その15
「じゃあ、紗由ちゃん。ぼくたちで、わるものをやっつけるんだね」
恭介の問いに紗由は大きく頷き、探偵事務所の面々をぐるりと見渡した。
今日の会合は、すもも組だけではなく、悠斗、誠も参加しており、特別ゲストとして翔太と龍も同席していた。俊も後から参加の予定だ。
「史緒ちゃんのおとうさまの子ぶんの大谷さんが、わるものがどこにいるか、おしえてくれました」
「いい人ですねえ、大谷さんて子ぶんさん」奏子がうふふと笑う。
「ちょっと紗由。言葉は正確に使わないとダメだよ。教えてくれたんじゃなくて、こっそり頭をのぞいたんだろ?」
「いやなら、あたましめればいーんだもん。史緒ちゃんのおとうさまみたいに」
「そこまで力がないんだよ」
「どーして? めいぐうさんなんでしょ。進子おねえさんは、そんなのかんたんにできるよ。史緒ちゃんのおとうさまがのぞきにきたら、あたましめてたよ」紗由がぷーっとふくれる。
「紗由ちゃん。進子ちゃんは“命”並みに力持ってんねんで。別格や」笑う翔太。
「まあ、そういうことだね。西園寺の命宮は特別だよ」誠も笑う。「それで紗由ちゃん。悪者はどこにいるんだい?」
「わるものの子ぶんが、とうきょうに来てます。賢ちゃんがイベントのあんないを、そーけんていうところに、なかなかおくってあげないから、まちきれなくなっちゃったみたい。…あれ? 誠おにいさんも聞いてましたよね」
「所長から説明したほうがいいと思いますよ」にっこり笑う誠。
「わるものだって、ずーっとまってるのは、たいくつだよね」真里菜が言う。
「賢ちゃんどののところに、あんないじょうをくれくれと言いにきたのでござるか?」
「ううん。あんないじょうもらっても、もらわなくても、紗由たちをやっつけようとしてるみたい。もうすぐ来るような気がするし…にしの子もねらわれてるみたい」
「関西の子たちも、まとめて狙われとんのか? 神戸組には“命”の関係者やない子もおるやろ」
「“禊”以外は全部同じなんだよ」龍が答える。
「ねえ、なんで、そんなことするの?」恭介が怒った顔になる。
「おばあさまが聞いてきたところによりますと」紗由がコホンと咳払いする。「そーけん、というところのおじさんたちは、あたまのいい子をつくるおしごとをしています。そこの子たちが、すんごくあたまがいいよって、せんでんして、おかねもうけをするんです」
「かってにやればいいのに。ぼくたち、かんけいないじゃん」口を尖らせる恭介。
「かんけいあります。そーけんに入ってないのに、あたまのいい子がいると、その人たちには、じゃまなんです。そんなとこ行かなくても、あたまよくなれるじゃないかって、パパとママはおもいますからね」
「そういうことだね」誠が恭介の頭を撫でた。「恭介くんたちのように頭のいい子がたくさんイベントに出て目立ってしまったら、総研の頭いい子づくりプログラムより、皆や、皆のパパとママに話を聞いたほうが役に立ちそうな気がするよね?」
「だったら、まりりんたちのこと、そーけんのプログラムにさそえばいいのに。そこの子ですよって言えば、せんでんになるのに」
「総研は“禊”と仲良しだからね。純粋な“命”の関係者は避けられてるんだよ。だから、リストにはするものの、その子たちには声がかからない。
それに、普通の子どもが頭がよくなって、いろんな力を持てるようにならないと、教育プログラムの成果とは言えないだろう?」龍が言う。
「はい。奏子のところには来ませんでした」
「あ…もしかして、ぼくんとこ、さそいにきた、おりがみの人?」恭介が龍に聞く。
「そう、それだね。恭介くんのことを、“命”の関係者じゃないと思ったから誘いに来たんだろうね」
「ぼく、みんなとかんけいしてないの?」涙目になる恭介。
「恭介くんを誘いに来た時は、まだ恭介くんにどんな力があるか、その人たちには、よくわかってなかったんだね。外国にいたし、おじいさんもお父さんも力があるようには見えなかったから」誠が答える。
「つまりやな」翔太が言う。「恭介くんのことは、元々頭が良さげで、プログラムかましたら、かなり伸びそうや思うて、目付けたいうことやろ。おじいちゃんは大臣さんやしな。宣伝にはもってこいや」
「そっか…ぼく、ことわってよかった。そんなのに、りようされるのやだもん」
「“命”さまがあぶないって、おしえてくれたものね。よかったね、恭介くん」
奏子が言うと、恭介は大きく頷いた。
「ねえ、紗由ちゃん。わるものは、いつ、どこに来るの?」奏子が尋ねる。
「おりこうな子が、いっぱいあつまって、めだったらこまるんでしょう? じゃあ、イベントじゃましに来るの?」真里菜も心配そうだ。
「ほんばんをこわしに来たら、たいほされるでござるよ。きっとマスコミがいるでござろう?」
「じゃあ、れんしゅうのとき?」
真里菜が言うと、皆一斉に真里菜を見つめる。
「練習があるんだね。居酒屋屋台のやり方の練習かい?」誠が尋ねる。
「はい。こんどのどようびに、賢ちゃんのかいしゃのまえでやります」紗由が言う。
「京都じゃないんだね」
「それは、けいひのつごうです」
真里菜がキリッとした顔で言う。
「史緒ちゃんが、1かげつ、とうきょうにいるので、きょうとの子たちは、ときどき、へへーって、ごあいさつしに来てるんです。
こうべの子たちに、こうつうひをはらって、とうきょうによぶほうが、とうきょうと、こうべの子たちに、こうつうひをはらうって、きょうとに行くより、やすくなります」
「こうべのママたち、とうきょう好きなんだよね。青蘭は、しまいこうだから、いっしょにぎょうじをするけど、とうきょうに来たがるみたいだよ。おばあちゃんが言ってた」
「恭介くんのおばあちゃま、フリージアようちえんだったんだよね」真里菜が言う。
