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風の中で  作者: 正和
19/43

離風

フランスのほぼ中央に位置し、シルクの織物業で有名な街リヨン。

その町を一望できる小高い山の上に建つ美しい寺院、ノートルダム・ド・フルビエール、その天辺には街に向かって天使が守護するように見つめている。

 ここは、世界一広い何もない広場で有名なベルクール広場と並んでリヨンの観光名所である。ここから山を下ると世界遺産にも登録されている古い街並みが広がる。ボナパルト橋を渡りソーヌ川を越えると、ソーヌ川に沿って朝市が開かれている。新鮮な魚介や野菜、果物、様々な食肉にチーズに花、お菓子に古本何でも売っている。

 毎朝たくさんの人でにぎわっている場所である。

 そのまま東に向かうと見えてくるのがベルクール広場である。ここは、ただ広い広場であり、特に何もない。あるのは申し訳程度にだだっ広い広場の中心に像があるだけの長方形の広場で、たくさんの鳩が飛び交い、ところどころに置かれたベンチでは散歩途中の老夫婦が小休止したり、黙々と広場を走る中年男性、鳩を追いかける子供たちと多くの市民に愛されている場所である。

 実はこの広場の地下には巨大な駐車場があり所々に地下への入り口があるのだ。

 そのベルクール広場から東に延びるレピュブリック通りがメイン通りとなり、日本にもあるプランタンなど高級ブティックが建ち並んでいて、人通りも多くにぎやかな通りである。

 そんなリヨンの街も陽が沈みかけ、当たりがオレンジ色の夕日に照られ始め人通りもまばらになってきた。

 日本ではまだ夕方と思われる情景であるが夏が近づいているこの時期では、すでに10時になろうとしているのだ。

 そんな時刻、少しずつ火がともりつつある街並みをフルビエールの見晴らし台から見下ろす男がいた。

 パリにいる頃は短く刈り上げられていた髪も、今ではすっかりと伸びてしまいなんとか後ろで縛ることができるくらいの長さになっている。

 夏の香りを微かに含んだ風が長く伸びた髪をなびかせる。

 ショウはここから眺めるリヨンの景色が大好きであった。とくに夕闇が街に降りてくるこの時間帯が好きだった。ビルや家々の窓から灯の光が溢れ、車の灯りが川の流れのように行きかう。

 そこには人の生活があり文化があった。

 飽きることなくボーっと時を過ごす。ただこの場所だけがこの街で自分の存在を許してくれているような気がしていた。


 ショウの双の瞳には悲しみがにじんていた。これからの自分の生きてゆく方向を見失っていた。これまでの自分が消えてしまっている、ショウの心は宙に浮いていた。心がもがいていた。現実と自分の存在を繋ぐ糸を探して闇雲に宙をつかんでいる、そんな気分であった。

あの時、リシェールと別れてたどり着いたのがこの街であった。何か見えない力で引き寄せられるようにやってきた街だが今ではなんとなく分かっている。ここが始まりの場所なのだと。

 しかし、まだ記憶を取り戻すことができずにいた。確かにいつかはこの街にいたことは確信が持てる。

 薄明かりの中自分の手のひらを見つめる。過去の自分はこの地で何かをつかみ取ることができたのだろうか。今では何も掴み取ることができていない自分の手のひらに悲しみが広がる。

