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4.犠牲と幸福

 全身に痛みが走る。

 四肢に力が入らず、指先一つ動かせない。

 流れる生暖かい血が目に入った。

 滲みる。

 瞼が重く、徐々に閉じていく。

 悲痛な泣き声が聞こえた。

 自分を呼んでいる。

 ……ごめんなさい。

 泣かないで。

 良かった。

 無事で良かった。

 助けられたなら、それで。


 ああ。

 痛い。

 寒い。

 暗い。

 もう、……。

 …………………………。



 さよなら。



 + + +



「……翔ちゃん……」

 ぼんやりと霞む視界が開けて、リラは自覚なくその名を呼んだ。

 薄明かりが差し込み、天井が見える。

 どうやらリラはどこかの部屋の寝台に寝かされているようだった。医務室ではない。自分の部屋でもない。

 見憶えがある。何度もベッドメイキングをした。ここは……確か、勇者の、翔の私室だ。

「……え?」

「気がついたか?」

 覗き込む顔を徐々にはっきりと判別できるようになり、リラは慌てて勢いよく身を起こした。

「……っ、た」

「まだ無理をしない方がいい。治癒魔法をかけてもらったが、傷が深かったから完治していない」

 背中の痛みに悶えるリラの身体を片腕で支え、翔は淡々と言った。もう片方の武骨な手が、毛布を掴む白い手に重なる。

 リラは戸惑って上目遣いに翔を見上げた。 

「あの……」

「……良かった」

 愛おしむように握った手に口づけ、翔は小さく呟いた。

「えっ、あの」

 突然の行為に狼狽し、リラは羞恥で耳まで真っ赤に染める。

(な、なんで?)

 いったい何が起こっているのだろうか。

 気を失っている間に……そうだ、自分は迂闊にも魔物の爪に背中を抉られ、怪我とショックで倒れたはずだった。どうやら一命を取り留めたらしいが、侵入した魔物はどうなっただろう。こうして翔が付き添ってくれているということは、問題なく駆逐できたとみていいのか。

「あの……城は、魔物は」

「すべて倒した。君は、本当に……なんて無茶をしてくれたんだ」

「ご、ごめんなさい」

 やはり足手まといにしかならなかったかと、リラはしょげて謝罪を口にする。

 戦闘能力のない人間が戦いの渦中に足を踏み入れるなど、どう叱責されても仕方がない愚行だ。翔の怒りは尤もだった。

 リラが頭を下げると、翔は片手を放さぬまま、少女の身体を支えていたもう片方の腕をずらし、抱きかかえるように身を引き寄せた。

「……っ!?」

 唇が耳元に近づき、リラは固まった。

 翔は震える声で囁く。

「怖かった」


「また、俺を庇うなんて」


「しょう……ゆ、勇者様」

 あまりに近くに翔の一途な眼差しを受けて、リラは秘密の蓋を開きそうになりながらも無理矢理に抑え込む。

「な、にを、言って」

「菜々ちゃん」

 前世の名を呼ばれ、リラは顔を逸らすより早くぎゅっと目を閉じた。

(まさか)

 勘づかれている。

 魔物に襲われて叫んだときも、意識を取り戻したときも、思わず前世の癖が出てしまった。

 いや、証拠はない。第一生まれ変わりだの異世界転生だのを簡単に信じられるだろうか。惚けてしまえば翔も追及できまい。

 リラは知らぬ存ぜぬで押し通す覚悟を決める。

「……私は、違」

「いや……いいんだ、どっちでも」

 否定しようとしたリラに、翔は言う。

「菜々ちゃんでも、リラでも、どちらでもいい」

 伏せた瞳から一筋、雫が伝った。

 翔は唇を耳朶に押し付け、握った手の力をぐっと強める。

「生きていてくれたなら、いいんだ」

「翔ちゃん……」

 困惑して、リラは無意識に言い漏らす。

 身じろぎをしても、男らしい大きな手も硬い身体も離れてはくれない。一層力強くリラを捕らえて放さなかった。

 耳元で真剣な声音が響いた。

「君は俺の幸せを望んだけれど」

 涙よりも悲しく、絶望よりも深く、翔はかつての嘆きと苦しみを語る。

「駄目なんだ。君を犠牲にして、俺は幸せになんかなれない。そんなのは幸福とは言わない」

「でも」

「あの喪失感を、君は知らないだろう」

 胸の奥にぽっかりと空いた穴を、血のように流れ続ける後悔を、リラは悲痛な告白からようやく理解する。

「この世界に来て、俺はある意味救われたんだ」

「どうして」

「助けられる立場になれたから」

 翔の微笑みは苦かった。

「勇者として召喚されて、力を手に入れた。あの日の罰の代わりに誰かを……人々を守る生き方を与えられたんだ。嬉しかったよ。今度は俺が、助ける番だって」

 リラは思わず瞳を細める。

 空白を埋めるだけの日々ですら尊び、贖罪を掲げる翔の姿勢は、何と眩しいのだろう。

 このひとは、何と純粋で美しいのだろう。

(なのに私は)

 自らの心根に気づき、リラは恥ずかしく居たたまれない気持ちでいっぱいだった。自分には惜しまれる価値などない。端からそんな後生大事に庇護されるべき存在ではないのだ。

(私は……なんて醜い)

 ぞっとする。

 リラは拒絶よりも激しく、抱き締める翔の身体を思い切り押しやった。

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