「うん、そう。このまえも、どうそうかいっていうのを、とうきょうでやったって言ってた」
「つまり、まりりんちゃんの言うように、経費的な都合で本番までの会合は東京で行うことが基本になる。だから悪者が襲ってくるのも東京じゃないか、ということですね」
「…いま、紗由が言おうとおもっていました」少し不満げな紗由。
「ああ…ごめんなさい、所長。出すぎた真似をしました」頭を下げる誠。
「というわけですので、みんなは気をつけてください」
「紗由ちゃん…どういうふうに気をつけたらいいの? まりりん、よくわかんないよ」
「まりりんは、そのままでいいです。わるもののニオイがしたら、おしえてください。でも、ちかづかないでくださいね。あぶないとこまりますから」
「…はい」
「奏子ちゃんは、“えいっ!”ってするのは、紗由か、にいさまか、誠おにいさんか、おばあさまが、いいよって言ったときだけにしてください」
「はい…。あ、あの、おにいちゃまは?」
「紗由たちがいなかったら、翼くんに聞いてください」
「わかりました」頷く奏子。
「せっしゃは、今までどおり、わるもののけはいに気をつけておけば、よろしいでござるか?」
「そうですね。とくに、まりりんが、あやしいと言ったところを気をつけてください」
「ラジャーでござる」
「翔太くんといっしょのときは、ぴかぴかじょうほうも聞いてくださいね。これは、充くんだけじゃなくて、まりりんも、奏子ちゃんもです」
「ぼ、ぼくは? 紗由ちゃん、ぼくは?」
「恭介くんは…まだ、じぶんの力をじょうずにつかえません。もっと、おばあさまといっしょにれんしゅうしてから、つかいましょう。充くんのアドバイスをきいて、うごいてみたらいいとおもいます」
「…うん」不満そうな恭介。
「恭介どの。せっしゃのしごとは、ちょっとふくざつでござるゆえ、恭介どののきょうりょくがないと、とてもとても、できないのでござる。よろしくおたのみもうす」恭介の手を強く握る充。
「う、うん…」
「そうだよね。充くんは、もうすぐ花巻の“にのい”になるんでしょう? いっぱいたいへんだものね。おにいちゃまも“にのい”だけどね、たいへんなの」
奏子が言うと、恭介の表情が変わる。
「…そうなの? 充くん、そうなの?」
「あ…。はい」充が背筋を正す。「うちのおじいちゃんは、むかーし、“命”さまといっしょにしごとをしておりましたゆえ、せっしゃも、いずれは西園寺の人といっしょに、しごとをするでござる。そのために、しゅぎょうを、いっぱいいっぱい、するでござる」
「ふーん…ぼくとは、ぜんぜんちがうんだね」
「あ、いや、そのようなことは…」
「そりゃあ、ちがうよ。みんな、ほんとうはちがうんだから」真里菜が言う。「まりりんだって、“命”だけの人じゃないし」
「そうだよね。まりりん、わるもののほうの人でしょ? “みそぎ”って、わるいやつなんでしょ?」
「まりりんは、わるものじゃありません!」
奏子が両手を握り締め、恭介の前に立つのを、遮るように龍が前に立つ。
「奏子ちゃん。だめだよ。その力は、仲間を傷つけるためのものじゃない」
「龍くん…」
「恭介くんも落ち着いて。立場がいろいろ違うのは、前からわかってたことだよね?
“命”の血筋なのは探偵事務所だと、紗由と奏子ちゃんだけだった。充くんの家は一回“命”をやめていたし、復活することは決まっているけど、充くんはまだ正式に“命”の跡継ぎにはなってないんだよ」
「でも…」涙目の恭介。
「それに、まりりんのお家で昔やっていた“禊”というのは元々が悪者なわけじゃない。やり方は違うけど、“命”と同じように日本という国をよくしたいと思って頑張っていた人たちなんだ」
「じゃあ、じゃあ何で、いまはわるものなの?」恭介が龍を睨む。
「力を持っているからだよ。そして、力を失いそうになっているから」
「…よくわかんない」
「特別な力があると、自分が一番偉いような気になって、何でも自分の思い通りにしたくなってくる。普通の力だけだったら、普通にいい人でも、特別な力があると変わってしまう人はいる。
誠さんやおばあさまがいい人…まあ、おばあさまはちょっとワガママだけどね…いい人でいるのは、自分を厳しく律しているからなんだよ。
特別な力は日本の国と国民のために使うもの。自分の欲のために使うものではないんだ。
でも、その力が無くなりそうになった時、我慢が出来なくなって悪あがきする人もいる。周りから力を奪おうとしたり、力を持っている人を陥れたりね」
「“みそぎ”にも、ちゃんとがまんできる、いい人と、がまんできない、わるい人がいるの?」恭介が龍を見つめる。
「そうだよ。やっぱり恭介くんは理解が早いね」
““命”にも良い人と悪い人がいるかもしれないんだよ”と龍は思ったが、それは飲み込んだ。
「じゃあ、“みそぎ”のいい人をみかたにすれば?」
「めいあんですね、恭介くん!」紗由が叫ぶ。
「せやな。“禊”いうんは、元々、いらんもんを薙ぎ払うんが仕事なんやから、悪者は“禊”んなかで片付けてもろたら、楽でええわな」
「まっとうな“禊”のほうが力が強ければ、それも可能だね」
「だが残念ながら、それを確認して作戦を練るには、今は時間が足りない」誠が言う。
「うーん。まあ、せやろなあ…」腕組みする翔太。「“命”側には、機関、宿、神命医いう関係者がおる。向こうもそういうのが、おるやろし、そんなもんまで調べて調整する時間はあらへんな。練習は土曜日やし」
「もっと言うなら…」誠が皆を見渡す。「わかっているのは、“禊”、多治見総研、大徳寺神命医、この三者の利害が一致して共に行動をしているという点だけだ。
