熱風
夏が訪れ長い長い昼の時間が終わり、やっと太陽が沈み闇が空を覆い始めた。しかし、まだ暑い風が吹いている。
レンガ造りの古い町並み、その合間を縫うように伸びる石畳の道、街灯の明かりに伸びる人影。ショウは一人行く当てもなく歩いていた。
「どこに行くの?」
細い路地の間からその声がした。
「俺が道に迷うと何時もサユキが現れるんだな」
細い路地から現れたサユキは真っ黒のパンツスーツ姿で現れた。モデルの引き締まった体にピッタリとフィットしたデザインのそれは誰もが着こなせるものではなかった。
サユキは何も言わず細い路地へと姿を消した。
ショウも何も言わないまま肩に担いだ荷物を担ぎなおして細い路地へと入っていった。
細い路地を抜けるといつもの黒塗りのリムジンが待っていた。
リヨンの中華街のとある中華レストランの個室にその男たちがいた。
ショウがパリで働いていたレストランのオーナーシェフであるクルベールとその給仕長であるベアール、リヨンでショウが世話になっていたヤン・スーウェンの3人であった。
「お前たちが捜しているショウという男なら20日ほど前までここにいた。」
そう言ったヤンの言葉に喰いつくようにベアールが言った。
「それではヤン様はショウの行方を・・・」
「知らないようですな」
冷静な様子でヤンの表情を見ていたクルベールが言った。
「しかし、お前たちは本当にショウがあのコレットを殺したと思っているのか?」
「ありえないことだと思っています。これはすべてあの男の仕業だと思っています。」
クルベールはヤンの瞳を見つめたままゆっくりと言った。
ヤンは何も言わずにただ頷いた。
「ヤン様詳しいお話をきかせていただけますか?」
「いいだろう」
ヤンはそう言って、大切な思い出を思い出すように軽く目を閉じて話し始めた。
「私がショウに初めてであったのはまだ朝も明けきらない公園だった。私がいつものように太極拳をするために公園に行くと見たことのない男がベンチで寝ておった。珍しいものだとは思ったが気にも留めていなかったのだが、子供と老人と動物には好かれる能力を持っているようでな、私のひ孫が声をかけて一緒に太極拳をやり始めた。ショウの太極拳をする姿を見て私の心の奥が震えたよ。あの時の様子は今でも私の瞳に焼き付いているよ。妙にな私の心もあいつに持っていかれたようで、自然に一緒に暮らすようになってますます私の心はショウに引きつけられてしまった。」
「その気持ちよく分かります。私たちもそうでした。」
「それにあの才能に惚れてしまった。これまでの長い年月生きてきたが、あのコレットに肩を並べる才能に出会ったことは神に感謝したよ。もう一度やり直せ、と言われているようじゃった。」
ここまで一気に話すと、もう覚めてしまったお茶を飲み干した。
「するとヤン様はショウに手解きのほどを・・・」
クルベールのその言葉に目を輝かせ、再び話し始める。
「楽しかった。ショウは私が見せるもの教えるものをすべて難なく身につけおった。だがな、今一つのところで何かが邪魔をするというか、不思議に思っておったのだがコレットに関係しているとなると合点がいった。」
「どういうことですか?」
「これは推測でしかないが、ショウの記憶を奪ったのはコレットの仕業ではないかな。まぁ、正確には奪ったのではなく思い出すことができないように完全に封じ込めてしまった。」
「そのようなことができるのですか。」
思わず黙って話を聞いていたベアールが口をはさむ。
「そのような技というか、技術があることは聞いたことがある。」
とクルベール。
「コレットならできる。私があれに教えてしまったのだから・・・」
ヤンが苦い表情を見せる。
「しかし、それならばヤン様であればショウの記憶を蘇らすことができるのではないのですか?」
気持ちを抑えようとするが、興奮気味にベアールが言う。
「楽観はできんが可能性はある。これがこの術の限界であり不完全な部分じゃ、術をかける者とかけられる者の力量の差とかける者の力加減、そしてかけられた者の記憶に対する思い、それらが相まみえて自然と記憶が戻ったり、かけた者がなんらかの鍵をかけているはずで、偶然にもその鍵に出会うことによって記憶を取り戻したりすることがある。ショウの場合は記憶を取り戻すという気持ちが強い、もしかしたらすでに記憶が戻りつつあるかもしれん。」
「それではヤン様我々と一緒に行ってもらえますか?」
身を乗り出して見つめてくるクルベールの瞳はただただ真っ直ぐであった。
ヤンはその瞳を見て、にっこりとほほ笑み頷いた。そして、はるか昔にそっくりな瞳で自分の事を見つめてくるコレットのことを思い出していた。