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短編コメディー

液体勇者

作者: 駒雅 嶺太郎

 うららかな春の日差しを浴びながら、私は土手で雲を数える仕事に従事していた。

 読者の皆様は知っているだろうか、きっと知らないだろう。雲というのは意外と速く流れている。矢の如しと持て囃される光陰とやらには一歩及ばずとも、尺取り虫ほどの速度でこの広い空を旅しているのだ。少なくとも私にはそう見える。

 その旅路に思いを馳せることは、つい先日人生のレールから脱線した私にとっての良い気晴らしとなっていた。有り体に言えば、リストラされたのである。


「……雲になりたい」


 目尻に涙を滲ませ、そう呟いた時だった。

 仰向けに寝そべる私の頭上へと、何やら轟音が近付いて来るではないか。

 慌てて雲の観測を中断した私の視界を覆ったのは、簡易式異世界転生装置――所謂(いわゆる)、大型トラックである。

 どうやら彼も、道を踏み外したらしかった――。



   ◆



「……失敗した」


 意識を取り戻し、初めに耳に入った音声がそれであった。

 何故か上から私を覗き込んでいるこの老人は、果たして何を失敗したというのだろうか。大方砂糖と塩を間違えたとか、テストで名前を書き忘れたとか、その程度のことであろう。

 よく見れば、周りにはズラリと怖い顔をした大人が並んでいるではないか。何もそんなに彼を責めないでやってほしい。老人が虐められる姿というのは見るに耐えない。


「どうしたんですか、お爺さん」


 イギリス人も真っ青な紳士的対応を見せた私だったが、ここで初めて自分の体の異変に気付いた。

 世の中には目が覚めたら毒虫になっていただとか、転生したら蜘蛛だっただとか、それはもう摩訶不思議な事態に出くわすことがままあるらしい。

 当然今の私は蜘蛛などではないし、先程まで願っていた雲でもない。


 液体であった。


「なんだこの体は……」


 噂に聞いたスライムへの転生というやつでもない。健全なる私の血液が如く、サラリと流れるタイプのそれである。

 幸いにも私が鎮座するこの床は半径二メートル程の円形に窪んでおり、部屋の四隅まで散り散りとなった挙げ句にモップで方を付けられるという事態だけは避けられた。

 体に力を入れてみる。私の末端達が窪みの中心へと集まり、およそ物理法則を無視した力でもって私を隆起させてゆく。

 一メートル程の体長となったところで限界を悟った。悲しいかな、かつての身長と比べおおよそ八十センチの損失である。損失した値に敢えて正確さを求めるというのであれば、六十から七十センチといったところだ。