そして、多治見内部からイマジカに書類が送られてきて、告発者と思われる人間が消息不明。大徳寺医師は“命”を牛耳るために自分の勢力を伸ばそうとしているが、華織さんに阻止された。これだけなんだ。今のところ“禊”自身が何をしたのかは、表には出ていない」
「そう。誠さんの言う通りだよ。だから今回は、相手が誰であれ、来たら迎えうつというだけだ」
「でも、紗由ちゃんが言ったよ。わるもの、やっつけに行くって」恭介が反論する。
「悪者が出てきて、悪さをしたら、やっつけるということだよ、恭介くん。何もされていないうちにやっつけたら、こっちが悪者になっちゃうよ」
龍が笑う。
「その悪者たちにも、こちらのほうが力が上だと相手に知らしめて、帰らせればいいだけだからね。相手を傷つけるのは禁止。奏子ちゃんの“えいっ!”は誰かが怪我しそうになった時だけだよ」
「はい。奏子、さいきん、よわいのも、つよいのも、できるようになったので、だいじょうぶです」
「奏子ちゃん、そないな練習しとるんか?」
「はい。きのうは、おうちのまえで、へんなおじさんが奏子をつかもうとしたんですけど、よわいほうの、えいっ!をしました。おじさんは、ちょっとたおれて、うごけなくなりました」
「へんなおじさん?」龍が眉間にしわを寄せる。
「もう、わるもの、きてたの?」心配そうに奏子を見つめる真里菜。「だいじょうぶ?」
「うん、だいじょうぶ。ふんづけて、おうちのなかににげたから」笑顔の奏子。
「奏子ちゃん」誠が奏子の頭を撫でた。「パパやママには報告したのかい?」
「しんぱいするから…」
「パパとママにはちゃんと言わないとダメだよ。何かあってからじゃあ、よけいに心配をかけちゃうからね」
「…はい」
「そのおじさん、どうなったの?」恭介が聞く。
「2かいのおへやのまどから、そーっと見てたら、ほかのおじさんが出てきて、どこかへはこんでいきました」
「見張ってたSPか? それともそいつの仲間やろか? どっちにせよ、イベントの練習日前にも狙ってくるということやな…」
「グランパに言って警護を強化してもらおう」
「とくに、恭介くんのところをおねがいします」紗由が言う。
「わかった」
「だ、だいじょうぶだよ、ぼく!」恭介が両手を握り締める。
「念のためや」
「ぼくだって、えいっ!てできるもん!」
「恭介くん。さっき言いましたよね。恭介くんには、もっとれんしゅうがいるんです。ちゅーとはんぱなことをすると、とってもあぶないんですよ」
「じゃあ、“命”さまとれんしゅうする」
何を言ってもきかない恭介を懐柔するように龍が言う。
「警護は皆に多めにつけておこう。今までは親が一緒の時は、一人だけだったけど、それぞれプラス2人追加、子どもと運転手だけで動く時は車を1台追加するよ」
「せやな。用心するに越したことはない」
「悠斗くんにはパパとママがついてるから、SPのひと、ふやさなくてもだいじょうぶかなあ」
紗由がソファーで寝ている悠斗のタオルケットを掛けなおしながら龍に聞く。
「いや、進子お姉さんたちには、いろいろと仕事をお願いすると思うから、悠斗くんにもつけるよ」
「僕と重治先生と麻那ちゃんも、悠斗くんのことを気をつけるようにするよ」誠が微笑む。
「そうだ! 奏子ちゃんと、そうだんしなくちゃ!」麻那の名前で何かを思い出した真里菜が、リュックからスクラップブックを取り出した。「おはなをまくかかりのドレス、いろいろね、こうほをかんがえてきたの」
「わあ…ありがとう、まりりん!」
「あ。これ、いいとおもうよ、奏子ちゃん。すごく、にあいそうだよ!」紗由も夢中になってスクラップブックに見入る。
「ねえ、誠お兄さん。麻那先生のドレスは決まったの?」
「…まだだけど」
「早く決めたほうがいいよ」龍が誠に耳打ちした。「奏子ちゃんのドレスと合いそうなウエディングドレスにされちゃうよ」
「うーん…」
苦笑する誠だったが、3人娘の嬉しそうな顔を見て、ドレスというのは女の子の夢なのだなと微笑ましく思いながら、麻那にも夢が叶うドレスを着せてあげたいと思った。
* * *
未那は重治と悠斗と連れ立って、東京の九条邸を訪れていた。先日、白金で催した脳育薬膳講座の続きを開催するためだ。
3人が到着した時には、すでにいつもの京都メンバーが顔を揃えており、50平米ほどのダイニングに連なるキッチンスペースでは、大き目のアイランド型キッチンと壁際の作業台に並ぶ奥様たちに、常盤井夫人がてきぱきと指示をしており、重治と未那が講座を開く準備は滞りなく進んでいた。
「西川先生、未那先生、悠斗くん、ようこそおいでくださいました」主の九条美鈴が丁寧におじぎをする。
「九条の奥様。お目にかかれてうれしゅうございます。姫君もお健やかにお育ちのご様子、安堵いたしました」
重治が、少し離れたところにいる史緒を見つめ、史緒も重治にニッコリと微笑む。
「本日はお招きありがとうございます」さらに深くおじぎする未那。
「こちらこそ、お運びいただきありがとうございます」
「悠斗くん、いらっしゃいませ」史緒が悠斗に近づき笑顔で挨拶する。
「こんにちは。どうぞ!」史緒にユリを一輪差し出す悠斗。
「まあ…きれいなおはな。ありがとう、悠斗くん」
「よかったわねえ、すてきなお花をいただいて。ありがとうございます、悠斗くん」
「いえ、おくさまや、史緒ちゃんほどじゃないですけど」
キリッとした顔で言う悠斗を、横目で眺めつつ、未那は心の中で溜息をついた。
“重爺に似てきてるわ…。充くんや翔太くんが近くにいると、影響受けそうだし、これに誠さんまで加わったら…はあ”
「悠斗くんてば、ふふ」笑う史緒。
「大地くんからです」
「えっ?」
「大地くんが、おにわで、いちばんきれいなユリをくれました」
“あら。重爺と一緒にどこかに出かけてたと思ったら、そんなこと…?”
