#7 前世✘✘✘、人生リセット!
石畳の冷たさが靴底越しにじわりと伝わってくる。
街は相変わらず騒がしく、人々の会話や馬車の音が絶えず行き交っているのに、どこか“薄い膜”を張られたような静けさが胸の奥に残っていた。
「……戻りましょう。ここに長くいるのは得策じゃないわ」
アストラが小さく言い、周囲を一度だけ確認する。
その目は人間より遥かに細かく、空気のわずかな揺らぎすら読み取っているようだった。
私は歩き出しながら、なおもハンナが去っていった方向を振り返る。
雑踏の中に紛れた黒髪の残像が、まだ胸の奥でざわついていた。
「アストラ……」
「ええ、わかってる。あなたが感じているそれは、勘違いじゃないわ」
アストラの声は静かだが、確信を含んでいた。
「さっきの子、あなたのことを“気にしている”だけじゃない。
あなたを通して、何か“動かそう”としている……そんな匂いがした」
「動かす……?」
「人間の世界のルールは知らないけど、あの子の目は、森に潜む捕食者の目と似てたわ」
背筋がゆっくりと冷たくなる。
邸を追い出され、森で一度死にかけ、やっとの思いで戻ってきた街。
そこにハンナがいた――それだけなら救いでもあったはずなのに。
いや、違う。
ハンナは救いを差し出してきたのではない。
“観察”し、“確かめ”に来たのだ。
私がどういう状態で街に戻ったか、そして――何を抱えているか。
鞄の中で揺れた紙。
切り替わった声色。
視線の僅かな泳ぎ。
すべてが目的に沿って整えられていた。
「……誰に届けるつもりなんだろう」
呟きは自分でも驚くほどかすれていた。
アストラは立ち止まり、街の中心を見渡す。
広場へ続く道、観測所の塔、路地裏へ吸い込まれる影。すべてを一度に捉え、静かに言った。
「この街は“情報が集まる場所”よ。光を扱えない者でも、言葉ひとつで人を動かす。
あなたの知る誰かも――知らない誰かも」
その言葉だけで、胸の奥で何かが冷たく沈む。
ハンナだけではないのだ。
彼女の背後にもっと大きな“気配”が潜んでいる。
「レイス嬢。あなたは思っているよりずっと、“見られている”わ」
その瞬間、喧騒の向こうで小さな気配が揺れた。
広場から誰かがこちらを一瞥したような気配。
遠くの屋根上で、風の流れにそぐわない影が動いたような気配。
すべてが気のせいなのか、本物なのか、判別できない。
けれど確かに、“何かが始まった”空気だけははっきりしていた。
「……アストラ。どうするべき……?」
問いかけると、アストラは風に揺れる髪を押さえながら、微かに笑った。
「あなたが戻るべき場所を、まず確かめるわ。
ハンナが何をしようとしているのか、その前に……あなた自身の“光”をね」
私の胸がわずかに鳴る。森で拒まれなかった理由。
アストラが言った《光素》に触れられる子。
そして、光の“入口”に立っているだけだという事実。
「さあ、行きましょう。
いまはまだ、誰もあなたの“正体”に気づいていない。
だからこそ動けることがあるわ」
アストラが歩き出す。
私はその後を追う。
街の喧騒は変わらないはずなのに、風だけがぴたりと止まり、
背後で、さっきまで誰もいないはずだった路地がかすかに沈んだように感じた。
――誰かが見ている。
ハンナだけではない。
知らない誰かが、街のどこかで。
足を踏み出すたびに、それは確信へと変わっていった。
観測所の扉が重い音を立てて閉まると、外の喧騒は嘘のように消えた。
高い天井に組まれた無数の光管が、淡い蒼色の光を循環させている。
空気は静かで、冷たく、乾いていて……まるで別世界だった。
アストラは白いコートの裾を払うと、中央に据えられた透明の円柱へ向かう。
中には、砂よりも細かい光の粒が、ゆるやかに螺旋を描いていた。
「ここなら、外から余計な流れが入らないわ。
光素を見るのに一番大事なのは、“混ざり気のない空間”だから」
彼女は手袋をはめ、円柱を軽く叩く。
乾いた音とともに光素がふわりと舞い上がり、天井の反射光に照らされた。
「これが《光素》。
人間が“魔力”と呼ぶものの、ずっと前の、もっと純粋な形よ」
光素の粒がアストラの指先へ吸い寄せられる。
触れているのでも、掴んでいるのでもない。まるで指先が“流れの中心”になっているようだった。
「光素は小さな小さな力の粒。
この世界に満ちているけれど、普通の人にはただの空気みたいに見えないし、理解もされない」
エルマは光の粒が動くたびに喉が鳴る。
アストラはその反応を横目に見て、少しだけ口角を上げた。
「でも……稀にいるのよ。
無意識のうちに、この粒の“向き”を捉えられる子が。
森があなたを拒まなかったのは――あなたが光素の流れに干渉できるから」
その言葉に、胸がきゅっと縮む。アストラは続けた。
「勘違いしてはいけないわ。
光素が見えるとか、触れられるとか……それだけなら、まだ入り口に立っただけ」
彼女は両手の指を軽く組み、円柱の光に向けてそっと広げた。
光素はその動きに呼応するように、ゆるい波を描いて動いた。
「大切なのは、“流れ”を自分の中へ引き込めるかどうか。
外の光素と、自分の内部の光素がどれだけ自然に繋がるか。その“筋”がある人は……才能があると言える」
観測所の壁に張り巡らされた光の線が、アストラの説明に合わせて微かに揺れた。
「光素は魔力の原型よ。
魔力というのは、本来、人間の体内で光素が癒着してできた“劣化版”の力。
扱いやすいぶん粗くて、雑音も多い。
けれど光素そのものを扱えるなら……精密で静かな、まったく違う力になる」
アストラの目が、真っすぐこちらを射抜く。
「あなたはまだ、自分にどれほどの“流れ”があるのか知らない。だからここで確かめるの。
観測所は、光素の動きを視覚化できる唯一の機関だから」
彼女は手を伸ばし、エルマの手をそっと握った。
「怖がらなくていいわ。ただ手のひらを開いて。
あなたの中の光素がどれだけ外へ滲み出るか……それを見せて」
エルマがゆっくり手を開くと、観測装置の光がわずかに揺れた。
空気が震えたように感じたのは気のせいではない。
アストラは息を吸い、小さく呟く。
「そう……やっぱり。あなたの光、流れ方が綺麗。
かなり希少よ。普通はこんなふうに素直に広がらない」
彼女の瞳が深く輝く。
「これから“流れを整える訓練”をするわ。光素は扱いを間違えると暴走することもある。
でも、あなたなら制御できる。むしろ……伸びしろしかない」
観測所の光が脈動し、エルマの手元に吸い寄せられる。淡い風が吹いたように、髪が揺れた。
「さあ、始めましょう。
あなたがどんな光を持つのか――はっきりさせるために」
↓ここから、エルマの妄想(中二病、オタク路線)タイムスタート!↓
――でもさ。
ここで怯えるって、もう時代遅れじゃない?
