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風の中で  作者: 正和
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隠風

 いつもと同じ夢を見ていた。じっと見つめている掌、闇の中で見ている。すると血が沸くようにてのひらから溢れだしてくる。あっという間に掌からこぼれ落ち腕を伝わって体を濡らし始める。

 闇という液体が足元を埋めてどんどん溜まって、いつしか体は闇の海に仰向けに浮かんで緩やかな波間に漂っている。

 何も見えない真っ黒の世界、音一つない静寂の空間、すでに自分が目を開いているのか閉じているのかさえ分らないになっていた。そして、心まで闇に染まっていく。何もかもを諦めて泣け捨ててしまって・・・。

 すると沈んでいくのだ、ゆっくりとそしてまっすぐに、そして体は動かない微動だにしないのだ。

 動かす事も出来ないのか、それとも動かす意思さえもなくなってしまったのか、何も分からない。ただ闇の中に沈み込んでゆく、そして死が身近に感じることができるのだ。

 もう終わりだ、そう思った時ふと何かを手の中に握っているのに気づく。

 そして、ゆっくりとその手を開いた。

 闇の中に弱弱しい微かな光があった。

 その光の正体を見ようと瞳を近づけた時・・・・。


 はっと、瞳を開けるとそこには心配そうに見つめるミンメイの泣きそうな顔があった。

 そして、初めて自分がどこにいるのか分かった。

 体中が痛みを訴えている。

「大丈夫?痛いでしょ・・」

 ミンメイは泣いていた。まるで自分が傷つけられたように悲しい瞳で見つめてくる。

 そんなミンメイを見ると

「大丈夫、全然大丈夫、心配しなくていいよ」

 とそう言うことしかできなかった。

 ミンメイは16歳になる。中国人とフランス人のハーフである。

 今はヤンの元で育てられている、ヤンのひ孫である。そして彼女の初恋の相手がショウであった。

 そのことに対しては、ヤンは何も口を出すことはない。

 だから、ショウが困ってしまう事も多々あった。

 声が聞こえて、マオが部屋に飛び込んでくる。ヤンもゆっくりと後から続く。

「ショウ!やっと目が覚めたんだね。もう一生目を覚まさないんじゃないかと本当に心配したんだよ。ミンメイなんかこの二日間まともに食事がのどを通らなかったんだから」

 ミンメイが頬をポッと赤く染める。

 ヤンは何も言わずベッドの脇まで来てショウの手首を取り脈を診て言った。

「まだ少し時間がかかりそうだな」

 そう言うと部屋を出て行こうとする。

「何をしているミンメイ、ショウは腹をすかしているぞ」

 そう言いながら行ってしまった。

 ミンメイは涙を拭くと

「ちょっと待っててね、美味しいもの作ってくるから」

 そう言ってにっこりと笑って足早に部屋から出ていく。

 マオはショウの傍らでムズムズと落ち着かない様子であったが、

「また来るからね」

 そう言って残念そうにトボトボと部屋を出て行った。よほどヤンとミンメイに釘を刺されていたようだ。

 彼らの優しさが心を和ませてくれる。こんな居心地のいいところはなかなかないだろうな、と思いながらショウはある一つの決心をしていた。




 青い空と白い雲、そして絵具を撒いたような鮮やかな青い海に緑の大地と真っ白の建物。

 エーゲ海の海原の上を流れてきた風が丘の上にあるリシェールの部屋まで潮の香りを運んでくれる。

 そんな風が、リシェールの眠りを覚ましてくれた。

 薄いカーテン越しにまぶしいほどの朝の光が部屋を満たしている。

 こんなに眠れたのはいつ以来だろうか、そしてこんなに目覚めのいい朝は初めてだった。

 すがすがしい気持ちでいっぱいであったが、時計を見るとミッシェルとの約束の朝食の時間まで、あと15分ほどしかなかった。

 リシェールはあわてて身づくろいを始める。そうしながら、やっぱりパリでの生活とそんなに変わらないかな?と思っていた。

 ダイニングに向かうとミッシェルはすでにコーヒーカップを片手に新聞を読んでいた。

「おはようございます」

 そう言うとミッシェルは新聞を片づけながら言った。

「おはよう、よく眠れたかしら」

 銀縁の上品なメガネをはずして傍らにあるベルを鳴らす。

「今日はいい天気ですね」

 リシェールはそう言いながら席に着いた。

 テーブルの上はすでにセッティングが施されていて、数種類のジャム、はちみつ、フルーツの盛り合わせなどがおかれている。

 しばらくすると若くてキュートなメイドがやってきた。

「リシェールはなにがいいの?何でも好きなものを言ってちょうだい。マリー、私にはプレーンオムレツにベーコンそれとグレープフルーツジュースとブルーベリーたっぷりのヨーグルトを」