「大地くんが…史緒にくださったの?」
答えをもらう前に嬉しそうにユリに頬ずりする史緒。
「まあ、よかったわねえ、史緒。…ちょっと待ってね。今、花瓶を…」
キッチン奥の壁収納に目をやる美鈴の前に、一輪挿しが現れた。
「奥様。こちらなど、いかがでございましょう」
「あ…ありがとうございます。恐れ入ります」
美鈴は常盤井夫人から一輪挿しを受け取ると、にこやかにお礼を言い、そそくさと水を入れる。
「さすがでございますわ、常盤井さま」
微笑みながら彼女の耳元に口を近づける未那。
「やはり、あなた様がいらっしゃらなければ、このグループは体をなしませんですわね。先日の検診も、皆様、ほっとされていらっしゃいました。
史緒ちゃんも、静流ちゃんとご一緒だったので“ついでに”診させていただくことができましたしね」
「そんな…。私はあくまで、九条さまにお仕えする身でございますから」クールに言葉を返しながらも、唇の端が緩む常盤井。
「奥様、これはどういたしましょう?」
美鈴に駆け寄ってきて指示を仰ぐ賀陽夫人。
「今、参りますわ。先生、ちょっと失礼いたします」
微笑みながら美鈴が移動すると、史緒も後に続いた。
「おくさま、これをどうぞ!」
悠斗が唐突に常盤井に薔薇の花を差し出した。縦長の紙バックに入っている細身のものので、外からは何か普通に荷物を渡しているようにしか見えない。
「え?」中を覗き込み驚く常盤井。
「西園寺の、わかぎみさまからです」ニコニコ笑う悠斗。
「西園寺…? まさか、龍くんから?」
「はい」
「悠斗、いつ、そんな…?」驚く未那。
「わかぎみさまは、しごとができるひとが、だいすきです。こんど、デートしてくださいと、おっしゃっていました」
「まあ…そんな…」
思いがけぬアプローチで気持ちが高ぶったのか、頬がほのかに赤らむ常盤井。
「でも、ないしょですよ」ひそひそ声になる悠斗。「とくべつですから」
「…まあ…何てお答えしたらいいのかしら。でも、このお花のお礼は直接申し上げたいわ」常盤井は膝をかがめ、悠斗と視線を合わせた。「若君様に会わせていただけますかしら?」
「はい!」
悠斗はしっかりと返事をすると、未那に向かってニーッと笑った。
* * *
龍からお茶に招待された常盤井定子は、緊張した面持ちで西園寺家のリビングへと通された。龍と面会を約束したとはいえ、総理の家に招待されるとは思っていなかったからである。
まったくの初対面ではないながら、丁寧に挨拶を終えた二人は、リビングから続くサンルームへと足を運ぶ。
「先日、定子さまに差し上げたのは、この花なんです。ヴェルシコロール種の薔薇です。イギリス王家で愛されていた花だそうです」
「まあ…お美しい咲き具合ですこと。いただきましたお花も大切に飾らせていただいております。白とピンクが交じり合って、お美しくも可愛らしいお花…」
「親友が旅館の跡とりで、庭に自分の花壇を持ってるんです。
それで、花の育て方をいろいろ教わってます。あの薔薇は、いちばん綺麗に咲いたので、ぜひ定子さまにと思いました」
「ありがとう存じます、龍さま」頬を紅潮させる常盤井。
二人はしばらく雑談に花を咲かせた。やはり共通の話題として持ち上がるのは、例のイベントのことだ。
「イベント自体は京都で開催の予定なのに、東京に来ていただくことが多くて申し訳ないと叔父も申しておりました」
「いいえ。正直、小旅行気分で楽しみでございますのよ。息抜きになりますし」
「叔父も皆様に楽しんでいただけるようにと、会合後にいろんな場所へご案内しているのだと思うんですけれど」
「ええ。ありがたく存じますわ。警備もしっかりしておいでなので、多少子どもたちだけで遊ばせても安心と申しますか、保護者もひと時のんびりできますの」
「そうですよね。警備は大事だと思います。妹たちは沖縄のエコリンピックの時、少々危ない目に遭ってるので、他の子たちの番にならぬよう、叔父も気をつけているのかと」
「ああ…そうでいらっしゃいましたわね」ニュースを思い出す常盤井。「“番”とおっしゃるのは、その…危ない目に遭われたのは、総理のお孫さんという理由だけではないんですの?」
「そうですね…あえて言うなら、妹たちの持つ能力のせいでしょうか」
「能力とおっしゃいますと?」
「…うちの母が、以前よく、不安にかられてそんな目をしていました」
「え?」
「ここしばらく、京都の子どもたちの周囲に妙なことが起きているんじゃありませんか?」
「…あ…私には何のことやら」目を伏せる常盤井。
「でも、ボスが守ってくれないんじゃ、不安は増すばかりですよね。九条の奥様はまだお若いし、跡継ぎの清子さんも家を出たままですしね」
「龍さま…」
「皆さんの間に広がる不安を抑えるのは大変なお仕事ですよね」龍が常盤井を見つめる。「定子さまだって、大和くんのことが心配なはずですし」
龍の言葉に定子は何か言いかけては唇を噛むという動作を何度か繰り返した。
「定子さま。ここから先は、ざっくばらんにお話させていただきます」龍が少しきつい眼差しを常盤井に向ける。「西園寺家“命”、西園寺華織直系の人間、いずれその跡を継ぐ者として」
