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シックスカウントが止む前に  作者: 長月イチカ
カウント3◇彼女は誰も救えない
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2



「…え…」


 ふ、と目の前で岸田篤人が息を漏らした次の瞬間。その口が今度はもぐもぐと動いていた。何かを頬張っている。それをごくんと呑み込んで。


「美味しいね、砂月の手作り?」


 その言葉に、はっと自分の手元のお弁当箱の中を見る。卵焼きの最後の一切れがなくなっていた。


「あたしの卵焼き…!」

「砂月の言ってる干渉って、こういうことで合ってる?」


 飄々《ひょうひょう》と言う岸田篤人を睨みつける。岸田篤人は悪びれる様子も無く再びストローに口をつけた。むかつくので質問には答えない。好きだから最後のほうにとっておいたのに。


「シラセに報告しておくわ」


 言ってお弁当の残りを口にかきこむ。今日は午後から仕事がある。食事は大事なエネルギー源だ。


「僕からもひとつ、訊いていい?」


 岸田篤人が言いながら、どこからともなく銀色の包みのチョコレートを取り出してあたしの目の前に置いた。目で問うと「卵焼きのお返し」と笑う。奪っておいてお返しだなって身勝手もいいところだ。だけどチョコレートは嫌いじゃないのでもらっておく。甘いものも大事なエネルギー源だから。


「どうして自分の身を投げ出そうとするの」

「あんたには関係ない」

「捜査協力って、拒否できないの?」

「あくまで自分の意志で〝協力〟しているの。強制じゃないわ」


 食べ終わったお弁当箱の蓋を閉じ、包みを結ぶ。それから腕時計で時間を確認。約束の時間まではやいけれど、もう行こう。これ以上ここに居たくない。これ以上余計な会話をしたくない。


「…被害者、うちの生徒だってね」

「……」


 岸田篤人は主語を省略していたけれど、何を指しているかはすぐに分かった。今朝から大きくニュースで取り上げられているし、校内でも事件の噂で朝から騒然としている。被害者の学年の階は特に。

 でもおそらくこの人に言ったのはシラセだろう。なんとなく想像はついた。


「逸可が言ってたでしょ。つぎは砂月かもしれない。砂月が行くなら不確かな未来が現実になるだけだ」


 被害者はもう3人目。皆死んでいて手がかりが多くない。目撃情報も殆ど出てこないし最初の事件から日が経ち情報は錯綜してる。流石に報道規制も抑えられなくなり、公開捜査が決定したのだ。それがつい昨日の話。

