表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
風の中で  作者: 正和
23/43

騒風

 眼下に見える河の流れ、その河に沿って行きかう車のヘッドライトがまるで河の流れのように上へ下へと流れていく。

 ショウは今日もまた夜のフルビエール寺院にやって来ていた。

 ここに来ればもしかしたらもう一度サユキに会えるかもしれないと思っていたし、彼女と会ってから数日ささくれ立った自分の心をなんとか落ち着かせようと毎日のようにここに来て、一人夜の街を眺めている。

 今ほど自分の記憶がないことに苛立ったことはなかった。

 この数か月で起きた出来事そのすべてが自分の記憶に原因があった。しかし、その原因のである記憶が失われているため、手の施しようがない。自分の無力さが悲しいほどに肩に圧し掛かる。

 苛立ちが胸の奥で蜷局を巻いているのを感じる。ダメだ!!と自分を抑え込もうとはしてみるが、どうしようもない感情が心を駆け巡る。

 すでに二人だ、俺が心を許した女性が二人とも俺のことで巻き込まれてしまっている。

 それなのに俺は何もできず、何をしたら良いのかも分からないままいるのだ。

 そんな不調和の精神状態では、いつも見えるもの聞こえるもの感じることができる物さえ、すべてが無であった。

 ゾクリ、と背筋に悪寒が走る。

 ショウの体が宙を舞い、体をひねり地面に突っ伏すように着地する。

 這いつくばった格好のまま、ショウは初めてその男を見た。

 月明かりと街灯の薄明かりで見えるその男の体はまるで昆虫のナナフシのようであった。

 棒を繋いで作り上げたような異形の体形、長い手足に黒づくめのボディースーツ、闇の中に光るサングラス。

 ショウが感じたさっきはこの男のものに違いない、だが今では何も感じさせることがない。

 ショウの首筋がピリピリと危険信号を出している。

 ゆっくりと立ち上がる。

 二人の距離は約10メートル、男はぐぐもった声で言った。

「ヴェントだな、くっくっくっ」

 笑ってはいるが、表情は全く無表情、気持ちの悪い男だ。

 ショウは何も言わずに周りの気配を隈なく探る。

「心配するな、俺一人きりだ。くっくっくっ」

 蜷局を巻いている苛立ちが鎌首持ち上げてくる。

「お前が本当にコレット様を殺ったのか」

 ショウは何も言わない。

 だが、コレットの名前を聞いた時明らかに動揺が走った。

 相手もそれを見逃すことはしない。

「そうか・・・俺の名はマクベリー、お前を死へと誘う者の名前だ」

 蜷局を巻いた苛立ちが一気に膨れ上がり怒りへと変わっていく。言葉を口に出すと爆発しそうだった。

 今までのすべての苛立ちとか、怒り、色々なものがこの男のせいだと思い込んでしまっている。

 もう押さえつけることができない。

 ショウは黙ったまま右手を差し出すと、手の指を2回ほどクイクイと上に向かって返す。

 そう、おいでおいでとやってみせたのだ。

 マクベリーの殺気が広場全体を押し包む。

 対するショウは静かな瞳でそれを見つめている。

 しかし、その瞳の奥には憎悪の炎が燃え上がる。

 イライラが最高潮になりつつある、ショウはいつものように冷静でいられなくなりつつある。

 マクベリーの手元が微かに動く。

 身動きできないショウの左頬を掠めて真っ黒に塗られた太さ1センチ長さ20センチはあるクサビがショウの背後の地面に突き刺さる。

 一気にショウの体全体から殺気が溢れだす。

 ショウは全くの無防備に敵に背中を見せてクサビを拾い上げる。

「あいさつ代わりだ」

 と言う、マクベリーに対して背中越しにショウの右手が煌めく。

 マクベリーの左頬をクサビが掠める。