「あ…」龍を凝視する常盤井。
「京都勢は関東勢のことをいろいろとご存知のはず。四辻の“命”が在位していない今、僕の祖母は、一条の現“命”に勝るとも劣らぬ力の持ち主として認められていますよね」
「それは…」
「では、何もお答えにならなくてけっこうです。ただ、僕の話を聞いていてください」龍が薔薇に目をやる。「先日、祖母は九条さまと胸襟を開いて話したいと、会合を設けました。子どもたちを脅威から守るためです。ですが、九条さまは知らぬ存ぜぬを通しました」
「九条さまが…?」
「妹もその場に同席していまして、ちょっと腹が立ってしまったんでしょうね。大谷さんの頭をのぞいて、知りたい情報を得たんです。その中身は、今ここでは申し上げられませんが」
「紗由ちゃんが大谷さまの頭をのぞいたと?」
「彼女にとっては朝飯前ですよ。大谷さんぐらいなら…あ、ナイショにしてくださいね、今のは。さすがに他家の命宮に失礼でした」恭しく頭を下げる龍。
「…龍さまは当然、紗由さまより上でいらっしゃるわけですわよね?」紗由を“さま”と呼び始めた常盤井。
「九条さまの頭をのぞこうとしたら、さすがに弾かれてしまいましたけどね」
「そんなことをされて…ご無事だったのですか?」
「まあ、ごらんの通りです」
極上の笑顔で微笑む龍だが、常盤井の顔は強張ったままだ。
「その意味はお分かりですよね。一条の出でいらっしゃって、ある程度のお力をお持ちの定子さまでしたら」
「あの方は…見かけほどお優しくはございません」
「ええ。紗由もそのくらいはわかったようですね。彼女も九条さんをのぞこうとして、一回弾かれたら、その後、無茶をするようなことはしていません」
「傍系の紗由さまでさえ、そこまでのお力をお持ちなのですね」
「ついでを言いますと、うちの命宮は、九条さまが頭をのぞこうとしても弾き返しましたよ」
「あ…」再び言葉を失う常盤井。
「ですが定子さま。僕にしても紗由にしても、そして大和くんたちにしても、力があったとしても肉体的にはまだ子どもです。体を傷つけられるようなことがあったら、ほとんどの子は太刀打ちできません。
本来なら、皆で力を合わせるべき時のはずです。だからお願いします。僕か配下の者から指示が行ったなら、できる範囲でご協力いただきたいのです」
「私にスパイをしろと…?」
「大和くんを守りましょうというご提案です。このままでは、大和くんたちは確実に危険にさらされます。それが西園寺家“命”の出した結論です」
龍が言うと、常盤井はうつむき両手で顔を覆った。
「次回ご連絡を差し上げるまで、ごゆっくりお考え下さい」
「…承知いたしました。本日はこれにて失礼してもよろしいでしょうか…」
「はい。ご無理申し上げてすみません。ですが…お会いできてよかったです。定子さましか、頼れそうな方がいらっしゃらなかったんです、京都の方たちには。僕も妹を守る責任があります、西園寺の後継者として。どうかお許しください」立ち上がり、頭を深く下げる龍。
龍が玄関まで常盤井を送って戻ってくると、リビングの控えの間から華織がサンルームへと席を移していた。
「交渉ごとがだいぶ上手になったわね、龍」
「おばあさまから見たら、ちょっと詰めが甘かったのかな」
「そんなことはなくてよ。彼女、きっと今日は眠れないんじゃないかしら」珍しく紅茶にジャムを加える華織。
「子どもを守るために悩むのは親の務めだよ。それに僕だって紗由を守るために悩んでる」
「で、常盤井さまにはどのお花を差し上げたの?」
「ヴェルシコロール種の薔薇だよ」
「別名ヨーク・アンド・ランカスター…いわく付きのお花ね。花言葉にも現れているように」
「でも、その花言葉、現状に合ってるでしょう? 今は“戦い”の真っ最中なんだから」
龍はにっこり笑うと、薔薇の花びらを撫でた。
* * *
家に戻った周子は、龍がサンルームでぼんやりしているのを見て声をかけた。
「龍?」
「あ…かあさま」
振り返り笑みを浮かべる龍に近づき、彼の顔をぐいと持ち上げると、怒った顔で言う周子。
「おまえ、また何か無理をしたでしょう」
「べ、別に…」
「あのね、かあさまに隠し事しようなんて、百万年早いの!」龍の右の耳たぶを持ち上げる周子。
「いたた…それ、児童虐待!」
「何があったの?」
「何もないよ」
「かあさまに言ってはいけないことがあるとき、おまえはいつもそう言うのよね」
周子はそう言うと龍をきつく抱きしめ、龍はその暖かい心地よさに身を任せた。
* * *
「申し訳ありません。いなくなってます…」男が二つ折りになって詫びる。
「まあ…いいんじゃないか。逃げたくなったということは、何かをしたくなったということだろう。様子を見ればいい」
詫びられた男は、微笑むと目を閉じ、黄色い四輪の花を愛でながら、男のいた部屋の方々に手をかざし始めた。
* * *
男は夢中で道を走りながら思った。
“…逃げなければ…今逃げなければ…でも、なぜ…なぜだろう?…”
20分以上走り続け、気が付くと、男は公園の一角にたどりついていた。
“ここは…前に来たことが…?”
