表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
風の中で  作者: 正和
4/43

朝凪

 暗い、何も見えない、何も聞こえない、何にもない。そこにあるのはただ自分という得体のしれない物体、ただそれひとつ。

 背中が震えているのが分かる。暗闇に対する恐怖なのか、何もわからない自分の過去、これからどうすれば良いのか分からない焦燥感、何が根源であるのかはわからない。ただ漠然と理解できているのは、それがすべてであるということ、そのすべてが自分を締め付け苦しめる。

 ふと気づくと、ベッドに腰掛けている自分に気づく。暗闇の中自分の手の平を見つめている。

 今まで瞳を閉じていただけなのだろうか、それとも夢を見ていただけなのだろうか、と考えてみるが、どうでもいいことだと思い出す。これもまた夢なのだから。毎日のようにおこり、毎回同じ終わり方となる。分かっていることだ…。

 ジッと自分の手の平を見つめていると、暗闇に白い手の平が浮かび闇の世界で唯一の存在となっていた。それを自分はジッと見つめている。吸い込まれるように見つめている。

 すると指名手の平にポツンと一つの黒い点が浮かんだ、気のせいかと思った。ジッと見つめているとそれは、歪み、捩じれる様に大きくなっていった。暗闇の中の白い手の平、そのなにで新たに闇が蠢いている。

 なぜ闇が蠢いているのか・・・・蠢いているように見えるだけなのだ。

 私は泣いていた。涙を流していた。その涙が頬を伝い顎の先から自分の手の平へと落ちて闇が生まれていたのだ。

 私は泣いていた。黒い涙を流していた。何も不思議に思わない、それを不思議だと思わない自分の事も不思議に思わない、ただすべてをあるがままに受け入れている。

 やがて闇は広がり、大きくなり、唯一の白い手の平を黒く染めて溢れた。流れ落ちた。溢れた。流れ落ちた。

 それはスピードを上げて加速した。止まらない…止まらない、闇に染まる、染まる、時が流れる、流れる、加速する。

 どれほど時が過ぎたのだろう。自分が揺られているのに気づく。正確には海原に浮かんでいた。 

 見たわけでも確認したわけでもないが、確信していた。

 それは血であった。血の海に浮かんでいた。生暖かい、ぬるぬるとした洗っても、何をしても拭い去ることのできない穢れた血。

 蠢く暗闇の空が瞳に映る。ただ揺られている。

 動く気がないからオールなどなかった。どこに行くあてもないから舵さえもない。そして、自分を守る意思さえもないからボートまでなくなってしまった。

 ふと、沈む?・・そう思った・・・そして、沈んだ、沈み始めた。初めて楽になれるのだと思った。

 不思議と苦しくはなかった、このまま海底に体を横たえ果てていくのだと思った。

 ただそれだけのはずであったのに、心が動いた、ほんの少し、そよ風のように。

 海面に微かな波風が立つ、それは風となり吹き上げる。

 何かあるはずだ、方法が、手段が、助かりたい、そう思った。

 そう思った瞬間にドッと苦しみが押し寄せる。死よりもつらい苦しみである。

 ねっとりとしたものが、口から、鼻から、耳から、目から流れ込む。

 のどが焼ける、吐き出そうともできず押し込まれる、流れ込む。

 耳から、目から、鼻から、頭の中がはちきれんばかりに詰め込まれ、流れ込み蠢き、かき乱し、砕き割る・・苦しい苦しい、死にたくない、抜け出したい,足搔いた、もがいた、暴れた、苦しんだ。のたうちまわる。

 自分で分かった、自分の命の蝋燭の炎が消えかかるのを、必死で最後の力を振り絞り右手を伸ばした。ちぎれんばかりに伸ばしたその手に何かをつかんだ。ほんの小さな何かをつかんだのだ。握りしめるきつく握りしめる。

 沈んでいく、沈んでいく、意識が薄れていく。薄れていく意識の中で、その手に握られた小さな一粒を見ようとした。

 目の前に光が溢れた。


 朝だった。


 もう少しのところで目が覚めてしまったのだ。

 朝日のまぶしい光が目を注す様で頭が痛む。

 汗だくになってしまっていた。パジャマ代わりのTシャツを脱ぎ、シャワーを浴びる。氷が解ける様に頭痛の種が洗い落とされ、目が覚める。

 シャワーを終え、時計を見ると仕事までまだ十分に時間があった。 

 少し遅めの朝食を取りに、今日はコートをひっかけて外へ出かけることにした。

 朝の少し冷たい風が心地よかった。

 合ったかなカフェオレ、サクサクのクロワッサンにパン・オウ・ショコラ、そんな簡単な朝食がショウにはごちそうであった。

 目の前にカフェオレが来て、さあ朝食を食べようとクロワッサンに手を伸ばしたとき、外に並べられたテーブルから窓越しに誰かが手を振っているのに気づく。

 クルベールの娘のリシェールであった。ショウの名付け親である、あくまでも仮の名前ではあるが。

 ギャルソンにことわり、カフェオレとパン籠を持って店の外に出る、リシェールがまだ手を振っている。

 「おはよう」

 いつもの元気のよいリシェールのあいさつである。

 「おはよう」

 思わず笑顔になってしまう。

 「今日は珍しいわね、こんなところで会うなんて、今日は観光案内人なの。そうそう、彼女を紹介しないとね」

 さっきから気にはなっていたが、リシェールの隣に美しい黒髪の日本人女性が座っていたのだ。

 「サユキ、紹介するわ。彼が私のパパのレストランで働いているショウ、一流のキュイジニエよ。」

 早口で言うリシェールに、とまどいながらもなんとか理解できたらしい。

 「彼女はサユキ、ついこの間日本から来たばかりの新人のモデル。うちの期待のホープね」

 「はじめまして、サユキです。まだこの町にも、フランス語にも慣れていないのでいろいろ教えてくださいね」

 にっこりと笑う。リシェールの笑顔が元気にするものであれば、サユキの笑顔は心を癒してくれるものであった。

 記憶を失ってから初めて会う日本人だからなのか、妙に親近感が湧いてしまった。

 「僕もこの街の事はまだあまりわからないんだけど、フランス語なら少しは力になれるかもしれませんね」

 思わず日本語で話していた。

 「ありがとう」

 そう言ってにっこりと笑うサユキの横で、ふくれっ面のリシェールがいた。

 「どうしたの?」

 「なんて言ったのか分からないわ、急に日本語で話し始めちゃうから・・」

 一人仲間外れのようになり、ご機嫌斜めのようだ。

 「ごめん、これからは気を付けるよ。彼女にフランス語ぐらいなら教えてあげれるよって言ってたんだ。」

 「ふーん、そうなの。サユキにフランス語教えるのなら、私には日本語を教えてくれない」

 「いいよ、喜んで」

 そう言うと、リシェールの機嫌が直り、にこやかになった。

 そんなリシェールを見て、サユキもホッとした。リシェールの機嫌を損ねたのかと心配していたのだ。

 「じゃあそろそろ仕事の時間なんで、僕は行くよ」

 そう言って席を立つと。

 「私たちも行こうか、」

 「サユキにバリ街を案内するの」

 「それじゃあ、楽しんできてね」

 手を振りながら二人と別れ、ショウは仕事へと向かった。

 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