 向かい合った二人は共に左頬からうっすらと血を滲ませている。

 全く武器を持っていないショウにとっては一方的に不利な立場にあるはずなのに怒りに溢れるショウにとっては、もうそんな簡単なことさえ考えられなくなっている。

 ショウの体が矢のようにマクベリーに向かって飛んだ。

 マクベリーの手からクサビが立て続けに放たれる。

 ザッザッ、と地面を蹴りつける音だけが響く、残像だけを残して右に左に弾かれるようにして一気にショウの蹴りがマクベリーの足元を襲う。

 蹴りつけられたと思った時には、マクベリーは体をひねりバック転しながらそれを避けた。

 そして、振り上げた踵を倒立したままショウの頭に向かって叩きつける。

 滑り込むようにしてショウはショウはマクベリーの上半身に向かって蹴りをたたきつける。

 マクベリーは踵をたたきつける反動で、上半身を浮かせそれを避ける。

 間髪入れず体をひねりながらショウの回し蹴りが、マクベリーに飛ぶ。

 マクベリーはそれを両手でブロックするが、衝撃で宙に飛ぶ。

 いや、マクベリーは自ら飛んでいたのだ。そして、飛びながらもクサビを打ち込む。

 ショウはそれを手刀でたたき落とし、一気に距離を詰めて左拳を叩き込む。

 マクベリーは仰け反るようにしてそれを避けながら右の蹴りでショウの側頭部を薙ぎ払う。 それを左腕でブロックしながら右拳を放つ。右拳がマクベリーの長細い顔面を捕えたと思ったのだが、スルッとすり抜ける。

 ショウの後頭部に衝撃が走る。

 マクベリーは体を捻り長い脚を振り回して、ショウの後頭部を狙ったのだ。

 見えない背後からの攻撃をよけきれなかったのだ。

 一瞬目が眩む、が体が反応し次の攻撃を避けるため前方へ飛び込んでいた。地面の上を転がり、十分な距離を取って立ち上がる。

「お前が持っているんだろ、漆黒のリング」

 サングラス越しにカッターで入れた切れ込みのような細い目でショウを睨み付ける。

 ショウは黙ったままだ。

「クックックッ、知らないふりか?しかし、ヴェント、お前が本当にコレット様をクリアーしたのなら持っているはずだろ、継承者のみが持つことができるあの指輪を・・・」

 耳に障る嫌な笑い声とくぐもった気の滅入るような声が、ショウの怒りをさらに掻き立てる。

「何の話だ」

 そう言いながらも、自分の胸にぶら下がっているリングが気になっていた。ヤツの言っているのはこのことなのだろう。

 それはヨーロッパ全土を席巻する古の暗殺集団であるプリスカ一族に伝わるもの。そのリングを所有する者がプリスカ一族の長となりえるのだ。その長となるためには、奪い取るのみ、力のみがその継承を認めるのだ。

 よって、トップに立った者は、生き続けることで自らが最強の男であると主張することができる。そのため長となった者は自分の身を守るために身辺に部下のものを置くことはない。

 史上最強の男にはボディーガードなど必要はないと言い切るのがプリスカ一族の考えである。

 常に死と隣り合わせで、誰も信じられなくなる孤独の戦士が長であり、その命令は絶対であった。

 代々の族長の中でコレットは異例の存在であった。もっとも多くの族長を排出したプリスカ本家の正当後継者であったあった彼は、先代の長であったルフランより戦うことなくしてリングを継承することとなる。

 当時のコレットはまだ20代半ばの青年であった。その当時は一族の中でも反対派があり幾度となく戦いを挑まれはしたが、圧倒的な力の差を見せつけてそれを阻んできた。

 そして、いつしか誰も彼に逆らうことができなくなった。

 飛びぬけた戦闘能力、誰もを納得させる統率力と正確無比な判断力、そして心惹かれるカリスマ性、それらを兼ねそろえた彼は歴代の長の中でも最も優れていた。そして、在位50年を過ぎて彼は、永遠の伝説となったのだ。