「はい、かしこまりました」

 マリーはリシェールが何を頼むのか待っている。

「私も同じものをお願いします」

 あわててそう言った。

 ミッシェルはクスッと笑って言った。

「自分の好きなものを頼めばいいのよ。それとコーヒーと紅茶どっちかいい?」

「じゃあ、ミルクたっぷりのカフェ・オ・レをお願いします」

 そう言うと、何かほっとした表情になっていた。

「ミルクたっぷりのカフェ・オ・レか・・・」

 リシェールの顔を見ながら言った。

「えっ、それがなにか?」

「いえ、クルベール、そうあなたのお父さんも必ず朝食にはミルクたっぷりのカフェ・オ・レを飲んでいたと思って」

「そうです。しかも、たっぷり砂糖を入れるんです」

 そう言うと二人で笑った。

「あの人はいつまでたっても変わらないのね」

「いつも、太りすぎているんだから砂糖はなるべく入れないように言っているんですよ、それなのに全く私の言うことなど聞いてはくれないんです」

 一生懸命に話すリシェールを素顔で見ながらミッシェルは楽しそうにその話を聞いている。

 それからもクルベールのことベアールのこと、仕事中に起きた楽しい出来事などいろいろ話した。

 そのたびにミッシェルは驚いたり、笑ったり時には相槌を打って質問をする。彼女は本当に聞き上手であった。

 本当に楽しい朝食の時間だった。

「あら、もうこんな時間。本当に楽しい時間だけは早く過ぎ去って行っちゃうんだから」

 と本気で怒っていた。

「実は今日どうしても行かなくっちゃいけない用事があるの、ごめんなさい。本当は一緒に色々と案内してあげたかったんだけど・・・」

 そう言うと、顎に手を当てて考え込んでいる。

 そこにマリーがやってきた。

「ミッシェル様、お客様がお見えですが」

 マリーの顔を見てミッシェルがハッとした。

「いいところにきたわマリー、今日はメイドの仕事はいいから、ジョルジェットにこの島を案内してくれない。お願いだから。もちろん、エリカには私の方から話は通しておくわ、ねっ!」

 とおねだりするように言った。

「ミッシェル様それは、私は喜んで案内でも何でもするつもりではあるますが、お客様が来られてますから・・・」

「えっ、あっ、そうね・・・そうだったわね。ごめんなさい。それにしても、こんな時間に、誰かしら?」

 そう言っていると、ダイニングの扉が勢いよく開き一人の女性が現れた。

 リシェールはその突然現れた女性を見て、唖然とした。

 彼女は真っ赤な胸元が大胆に開いたブラウスに、スリムなジーンズに黒のヒールをはいて現れた。今日の彼女も挑発的にセクシーだった。ブラウスの胸元からは黒のブラジャーとはち切れんばかりの胸の谷間が丸見えである。

 これを見て振り返らない男がいるとしたら、それは女性に全く興味のないごく一部の男性のみであろう。

「ミリアン!!」

 そう叫ぶと、ミシェルがはその女性に抱きついた。

「ミッシェル、会いたかった」

 すらりとした長身に全身から女の色香が漂う。長い金髪に魅力的な笑顔で男女問わず引き寄せてしまう女性、ジョルジェットであった。

 ミッシェルの肩越しにリシェールと目が合う。

 彼女は目を丸くして自分を見つめるリシェールにウインクした。

「また会えたわねリシェール!!

 そう言うと、ジョルジェット(ミリアン)はリシェールに抱きついた。

 リシェールは半ば放心状態である。今の状況が理解できないのだ。なぜ目の前にジョルジェットが現れたのか、ミッシェルとはどういった関係なのか?

 しかし、それはミッシェルも同様であった。抱き合うリシェールとミリアンを見て、

「えっなんなの??二人とももう知り合いなの????」

 ミッシェルもまた驚きのあまり目を丸くしている。

 ミリアンはミッシェルの座っていた椅子に座ると、フルーツを頬張る。

「ええ、昨日ここに来るフェリーの中でお友達になったの、まさかミッシェルの友達だったとは思ってもみなかった」

 ミッシェルは心ワクワクさせて、いつも以上に目がキラキラ輝いていた。あまりの喜びに何をどう表現すればいいのか分からなかった。

「ミッシェル様、お出かけのお時間です」

 マリーが言う。

 ミッシェルにそれが聞こえているのであろうか。

 ミッシェルは興奮した様子で言う。

「一体全体どうなっているのかしら、今日はもう朝から・・・・んー、最高ね!!」

 至高の笑顔で二人を見つめる。

「ミッシェル様、、お時間でございます」

 矍鑠とした声が響く。

「残念」

 そう言ってうなだれながら、ダイニングを出ていくミッシェルがハッと急に振り向いた。

「ミリアン、ちょっと来てちょうだい」

「リシェール、ごめんなさい、ちょっと出かけてくるわ。この続きは今晩のお楽しみにしておくわ。もう夜が待ちきれないわ」

 そう言うと、ひとつウインクをして二人でダイニングを出て行ってしまった。

 急に静かになったダイニングでリシェールは一人、透き通る朝の光に包まれて潮風に吹かれながらドキドキした鼓動を静めるようにゆっくりとコーヒーを飲んだ。

「なんかとんでもないヴァカンスになりそう」

 そして今日もエーゲ海の空は青く高く広がっていた。



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