第二話
「すごい偶然だねえ、ご両親に、妹さん? も来ているなんて。君の撮影を観に来たのかなあ? …あれ、僕ご挨拶にいったほうがいいかんじ?」
「…今はまだいい。まず私から話してくる。…両親を説得したうえで、きちんと準備が整ってから、お前を紹介したい」
「そう? ならいいけど。僕もきちんとした席に行くのは気が重いからなー」
ルーは天蓋付きのベッドの上で猫のように伸びをして、私宛に届けられた招待状をちらりと見る。
「君のご両親、グリッティに泊ってるの? あそこ、料理がおいしいらしいよー、何か食べてきなよ。帰ったら感想おしえて!」
「…私の家族が去ったら、レストランに連れて行こう」
「んー、そんなに避けなきゃいけないかんじ、なのかな? 街中でばったり会うのもまずいみたいな?」
「…両親はまだ、お前を誤解しているんだ。まず誤解を解くことからだ。挨拶はその後に…」
「君もタイヘンだねえ。まー僕は気楽に待ってるから、あまり無理しないようにね」
なんでもないことのように言って、へらりと笑う。ルーが何かを我慢しているときの癖だ。彼にそんなふうな顔をさせてしまうことを、私は苦々しく思う。
撮影後、両親の滞在するグリッティ・ホテルのスウィートに向かう。
広い廊下は大版の絵画で飾られ、そこかしこに大輪のダリアやクレマチスが生けられている。
赤を基調としたダマスク模様の壁紙を背に、大ぶりのソファに母さんが腰かけている。
手にしたティーカップを置いて、挨拶もなく入室した俺に微笑みかける。実に5年ぶりの再会だった。
「御機嫌よう。お元気そうね、セディー、会いに来てくれて嬉しいわ」
「…お久しぶりです、母さん。世間話はよしましょう。本題に入ります。ルーのことですが――」
「あらいやだ、まだその子と付き合いがあるの? わたくし、何度も言ったわよね? いかがわしい履歴のある子を、レヴォネは受け入れられないって」
「ルーは才能ある音楽家です。母さんが思っているような人間じゃない」
「でも、あなた、口にするのも汚らわしい場所で、あの子を見つけたのよね? そこで客をとっていたんでしょう? 明らかに、才能ある音楽家がするようなことではないわねえ?」
顔を顰めて、母さんは一方的に捲し立てる。子供の頃から知っているルーのことを、嘲るように口にする。苦々しい思いで俺は口を開き、言葉を探す。ルーのことを理解してほしい。理不尽な蔑視など耐え難い。ルーはそんな扱いをすべき子じゃない、それをわかってほしい一心だった。
「…誤解です、ルーは男娼ではありません。客をとったこともない」
「そうあの子に言われて、あなたは素直に信じたの? ふふ、おばかさんねえ。そんなの、口ではなんとでも言えるじゃない。あの子がお金目当てにあなたに近づいたのは明白よ。レヴォネの名を穢したいのよ。そうしてあなたも地獄に道連れにする気なんだわ」
「電話でも話しましたが、…父さんや母さんがルーを認めないと言うのなら、私はレヴォネの名を棄てます。相続権を放棄します。あなたがたの大事な財産を私やルーが手にすることはありません。それでご満足でしょう」
吐き捨てるように言うと、母さんはころころと笑う。まるで子供の我儘を受け流すように。
「もう、むきになっちゃって。あの子のどこが、そんなにあなたを夢中にさせるのかしら。わからないわ。…子供のころからよね、あの子はあなたを狙っていたに違いないわ。ああ、ただの友達だなんて、真っ赤な嘘。あの子をあなたに近づけるんじゃなかったわ。どうして見抜けなかったのかしら…」
「ルーは、子供のころから、変わりません。純粋で、素直で、傷つきやすい、ガラスのような子です。母さんがそれ以上ルーを侮辱するなら、話はここまでです。二度と連絡してこないでください」
「まあ、怖い顔。それがおなかを痛めてあなたを産んだ、母親に向ける顔かしら? みんなあの子のせいね、あなたが変わってしまったのは。…フェリシアはいい娘だったのに、私たちを尊敬してよく尽くしてくれる子だったのに。離婚なんて馬鹿げた真似をあなたがしたのも、純粋だとあなたが愚かにも信じているその子に、唆されたせいなのでしょう…」
「…」
これ以上話していても平行線だ。母さんはルーを理解できない、理解する気もない。…対話での解決は不可能だ。もともと、子供に対する愛情も関心も欠落している親だ。失ったとて、何の痛みもない。
くるりと踵を返して出ていこうとする俺を、母さんが呼び止める。
