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風の中で  作者: 正和
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兆風

 リヨンの市街地から少し外れた住宅地の片隅にある一軒家、レンガ造りの古い建物であった。道路から一メートルほど高い場所に建っていて、門をくぐり階段を登ると玄関が見える。その玄関のわきにある花壇の淵に大きな体を腰かけて、煙草をくわえた無精ひげに覆われた厳めしい顔をした男がこっちを見て立ち上がった。

 立ち上がると、180センチ近い身長のイブが少し見上げなければならない所に、その厳めしい顔が乗っかっている。

 身長はイブより少し高いくらいではあるが、体重は二倍近くあるであろう。ポッコリと突き出たお腹の肉にベルトはその存在をかき消されていた。

 男は、ニヤリと意地悪そうな笑みを見せると大げさに両手を広げて言った。

「長らくぶりの再開だ。イブ、懐かしい顔を見れて嬉しいよ。」

 抱きつこうと急接近してくる巨体に、イブが思わず立ち止まる。

「ああ、久しぶりだなクラーク。」

 そう言って、片手を突き出して握手をしようと促すが、全く見ていなかった。というか、初めから抱きつくつもりだったのだ、イブがそれを一番嫌がるのを知っていて。

 大きな手のひらでバンバンと背中をたたかれながら、一人苦笑するイブ。柔道で鍛え上げられたその巨体は、思いもしないようなスピードで動くことができる。軍隊で鍛えたつもりではあるが、クラーク警部相手に肉弾戦となると、両手を上げざるを得ない。

「また、急にどうしたんだ。お前は俺にとって不幸の配達人だからな、今度はどんな厄介ごとを運んできたんだ。」

 豪快な笑い声が夏の空に響き渡る。



 締め切られていた家の中はムッとした空気が充満していた。窓という窓を全開にするが、気休め程度にしかならない。

 しかめっ面のクラーク警部はすでに汗だくになっている。

「しかし、こんな現場に何の興味があるんだ。」

「ここはノアールのアジトだったんでしょ、そしてここが何者かに襲撃されて壊滅した。」

「ああ、それが分かったのは最近の事だが、ノアールが関与している施設なのは間違いないだろう。」

 イブはクラーク警部から手渡された資料を見ながら、部屋を移動して隅々まで検証していく。

 クラーク警部はウンザリした表情で後についていく。

「死傷者は発見されなかったんですね。」

「ああ、警察が急行した時には事が終わっていて、組織の連中が一切合財のものを持ち出した後だった。死傷者はおろか、組織活動の証拠となるようなものまでなくなっていたよ。残されたのは、ごらんのとおり何の意味もないガラクタだけだ。」

「部屋の至る所で、血痕や銃弾の跡が発見されていますが・・・。」

 襲撃者の行動を再現するように、部屋から部屋へと移動しつつイブは、クラーク警部に質問を続ける。

「ああ、血痕は至る所に残されてはいたが、どれも致命傷になるほどの出血は見られなかった。壁などから発見された銃弾は数種類あったが、どれもハンドガンタイプのものから発射されていた。」

 一通りすべての部屋を見て回った二人は、汗をにじませていた。もちろん、クラーク警部はにじませるどころではない発汗量であったのだが。

「何を調べているんだ。」

「この現場、不思議じゃないか?」

「何がだ?」

「感情がない。」

 イブはゆっくりと部屋の中を見回す。

 クラーク警部もつられて、同じように見回す。

「事務的に仕事をこなしている感があるな。」

 長年現場を見続けているクラーク警部にはイブの言っていることが分かるらしい。

「大体の場合、現場には憎しみとか怒りとか恐れなんかの感情が現れる。必要以上に現場を荒らしたり、暴行を加えるのがそれだ。」

 イブは黙ったままクラーク警部の意見に耳を傾けている。

「そうだな、感情がない・・・。プロの仕業に間違いないな。しかし、いかにプロといえど何かしらの感情だのを残していてもいいんだが、器物の破損が恐ろしいくらい少ない、こんな現場は初めてだ。人はここまで冷静に、そして正確に争いごとをやり遂げられるのか?」

