどなたに?」
「まだ、ここだけの話にしていただきたいんですけど、重治先生のお孫さん、麻那さんですの」
「あの一派でなくて安心しました」
「よほど大徳寺先生がお嫌いのようね」
「大徳寺先生は民主主義過ぎるのです」いらだつ大谷。「彼の弟子たちは増長するばかり。皆、“命”のことなど考えていないように見えます」
「実は、大谷は偶然聞いてしまったんです。四辻の“命”が他界された後、大徳寺先生の弟子たちが、これで勢力図を塗り替えられる、西川先生が引退するのを待ってはいられないと話していたのを。
その場にいた大徳寺先生は、弟子たちを諌めるでもなかったようです。ご自分が担当していらっしゃる一条家と、同グループの“命”が他界されたというのに…」
「それは捨て置けないお話ね」華織の表情が途端に厳しくなる。
「弟子たちというと花園先生もかい?」
「いえ。もっと下の医師たちです。教育がなっていない証拠です」強い口調の大谷。
「私はその後、彼らが担当している家の“命”たちを、精査してまわりました」清子が続けた。「結果、皆、以前より力が落ちていたのです。大徳寺一派が父や私だけでなく、他の方々にも何かしていると確信したのは、それからです。
しかも、もう一つ共通点がありまして、その家々の命宮候補は、大谷命宮とともに認証試験を受けていました。大谷命宮以外に受験者が4人、そのうちの3人です」
「あとのお一人は?」
「おそらく東側の家系だったのではないかと…」
「大谷さんのお父さまが命宮を拝命したのはいつですか?」
「17年前、私が5歳の時です。私に力の兆候が見られたので、彼は“弐の位”を降りて、命宮へとまわりました」
「ああ…認証システムが変わる直前ね。その当時は団体合宿方式だったのよね。現在の試験は個人で受けるから、後の命宮同士の接触ルールも細かく規定されているようだけど」
「はい。当時は身元を明かさず、探らせず、というのも試験の一部だったと父から聞きました」大谷が言う。
「受験者たちが機関に気づかれずに徒党を組んだということかしらね」
「内通者がいないと難しいんじゃないかな」躍太郎が言う。
「そうね。この一件、かなり前から仕組まれた大ごとなのかもしれないわね」
華織の言葉に黙り込む一同。
「あら、ごめんなさい。えーと…3年前の九条家の出来事、二つ目と三つ目をうかがおうかしら」
「はい。私は数えで二十歳になりました。それで、これは、他の“命”の家と九条の大きく違う点だと思うのですが、九条では子ども時代にどんなに力が見られても、成人に達するまでは“弐の位”にはなれません」
「つまり、清子さんが“弐の位”にご就任なさったのね」
「はい。そして九条の“弐の位”は、その後、“命”に就任するまで毎年、“命”から力の一部を譲渡されます」
「生前贈与というわけね。合理的なシステムだわ」
「でも、父が不調なものですから、その譲渡は一度も行われないままです」
「そういう儀式が滞りなく行われるように仕切るのが命宮のお仕事なんじゃなくて?」
「むしろ、それを止めているのが君の父君ではないかということなんだね?」
「はい」うつむく大谷。
「三つ目は、夢宮が他界したことです。ですが私も父も、その事実を知ったのは荼毘に付された後でした。ちょうど伊勢に行っている間だったんです」
「大谷くんは夢宮の臨終には?」
「いいえ…父の名代として、“命”さまと清子さまのお供で伊勢に出向いておりました」
「死亡診断書を書いたのは花園先生なのかい?」
「はい」
「ご病気でいらしたの? それとも事故かしら?」
「心臓発作と聞いております」清子が答える。
「いわゆる心不全ということね。原因がよくわからない場合の決まり文句だわ。不審点満載ね」
「実は、不審な点はそれだけではないのです。夢宮は清子さまに、伊勢から戻ったら大切な話があると出かけ際におっしゃったのだそうです」
「結局、その内容はわからずじまいです」
