焦風
初夏の強い日差しが、新緑の森を照らし剥き出しになった大地は少し焦げたような夏の匂いを漂わしていた。
青々と生い茂った木々の葉に遮られ、森の奥は少し薄暗く、涼しい風が吹いていた。
薄暗い森の奥の大地の上、ちょっとした窪みにリシェールはうつ伏せに横たわり荒い息をしていた。極度の緊張から心臓の鼓動が激しく、鼓膜を突き破らんかのように響いている。
気が付くと一人きりになってしまっていた。いきなりの襲撃にあわてて森の中に逃げ込んだ時には、ミシェルもファブリスも一緒にいたはずなのにあっという間にいなくなってしまった。いや、ついていくことができず、こうなってしまったのだ。
自分の力のなさに呆れるほどに落ち込んだ。
「しばらくすると、私がいないことに気づいてミシェルかファブリスが助けにやってくるに違いない。」
と勇気づけてはみるが、体の震えが止まらない。何かに頼るように、右手で強く銃のグリップを握る。心なしか気が安らぐ。少なからずも敵を戦うことができる武器は持っている。
しかしまだ、リシェールは基本的な使い方を教えてもらい、少しばかり射撃練習をしたばかりである。
まだ、実戦のやり方から動き、何も知らない素人である。
しかし今のこの状況、誰一人として私が素人だからと言って手加減してくれるはずもない。こちらがやらなければやられてしまうのだ。
私がここまで来たのは、こんなところで戦って終わるためじゃない。私は、ショウの手助けがしたいのだ。そのためにここまで来たのだ。
その時背後に人の気配がした。
無意識であった。勝手に右手が動いていた。
銃声が耳に響いた。
リシェールの右手が力なく地面に落ちる。右手に握られた重かった銃が軽く感じ始めていた。
地面を見つめたままのリシェールの背後で、額の真ん中を打ち抜かれた男が倒れていた。
リシェールの瞳に力が宿り始め、怪しい光が輝き始めた。
服にまとわりつく泥も落ち葉も気にせず、ゆっくりと立ち上がった。その足取りはしっかりと大地を踏みしめ、その瞳はまっすぐに進むべき道を見つめていた。
一歩、一歩、踏みしめるように木々の間を登ってゆく。
銃声を聞きつけた敵の男たちが集まってきた。
その気配を肌で感じ、体が弾んだ。一気に加速する、疾風となる。
木々の間をすり抜けながら、銃が握られた右手は四方八方に阿修羅のように銃弾を撃ち放つ。
一発の打ち損じもない、彼女の進む道には男たちの屍が転がっていた。
その様子を遠く離れた場所から双眼鏡越しに見る人影が一つ。殺気を放つ。
双眼鏡越しにリシェールは振り返った。その瞳、吸い込まれるように見つめ、硬直したように体が動かなかった。
銃口がフレームインした瞬間に銃弾が放たれた。
その銃弾が届くことはなかった、いや届くはずはない彼女が手にしているのはサヴァイヴァルゲームなどに使われているペイント弾専用の銃なのだから。
双眼鏡を下したミシェルは満足げな表情で言った。
「何とか間に合いそうね。」
朝の光がほんのりと差し込み始めた頃、朝もやの残る中イブは一人走っていた。街中の喧騒を避けて郊外の緑の大地に横たわる大蛇のようにうねった道をひたすら走っていた。朝のこの時間が1日の内で最も充実していた。
昨日までの出来事、今日やるべき事、すべての出来事の関係性、考えるべきことが山ほどある。この時間に物事の整理をして削り取っていくと真実が見えてくる。その時間がイブは大好きであった、一種の快感である。
ゆるやかな坂が小高い丘に張り付く続く、荒い息遣いで見上げると、丘の頂上付近に一台の真っ黒のセダンが止まっている。
何気ないそぶりでウエストポーチの中のワルサーPPKのセーフティーを外す。
車の横に人影が見える。それは、車いすに乗った老人と、屈強なボディーガードのようである。何の決まりがあるのか、この薄明かりの中でもサングラスをかけている。それ以外に着てはいけないと言われているのか、これまたお決まりのブラックスーツである。