 イブは何も言わない。クラーク警部は自問自答している。それを妨げる気は彼にはなかった。

「なぜだ。」

 そう言って、クラーク警部は振り返りイブの瞳を見つめる。

「圧倒的な戦力の差とゆるぎない自信、完全に統制された行動のみが精神に安定を与えてくれる。」

 クラーク警部が頷く。

「完全に統制された行動。一緒に襲撃をかけるチームの信頼度の高さか・・・。」

 イブが訝しい目で、クラーク警部を見つめている。その視線に気づいたクラーク警部。

「!?。なんだ??」

「まだわからないのか?」

「どういうことだ」

 何か見落としていないか、再び部屋の中をじっくりと見回す。

「クラークはこのアジトを、何人で襲撃したと思っているんだ。」

「そうだな、血痕の種類からすると、ここには最低七人以上の組織員がいたはずなんだ。そいつらを圧倒的な戦力で制圧するには、個人の力量の差を考えいれたとしても、最低三人から四人というところか。」

 と言い終えて、再び部屋の中を見回す。

「まさか・・・。」

 イブは黙って頷く。

「しかし、このアジトには最低でも軍人上がり程度の実力を持った者が七人以上いたんだぞ。」

 イブの視線は揺るぎない。

「一人なのか?」

「たぶん、間違いない。」

「うかつには信じられんな。」

「数か月前、ノルマンディーで同じようにノアールの前線基地が壊滅された。規模はここどころではない、古城を改装してアジトにしていたんだ。」

 クラーク警部は流れる汗をタオルで拭き、外に行こうと合図する。ゆっくりと話をするには、ここはあまりにも暑すぎる。




 外に出るとわずかな風も心地よかった。

 クラーク警部は煙草をくわえると火をつける。深く一気に吸い、煙を吐く。紫煙が風に棚引き消えてゆく。

 イブに向かい合い、「それで・・・」と話の続きを促す。

「古城のアジトには一個小隊が配備されていた。そして、壊滅した。たった一人の男によってな。」

「ハッハッハハハッ・・・。」

 豪快な笑い声が響き渡る。

「誰がそんな与太話を信じると思う?」

「俺は、その現場を見てきたよ。」

 イブはそう言って、自分も煙草をくわえた。

「それは、現場を見て感じたお前の意見だろ、この現場のように。」

 イブは静かに首を横に振る。

「その現場から救出された女性がいる。」

「何者だ?」

「ある男をおびき出すために、その女性は誘拐されたんだ。」

「本当の話なのか、信じられんな。」

 イブは素直に頷く。

「その男には、数件の殺人の容疑をかけられている。そして、そのうちの一件は未だ公表されていないし、確認もされていない。状況だけの判断だが、信憑性は高いと思われる。」

「お前の言っている意味がよく分からん。何が言いたいんだ。」

「殺されたと思われている男は、コレット・プリスカ・・・・名前ぐらいは知っているだろ。」

「コレット?・・・プリスカ・・・プリスカ・・・!!」

 驚きに目をむいてイブを見つめる。

「ありえん・・・。しかし、それが本当なのなら、すべての事が理解できる。だが、なんでそんな男が、今度はノアールにケンカ売っているんだ。最近やつらの活動が騒がしいのはそれが原因なのか。」

「その男は元々ノアールの暗殺者だったたと俺はみている。」

「それが、なぜ・・・。プリスカに追われているのならわかるが、わざわざ自分の組織にまで牙をむくことはないだろう。馬鹿なのかそいつは?」

「プリスカとノアールの両方の組織にその男は追われている。」

「まだ生きていることが奇跡だな。」

 空を見上げて、紫煙を吐く。

 青く澄んだ空が高かった。

「イブ、お前が追っているのはその男なのか?」

「ああ、追っているのはその男だが、俺の狙いはその向こう側にある。」

「向こう側?」

「デュプロフ大佐が死んだ。・・・いや殺された。」

「なに・・・!!」

 クラーク警部もまた軍人であった。イブはそのころからの知り合いだった。

「大佐の死の影にノアール、サヴァランの存在が見え隠れしている。」

「そいつは、また・・・・大変なことだなぁー」

 二人の男が空を見上げて、風は紫煙を流していく 白い雲とともに・・・。

 夏の空は高く澄んでいた。

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