「普通に考えれば、見た夢の内容に問題があったということだろうね」
「2時間サスペンスだったら、命宮とお医者様がグルで、口封じしたというところかしら」
「私はそう考えております」
清子が言うと、再び一同に沈黙が訪れる。
「…それで結局、東京の大学に通われていた清子さまは京都と縁を切られたのです。大事に至らぬうちに、東の“命”たちのご意見をうかがいたいと思ったからです」
「それでは京都で開催予定のサイオン・イマジカのイベントに史緒ちゃんを招待したことで、お二人によけいにご心配をおかけしてしまったわね。ごめんなさい」
「いいえ」清子が慌てて首を振る。「あの、イベントの詳細についても教えていただきたく存じますが、その前に一点おうかがいしてよろしいでしょうか?」
「“石の動き”のことかしら?」
「はい。紗由ちゃんに伝言なさった言葉の意味が…」
「九条家は“感の一門”でいらっしゃったわね」
「はい」
「清子さんが、たとえ御自分では力の衰えを感じているとはいえ、京都の妙な気に気づいたのは、あなたの家の血がなせる技でしょう。そんなあなたと“命”に妨害できるとしたら、まあ、幾つか可能性はありますけど、その一つとして、何らかの形で“封の力”が関わっている可能性があります。
ただ、九条家の“感”の力を上回る“封の一門”というのは見当たりません。今、純粋な“封の一門”は西には存在していないと聞いています」
「西園寺さまは、西の一門の系列をすべてご存知でいらっしゃるのですか?」驚いたように尋ねる清子。
「神様が教えてくださったの。…ああ、勘違いなさらないでね。
私は普段、極めて優等生なんですのよ。ルールは守る。特別なおねだりなどしません。
“命”をたどるべからずだけでなく、神命医の記憶をたどるべからずという掟も、自ら破ろうと思ったことなど一度もございません。他の“命”たちの情報を得ることになりますし。…ですが今回は、あちらから、おねだりをしていいと伝えてきたものですから」
「そう…なんですか。あ…申し訳ございません。話の腰を折りまして」
「いいえ。率直な疑問ですわよね。で、話を戻すと、純粋な“封の一門”はいなくても、九条家の力を上回る方法があります」
「どういうことでしょう」大谷が身を乗り出す。
「何代か前に“封の一門”の血が入っている家系、あるいは西園寺のような“写の一門”、そういう血筋の人間が、最強クラスの“石の一門”の力を借りるのです」
「“封”の力に“石”のパワーを足して、“感”を封じるということでしょうか」
「簡単に言えば、そうね」
「西園寺さま。最強クラスの“石の一門”とは、どこを指していらっしゃるんでしょう?」
「それは、あなたが力を振り絞って、感じ取ってください。私が今答えをお伝えしたら、あなたのお父さまと命宮にそのまま伝わってしまうかもしれません」
「私、秘密は守ります」少し憤慨したように言うと、黙り込む清子。
「…今のあなた、時々、雨漏りしていてよ。東京にいる間は大丈夫だとしても、京都を離れる以前もそういう状態だったのだとしたら、聞く耳をふさいでしまったお父さまはともかく、元“弐の位”だったという命宮なら、聞き耳を立てれば聞けたのではないかしら」
「あの…それだと、うちの父は清子さまと私の考えを知りつつ、東京へ行かせたということになります」声が震える大谷。
「そのほうが都合がよかったのかもしれません」
「私たちの東京での動きが追尾されていたとでも? 盗聴器の類には、かなり気を遣ってきたつもりです」
「待って、大谷。私たち…石は身につけたままだったわ」
「まさか、それが…。ああ…強い“石の一門”なら、できないことはありません」
「それに、石を通じて盗聴されていなくても、私たちが東京でやろうとしていたことが、彼らにも好都合だったら、放っておくのではないかしら」
「西園寺と一条の様子を確認して、近づくことよね?」華織が言う。「何か事を起こそうとしているのなら、彼らも知りたかったのではなくて? 東の“命”たちの状況が」