気づいたんだよ。
私がずっと「貧乏貴族」というレッテルに縛られていたのは、ただ**世界の基礎体系**を知らなかったからだって。
光素――世界の魔力循環理論の根源物質。
それは大気中に漂う“光子因子”が凝集して生まれる、生命活動そのものの初期値だ。
古文書によれば、かつて英雄たちはこの光素の純度を操作することで、魔力総量(MPキャパ)を底上げしていたらしい。
あの施設で見た光――
あれは“始源位階”の力だ。
貧乏貴族? 確かにそうだ。
でも、“出生値が低いから未来も低い”なんてのは、ただの前提条件の誤認識だ。
「私が変えればいいんだよ。この初期設定を!」
胸の奥で熱が走る。
まるで光素が内側で共鳴しているみたいに。
気づいた瞬間、思わず笑ってしまった。
「はは……なるほどね。
この世界は“生まれ”で階級が決まるんじゃない。
“知ってるかどうか”で未来が変わる世界だったんだ」
武術体系、魔術理論、光素循環、属性干渉、因子最適化――
これまで貴族として学べなかった知識は、全部これから拾い集めればいい。
むしろ、知らなかった分だけ伸び代がある。絶望じゃなくて、ボーナスステージだ。
「見てろよ、この世界。
光素の初期理解者として、私は――
“自分の人生のアップデート”を、ここから始める!」
曇っていた視界が一気に晴れる。涙なんて必要ない。
今必要なのは、ただ一つ。
――“世界を再定義する決意”だけだ。
「さあ、行こう。
ここからは私というバグ――いや、革新の始まりだ!」
↑これで、エルマの妄想タイム終わり!↑
私が胸に手を当て、勢いよく宣言した。
「――そうだ。
光素はただの魔力じゃない。世界の基層に沈む“始源の因子”。
それを読み解くことこそ、私がこの世界で生まれた理由……!」
テンションがぐん、と跳ね上がった自覚はあった。だが、言葉は止まらない。
「ここから私は、光素初期理解者――
《ルミナリ・インフルエンサー》として、世界を更新する……!!」
その瞬間、アストラが――
**ス……**と静かに、しかし確実に二歩後ろに下がった。
「…………リシア?」
声が震えていた。普段は冷静な彼女の耳がぴくりと跳ね、完全に警戒モードになっている。
「……あの……今の、本気だったの……?」
「え? 本気だけど?」
「本気だったの!? いやいやいや……!」
アストラは片手を前に差し出し、じりじりと“魔獣を見る距離”で後ずさる。
「リシア……。
さっきまで“もうこの人生どうしようもないかも……”みたいな顔してたよね?
なんで急に世界の根幹を語り始めたの……?」
「ひらめいたから!」
「いやいやいや! 軽っ!!」
私は小さく息を吐きながら、心の奥で思う。
――元は貧乏貴族、婚約破棄されて放り出された身の上で、前世は……そう、あの中二病全開のオタク人生。
魔法書や黒光りのコートに身を包み、“世界の真理を握る者”ごっこをしていたことは、とても人に言えない……いや、言ったら笑われる。
「いや、だから今のは……前世の……ううっ、オタク趣味が混ざっただけで……!」
「……リシア、あなた……」
アストラは本気で距離を取り、耳を警戒モードにして、尻尾までふるふる震わせていた。
片目で私の手や胸の動きを観察しながら、完全に引いている。
「ちょっと待って。
“始源因子”とか“世界を更新”とか……どこの教典?普通の人は使わない単語なのよ!」
「危なくないよ! ただの……ただの理論で……!」
「理論が危ないの!!」
アストラはさらに後ろに下がり、木の柱まで距離を置いた。
私は小さく肩をすくめ、心の中で自分を戒める。
――今の私、リシアとして生きてるけど、前世の中二病モードが暴走してしまった……。
この街の人に悟られたら、もう誰も私を真面目に受け取ってくれない。
「……お願いだから、今後は屋内で静かにやって……?
外で叫んだら、ほんとに誰かに連れていかれるわ……」
「そんなに!?」
「そんなに。ガチで。」
アストラはまだ距離を取り、耳と尻尾まで警戒モードのままだった。
私は胸の中でちょっと笑った――いや、苦笑いを浮かべるしかなかった。
――前世の中二病は封印したはずなのに、ここでもうっかり出ちゃうなんて……リシア、あなたもまだまだだな、と。




