第二課「キューシュー都市同盟」
ひびわれた灰色の地面、よどんだ水たまりの上に傾いたり、突っ立ったりする巨塔がどこまでも、どこまでも……。
人々はしかしそのような場所でどうしても暮らしていかねばならなかった。食料が手に入りにくく、外部との往来も難しい地域にあっては一つの場所に団結しないと生きていけないのは自明のことわり。
キューシューのフクオカ、古代末期に大都会が存在した地に、かつての偉大な先祖の末裔が、ありし日々の栄光に戻ることを願って街――古代ギリシアでいう『ポリス』――を建設したのは2129年のこととされる。
だがこれはあくまでも後世の人々が書き記した伝説による情報で、実際に起きたことを知るのは困難である。2129年は暗黒時代のまっただなか。文明が衰滅していく過程を社会は急速にたどっていた。
とはいえ、後代の理想から当時の現実をさぐるのも悪くはない。
都市同盟で著された史書を読む限り、フクオカ市の建設を主導したのはアサムラ・ミオという男だった。
ヒロシマの科学者共同体に生まれたアサムラは、閉鎖的な環境を維持することで良しとする指導者たちの意見を聞かずに、志を同じくする仲間とともに脱出し、逃避行の果てにフクオカにたどりつく。
十数人の同胞とともに、コンクリートの瓦礫が覆う荒野を歩きまわり、役所があった地点に旗を突き立てて拠点とした。ひびわれたアスファルトをとりのけて田畑を開拓し、地下深くで発見された書物を見つけては知識の復興にやくだてる。
アサムラは自らを市長と名乗り、有力な市民数十人からなる民会を意思決定機関として作る。また古代末期時代の法律を施行するためにかつての知識を保持している人間を結集して法体系の再構築を行わせ、フクオカ周辺の地図の製作にもあたらせた。
アサムラは辣腕をふるったが、独裁者となることを恐れ自分がこのまま要職につくのをよしとせず、2145年、民会で退職を宣言した。2155年に亡くなったのち、都市同盟の祖として彼の名は称えられ、政府が発行するコインには決まって彼の肖像が刻まれたもの。
以降、フクオカ市以外の場所にも都市の建設は進む。伝承では2140年にシモノセキ市が建設されて数千人が入植し、フクオカ以西の地にも有力な働き盛りの男たちが派遣され、周辺の敵からフクオカを守り、かつ領土を拡張するための橋頭保としての目的を果たしたのだ。
2160年に市長に就任したウチハラ・サイキは軍制を改革し、土地の開拓を委任する代わりに賃金を与える制度を創始するなどの有能ぶり、しかしあまり民主政の理念には関心がなかったらしく、まわりのポストを親族で固め、自分の親衛隊をかこうなど、僭主的な人物と評された。
ただウチハラ自身は極めて清廉潔白な人物であり、家は非常に質素で、豪華なものを身につけず、自分の田畑でとれたものを食するというありさま。
2172年、ウチハラの死後に市長の座を子のヤストが継いだ。しかしヤストは不肖の子であり、政務をろくにとらなかったらしい。そのため、幕僚のホージョー・メナが反乱を起こしてヤストを退位させ、一時的に民会での政治を復活させる。
だが結局、態勢は安定せず、結局ウチハラ派がフクオカ市を占拠してヤストを復位させるなど事態は混乱した。建国当初は、民主政という国家理念は固定していなかったのである。
その逆境の中で民衆は市民としての自覚を高めて行った。反ウチハラ系の活動家の活躍もあり、この政治体制が国家に反した物であるという意見が多数を占め始めた。
2209年、ヤストは最終的に都市同盟を追放される。こうして僭主たちに対する勝利が大々的に祝われ、この出来事を記念する行事が毎年行われるのであった。
とはいえこれにより都市同盟の秩序が順調に拡大していったわけではない。事実、都市同盟の支配は周囲の敵対勢力との抗争を経て次第に確立されていったものなのであるから。
主な脅威は南からやってきた。