 力尽きた私はザバリと窪みへと還り、再び水平を保った。


「すまぬ……まさかこのワシが転生の儀に失敗するとは。本当にすまない」


 どうやらこの人体液状化現象は全て、目の前の老人の仕業らしかった。

 彼によると私はあの土手で死んでおり、魔王を討伐する勇者としてこの世界へ転生させられたらしい。

 いわば仮面ライダーである。私は拉致されたのち、(てい)の良い戦闘マシーンとしてショッカーに改造されたのだ。


「何故固体にしてくれなかったのです」


 私は前世において、その身体をなんら問題無く使いこなしていた。

 すなわち腕があり、脚があり、さっきまでは心臓だって一定のリズムで動いていた、素晴らしき固体の個体だ。

 決して液体などではなかった。このような魔改造を施すことは遺憾の意を表明するに十分な狼藉と言えるだろう。


「だから……失敗したんじゃよ!」


 何ということだ。

 この老人、調味料を入れ違えるようなお茶目さんなどでは断じてなかった。血も涙も無い極悪非道な大罪人である。

 私の魂の康寧を踏みにじるに留まらず、あろうことかその器を取り違え、あまつさえ逆ギレ気味の返答を行うという暴挙に出たのだ。

 この体がもう少しばかり粘性を持っていれば、器用に拳を作り出してみせ、その鼻っ柱に叩き付けているところである。


「案ずるな。ワシが責任を持って、お主を魔王城まで運搬しよう」

「いや、案じているのはそこではないのですが……」


 言うに事欠いて運搬などという単語を選択したことについては、百歩譲って水に流そう。

 既に老人特有のアレが始まっているのだろうか。自他共に認める失敗作の私に、どうやって魔王を倒せというのだ。

 案ずるより産むが易しとは言うが、そう例えるならまだ母胎に子が宿ってすらいない段階であり、案ずるも何もあったものではない。

 ……いや、どうも彼の様子がおかしい。チラチラと横目で周囲を伺っている。どうやら失敗作の後始末は自分でするようにと、無言の圧力をかけられているらしかった。


「くっ……待っとれ。今バケツを……大きめのバケツを持ってくる」


 老人は苦虫を噛むような顔でバケツを探しに行ってしまった。

 周りの大人達はため息をつきながら、早くも解散ムードである。待たんか貴様ら。勇者様の華やかなる門出であるぞ――。



   ◆



 かくして私と老人の、きっと短い旅が始まった。ゴールは死である。


「しかし、重くないのですか」

「肉体強化魔法を使っておるからのう」


 端から見れば、巨大なバケツを両手に抱えた老人が町から遠ざかって行くのだ。

 行き先は乳母捨て山だろうか。少なくとも、これが世界を救わんとする勇者一行であろうと推測可能な迷探偵は、この世に存在しないだろう。


「むむっ! 魔物じゃ!」

「魔物? エンカウントがイコール、ゲームオーバーだと思うのですが」


 恐らく魔物も困惑したことだろう。

 しかと見るが良い。生きていれば時として、全く理解不能な場面に遭遇することがある。そんな時のための予行練習だと思って、どうか一思いにこの老人を葬ってくれたまえ。


「何をしておる! 勇者よ、攻撃せんか!」

「この体でですか」


 とは言え、私も長生きしたくないと言えば嘘になる。この第二の人生が終わりを告げるのは時間の問題であるが、もう少しだけ足掻いてみてもバチは当たらないのではないか。

 力を振り絞り、腕を――腕のような感覚の部分を、バケツの端から覗かせる。

 魔物からはお仲間に見えたに違いない。見逃してはくれまいか。


「いけ、勇者! そのまま殴り倒してしまえ!」

「待ってください、実は敵の位置が見えてな……あっ!」


 もそもそと体の一部を伸ばしている最中だったのだが、無情にも私の潤沢なスタミナが底をついてしまった。

 バケツからはみ出した部分の結合を保っていた謎の力は消失し、かつて私だったものがビショビショと大地を潤してゆく。

 一度染み込んでいった私達は、今や勇者様のマイホームとなったこの神聖なるバケツへと帰還する気配も無い。さらば私の一部。


「貴重な体積を失いました。もう駄目です諦めましょう」

「……仕方ない、ワシがやろう」


 耳を疑った。このショッカー、戦えたのか。

 聖域(バケツ)を地面へ安置し、老兵は何やら呪文のようなものを唱え始めた。

 ちなみにだが無理矢理に目に当たる部分を伸ばしてみると、ようやく私にも魔物の姿が確認できた。かわいいウサギさんである。


「むむむ……! ファイヤーッ!」


 今にも折れてしまいそうな彼の腕が小さく震え、五本の指先から大層気色の悪い火球が飛び出した。赤でも青でもなく、薄汚い灰色の火の玉である。煩悩の表れか何かに違いない。

 五つの小さな煩悩が不気味に宙を舞っている間に、魔物は逃げ出してしまった。そもそも、あれは本当に魔物だったのだろうか。



   ◆



 何やかんやで、一人の老人と一杯の液体の無謀なる旅立ちから一週間が過ぎ去った。

 しかしここへ来て、今まで見ないふりを決め込んできた一つの物理現象が本格的に私を苦しめ始めたのだ。


「もう限界です。このままだと私は蒸発しきって死んでしまう」

「う~む、別にワシはそれならそれで……おっ、見ろ勇者よ。川があるぞ!」


 何かとんでもないことを口走った気がするが、川の発見は朗報だ。水質が良好であることを祈ろうではないか。


「硬水ですか、軟水ですか? あいにく私は硬水を飲むと腹を壊してしまうたちでして」

「知らん! 水は水じゃ!」


 そう言うと彼は、手で掬った川の水をバシャバシャと私に足し始めた。なんとガサツな老人なのだろうか、勇者様の新たなる血肉となるやもしれない聖水を、かくもぞんざいに扱うなどとは。