思い出そうとするが、途中からまるでナイフで切り取られたかのように闇に陥る。男はしばしベンチで休むことにした。
「うーん。いい天気だなあ」
イマジカで賢児との打ち合わせ予定がある風馬は、時間より早く着いてしまったので、イマジカの近所の公園でのんびり散歩でもしてから本社へ赴こうと思っていた。
「風馬さま、静岡でいくらでも自然を味わっていらっしゃるのではないのですか?」西園寺家の執事、大垣衛が笑いながら尋ねた。
「うん…そうなんだけどね。僕の場合、若い頃から普通に自然のある場所に出向いていたから、逆に作られた自然が興味深いっていうのもあるかもしれないなあ」
「そうでございますね…風馬さまと、こういう散歩、何年ぶりでございましょう」大垣が微笑む。
「小さい頃以来かなあ…僕がいなかった間も、いつも両親のためにありがとうございます。本当に感謝…」
笑顔の風馬が、凍りついた表情になり、体の動きを止めた。
「風馬さま…何か…?」大垣も辺りを警戒する。
「ごめん。ちょっと行って来る。ここで待ってて」ためらわず歩き出す風馬。
「あの…すみません…」
風馬がベンチに座っていた男に声をかけた。
「え?」
振り向いた男は、びくっとして体を退けた。
「ちょっとよろしいでしょうか」
「あ、あの…」
男が顔を隠すようにして掲げた腕には、風馬にとって見覚えのある時計がはめられていた。ロレックスのデイトナ6263、翼が、四辻奏人のコレクションの一品だと言った品だ。
「お話をうかがいたいんですが」
風馬が男の手を取ると、男は小さく“うっ!”と叫んだ。
「手…手を…離して…」
「すみません。乱暴して」手を離すが、男の目を見続ける風馬。
“彼の記憶、プロテクトがかかってる…。無理はできないな”
「う…」男が頭を抱えて屈み込んだ。「あなたは…あなたは……私を知っているんですか?」
「もしかして記憶が…?」
「はい。自分が誰かよくわかりません。でも、ここには来たことがあるような…」
「僕はあなたを見たことがあります」
「私は…誰なんですか?」
「よろしかったら、場所を移しませんか? あそこのビルに僕はこれから打ち合わせに行く途中なんですけど、あなたを知っている人があの会社にいるかもしれません」
「え…?」
「ここにいても事態は変わりません。さあ」
風馬が再び男の手を取ると、男は今度は黙ってそれに従った。
* * *
打ち合わせに同席することになっていた玲香が、聖人と真琴をベビーカーに乗せて、社長室のある最上階フロアに到着すると、少し離れた場所にある一般用のエレベーターホールから声がかかった。
「玲香さん!」
「あ…風馬さん。いらっしゃいませ」
「少し早かったんだけど…会ってもらいたい人がいたものだから」風馬は自分の後ろに隠れるようにしてうつむく男を、玲香の前に引き出した。「この人、知ってる?」
言われた玲香は、お辞儀しながら男の顔を覗き込む。
「…課長さん? 多治見総研の先山課長さんですよね!?」驚く玲香。「よかった…ご無事だったんですね」
「あ、あの…私をご存知なんですか?」玲香を見つめる男。
「すみません、お忘れですよね。お会いしたのは2年以上も前ですし。ですが、先日こちらにお送りいただいた書類、先山課長さんからかと思っていたんですが……あ、こんなところで立ち話も何ですわ。どうぞこちらへ」
玲香はベビーカーを押しながら、二人を部屋へと案内した。
* * *
賢児から、玲香宛の多治見総研の封筒を見せられた男は、恐る恐るその中の書類に目を通した。
「実験…」
「何か思い出されましたか?」
賢児が尋ねると男は首を振った。
「あの…それでは、こちらに目を通していただけませんか」
玲香が、子どもたちのものと思われるイニシャルが並んだ書類を見せたが、男はしばし考え込むものの、やはり首を横に振り、溜息をついた。
「すみません、ご無理をさせてしまって。これで最後にしましょう」賢児が一枚の紙を差し出す。
「これは…?」
「今度、うちが関係するイベントの出席者です。子どもメインなので、まあ、ここに並んでいるのは子どもたちの名前です」
「久我大地……久我真里菜……」
男は二人の名前をつぶやくと、一瞬体を強張らせた。
「二人をご存知なんですか?」
男は賢児の問いには答えずに、慌ててイニシャルの書類を手に取った。
「よかった…ない」
安堵する表情を見せる男に、風馬の表情が一変する。
「それはどういう意味ですか?」
質問する賢児を風馬が手で制し、男のスーツのひじにそっと触れながら言った。
「そういう約束なんですね」
「…はい」
「思い出されたことを話してください。ゆっくり、少しずつでかまいません」
怪訝そうな顔の賢児と玲香を前に、男は風馬に言われるまま、ぽつりぽつりと口を開いた。
* * *
記憶を取り戻した先山は、一気にいろんなことを話して疲れ切ってしまったのか、話が一段落すると、崩れ落ちるように眠りに落ちた。
心配する賢児と玲香をよそに、風馬は淡々とした表情で言う。
「先山さんは、しばらくうちで預からせてもらうよ。アフターケアが必要そうだから」
風馬は電話で執事の大垣を呼ぶと、大垣の息子の哲也も一緒に現れ、二人で先山を車へと運んでいった。