 被害者はうちの学校の生徒を含め、皆近隣の女学生だという。


「じゃああんたは」


 手早く荷物をまとめて席を立つ。今日はこのまま早退する予定で、帰る準備も整っていた。待ち合わせ時間にはまだはやいけれど、きっとシラセが校門の所で待っている。


「どうしてあたしを救おうとするの。あたし達は昨日までほとんど話したこともない、他人だったのよ」

「でも今は他人じゃない」

「他人よ。ただ目の前で死なれるのがイヤなんでしょう? それとも過去への贖罪のつもり?」


 あたしを見つめる岸田篤人の瞳が僅かに陰る。滲む感情。揺れる焦燥。

 だから、イヤなのよ。自分で言っておいて結局、目を逸らすことしかできない自分も。


「あたしが視る世界では、決して誰も救えない。でも過去が変えられない限り、真実も揺らがない。あたしはあたしにしかできないことを、やるだけよ」


 岸田篤人は何も返さない。彼が今どんな顔をして何を思っているのかも、あたしにはわからない。でもわからなくて良いと思った。

 早々にあたしは史学準備室を出て昇降口へと向かった。校門へと辿り着く頃、昼休み終了のチャイムが鳴り響く。

 校門から少し離れた場所にシラセの車を見つけ、足早に駆け寄る。車に寄りかかり煙を吐いていたシラセがあたしの姿を見つけ、煙草を携帯灰皿に押し込んだ。


「サツキ、はやかったわね。急がなくていいって言ったのに」

「いいの。はやく行こう」


 後部座席に乗り込むとようやく深く息をついた。ここは用意された居場所のひとつに過ぎないけれど、やはり見知らぬ空間より遥かに安堵する。

 運転席にシラセが乗り込み、反射的にシートベルトに手を伸ばそうとした時自分の手の中に握っていた物に気付く。

 銀色の鍵と小さな包み。チョコレートは溶けていた。


◇ ◆ ◇


 自分の存在価値を決めるのは自分だ。他の誰でもないし、他人になんか委ねない。自分で自分を見失ったら、それこそすべてを失ってしまう。ぜんぶ呑み込まれて跡形もなく。


「――サツキ」


 薄暗い廊下にシラセの声が響き、あたしは顔を上げる。長い廊下の先にシラセが居てあたしを手招く。その背には冷たい扉があった。

 あたしは立ち上がり、ゆっくりと足を動かしてシラセの元へ向かった。

 

 ここに来るのは何度目だろう。もう何回も来ている気がする。でも同じ場所はあたしにとって混同しやすいだけで、実際はそう多くはないのかもしれない。この場所で力を使うことが多いだけで、本当は。

 場所、物、人。一番苦手なのは人だ。年齢を重ねた人であればあるほど、その身に刻んだ時間が、情報量が多すぎて。人はおそらく自分で意識しているよりも、膨大な情報をその身に宿している。無意識下において。


 シラセが白い布を取り払い、目配せする。

 知りたいのは、この身体からだこの場所に来るまでの数時間前。すべてを視る必要はない。すべてを暴いて良かったことなど一度もない。必要な情報だけでいい。だけどあたしはそれができない。

 深呼吸。シラセがいつもの顔で笑って見ている、すぐ傍で。

 目を閉じる。視界からシラセが消えてすべての音も存在も消えた。


 次の呼吸と共に瞼を開けると目の前に黒い影があった。

 一筋の、鈍色の光。振り下ろされる刃。視界に血が飛ぶ。


――『謝ってよ』


 高架下、遠くで電車の走る音。記憶の中のその場所が重なった。より鮮明に、身体を赤く染めて。


――『ああ、どうして神様は間違えるんだ。死ぬべき人間と、生きるべき人間を』


 声は自分の正面から投げかけられる。痛みは感じないのに死の恐怖がこの場を、空間を支配していた。

 だめ、同調し過ぎている。切り離さなければ。これはこの身体からだの記憶だ。この身体からだに過去に起こった事。あたしのではない。

 だけどこの身体からだの行き着く先をあたしは知っている。

 あの冷たい部屋だ。


 目を逸らしたいのに逸らせない。逸らしちゃいけない。これはあたしに課せられた義務。どんなに残酷な世界でも、あたしは目を逸らしちゃいけない。

 顔を、服装を、特徴を、凶器を――得られる情報を、取りこぼさないよう。脳裏に焼き付ける。だってこれがあたしの仕事だから。役割だから。

 鮮やかな赤に光る刃が右足を割いた。吹き出す血しぶき。痛みに眩む。意識が視覚に侵される。

 いたい、たすけて。なんで、あたしまで――こわい、やめて。ころさないで。ころさないで。だれか――


 違うあたしじゃない…!


「――――…!」

「サツキ!」


 暴力的な白い光が視界を覆い、あたしは思わず膝を折る。

 ゆっくりと感覚が自分の本当の身体からだに戻ってきて、あたしは無意識に自分の右足を撫でていた。

 ちゃんと、ある。

 立っていられずよろけた体をシラセが支えてくれる。抱きしめてくれる。あたしの体の感触を、しっかりと教えてくれる。

 そこでようやく、自分がどこに居て誰なのかを取り戻すことができた。 



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