まるで映画のワンシーンだな、と思いつつスピードを落としゆっくりとした歩調で近づいて行く。
思っていた通りの男が車いすに座ってこっちを睨んでいる。背後を確認したが誰もいない、自分の事を待っているのに間違いなさそうである。
「こんなところまでわざわざ俺に会いに来たのか?」
「年を取ると朝早くに目が覚める。だからと言って得にすることなどない、暇なんだよ老人は、そう思うだろ。」
そう言った車いすの男は、昨晩イゴールと対峙していたニコラスであった。
「ああ、そうかい。残念だが俺はそんなに暇じゃない。」
そう言って通り過ぎようとしたのだが、黒ずくめの男がイブに向かって銃を突き付けてくる。
イブもそれをただ見ていたわけではない、右手に握られたワルサーは黒づくめの男に、左手で足首に隠し持っていたコルトをニコラスに向けられている。
イブは鋭い視線でニコラスを睨みつけているが、ニコラスは飄々としている。怒りの表情が浮かび、銃を握る手に力がこもる。
その瞬間に、握られていた銃の存在がなくなり、後頭部に固いものが付きつけられるのを感じた、間違いなく銃口である。
いつの間にか背後から近づいてきていたらしい。
この様子だと命を取られる心配はないだろうと潔く両手を挙げる。
しかし、自分の背後にいる男が何者なのか気になってしょうがない。全く気配を感じさせることなく背後を取られるなどあってはならないことである。つくづく世界は広い、広すぎると思わざるを得なかった。
イブは後頭部に銃口を突き付けられたまま、黒づくめの男にウエストポーチと足首に取り付けていた予備の弾倉を取られてしまった。
ウエストポーチの中から身分証明書を見つけ出しニコラスに見せる。
「肩書の多い奴だな。政府の犬がこんなところまで首を突っ込んできて何の用だ。」
鋭い視線がイブに注がれる。
黙っていると銃口で後頭部をこ突かれる。イラッとする感情を抑えてイブはゆっくりと話し始めた。
「ちょうど1年前、外人部隊の1個小隊が非公式の作戦を展開中に襲撃を受けて先頭不能にされた。それでいて死者はなく、あらゆる手段でいとも簡単に先頭不能状態に貶められた。笑い話にもならない出来事だ。しかしこれにはまだ続きがあって、最悪なことに相手はたった一人のアジア人だったというわけだ。」
「それがヴェントだというわけか?」
イブは頷き話を続ける。
「そして、6か月前にも同じことが起きた。しかし、その時にはほとんどの隊員が殺された。襲撃したのはたった一人のバケモノ、いきなり空から降ってきて見たことのないようなガトリングガンと連射型のランチャーを乱射してあっという間の出来事だった。」
「ふむ、それて・・・」
「様々な情報から垣間見えてくるもの、それがサヴァラン社で行き着くところがその裏組織であるノアールという事だ。」
「なるほど、そちら側にもいろいろと因縁があるようだな。」
「ああ、だが残念なことにあんたたちが捜しているヴェントとかいうガキの居所は知らねぇぞ。」
「そのようだな。」
「知っているなら、なんでこんなことしやがったんだ。」
また、銃口で後頭部をこ突かれる。お口が過ぎたらしい。
「さっきも言った通り老人は暇なんでな、ただの気まぐれのようなものだ。まぁ、ついでにこれだけは言っておこうかな、たとえ政府であろうとコレット一族の邪魔をするとただじゃおかぬとな。」
それだけ言うと車いすからすっくと立ち上がり、さっそうと車に乗り込むとあっという間に姿を消してしまった。
イブの背後にいた男もあっという間に姿を消してしまった。
朝もやもはれ、朝の日の光がそそぎ始めた緑の大地にうねるように伸びる道のその上にイブのウエストポーチがポツンと転がっていた。