 せめて過去の自分はこの地で何かを得ていた、と願いにも似た気持ちがある。

 何度振り払おうとしても消えることのない霧が広がり、白く曇り見ることのできない過去がショウを苦しめる。

 これからどうすればいいのか?わからないまま、ただじっと街の灯りを眺めていた。

 背後からジャ、ジャ、ジャ、と砂利を踏む音が近づいてくる。それでもショウは振り返ろうともしない。

 やがて一人の少年がショウの隣にやってきた。

 それでもショウの視線は変わることなく、リヨンの街灯りを見つめている。

 まだあどけないその少年は、つぶらな瞳でショウを覗き込んだ。

 「泣いているの?」

 ショウはかすかに揺れる街の灯りから少年の顔へと視線を移してはにかんだ笑顔で軽く首を横に振る。

 少年は元気あふれる笑顔で答える、その眼差しにはショウへの憧れが見え隠れしている。少年はショウのことが大好きであった。

 「もう帰らないといけないな…」

 申し訳なさそうにショウは言った。

 「うん、もう僕お腹が空いちゃったよ」

 二人が手を繋いで砂利の上を歩き始めると、二人の行く手を遮るように黒塗りの一台の高級車が止まった。

 ショウと少年がそれをよけようとした時、後部座席の窓が下がり一人の女性が現れる。

 少年の手からショウの手がすり抜けてしまっていた。振り返って少年はショウを見る。

 ショウは立ち止まり車内の女性を見つめていた。

 混乱していた。喜び、怒り、戸惑い、動揺・・・さまざまな感情が一気に流れ込んできてただ見つめることしかできなかった。

 窓の奥へと女性が消えると、運転手がドアを開けて乗車を促す。

 ショウは促されるまま車に乗ろうとしている。

 「ショウ!!」

 驚いた少年の声が響く。

 「先に帰っておいてくれ」

 そう言うと、ショウは車の中へと消え、車は静かに走り去ってしまった。

 少年は何が何だか分からないまま立ち尽くし、車の消えて行ってしまった街角を見つめていた。





 ショウを乗せた車は静かに走っている。そしてショウの隣には突然姿を消したサユキがいた。

 ショウはサユキを見つけた安堵感とは別に怒りが込み上げてくる。

 その怒りはまるで出来の悪い子供に対する思いのようだ。

 車の窓から外を眺めるサユキの横顔を見つめる。たまらなく愛しく心が燃えるようだった。しかし、これは恋とかそういうものではなかった、彼女はショウにとって家族の一員のようであった。

 まだであって間もないはずの二人であったが、お互いに同じ感情を共感していた。

 「怒ってる?」

 ショウの瞳を見つめてサユキはそう言った。

 それは、いたずらをしてお父さんに怒られるのを恐れている幼い子供のように涙ぐみ瞳を潤ませている。

 それを見たらショウは何も言えなかった。知らないうちにただ抱きしめていた、抱きしめて頭をなでていた。

 それはまるで愛しい娘を抱きしめる父親のようであった。

 「ごめんなさい」

 サユキは小さなかすれるような声で言った。

 ショウは言葉が見つからずただ抱きしめるだけだった。それだけですべてを伝えることができた。

 「ねぇ、ショウ、実は話したいことがあるの」

 そう切り出して話し出したサユキの話はショウが耳を疑うものばかりであった。

 


 ショウはいま2つの巨大な組織に狙われている。そして、ショウはその一方の組織であるノアールと言う組織に所属していて、もう片方の組織であるプリスカという闇の組織の首領である男を殺したらしい。

 そして、そのまま姿を消したため、その両方の組織から命を狙われているというのだ。

 全く馬鹿げた話であった。それはまるでショウの想定の範囲外のことで俄かには信じられなかった。

 「ショウ、信じられないでしょうねこんな話・・・・」

 サユキはじっとショウを見つめている。

 「ああ信じられない」

 素直にショウは言った。

 「でしょうね」

 ショウが現実を受け止めるのを拒否するのが分かっていたかのような口調であった。

 「でもね、あなたがプリスカという組織の首領である男を殺した証拠があるの」

 ショウはあきれた表情で言った。

 「そんなものがあるのなら、ぜひとも見せてほしい」

 「それは、あなたがいつも持っている・・・」

 その言葉を聞き、ショウはハッとしてシャツの内側から金のネックレスを引っ張り出す。

 そのネックレスには一つのリングが通されていた。

 ショウはそれを首から外すと、サユキに手渡した。

 サユキは慎重に注意深くそれを隈なく見つめる。

 それは黒曜石でできた漆黒のリング、二匹の蛇が絡み合う精巧な逸品である。蛇の眼の部分には怪しく赤く光るルビーと蛇の冷徹さを表すサファイアがそれぞれ埋め込まれている。

 「見て」

 そう言って差し出されたリングの内側には、プリスカの文字が刻まれている。

 「このリングは、漆黒のリングといって代々プリスカの首領となった者だけが身に着けることができるものなの、逆に言うとこのリングがなければ首領にはなれない。首領になるためにこのリングを巡って様々な争いが合ったそうよ、そしてこのリングを手に入れた者こそがプリスカ一族の首領となる。」

 半信半疑ながらそのリングをじっと見つめる。いつからそのリングを身に着けていたのか記憶がない。ただいつも身に着けたままでシャワーを浴びるときでさえ外したことがなかった。

 しかし、これがそんな価値のあるものだとは全く知らなかった。

 「プリスカ一族がそのリングを手に入れるためならどんな手段を取るか分からないわ」

 「俺はどうすればいいんだ」

 困惑した表情を隠すことなく、正直に尋ねた。

 サユキはショウの瞳を見つめる。

 「あなたは帰らないといけないの、本当の自分の居場所へと、あなたを待つ人たちのもとへと・・・」

 その言葉の意味を教えることなく、サユキはショウを残して行ってしまった。

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