「二人のイニシャルがなかったのは、直哉おじさんが外させたからだったんだな。二人の力を発現させないよう…」賢児が深く溜息をついた。
「ごめん、賢児。そこまでは母さんもわかってたんだけどさ…」
「仕方ないですよ、風馬さん。伝わり方が一つ違えば不協和音の元です。今は、そういうものは極力排除しませんと」
「ありがとう玲香さん」風馬がほっとしたように微笑む。
「でも、どうせだから、知ってることは教えておいてよ。ここだけの話にしておくからさ」
「ああ。実は久我が“禊”からはずれた経緯には複雑なものがあったようだ。どうやら、久我の大奥様…菜々子おばさまは、和歌菜おばさまの力の大半を薙いで、跡を継がせないようにしたらしい。
“禊”が力順のヒエラルキーを作りつつあった時期、自分の一人娘が権力闘争に巻き込まれるのを怖れたんだろう。“禊”上部との縁談を断るためにも、力があってはまずかったんだろうね」
「ある意味、華織おばさんと同じだな。子どもを思って、特殊な世界から遠ざけようとした」
「“命”より危なそうだからな、むこうは。何せ“薙ぐ”んだ。“命”のように、受け取ったイメージを元に神と交渉するだけじゃない」
「“禊”の人たちに悟られなくてよかったですね。へたをすると命に関わる事態に…」すやすやと眠る双子たちを見つめる玲香。
「菜々子おばさまの力が相当強かったんだろうね。彼女がガードしてたんだよ」風馬が微笑む。
「だが、おばさまが他界して事態は変わったわけだ」
「ちょうど真里菜ちゃんが幼稚園に入って、紗由や奏子ちゃんと緊密に接触する機会が増えた頃だったしね。真里菜ちゃんの潜在能力を…というより、3人は互いに刺激し合っちゃったんだろうね」
「そして以前から、英才教育プロジェクトを画策していた多治見総研は、大隅さんが30年以上手がけていた、子どもたちの特殊能力を開花させる試みを商売にしようと持ちかけたけれども、断られてしまったんですね」
「そういうことだね。大隅さんは、むしろ、そういう輩から子どもたちを守るために活動していたともいえる」
「でも、多治見総研は断られても諦めなかった」
玲香が厳しい顔になる。
「大隅さんに関わった子どもたちをリスト化し、その家系を調べた。大隅さんの選定からはずれている、そういった家系の子どもたちを集めて培養実験しようとしたんですね。
中には、久我家のようなハイブリッドの家系もあって、そこから“禊”側の子どもたちにも目をつけるようになって…」
「その試みを続けるにはかなりの資金が必要。それで直哉おじさんに資金提供を依頼した。まあ、その辺はわからないでもないね」賢児がうなづく。
「お金のある、教育事業関係者だからね。この前、律子おばさんに調べてもらったら、当時、父さんの会社にも依頼があったようだよ」
風馬が笑う。
「当時の営業部長が一存で断ったようだけど」
「伯父さまの耳に入っていれば、状況は違っていたのかもしれないですね…」
「そうだな」双子を見つめる賢児。
「直哉おじさん自身、特殊な力を持ち合わせていないけれど、孫たちが巻き込まれたら、菜々子おばさまのしたことが“禊”側に知られ、何らかの危害が及ぶと思ったんだろうね。資金力をふんだんに活用し、大地くんと真里菜ちゃんの名前をここからはずさせた」テーブルの上のリストを指す風馬。
「だが、結局周囲が巻き込まれれば同じことだよな。力が出てくる可能性は大きくなる。でも、力を持たないおじさんは、そこには気付けなかったんだな」
「ただ、用意周到な久我社長のこと。現在の“禊”のことも調査して、彼らの組織もいろいろと問題を…後継者不足という抱えていることを把握したんですね」
「どこも同じと言えば同じなんだよね。トップにちょっと力が足りない人間が来ると、途端に歯車が狂いだす。そして焦って無駄な動きをし出す」風馬がフッと笑う。
「直哉おじさんは、打開策を求めていた“禊”の幹部に、多治見総研の目論見を情報として流し、“禊”側は見事にそれに食いついてきた」
「“禊”も詰めが甘かったよね。多治見の作った実験対象者リストは何種類かあった。大隅さんが教育した子どもたち。それから、大隅さんが候補者にしそうな子どもたち。そして、大隅さんが教育してきた人間の家系を分析して多治見側が割り出した、自分たちの生徒の候補者。
最後のリストには“禊”の血筋につながる子どもも入っていたはずだ。でも、“禊”の人間はそのリストを、大隅さんが教育した、あるいはしたがっている子どもたちの情報としか思っていなかったから、元“禊”の久我家の子どもたちがリストに入っていたことがあったなんて思ってもいなかった。
多治見側も金をもらってリストから“禊”関係者二人の名前をはずしたことなど、わざわざ“禊”側に伝えたりしないし」
「そもそも、直哉おじさんのしたことは、多治見側から見れば至って自然だ」賢児が笑う。「英才教育の与える影響が実証されていない以上、危険を伴うかもしれない。商売として金は出すけれども、自分の孫たちは参加させられないとでも言ったんだろう」
「久我社長にしてみれば、お金を出し続ければ、二人の安全も確保できるだけでなく、実験結果や、“禊”側の情報も得られるわけですから、一石三鳥です」
「そういうからくりに気付かない相手で幸いだったよな。力が落ちていたのか、タイミングがよかったのかわからないけど」くすりと笑う賢児。