 しかし、新鮮な水というのは思いのほか良い。私は心身ともに増長していくのを感じた。言うまでもなく、肉体を持っていた頃には決して味わえなかった感動であろう。


「これは……ひょっとして私自身を川へ流せば、この川の全て、いや、海までもが私の支配下となるのでは?」

「ほう、流そうか?」


 少し考えたが、結局私の全海域私物化計画は頓挫した。頓挫というか、普通にやめたのだ。だって怖いではないか。

 これは所謂、主人公の覚醒イベントというやつなのかもしれない。失敗作だった最弱勇者が、七つの海を支配して魔王を溺死させるのだ。

 そんな空想も悪くはないが、いかんせん私はチキンだ。

 元々このような不運に見舞われた私のことである。大方川に流されたところで、広大すぎる我が身を(ぎょ)しきれずに自我がボロボロと崩れ去るのが関の山であろう。



   ◆



 私の人生最大かつ唯一の汚点たるこの二人旅も、気付けば一周年を迎えてしまっていた。まさしく光陰矢のごとし、先程まで川辺に居たと思ったら、既に魔王と対面しているのだから驚きだ。

 私達はあのあと、のらりくらりと敵を退け、だましだまし文字通りの水増しを繰り返し、なんとか命を繋いできた。

 途中で喉が渇いたと言う老人に少し飲まれた時は、思わずカラカラの地面へと身投げしようかと考えたものである。


「お前が勇者か……」

「そうだ。多分無理だが、お前を倒しに来てやったぞ」


 立派な角を生やした大柄な魔王は、私の声を聞くと目をパチクリさせてバケツを凝視した。老人と液体とを比べれば、少なくとも人間の方を勇者と思ってしまうのは悔しいが当然だろう。


「そ、そうか。よもや勇者の正体が魔物であったとは……。まあ良いだろう、かかってこい!」


 確かに今の私を見た者は、十中八九魔物だと判断するだろう。悲しいが、私だってそう思う。

 そしてかかってこいと言われたところで、いかんせん私にはこれ以上することがない。ここに存在するだけで既に奇跡なのだ。ここから手に汗握る激闘を繰り広げようなどと、高望みにも程があるのではなかろうか。


「うむむむ。くらえ~っ、ファイヤーッ!」


 ()の抜けた声で老人がお得意の炎を放った。過酷な旅の中で起こった唯一の変化といえば、彼の薄汚れた煩悩の火が日に日に汚ならしく黒ずんでいったことだろうか。


「なんだ、この穢らわしい邪悪な魔法は……」


 そう言って手を一振りしただけで、老人が捻り出した黒炎は五つとも消されてしまった。流石である。


「なんと言うことじゃ! ワシの奥義が!」

「くだらん。炎というのは……こう使うのだ!」


 途端に真っ赤な炎が部屋を埋めつくし――私の意識は、そこで途絶えた。



   ◆



 次に目を覚ました時、私は空から地上を見下ろしていた。

 無論、死んで天国へ行ったことの比喩表現などではない。文字通り空を漂っていたのだ。

 私の前世から遥々お付き合いいただいた読者の皆様には、もうお分かりだろう。そう、私はあの時完全に蒸発し、紆余曲折を経た結果、空を旅する雲となったのだ。

 私の悲惨な運命に同情し、雲になりたいというかつての願望を神様が叶えてくださったのだろうか。そうだとしたら、神は救いようのない無能である。

 私が本当になりたくて、夢にまで見たのは雲なんかではなく……人間なのだから。


 風の噂によると、どうやら魔王はあの老人によって倒されたらしい。それも素手で。

 私という重い(かせ)が無くなったことと、私の運搬のために一年中肉体強化魔法を酷使していたことで、既に彼のステータスは武道家のそれだったのだ。

 風に流されつつ平穏を取り戻した世界を眺めていると、偶然彼を見つけた。

 両隣に女性を侍らせる老人が、魔王なんぞワンパンだったわい、と武勇伝を語っている。しばらく聞き耳を立てるも、その話には勇者のゆの字も出てこないのだ。


 いつの日か私のこの体に十分な静電気が溜まった暁に、彼の寒々しい頭頂部へイカズチの一つでも落としてみようと思うのだが、いかがだろうか。

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