流離風
緑のじゅうたんのような大地をオレンジ色の車体が矢のように突き進む。パリから南に向かうTGVフランスの技術が作り上げた高速鉄道である。
その車両の中にイブはいた。
いつも通り落ち着かなかった。新聞を見ているのにその半分も頭の中に入ってこない。頭の中はこれまで手に入れた情報が渦巻き現れては消えて行く。
そしてそれらの情報で分かったことはとりあえずショウと呼ばれる男を発見することである。
そして今朝になってやっとショウの向かった場所が分かったのだ。ショウはリヨンに向かっていた。ただその情報は数か月前のことなので今現在もリヨンにいるのかどうかは分からない。しかし、今の手掛かりはそれだけであった。
カンカルからイブがまず向かったのは、ショウとリシェールが分かれた駅であった。そこから監視カメラの映像を基にして追い続けた結果が、今朝になって分かったのだ。
このチャンスを失ってしまえばすべてがまた振り出しに戻ってしまう。まだショウという男がリヨンにいることを願いながら、落ち着かない様子でTGVに乗っているのであった。
そのイブの右手には、ホテルの監視カメラから入手したショウの写真が握られていた。
そして、そのイブが乗るTGVの特等席に一人の老紳士が乗っていた。
その男の名はニコラス、それが本名なのかどうかは誰も知らない。彼は幼い頃からプリスカ一族の中で育った。優れた才能を持った彼はコレットが長となった時に彼の右腕としてその手腕を発揮した。
今現在コレットの孫にあたるアルベルトの主導でコレットを殺したヴェントという男を探し出し漆黒の指輪を手に入れようと必死である。
しかし、ニコラスは単独で行動していた。
なぜなのか、それはニコラスが伝統を重んじる男だからである。
ニコラスの知る伝統通りだと、コレットを殺して漆黒のリングを手に入れたショウという男こそが何者であろうとも次の長となるべきなのである。
だから、ニコラスは一人で動いているのである。かといって、彼は手放しでヴェントを長として迎えるつもりはない、なぜならばそのヴェントと呼ばれる男が本当にコレットを殺したのか、ニコラスにはそれは地球の自転が逆回転するぐらいに信じられない出来事なのである。
コレットは生きている、ニコラスはそう思っている。
そんなニコラスがカンカルの街で目を付けたのがイブという男であった。そして今、ヴェントを探す捜索犬として利用しているのである。
リヨンに向かうTGVの中でニコラスは、はるか昔に出遭った男のことをふと思い出した。確かまだ生きているとすれば、今もまだリヨンに住んでいるはずである。
懐かしい思いを胸に、静かに目を閉じる。
オレンジ色の車体は、緑の大地を割くように南へと走っている。
今日もまた、いつものシーンで目が覚める、頬には涙が流れていた。
時計の針は夜中の4時を指している。外はまだ暗闇に包まれ、星明りだけが輝いていた。
静かにベッドから抜け出し、音もなく着替えてあらかじめ用意していたカバンをベッドの下から引っ張り出す。
「何の挨拶もなく出ていくつもりか?」
ショウはカバンを手にゆっくりと立ち上がり、振り返った。
ヤンはそのショウの瞳を見て言った。
「いい目になった。お前はわしの孫だ、いつでも帰っておいで」
ヤンはショウの瞳を見てすべてを理解した。彼はもう決心をしたのだと、その決心を遮る術をヤンは持ち合わせてはいなかった。ショウ自身がどんな困難をも覚悟して自分の人生に向き合う覚悟を決めたのだ、何の理由があってそれを止めることができるであろうか。まして、ショウはヤンが初めてその才能に驚愕した唯一の愛弟子である。どんな困難であろうとも彼なら大丈夫だと、師であるヤンが一番理解しているのだ。
ショウはヤンを見つめて、フッと躊躇いがちにほほ笑んだ。
それは、心配そうな目で見つめるヤンに対して、ありがとう、心配しないで、ごめんなさい、などいろいろな感情が集約されたものであった。
すでにこの二人には、言葉など必要なかった。このたった数か月の間に二人は理解しあえたのだ。師として、弟子として、そして人として、二人の心は繋がっていたのだ。
「また来ます」
この一言を言い残して、静かにショウは出て行ってしまった。
ヤンは一人家の前で夜を眺めていた。
まだ闇に包まれた空に星々が飾り付けられていた。