 しかし、それらのことなど記憶を失ってしまっているショウの知らないことであった。

 ただ、マクベリーの黒くドロドロとした野望に対する感情や思いが心のウロコに絡みつきすごく気分が悪かった。そして、ショウの中ではそれらもパワーとなり、モチベーションは最高潮である。

 自分が今敵対している相手が思っていたほどの者ではなかったので油断したマクベリーの口は饒舌であった。

「この俺がお前を殺して漆黒のリングを手に入れる」

 そんなマクベリーを冷ややかな瞳でショウはみていた。

 怒りのゲージはすでにマックスを指示している。

「言いたいことはそれだけか」

 そう言うとショウはゆっくりとマクベリーの方へと足早に歩いていく。全くの無防備な状態である。

 思いもよらないショウの行動に一瞬マクベリーの動きが止まった。

 そして、次の瞬間にはショウの右フックを顔面に受けてマクベリーの体が宙を飛んでいた。

 チャンスとばかりにショウは一歩踏み出し、体を捻りながら前のめりに前方へと回転しながら浴びせ蹴りで踵をマクベリーに向かって叩きつけた。

 宙を飛びながら「ニヤリ」とマクベリーが不敵な笑みを見せたのだが、ショウの眼にはそれは映らない。

 思い切って放った浴びせ蹴り、ショウは踵に何も当たる気配がないのが分かって心の中で叫んでいた。

「しまった!」

 少しよろめきながも着地したショウの右肩に鋭い痛みが走る。

 右腕の付け根の辺りに真っ黒のクサビが打ち込まれていた。

 痛みがショウを怒りの炎から解放する。

 冷静になり周りを見渡すが、マクベリーの姿は見えない、完全に姿を消したのかと思ったが、鋭敏な感覚はマクベリーを逃すことはなかった。

 マクベリーはひっそりと闇の中にいた。それは地上3メートルの上空であった。

 奴は宙に浮いている。

 闇夜の中腕を組み直立不動の姿でショウをし見下ろす。

「クックックックックッッ」

 何度聞いても嫌な笑い声だ。

 ショウは黙ったままゆっくりと肩に突き刺さったクサビを引き抜く。

 骨を砕かれることはなかったが、傷は深い。血がとめどなく流れる。

 しかし、ショウはそんなことなどお構いなしである。

 この状況においてもまだ、マクベリー向かってかかってこいとジェスチャーで挑発しているのだ。

 マクベリーの顔が怒りに歪む。

「そんなに死にたいのなら望みをかなえてやろう」

 そういうが早いか、「ヒュッ」と空気を割いてクサビが飛ぶ。

 真っ黒に塗られたクサビをこの暗闇の中でよけるのは常人には不可能なことである、が、それをショウが避ける。

 マクベリーの表情がますます厳しくなる。

 グッと空中でマクベリーの体が一瞬沈み宙を舞う。宙を舞いながらクサビを打ち込む。

 ショウはただ全力で走り、狙いがつけられないようにするのがやっとである。

 また、マクベリーの体は宙に浮かんだまま止まった。

「クッククッ」

 完全に有利な立場にあるマクベリーにとっては、この戦いはすでにハンティングになっていた。

 後はどうやってショウにとどめを刺すかだけで、ほんの少しも自分の勝利を疑うことはなかった。

 そして、ショウは追い詰められていた。

 しかし、ショウは笑い声のする方へと走り出した。そして、傷を負った右手で声の方へと石を投げつけた。

 今ショウの手に入る飛び道具は足元に転がる石ころしかなかった。

 石と共に血飛沫が宙を舞い、石は暗闇の中へと飛んでゆく。

「簡単に死んでもらってはもったいない、せいぜい楽しませてもらうぞ」

 そう言うと、マクベリーは空中を走り出した。そして、またクサビを投げつける。

 ショウは耳を澄ませてクサビが空を割く音を聞きそれを避けた。そして、再び石を投げつける。

