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風の中で  作者: 正和
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鎌風

  -起点ー


  -200X年ー   フランス北部


 厳冬のフランス、冷たく研ぎ澄まされた空気が肌に突き刺さる。

 風は空を裂き、岩をも砕かんばかりの波が高くそびえたつ崖にぶち当たり白波となり宙を舞う。

 その島を取り巻く潮の流れは何人をも拒絶し、侵入を阻んでいた。

 それ故に、この島は無人であると信じられてきた。

 そんな島の、そんな危険な崖の下、打ちつける波の中から一つ人影が立ち上がる。

 その男、どうやって?何のため?ここに現れたのか?

 足元を波が洗う岩場の上で、全身黒づくめのその男は、じっとその崖の上を見つめている。

 その視線の先にはなにがあるのか・・・。

 ゆっくりと男は、目前にそびえたつ壁のような崖に手をかけると、一寸の躊躇もなく登り始めた。



 太陽が西の海に沈み、海原の上に漂う淡いオレンジ色の層の上に淡い紺色から闇へと繋がるグラデーションの空が空間を覆い尽くそうとする頃、その崖の上に、その男が姿を現した。

 枯れかかった草原の上で、大の字になって男は、紺から闇へと移りゆく空を眺めている。

 ゆっくりと呼吸を整え、瞳を閉じた。

 静かにそして確実に時は流れ、流れゆく風が枯れかかった草原をカサカサと音を立てて撫で上げる。

 空はすっかり闇に包まれ、雲の隙間からは星の光が覗いている。

 闇がこの世のすべてを支配していた。

 男は音もなく立ち上がり、草原の彼方に見える館を見ていた。

 文明の光が宿るその館、それは館というよりは城であった。

 その城の周りは何もない、堀も城壁もない・・・ただの城がぽつんと建っている。それはまるで、どうぞご自由にお入りください、と言わんばかりである。

 男も、それでは遠慮なく、とばかりにまっすぐにその光に向かって歩き始める。

 振り返ることも、あたりを見回すこともなく、男の瞳はその光だけを見つめて、止まることなく流れるように進んでゆく。

 ためらいも、おそれも、また感情もない・・・・ただ進んで行く。

 そして、男は城の正面に姿を現すが、その歩みは止まることも、躊躇することも知らないらしい。

 巨大な玄関を、気軽に音もなく開き、男は城の中へと姿を消し、そして再びその扉は音もなく閉じられた。

 

 広い玄関ホール、その両側から半円を描くように二階へと続く幅3メートルほどのカーペット張りの階段があり、その下をくぐるように真っ直ぐと廊下が延びている。

 男は、わき目を振らずにまっすぐと進む、そして巨大な扉の前に立つ、その巨木の一枚板から削り出されたその扉には、2匹の龍が絡み合うように天へと昇るレリーフが刻み込まれている。そしてその龍を取り巻くように、異形の生物が飛び交っている。

 その見上げるほどの巨大な扉を、こともなげに開き、そのわずかな隙間から姿を消した。

 そして、扉は音もなく閉じた。


 空には暗黒が立ち込め、湿った空気が息苦しい。

 辺りは、血と汗、鉄、火薬などのむせるような臭いが充満し、大気は怒りに満ちていた。

 男達は、思い思いの甲冑に、さまざまな形の楯、さまざまな武器を手に、雄叫びを上げ目前の敵へと襲い掛かる。

 血がたぎり、血に狂い、血を求める。

 大地は血に染まり、大気に狂気が乱舞する。

 誰も止まらない、止めることはできなかった。

 

 いつの時代のものなのか、その巨大なタペストリーは壁紙のようにその場に存在するのが当たり前のようにあった。

 

 芸術というには、あまりにリアル、凄惨、醜悪な絵柄である。

 すぐれた作品ではあるが、美術館に飾るにははばかる代物である。

 そんな作品を、巨大なシャンデリアに並ぶ何百もの蝋燭が、闇から照らし出している。

 

