第三課「ルタオ人」
キューシュー南部には21世紀の末期からすでにルタオ人と呼ばれる民族が居住していた。都市同盟にとって彼らは非常にやっかいな存在であり、場合によって敵にも味方にもなる、複雑な関係をもっていた。
ルタオ人は大災厄の中大陸から難を逃れ移住してきた人々とされるが、その起源については必ずしも明確ではない。いずれにせよ最初は先住民に比べてごく少数派であった。
大災厄が終了した後のキューシューではインフラが破壊され、生活の維持が不可能になったため人口は激減した。一部の人間は古代の技術を持ちだして山奥に隠れ住むことになるが、多くの生存者は明日の食料を求めて各地をさまようか、農園を経営して食料の確保につとめる日々を送り始めた。
前者はしばしば武装して街や農園を襲撃し、略奪にいそしんだ。無論その生活は不安定なもので、時に農園の耕作人として食いつなぐか、同じ盗賊からつけねらわれ犠牲を出してでも生き残るかを選ばねばならなかった。
農園生活を選んだ者は周囲の人々に生存を許す代わりに農園での労働、あるいはそこの護衛につくことを要求した。とくにカンサイ以西でこのタイプは発展し、後にカンサイに起こるオーサカ国やフクイ国の原型もこのような農園にあったのではないかと思われる。
ルタオ人はそういう過酷な状況の中に進出していった。先住民に比べ数が少なく、わずかでも隙を見せれば全滅する危険性もある以上、彼らは自衛よりもむしろ積極的に土着の盗賊や農園を攻撃する方に重点を置いた。
ルタオ人は『攻撃は最大の防御』をかかげてキューシュー全土を席巻したのである。元から住んでいた人々とは違い、彼らは最初から自分たちが狙われる側であり危険な環境にいることを知っていた。ルタオ人はキューシュー西沿岸に定着すると、次第に内陸に進出していった。
ルタオ人は高い組織力でキューシュー人の街を略奪し、ついで征服していく。キューシュー人の方でもルタオ人と正面からぶつかるよりは、あえて大人しい態度をとることで反撃の機会をうかがう者もあり、むしろ同胞からの脅威をまぬがれるためその笠下に入ることを選んだ一派さえあった。
彼らの存在がキューシューにとって無視できなくなると、キューシュー人の有力者の間、ルタオ人との婚姻で庇護を得ようとすることが活発に行われた。
そうでなくても、ルタオ人の言語や慣習が有力となり、その文化が浸透した結果一般の人々がルタオ人の中に溶け込んでいくのは不可避の事態。
初めてキューシュー人がルタオ人に反撃したのは2179年、都市同盟がサガでルタオ人の侵攻を破った『サガの戦い』が初であるという。ルタオ側の記録ではこの時キューシュー人は戦死したルタオ人の亡骸を串刺しにして丘の上に飾った、と記す。この戦いで成功を収めた下層市民が政治的にも大きな力を持つようになり、前述したようなウチハラ家支配打倒の一因となっていくのだが、それは別の話。
ルタオ人にはやけに自分たちを特別とする意識があったらしく、都市同盟は彼らにとって野蛮人の寄り合い所帯であった。事実ルタオ人の文筆家が都市同盟について言及するとき、国名を『都市同盟』などとは記さず、『北の蛮族』と書くのがある時期まで作法だったのである。都市同盟人の方もルタオ人が優れた技術を有していると考えており、単に戦うだけでなく、しばしば使節を送って文物を持ち帰らせたり、ルタオ人の技術者を招聘したりした。
キューシュー人はルタオ人に尊敬の念さえ持っていたのである。数世紀もたって、キューシュー人が盛り返してくるとそれは軽蔑、さらに憎悪へと遷っていくのであるが、少なくとも22世紀や23世紀の人々はルタオ人との戦いが政治や経済のもつれによって起こる世俗的な闘争であるにせよ、異民族同士という根源的な理由のためとは解釈していなかった。