憂風
エーゲ海の潮風がフワリトレースのカーテンをたなびかせて、ベッドに横たわるリシェールを包み込む。
朝の緩やかな日差しがカーテン越しに部屋を明るく照らし始める。
昨夜は、リシェール、ミッシェル、ミリアンの三人で、ワイングラスを片手に話をした。
今まであったこと、ファッションや恋愛話に盛り上がった。
しかしミリアンは、彼女がジョルジェットとしてリシェールと出会ったあの城での出来事には一言も触れなかった。
リシェールはミリアンが何者なのか全く分からなくなってきた。
ただ彼女はミッシェルの異母妹であることが分かったのだが、彼女がどんな仕事をしているのかは教えてくれようとはしなかった。
ふと、沸き起こる彼女に対しての不信感も、彼女のあの笑顔を見ると晴れ渡るエーゲ海の空のようにすべて消え去ってしまうのだ。
生まれて初めて、心から笑い楽しんだ一時であった。
窓際でなく小鳥たちの泣き声でふと目覚めたリシェールは知らず知らず笑顔であった。
時計を見るとまだ七時前である。食事の時間まで十分時間がある。そう思ったリシェールはいたずら心まで目覚めてしまった。
リシェールはベッドから抜け出すとガウンを羽織ってゆっくりと部屋から出た。廊下にはまだ人の気配はなく静かであった。
彼女はゆっくりと音をたてないようにミッシェルの部屋へと向かった。
ミッシェルの寝こみを襲って驚かしてやろう、と思ったのだ。
リシェールはゆっくりとドアノブを回す、カギはかかっていなかった。カチリと音を立ててドアが開く。
音を立てずに部屋を進みベッドを覗き込むが、すでにミッシェルの姿はなかった。
ベッドと化粧台だけがあるシンプルな部屋には、いたるところに花が飾られ、甘い香りが立ち込めていた。
耳を澄ますとシャワールームの方から音がする。ミッシェルはすでに目覚めて朝のシャワーを浴びているようだ。
リシェールは欲望に吸い寄せられるようにそっちに向かった。脱衣所に備え付けられた籐製の籠の中にミッシェルの薄いピンクのネグリジェがあり、その上に銀色に光るチェーンのネックレスがあった。
興味本位にそれを手に取る。
チャリンと音を立てて、チェーンの一番下にリングがぶら下がっている。リシェールはそれを手に取りマジマジと見つめていた。
その時、不意にシャワールームのドアが開きミッシェルが裸のまま立ち尽くしてリシェールを見つめていた。
ハッとリシェールもミッシェルを見る。すでに50歳を迎えようとする女性とは思えないほど美しかった。
ただ立ち尽くして呆然とするリシェールにミッシェルは言った。
「バスローブ・・・取ってくれない」
リシェールは未だに放心状態の様子でありながら、言われるままにバスローブを手渡した。
バスローブを身に着けて、長い髪をまとめてタオルにくるむように頭の上でまとめ上げて、頭をタオルで包みこむ、ミッシェルはそのままリシェールの言葉を待った。
リシェールの手にはチェーンに通された指輪が握られている。それは、リシェールが誕生日に父から母のものだとプレゼントされた指輪とまったく同じものであった。
リシェールは、思いがけない出来事に言葉を失ってしまっていた。
ミッシェルが、長い沈黙に耐え切れず
「ごめんなさい」
その一言だけを言った。ミッシェルが今言える言葉はその一言だけであった。
本当は、心から溢れんばかりに伝えたいこと、言いたいことがたくさんあった。しかし、どれもリシェールが自分の存在を受け止めてくれなければ言えないことばかりだった。
ミッシェルを見つめるリシェールの瞳が潤み、揺れて、漂った、そして止め処なく涙が溢れて湧きだした。興奮してしまったリシェールはとぎれとぎれの言葉を紡いだ。
「あなたが・・ミッシェルが、私のお母さんなの?」
ミッシェルもまた涙か溢れる瞳でリシェールを見つめて、うなづいた。弱弱しくうなづいて、リシェールの瞳を見つめた。そして、自分自身にもう一度確認するように力強くもう一度うなづいた。
ミッシェルはそっとリシェールに近づき、優しく抱きしめた。
「ごめんなさい」
リシェールは、ミッシェルの胸に顔を埋めて泣いた。
「お母さん・・・」