第九話
「ぐええ、ちょっと緩めてよ、きついきつい! くるしい!」
「我慢なさい、これが近代女子の味わってきた苦しみよ…ふふふ…」
「ちょっと楽しんでない!? 僕をいじめて楽しんでるだろう! ダイアナの意地悪!」
「あーもー煩いわね、手伝ってあげてるんだからピーピー喚かないの! ひとりじゃどーせ着られないでしょ!? マチウもバロットも無理だろうし…」
「それはそうなんだけどさあ!」
ぎゅう、とコルセットを締め付けられて僕はまた絞められた鶏みたいな声が出る。
ダイアナが僕のために選んだ衣装は、1910年風の、ライトブルーのロングドレスだ。上半身がぴったりしていて、下半身が足元まで隠すようにふんわりしてる。骨っぽい二の腕を隠すように袖は長袖で、大きく空いた胸元から鎖骨が見える。オッパイは地平線のようなまっ平だけど、なんか寄せて上げてしてそれなりに? 見苦しくない程度には整えられた。
長く伸ばした金髪を編み込む作業の時は、ダイアナはなぜか鼻歌まで歌っていた。女の子って、こういう準備が楽しいもん、なのかな?
「あんた、憎らしいくらいキレイなブロンドねえ、艶もあるし櫛の通りもいいし…絶対ケアとかしてなさそうなのに…」
「そお? セデュと一緒にいたときは、よく梳かしてもらってたから、そのせいかなーあイテ、引っ張んないでよお」
「ご・ち・そ・う・さ・ま! まああんたが磨けば光るのは確かだわ。私とは全然違うタイプだけど。セデュイールはこういう子が好きなのよねきっと…」
「セデュのタイプは理知的なブロンド美女だぜー僕よく知ってるんだ。彼女も前の奥さんもブロンドだったからね!」
「あんたは理知的って感じじゃないけどね。どっちかっていうと…浮世離れしてるっていうか、空に浮かんでるか、水の中に棲んでるみたいなタイプって言うか…」
「妖怪って言いたいのかい!?」
「違うっての。もー大人しくなさい、髪が解れる!」
ぱたぱたと甘い匂いの白粉を叩かれ、唇に淡いピンクのルージュを引かれる。
アイラインをちょっぴりと、まつ毛をビューラーでぐいっと上げて、頬紅も少しだけ。
「ねー僕変じゃない? 大丈夫かなあこれ!?」
「私の本気の化粧技術を信頼しなさい! オーディション一発合格の折り紙つきよ! 男に化粧するのは初めてだけど!」
「…よくわかんない、いつもとあんまり変わらなくない?」
「あんたどこに目がついてんの!? 違うでしょおが!」
「えーそう? もっと白塗りとかされると思ってたから…」
「コメディアンじゃないんだからそこで笑いを取らなくていいの! あんた目的忘れてるでしょ!?」
「忘れてないってえーでも女装までしてセデュに引かれたらいやだなあー」
「あんたガリガリだから正直違和感ないわよ。モデルの友達にあんたみたいな子いるもの。ヒール履いたらちょっと目立つかもだから、靴はヒールなしよ、いいわね?」
「ダイアナは参加しないの? 今回のお祭り…」
「私が行ったらエキストラにならないわ。輝きすぎて! 今回の映画のヒロインよりも目立ってしまうものね! セデュイールの映画を台無しにする気はないから、私は留守番してます」
僕の靴――ヒールのない、柔らかい繻子の靴――を用意してくれながらダイアナは高飛車に言い放つ。
僕は裾をちょっと持ち上げて靴に足を入れながら、よろめいたら支えてくれるダイアナの優しさに甘える。
彼女もセデュが好きなのに、僕にここまで協力してくれるんだ。
これは、後には引けないぞ。
僕はセデュと、きちんと話さなくっちゃ。
水上バスで本島まで向かう。乗り合わせたのは道化師の恰好のおじさんが1人と、中世風の輪っかのドレスのご婦人が3人、観光客らしいカメラを頭から下げたおじさんと、その家族、小さい女の子もいる。女の子が僕の付けた猫の仮面をじっと見つめているので、にこりと微笑んでみる。きゃあ、と嬉しそうな歓声を上げた女の子は、おそらくは母親に抱きつく。ほほえましい光景だ。一家団欒って感じだ。
誰もがみんな、こんなふうに家族と仲良くできたら、一番なんだけどな。
僕は指輪を嵌めた手指を握りしめる。少し緊張してる。セデュに久しぶりに会うからだ。
なんて声をかけようか、悩んでいるうちに港に着いた。フルートやピッコロ、太鼓、トランペットやホルンの合奏が響いてくる。
既に撮影は始まっているのか、本当は思い思いの仮装をした人々でごった返していた。
ペスト患者を治療する医療従事者みたいな仮面とマントをつけた男たちの集団とすれ違うと、ヒュウと口笛を鳴らされる。やっぱり違和感あるのかな、珍妙な格好だって思われたのかも。180センチ25歳の男が扮するには、少女趣味が過ぎたんじゃないかなあ!
なんだか別の意味で冷や汗が出てきた。セデュにドン引きされたらどうしよう。立ち直れないかも。
鬱陶しい思考を頭を振って蹴散らして、僕はセデュを探す。
ベルギーの民族衣装を着てエプロンをつけた少女が籠から花を撒き、オレンジと赤の縞模様の衣装の楽団が絶えず陽気な調べを奏でる。
夜の女王みたいな黒のドレスのでっぷり太った貴婦人が橋の上を練り歩き、犬を抱いた道化師が付き従う。
女の子たちのドレスのスパンコールがきらきら煌めいて、真昼の乱痴気騒ぎに光輝を添える。
人並みに揉まれながら彷徨い歩いて、そうして。
僕は、リアルト橋の上に立つセデュを、見つけた。




