第六話
「ちょっとあんたどういうことよこれ! 説明しなさい!!」
マチウを待ち詫びていた(これは駄洒落じゃない)僕のもとに、真っ先に怒鳴り込んできたのはダイアナだった。マチウに連絡した次の日だ。いや、フットワーク軽いにも程があるだろ!? ていうか君仕事はいいの!?
「今はオフだったの、たまたまね。でもちょうどよかったわ、あんたに聞きたいことが山ほどあるんだから…」
ダイアナもまた、セデュとオペラ歌手との婚約発表のでかでかと記載された新聞を手にしている。芸能ニュースが一面を飾るなんて、平和でいいね、まったく。
「あんたがついていながら、婚約って何よ!? どういう経緯でこうなったわけ!?」
「経緯ねえ、経緯…僕もしょうじきよくわかんないんだよねえ…」
「ハア!? なにぼんやりしてんのよ、こんなところで油売ってる場合じゃないでしょう!! セデュイールに直談判するのよ、直接話さなけりゃ何もわからないじゃない!!」
憤然と並べるダイアナに押されつつ、僕は苦笑いだ。こんなふうに素直に怒れる彼女が、ちょっと、羨ましい。
「いや、今更話してもさ…あんまり、あいつを困らせたくないし…」
「なんでそう悲観的なのよあんたは!! 私がなんでセデュイールを諦めたと思ってるの、あんたが、あんたたちが、本気で愛し合ってるって思ってたからなのよ!? そうじゃないなら…私がついてたら、ぽっと出のイタリア女なんかに、セデュイールを獲られなかったのに!!」
「よく知らない相手にその言い草はないよー君の悪い癖だねそれは」
「なによ、余裕ぶっちゃって、あんた悔しくないわけ!? セデュイールを獲られても平気なの!?」
「平気っていうか…うーん…」
「なによ」
「僕はさ、よかったかなって思ってるんだ。僕があいつといても、あいつのプラスになることは何もないし、あいつに家族を作ってやることもできないし。それどころか、あいつが家族と拗れる原因にまでなる始末だし。…世間体って、あるだろ? 僕は愛人格くらいが、やっぱり気楽でいいかなーって。ほら、君も言っていたじゃないか。僕はしょせん日陰の身なんだって…」
「…悪かったわよ。あんたたちのことよく知りもせずに暴言吐いて」
「お。君の謝罪は初めて聞いたな。わー貴重だ。セデュにも聞かせてやりたいなア」
「ふざけるのはやめて。あんた、それが本心なの? セデュイールを諦められるの?」
問い詰められて、僕は考える。僕の心の底を覗き込んで、そこに沈殿している思いをたしかめる。
「セデュが僕を愛してることを、僕は信じてる。だから、べつにいいんだ。縁が切れたわけじゃない、あいつは僕から離れられないだろうし。彼の家族がそれで納得するなら…」
「家族、家族、って、あんた言うけど、それってそんなに大切なもの? 子供の足を引っ張る親なんて、捨て去っていいものだと思うけど」
呆れたような口調のダイアナに視線を向けて、僕は自分の正直な気持ちを、彼女に伝える。
「…大切だよ、だって、恋人は替えが効くけど、家族はそうじゃないもの。…生きてるんだから、そばにいられるんだから、大切にしないと」
「…私は家族を棄てて出てきた口だから、あんたの気持ちはわかんないわ」
「うん、べつに僕の価値観を、君に押し付けるつもりはないから、君はそれでいいと思うよ」
「それで、じゃあなんで、こんなところで一人でいるのよ。セデュイールのそばから逃げてきたんじゃないの? あの人の傍にいるのがつらかったんじゃないの?」
「いやそれはさ…婚約した男が、別のやつと一緒にいるのはやっぱりかなりまずいだろ? 今あいつは注目されまくってるだろうしさ…パパラッチとかも押しかけてそうだし…」
「まあそれはそうでしょうね。私なんかは、むしろ見せつけてやればって思うけど」
「そうはいかないよ…僕は君みたいなカワイイ女の子じゃないし…」
「また悲観的になる。あんたを、今のあんたをセデュイールは好きだって言ってくれたんでしょう? もっと自信もちなさいよ」
「うん…セデュが僕を好きなのだけは、確信できる…」
「私の前でそれを言うなーこのロクデナシごみクズ男!」
「えへへ、痛いよお、はなしてよダイアナ…」
ぽかぽかと叩いてくるダイアナの、大して力の入っていない拳を避けつつ、僕は笑う。なんだか久しぶりに、ちゃんと、笑えた気がする。僕の心の中にモヤモヤしていたものも、言語化できてスッキリした。
そうだ、僕はセデュにちゃあんと愛されてる。それだけは胸張って言える。
セデュの奥さんになるひとにはかわいそうだけど、セデュのいちばんは僕なんだ。だから、愛人でも、囲われ者でも、日陰の身でも、全然大丈夫だ。将来に何の保証もなくったって、気まぐれにすぐ途切れてしまう程度の繋がりだって。セデュの愛が続く限りは、僕は生きていけるんだ。
「たた、大変ですうムッシュ・リーヴェ! ああマドモワゼル・ローズ、お早い到着で…」
「あんたが遅いのよ。何してたのよまったく」
「やあマチウ。わざわざ来てもらってすまないねえ…」
「そんなことより、ご存じですか!? ムッシュ・レヴォネが婚約を発表したと…!」
「何周遅れなのよあんたは。とっくに知ってるって言うの! 何のために私が来たと思ってるの!」
「うん、僕も知ってるー。ていうかたぶん、ヴェネツィア中の人が知ってるかもね」
「そそ、そうでしたか…ではこちらは私のほうで処分しておきますね…」
血のように赤い封筒に入れられた何かをもぞもぞやってしまいこむマチウに、ダイアナの目が光る。
「ちょっとあんた何よそれ、見せなさい」
「いえっこれは…まあ、今更と申しますか、そういうあれなので!」
「どーゆーあれよ! 隠されると余計気になるじゃない!」
「えーなになにい? セデュの新情報かい?」
「やめ、やめてくださいいマドモワゼル・ローズ! ひっぱらないでえ、ああっムッシュ・リーヴェ、わき腹を擽らないでえ…」
「アハハ、隠そうとする君が悪い! いったいなんだよ、今更もう驚くようなことはないって!」
「離しなさいほら! いい加減に観念して――」
マチウの手から落ちた封筒の中身が、ばらばらと床に散らばる。
すべてL版の、カラー写真だ。鮮やかな室内装飾と、シーツの白色と、あからさまな肌色が見える。
ヒュッと、ダイアナが息をのむ音を遠く感じる、
そこに写っていたのは、セデュと、写真でしか見たことのないオペラ歌手の、ベッドシーンだった。




