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彼の名前

作者: 酒井 正親

 川は静かに下流に向かっていた。なめらかな一枚の絹が微かに揺れて山と海をつないでいる。両岸には元気いっぱいの新芽が所狭しと整列し、その新芽達の間から広葉樹の木々が間隔良く地に根を下ろしている。それゆえに川を含めた辺り一面全てが深く澄んだ緑に染まっていた。

 水面から起き上がろうにも体は石のように固まっている。立ちふさがる現実を前に、私にはなす術がなかった。現実から目を背ける選択肢以外残されていない。耳をすませば小鳥達の心地よい高音を遠くで感じることができる。私は苦笑した。一つは小鳥達のかなでる音楽の完成度の高さに、まるで私にお披露目をしているように感じたからだ。そして二つ目は助けが現れる可能性を考えている自分への嫌みのために。



 深い深い海底に私が沈んでいく。助けなくてはならないが、私を見ている私はどんどん海面に持ち上げられている。

ー助けなくてはー

しかし、どんなに手でもがいても私は闇の中に沈んでいく。次第に小さくなり、ほとんど見えなくなる。

「おはよう。気分はどうだい?今、お茶が沸く所だから待っていなさい」

 年配の男がせかせかと奥の部屋に消えていく。どうやら助けられたらしい。しばらくたつと、男が一人の女を連れて入ってきた。女は湯呑みに茶を注ぎ私に差し出すと、直ぐに出て行く。

「状況が理解できていません。あなたは私を助けた。あのような辺境の地で奇跡的に。そうであれば、私は恐ろしく強運であるし、感謝申し上げなければならない」

「正確には、私では無いのですが、概ねその通りです」

「概ねというのは?」

「単純な話です。善意の救出者では無いということです。助けたいから助けたわけでなく、使えると判断し助けただけのはなし」

男の瞳は恐ろしいほど黒かった。それがこの男の歩んできた人生によるものなのは明らかだった。語らずして悟ることができた。もし申し出を断れば私の存在など直ぐに消滅させてしまうだろう。

「助けていただいた以上はどのようなことであれ尽力します」

男は、大変満足な返事が聞けて嬉しいと言い残して部屋をあとにした。



 男が最初の仕事を持ってきたのは、ちょうど一週間が過ぎた日の夕方だった。食事を済ませたら自室にくるよう促された私は緊張を隠しきれなかった。出された食事を楽しむ余裕も無く無理やり胃に押し込む。食事を終え、短くため息を一つつく。いよいよ部屋に向かわなければ。女が食器を片付ける様子を横目に部屋に入ると、男は窓の外を眺めていた。そして、そのまま静かに話し始める。

「そこに置いてある資料に目を通してください。彼が私のシマで好き勝手しているらしいのです。低俗なチンピラというわけでもない以上、対応は早いに越したことは無い。意味はわかりますね?」

手にした資料を目にして震えた。ー佐竹重光ー 私の街でもかなり有名な男だった。放火、強盗、強姦に殺人容疑すらある一級犯罪者。その手の業界では鬼として名が通るほどの危険人物。私がこの男のタマを取りに行くということか?ばからしい。逆に殺されかねないではないか。

気づくと男はこちらに向き直っていた。そして続ける。

「そんなに心配しなくても協力者はこちらですでに調達してあります。あなたは指示通り動いてくれればいい」

選択肢は分かりました以外に無い。しかし。男が私を千切っていく想像が目の前に広がる。なぜ断った。何故だ。意識を現実に戻すと私は力強く返事をした。

「分かりました。必ず期待に応えてみせましょう」



 早朝の五時を回った頃。起きると既に女が準備を始めていた。もちろん自分の準備ではなく私に必要な服や備品である。それらは机の上に並べられていた。定められた服、定められた靴など身につけるものは全てこの女が用意したものだろう。その中でも注目を浴びるのは彼で間違いない。銀色にひかり先端から付け根まで洗練され過ぎた刃。持ち手は恐ろしく手に馴染む。やるしかないのだ。自分に言い聞かせるように、天井をみあげる。

「そこに置いてあるのが協力者だから目を通しておくように」

女に言われ机の上に置いてある三枚の資料を手にとる。それぞれについて簡単な説明と顔が乗っている。ここに写っているものは皆、どんな人生を歩んでこの仕事に出会ったのだろう。もしかしたら本当の目的を知らない者もいるんじゃないだろうか。しかし、他人の心配をする立場に置かれていないことは私が一番よく知っている。彼らの外見を記憶し資料を元の位置に戻すことにした。

 一通り用意を終えるとちょうど男が部屋から出てきた。この男も起きていたのだろう。気だるさなど感じさせるそぶりもさくテキパキと歩いている。男は一言も声をかけずに部屋に戻っていった。頑張れよと声をかけられるとは思っていないが、妙な寂しさを感じる。そろそろ時間だな。準備に不足が無いかもう一度確認し、扉に手をかける。するとふいに女が声をかけてきた。私は思わず聞き間違いではないかと疑心した。というのも事務的な用事以外でこの女と言葉を交わしたことはなかったのだ。



「思ったよりも鬼ヶ島は寒いよ」

文章の練習に書きました。なんでもいいのでコメント下さい。

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