 と、その時背後から避けたはずのクサビがショウの脇腹を掠めた。

「!!」

 驚きの表情でマクベリーを睨み付ける。

 マクベリーは相変わらず不気味な笑い声を出している。

 そのたびに石はどこかへと飛んで行き血飛沫が宙を舞う。

 そして、ショウは風切音でクサビを避けることができなくなってしまっていた。

 クサビが途中で進路を変え、通り過ぎたはずのクサビが背後から襲ってくる。

 すでにショウの体は傷だらけになっていた。大量の出血のため目がかすみ、自分の体重を支えきれず崩れそうになる膝を、必死でこらえて踏ん張る。

 闇の中からマクベリーの気味の悪い声゛響く。

「キャッヒャヒャッヒャハッ!手も足も出ないとはこのことだ安心してこの世から去って行ってくれ。この俺様がプリスカのトップとなるのだ。素直に漆黒のリングを渡すのであれば命だけは助けてやろう」

 ショウは俯いたまま息荒く立っているのがやっとの状態である。しかし、そんな状態でもまだショウは石を投げつける。が、もうショウの手には石は握られておらず血飛沫が宙に舞っただけであった。

 マクベリーの冷笑が夜空に響く。

 その冷笑に重なるようにショウの笑い声が・・・

 マクベリーは自分の耳を疑った。この状態でショウが笑い出すとは思ってもいなかった。

「ヒャッハー、やっと死ぬ覚悟ができたようだな」

 そう言ってマクベリーが空中を走り出そうとした時、ショウの手からクサビが飛んだ。そのクサビはショウの方に突き刺さっていたものであった。

 しかし、それは全く見当違いな方向へと飛んで行ったのだ、が、しかし、それと同時にショウは最後の力を振り絞り全力で走りだした。

「ブン」

 空を震わす音と共に、足場を失ったようにマクベリーが真っ逆さまに落ちてくる。とっさの出来事にマクベリーは受け身を取ることしかできない。

 ショウが宙を舞い、空中で二人が交差する。

 そして、同時に地面へと叩きつけられ、二人とも地面に横たえたまま動かなくなってしまった。


 ほどなくして、ジャリジャリと人の歩いてくる音がして、小さな人影が現れる。ショウの傍らに立つその人影の正体は、ヤン・スーウェンであった。

「自分の血を犠牲にして、ヤツの足場である張り巡らされたピアノ線を見切ろうとは無茶をする」

 そう、マクベリーが空中に存在できたのは、空中に張り巡らされたピアノ線のおかげであった。マクベリーは特殊なサングラスをしているため暗闇の中でもそれを見ることができるが、ショウには見ることができなかった。

 そのため、石を投げつけるふりをしながら自らの血飛沫をピアノ線にまき散らし、その存在を露わにしたのだ。

 そして、それをクサビで断ち切り、マクベリーを空中から引きずりおろしたのだ。

 ヤンは静かにショウの体を抱き上げて言った。

「よくがんばったな」

 ショウは気を失ったままだ。

 そして、ヤンの視線がマクベリーへと注がれる。

 マクベリーが憎しみの怒りの眼で睨み付けながらゆっくりと立ち上がる。

 しかし、ヤンは何事もなかったようにゆっくりとショウを抱えたまま歩き出した。

 風が吹き、雲は流れ月明かりが広場を照らす。

 マクベリーの胸に突き刺さったナイフが、月明かりを反射する。マクベリーはそれを力任せに引き抜いた。

 血飛沫が宙を舞い、ゆっくりとマクベリーは仰向けに倒れていく。

 空を見上げながら倒れこんだマクベリーの右手には、Liberite Egalite Fraternite(自由、平等、友愛)と三つの言葉が刻まれたナイフが握られていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