「お父様があなたと話したいと仰せよ。あなたのその、おかしな考えを、きちんと矯正していただかないとね」
「…」
執事のノルベールが後ろ手に扉を閉める。
ズンと重くなった空気の中で、俺は父の待つ書斎に向かう。
オスカー・レヴォネ、造船業と貿易で莫大な富を築き上げた曽祖父の後を継ぎ事業を拡大し、貴族制度が廃止された現代でも社会に影響を与えるほどの金満家で、政府高官に対しても発言権を持つと噂されている男だ。
…父のことは尊敬している。事業の才、人を見る目、そのざっくばらんな性格も、嫌いではない。
ただ、ルーのことを、父が認めないというのなら、俺はこの家を出ることに何の躊躇もない。
書斎の扉が開く。父はオーク材のデスクに坐して、手紙を読んでいた。
「やあ、5年ぶりかな? 少し疲れているようだね、君も掛けるといい。紅茶を用意させよう。コーヒーのほうがいいかな?」
鋭い眼光を和らげ言葉を並べる口元は笑みの形に歪んでいるが、瞳は少しも笑っていない。張り詰めた緊張感に息が詰まるが、ここで引いていては俺はルーのもとに帰ることはできない。息を吐いて気持ちを落ち着け、そうして俺は切り出す。
「父さんも、母さんと同じ考えですか。ルーのことを、蔑視しているのですか」
「うーん、君の可愛い砂糖菓子ちゃんのことかな? はは、そう硬くならなくってもいい。話は聞いているよ。君がその、愛らしい男の子に夢中だってこともね」
「…私はルーを愛しています。恥じるところは何もありません」
「そうかい。君が愛を知ったのは喜ばしいことだね。フェリシアとの間に愛が芽生えなかったのは残念だが、それも過ぎたことだ。私は君たちを祝福してあげよう」
「…それでは、ルーを認めてくださるのですね」
顔を上げる俺に父は鷹揚に頷く。
「愛は尊いものだ。君が愛人を囲うのを私が止めることはできないさ」
「…愛人ではありません。ルーは私の伴侶です」
父は笑みを消して、ぎしりと椅子に寄りかかる。並べられた商品を見極めるような目でこちらを睨む。唇を噛んで見返す俺に、まったく動じない様子で。
「それはいけない。君の大好きなその男娼君を、レヴォネの家に入れることはできない。君にもそのくらいの分別はついていると思っていたがね。君は今年でいくつだったっけ?」
「…母さんにも話しましたが、それならば私はこの家を出るだけです。お世話になりました。もう二度と貴方たちとは関わりません」
「性急だねえ、それだけ彼にぞっこんってことか。いったいどんな魔法を使ったのかな? 眩暈を起こさせるような、三色すみれの媚薬かな?」
「何も。私がただ、一方的に、ルーに恋をしているだけです。あいつは何も…悪意や打算を知らない子です。貴方たちが考えているような人間では、断じてない」
引き攣るように口角を上げた父が、俺を厳然と見据える。冷徹なその瞳には憐れむような色があり、聞き分けない子供に言い聞かせるように、言葉を重ねる。
「そうかい。じゃあ君は知らなかったのかな? 確かな筋の情報だ。君の愛人は、最近イギリスで摘発された麻薬密売グループと関わりがあったそうだね。そこの幹部格として、崇められていたらしいじゃないか。薬物中毒の音楽家なんて珍しくもないけれど、犯罪組織と関りがある人間は、さすがに表舞台には立たせられない。こんなことは社会の常識だよ」
「それは、誤解です。あいつは巻き込まれただけで…」
「実情がどうであっても、そういった噂が流れた時点で、その子はおしまいだ。君も芸能界に長くいるんだ、わかるよね? 私がこの情報を流せば、その子はまた男娼に逆戻りというわけさ」
「…やめて、ください。ルーを陥れるような真似は…」
「あの子の身から出た錆だろう、君が責任をとる必要はないさ。それとも君が、僕の言うとおりにすると言うなら、まあ、考えてあげなくもないが…」
「…何をすればいいのですか」
父は身を乗り出して、手紙の束をぐしゃりと握りつぶす。
俺の目を見て、にこりと微笑む。ちっとも、笑っていない瞳で。
「婚約しなさい。相手は見繕ってある。君は異性愛者として、世間様に恥じない人間として生きるんだ。その子のことは、まあ、愛人として囲う分には文句は言わないよ。この機密情報のことも、握りつぶしてやれる。君がレヴォネ家の正統後継者として、相応しい振る舞いをするならね。それとも君は一時の感情のために、その子の未来をドブに捨てるのかな?」




