プロローグ
目尻を伝う涙と右頬に溜まった涎から,
俺は横に斃れていることに初めて気がついた。
視界はない。
まるで泥酔した大学生が全く記憶がないにも関わらず,
気づいたら公園の植え込みで寝ていたかのように,
俺は自分の状況と現在までの経緯が全く解らずにいた。
−−今は何時だ,此処は何処だ。
『私は誰』と呟きそうになり思わず口元が緩むも,それは一応はっきりと分かる。
俺は織田アギト。今年工業高校の電気科に入学した,どこにでも居る,
普通の15歳男子だ。
「6 = 2 * 3,98 = 2 * 7^2,500 = 2^2 * 5^3,1440 = ......これはちょっとソラでは無理だな」
頭を落ち着かせる為にはいつも素因数分解をする。
適度に短期記憶と思考力を使うからだ。
「脳は大丈夫そうだな」
と根拠の無い安堵を得つつ,自分の今置かれている状況を分析する。
頭でも打ったか? 暴漢に襲われたのか?
それとも発作か何か,あるいは車にでも撥ねられたか……。
よく異世界系の小説なんかじゃ,自分がトラックに轢かれたなんてことを鮮明に覚えているのだが。
あんなのは嘘だな。理解する前に意識は飛んでいる。
てことは地縛霊なんてのは自分の死因が判っている,むしろ幸運な奴らなんだな。ハハ。
−−ここは何処だ。
戻りつつある掌と右頬の感覚が,冷たい煉瓦の地面を伝える。
最近の三途の河原は舗装されてるのか,とひとりで嘲笑いつつ,
頭を慎重に,ゆっくりと持ち上げる。
軽い頭痛が響く。
冷たい,湿った風。
まだ生地の硬い学ランに重さを感じつつ膝を立てた所で,
眼の桿体細胞が僅かな光を捉え始めた。
−−湖?
ここは俺の知っている日本ではなかった。