「その辺はお互い様かな。父さんは多治見については、けっこう前から調べてたけど、機関は当時何も気付いていなかったし、多治見のお膝元、京都の“命”たちも然り」
「でもさ、“禊”のトップはともかく、二番手は仕事できそうじゃない? その人、本当に気付いてないのかな…」
「気付いていながら様子を見ているという可能性もありだね。“禊”の子どもたちに実害が出ていないから様子見なのかもしれないよ。向こうの場合、悪い影響が出れば薙げばいいくらいに思ってるのかもしれないし。…様子見というのは、かあさんもよく使う手だ」
「ああ。親父も仕事ではよくやってるみたいだしなあ」
「泳がせるというのは2時間ドラマでもよくあることです」
大きく頷く玲香の横で、聖人がふと目を開き、ママは仕方がないなあと言わんばかりに顔を背けるのを見た風馬は、噴出しそうになるが、こらえながらテーブルの書類をめくった。
「おばさんは、二番手の正体、掴んでるの?」
「ああ。一度だけ直接会ってる」
「向こうにも、おばさまの正体が割れてるということですか?」
「いや。記憶を封じてきたみたい」
淡々と言う風馬に、賢児が少しばかり体を引く。
「大丈夫だよ、賢児。一般人にそんなことを、しまくっているわけじゃないよ」風馬が笑い出した。「あの時はやむを得なかったんだ。こちらの関係者が、多治見と二番手たちの会合を突き止めて、一人で乗り込んじゃったもんだから、危険回避のための手段だよ」
「こちらの関係者とは?」
「あー、ごめんね。その人間の記憶も封じてあるから、それについてはノーコメント。玲香さんたちの頭の中を、その人間にのぞかれるようなことがあったら困る」
「風馬ぁ。それってプライバシーの侵害じゃないのか。防御する方法教えてよ」賢児が口を尖らせる。
「まーくんと、まこちゃんにお願いしておくんだね。きっと弾いてくれる」
「あの…二番手の正体はお聞きしてもいいんでしょうか」
「二条智親。“禊”のトップである“薙ぎ主”の裏方という意味で、“内裏方”と呼ばれている」
「何か、背中がかゆくなる響きだな、その名前…」賢児が肩をすくめる。
「どうしてですか?」
「イマジカ前営業部長の二条実親に似てるし…」
「ああ…“麿”ですね」玲香が笑う。
「“麿”?」風馬が首をかしげた。
「前営業部長のあだ名です。まったりしたお公家様喋りで、品はいいけど、どうも仕事のテンポがずれている感じというか…よほど強いコネ入社なんだろうねって言われてました」
「手厳しいねえ…」笑う風馬。
「当時、賢児さまはアメリカでしたから、実質、躍太郎伯父さま、律子叔母さまに次ぐナンバー3だったんです。まあ、お二人や部下の大垣さんの敏腕振りと比べられるのは、少々気の毒でもありましたけど、京都の名門の出でいらっしゃったから、関西方面からの出資者獲得にはかなり貢献されていたようですね」
「なるほど。適材適所なんだね」
「私はあまり好きではありませんでしたけど…」
「珍しいな。玲香がそういう言い方するなんて」
「進子ちゃんに、いっつもネチネチ言ってたんです。バイト時代の塩ちゃんの配属を巡って」
「あ、えーと、進子ちゃんというのは、うちの制作部長。塩ちゃんというのは、玲香のバイトの同期で、現在営業部で働いてるんだ」風馬に説明する賢児。
「玲香さんは、その制作部長がごひいきなんだね。だけど、何でその人がネチネチ言われてたの?」
「塩ちゃ…塩谷さんは、バイト採用された時、麿部長が営業部に欲しがっていたのに、高橋部長が制作部に引っ張ったんです」
「へえ…。高橋部長らしくないな、なんか」
「麿部長は社内で浮いている感じがありましたから、子分が欲しかったようなんです。
でも、実質的に営業を取り仕切っていた副部長…今の本部長はそういうところに人間を出しませんでした。
それでバイトに目をつけたんですけど、高橋部長的には、今そんなポジションに彼をやったら、将来入社した時、そのまま固定してしまうだろうと思ったようなんですね」
「つまり塩谷くんの芽を摘まないようにということか」
「はい。制作部で彼は営業資料作成を担当していました。それも高橋部長のご配慮だと思います。いずれは、モノづくりのプロセスを理解している営業部員に育って欲しいという」
「全体を見ながら、それぞれの個性に配慮するって、上に立つ者として大事なことだよな。俺も見習わないと」神妙な顔になる賢児。
「でも、見方を変えれば、躍太郎伯父さまと律子叔母さまがお辞めになった直後、麿部長も会社を離れたおかげで、賢児さまは日本にお戻りになられたわけですし、凍結プロジェクトも再開されて、私も入社できました。もしかしたら幸運の神様だったのかもしれません」
「辞めてくれたのは、その彼の英断だったね」風馬が声を出して笑った。
「今どうしてるのかな…二条部長」
「実家を継がれたらしいという話以降、噂を聞きませんね」
「まあ、袂を分かったとはいえ、一緒に働いていた人だからね、元気にやっていてくれるといいんだけど」
「そうですね」
微笑みあう二人を前に、風馬の心はひと時和んだ。
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