 日本家屋が一軒丸々入ってしまいそうなその部屋の隅、大きな暖炉が赤々と光を放っている。

 何十本もの太い槇が、赤い炎に包まれて、時折パチンと悲しそうに悲鳴を上げる。


 その暖炉のそばに据えられた大きな一脚の玉座のような巨大な椅子。

 男の視線は、その椅子の背もたれの向こう側に注がれている。

 大きな背もたれのため、どんな人物が坐しているのか全く見ることができない。

 

 その漆黒の瞳、短く切りそろえられた黒髪、その男は日本人のようだ。

 身長もさほど高くなく、どちらかといえば小柄な部類に入る。

 しかしながら、アスリートが身に纏うようなピッチリとしたボディースーツに包まれた、鍛え上げられ引き締まった体であった。

 

 その男が、じっと見つめる玉座のような巨大な椅子が、この毛足の長いラグの上で信じられない動きを見せる。

 大人2人がかりで運ばなければならないようなその椅子、それがフッと十数センチ浮かんだと思ったら、その場でこちらにくるりと向いたのだ。


 その椅子に坐している男、その存在は恐怖であった。有史以来の暗殺集団プリスカ一族を50年以上も束ね続けている化け物のような男であり、生きながらに伝説となった唯一の存在、コレット・プリスカである。

 情報が真実だとすれば、齢すでに80歳は過ぎているはずであるが・・・目前に悠々と腰かける男は、まだ初老50代後半から60代初めのようにしか見えない。

 長く伸ばした白髪を彩り鮮やかな組紐で無造作にまとめ、肩から胸のあたりにたらし、目じりの皺が彼の重ねてきた年月をあらわしてはいるが、その瞳に宿る光は一向に衰えてはいなかった。

 座ってはいるが、非常に小柄と言ってよいであろう。身長は160センチ満たないであろう。体つきも細身で、見た目は小柄なおじいちゃんである。

 しかしながら、その肌の艶,張り美容整形でも行ったのかと疑いたくなる。


 「なにか、ようか?」


 孫に話しかけるような優しい声音で、コレットが言った。


 黒髪の男は、黙ったままそこに突っ立っている。しかし、その瞳はずっとコレットを捉えたまま動くことはない。


 

 「お前、ヴェントであろう。」


 男の瞼がピクリと反応する。

 それを見て、コレットは満足そうにうなづいた。


 「そろそろやってくるだろうと待っていた・・、あまり年寄りを待たせるな、老い先短いでなぁ、年寄りには時間は貴重なものじゃて・・」

 

 コレットはゆっくりとまるでスローモーションのように立ち上がると、両手を腰の後ろに組んでヒヨコヒヨコと3歩歩いて、じっくりとヴェントの顔を眺めた。


 「なかなかいい男じゃの・・・まぁ、わしの若いころの方が何枚も上手じゃが、ふむ、いい目をしておる。」


ヴェントと呼ばれた男の瞳が冷たく燃える、殺気が青い炎となり立ち上がる。

 

 「むだ話は必要ないようじゃな・・・」

 

 そう言うと、コレットの眼は細く鋭くとがり、軽く重心を落とす。両の手はだらりと下げられたまま、好きにかかってこいとばかりに自信に満ちている。


 間髪入れず、ヴェントの体が沈んだ・・・弾けた。その体は水面の上を飛ぶトビウオのごとく一直線にコレットに襲い掛かる。


 いつしか右手に握られていたナイフが、さっきまでコレットが座っていたはずの椅子の背もたれに突き刺さる。

 ヴェントの右足が空を裂く。体を捻りながら打ち出した渾身の右回し蹴りを、コレットはフワリと風船のような動きでよける。

 ナイフを抜き取ろうとするヴェントの耳元で声がする。

 「お前がそうなのか?」


 「??」


 背後の声に向かって右肘が飛ぶ。手ごたえが全くなく、振り向くと真後ろにいると思っていたコレットは、ヴェントから5~6メートル離れたところで、右手に燃え盛る松明を持ってゆったりと立っていた。