「ですが、“命”関係者同士、個人的な都合で身分を明かして接触してはならないという掟を破れぬ以上、西園寺さまに近づくのにも、1年かかりました」大谷の声が低くなる。「私がサイオン・イマジカの社員であるにもかかわらずです」
「まあ、それはそうでしょうね。保ちゃんが偉くなっちゃったから、一族の周囲にはいつもSPがいっぱい。掟がなくても近づくのは大変ね」
「賢児や玲香さんから、私たちにたどりつこうとしても、普通の社員では、そもそも賢児まで行けないだろうしね」
「では、あなたのお父様や花園先生なら直接近づけるかと言えば、それも難しいわ」華織が微笑む。「私はあえて、他の“命”たちと接触しそうな場には行かずにいたから」
「保くんのパーティーですら、あまり行かないんだよ、華織は。妙な知人が増えると困るからと言って」
「どうしても危なそうな場所に出かけたい時は、“Minnie”ちゃんのように変装していきますけど」
「近づけない相手には、偶然その機会が訪れるのを待つしかない」躍太郎が清子を見る。「それは君たちも彼らも同じだ」
「ですが、強力な“石の一門”がバックにいるのであれば、彼らは自分たちで西園寺さまに近づく手立てもあったのではございませんか?」
「そう。そこなのよ、問題は」華織がくすりと笑う。「“石の一門”は全面協力しているわけではないってこと」
「どういうことですか?」
「さあ。段階的になのか、条件が一致した時だけなのか、協力可能な範囲内ということなのか…協力がまだらなのね」
「すみません。混乱して参りました…」清子が両手を強く握る。
「状況は刻々変わっていたのかもしれないし、変わるかもしれないわ。私たちは、これからできること、やるべきことを、着実にこなしていけばいいのよ」華織が清子の手をそっと握る。
「君たちの東京行きを看過したことについては、もう一つ、嫌な可能性もある」
躍太郎が言うと、清子がはっとしたように躍太郎を見つめた。
「まさか、いない間に史緒に何かを…?」
「目的が彼女なら、君たちはいないほうが好都合だ」
「そんな…!」大谷が声を荒げた。
「大丈夫だよ、大谷くん。“妙な気の動き”は、華織も気づかなかったわけではない。部下には前々から調査をさせている。最近、具体的な材料が出てきたので、こちらも具体的に動くことにした」
「史緒ちゃんに限らず、子どもたちが狙われているようだから、いっそこちらから、ゴキブリホイホイを仕掛けに行こうかという話になったのよ」
「まさか、それが京都でのイベントなんですか? それで史緒さまも呼ばれたんでしょうか?」
「その辺のことは、西園寺の命宮のほうから説明させますわ」
華織は呼び鈴を鳴らし、間もなくするとスーツ姿の進が部屋に入ってきた。
「進子ちゃん!」
「部長!」
清子と大谷は、目をぱちくりさせながら顔を見合わせた。
「西園寺家命宮、高橋進でございます」
二人が聞いたことのない“男声”で挨拶する進。
「西園寺さま、これは一体…」
「うちの命宮は清子さんより変装上手なの」うふふと笑う華織。
「進の場合は、変装というより変身じゃないのか」
「そうね。別に女装しているわけじゃないし…。何だったら、してもいいのよ、進ちゃん」
「ご勘弁ください、華織さま」進が眉間にしわを寄せる。
「驚かせて申し訳ありませんでした、お二人とも」
「あ…いえ。でも…驚きました」清子が小さくつぶやく。
「それは私も同じです」微笑む進。「今日のお召し物のほうが格段にお似合いでいらっしゃいます」
「恐れ入ります」
「それでは、今回のイベント企画に至るまでの経緯と、最終的な目的、そして九条家にご協力願いたい事柄について、私のほうからご説明させていただきます」
進は4人に例のファイルのコピーを手渡した。
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