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ウンディーネは暁に祈る  作者: 咲佐きさ


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第八話

 セデュイールはまだ部屋にいた。今日の撮影は午後かららしい。マネージャーとしての仕事を放棄した俺には関係のない事だが。

 ズカズカと踏み入り、ルーシュミネさんの荷物を纏める俺を、セデュイールは何も言わずに見つめる。

 ――少しは抵抗したらどうなんだ。キバの抜けたライオンみたいな、腑抜けたツラしやあがって。

 ルーシュミネさんはまだこいつを愛している。裏切られ傷つけられても、こいつがいいんだろう。知っていたことだが、改めて突きつけられると、俺はやりきれなくなってくる。

「ルーシュミネさんは間もなくヴェネツィアを去るそうっす。パリに戻ったら荷物纏めてあんたのとこから出ていくって」

「…そうか」

「俺の下宿に来て、一緒に住もうかって話もしてます。別にかまわないすよね? あんたには婚約者もいますし」

「……」

「ルーシュミネさんは俺が幸せにしてやりますよ。あんたにはもう任せられない。何もできず手を拱いてるようなあんたにはね」

「…ルーは、それを…」

「ルーシュミネさんって、いい匂いがするんすね。甘いお菓子みたいな、花みたいな…同じ人間とは思えねえくらい、細っこくって、折れちまいそうで…」

「……」

「どこもかしこも真っ白でキレイなのに、腿の内側に黒子があるの、こないだ初めて知りましたよ」

「…やめてくれ、それ以上聞きたくない」

「そすか。ルーシュミネさんは、もっと酷い仕打ちをあんたから受けてましたけどね。まあもういいっす。もう関係ねえことなんで。あんたはオペラ歌手とお幸せに」

 組み合わせた手で額を覆い、なすすべなくソファに掛けたままのセデュイールが低く呻く。

 陰鬱なため息のようなその音に振り返らず、俺はルーシュミネさんのスーツケースを抱えて部屋を出る。

 もう二度とこの部屋に、戻ってくることはないだろう。




「朗報よルーシュミネ! これは街で聞いたことなんだけど――あら、バロット来てたの?」

「うす。姐さんも来てたんすね」

「なんだいダイアナ、今いいとこなんだよー、ちょっとあと三小節書き切っちゃうから待ってて!」

「こんなときによく仕事なんてしてられるわね!? 信じられない、あんたセデュイールより仕事のほうが大事だって言うの!?」

「そりゃあ仕事はだいじだよー、なくなったら困るもん」

「で、姐さん、なんすか朗報って。ルーシュミネさんの代わりに俺が聞きますんで」

「あんたいつからルーシュミネのマネージャーになったの? セデュイールは今撮影中でしょ? 行かなくていいの?」

「いいんです、セデュイールのマネは辞めたんで」

「ええ!? そうなの!? なんで!? まさか今回のことで!?」

「さあできたぞう! 新曲の完成だ! ちょっと下のオルガンで弾いてこようかなー」

「だから待ちなさいってば! あんたが、周りに気付かれずにセデュイールに近づくチャンスができたのよ!」

「…え」

 ダイアナのもってきた情報はこうだ。

 セデュの映画の関係で、ヴェネツィア本島でカーニヴァルを模したシーンを撮影するらしく、島民全体がエキストラとして参加する盛大な催しになるそうだ。

 ヴェネツィアの仮面カーニヴァルといったら、中世を舞台にした映画や小説で僕も見たことがある。治安上の理由? かなにかで、今は廃止されているらしいけど、映画の撮影ってことで、今回は特別に許可がおりたのだそうだ。

「へええ、お祭り、楽しそうだねえ! 僕も見学に行きたいなア」

「ばかね、ただ見学して終わりにするつもり!? 撮影にはセデュイールも来るのよ、これはチャンスじゃない!」

「ちなみに君ってこっち来てからセデュと話せたのかい?」

「話せるわけないじゃない…私は失恋ダブルパンチを食らったんですからね…あのひとの目を見たら泣き出す自信があるわ…」

「なんかゴメン。でもさあ、今更僕が行ったところで何ができるわけでも…」

「あんたが引っかかってたのは、セデュイールといるところをパパラッチに見られたらまずいってことでしょう? だから今回の撮影を利用するのよ。仮装して近づけば、誰に見咎められることなく彼と話せるかもしれないじゃない!」

 まるで自分のことのようにはきはきと語るダイアナはエネルギーに満ち溢れている。うじうじしている僕の尻を引っ叩いて、明るい方へと引きずり出してくれる。

 こんなとき、僕は恵まれてるなア、とおもう。これもみんな、セデュが連れてきてくれた縁だ。

 …セデュに、誰にも知られず会えるのか。

 それはとてつもない誘惑で、僕は尻尾振って飛びつかずにいられない。

 結局僕は我慢知らずのクソガキだった。おかしいな、ちょっとは大人になれたかと思ってたんだけど。

 バロットはいつの間にか姿を消していた。彼の優しさを利用して、縋ろうとした僕を、バロットは許してくれた。途中で幼児みたいに泣き出して、最後までさせてあげられなかった僕を許してくれた。

 彼を利用するだけ利用しておいて、セデュのところに喜び勇んでいく僕を、軽蔑してくれてると、いいんだけど。

 まっすぐに愛を注がれるのは、僕にはやっぱり荷が重い。


「そうと決まれば衣装選びよ! さあ行くわよ! 本島ではエキストラ用の衣装もたくさん用意されてるの。もしサイズが合わないようなら仕立て屋も呼んどいたから、今日中に着くと思うし…」

「えええええ。君いつ手配したのさ…というかなんか、めっちゃウキウキしてない??」

「あんたを目いっぱいめかしこませて、あのイタリア女の鼻を明かしてやるのよ…これが燃えずにいられますか…!」

「え、メイクとかもする感じ!? 仮面つけてるんだからわからないだろー!?」

「ばかね、見えないところも手を抜かないのが真のお洒落というものなのよ!」


 果たして、ダイアナに引き摺られてその日は一日衣装選びで終わった。

 カーニヴァルの撮影は1週間後、らしい。




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