 目を細めてヴェントの顔をまじまじと見つめる。


 生きながらに伝説となった殺人集団の長、もう一人は今の時代暗殺者の中で最も恐れられ、情報を一切もらさずに頂点に立とうとする漢。

 ヴェントがコレットを倒した時初めて名実ともに頂点を極めたことになるのだ。


 二人の間にはただならぬ空気が大流となり渦巻き、コレットの手に握られた松明の炎も尋常ではないほど燃え上っている。


 「ほーう、アジア系の顔つきじゃな、東南アジアにしては色が白い、日本人か?」


 唸るように言ったコレットの言葉にも全く反応せず、ひたすら無表情のままコレットを見つめるヴェント。


 「つまらん奴じゃの、お前が何も言わなんだらボケ老人の独り言みたいじゃわ、何か言ってみんか!」


 孫の相手をする老人のような表情を見せ言う。

 ヴェント無表情を保ってはいるが、コレットが一体何を考えているのか分からず、心の中は苛立っていた。額からにじみ出た汗がヴェントの頬を伝う。


 「そうか、何も言わんか・・・仕方がないの、ちょっとばかし相手をしてやろう」


 そういうと、左手に松明を持ち替え右手を拝むように突出し軽く腰を落として構えた。対するヴェントは突っ立ったまま全くの自然体である。コレットはジッとヴェントを見つめたまま、左手がスーッと下がり、見つめあう二人のちょうど真ん中に向かて松明が宙を舞った。

 火の粉を散らしながら松明は弧を描いて二人の視線を遮りながら床に落ち、小さな炎を散らした。


 コレットはヴェントの視界から姿を消した。その刹那、ヴェントは体を捻り背後からの一撃を交わしながら裏拳を飛ばす。

 難なく受け流される、止まることなく肘を捻りコレットの顔面に右の拳を叩き込む。コレットは体をのけぞりながら、それを避けつつ右足は床を蹴りヴェントの股間に吸い込まれるように跳ね上がる。両手でがっちりと固めそのまま体重をかけ逆関節に砕こうとするヴェントの側頭部にコレットの左足が強襲、予測済みのヴェントは軽くスウェーしてかわし再びコレットの右足を砕こうと体重をかけようとしたヴェントの体が吹き飛んだ。

 躱したとばかり思っていた左足がそのまま返ってきたのだ。


 ゆっくりと立ち上がりながら、口元の血を手の甲で拭う。その瞳は冷ややかに燃えている。


 「どうじゃ、じじいの蹴りもチコッと堪えたか?」

とうれしそうに笑う。相反して全く無表情のヴェント。

 まさに陰と陽の戦い。


 ヴェントの瞳がスーッと細まる、なぜか部屋の気温が下がったように肌寒さを感じる。


 「ほーっ、真剣になってしもうたかの、年寄り相手に・・・大人げないの」

相変わらず余裕を見せるコレットではあるが、額から流れる汗が老人の体力の消失を証明していた。

 締め切られた密室の中、二人の間にフワリと微風が漂った。コレットの目前からヴェントの姿が消えた。コレットは動かない。ヴェントの体が弾かれたように、コレットの側面から超低空飛行で飛んでくる。コレットの左の蹴りが顔面に向かって放たれ、それを左手をついて急ブレーキをかけ間一髪でよけながら、ヴェントの体は宙を舞うようにオバーヘッドキックの要領で右足がしなりながらコレットの後頭部に襲い掛かる。

 コレットは背後に目があるかのように体を捻り間一髪よけた。


 二人は再び5メートルの間合いを持って対峙する。

 その時、ヴェントは何か違和感を感じた。しかし、それはほんの一瞬だった。勘違いだと思った。次の瞬間、それは勘違いではないと思知らされた。


 ヴェントの耳もとで声がした、その声が何を言っているのか分からないままヴェントの視界は闇に包まれた。最後にヴェントの瞳には怪しい笑みを見せたコレットであった。


 

 


 


 

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