プロローグ 『発現』
どうして⋯?どうしてだろう?
私は言わば"犠牲"となった。微塵の功績も残せない、冴えない人生だった。
そんな私が怪物に選ばれた。ーーー"功利の怪物"に。
ーー“トロッコ問題”ってご存知?
簡単に言えば、暴走するトロッコがいて放置すれば5人が死ぬ。レバーを切り替えれば1人が死ぬ。どちらを選ぶのかってこと。
要は、より多くの人を助けるために“少数者”の“犠牲”が正しいのかってこと。
そして今、“少数者”側に立たされてるわけ。
ーーー3年1組
黒板: <投票>
黒板には『投票』と丁寧かつ冷徹な字で書かれている。
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教室は近頃常にピリついている。それは最近転校生が来たからだ。今まででも狭かった教室がさらに狭い。それに伴って机も椅子も足りない。
周りのクラスも同じく狭く、足りない。ぎりぎりの経営で成り立っているこの学校には拡張する気力も金もない。つまり誰かがこの学校から出ていく必要がある。
ガラガラガラガラがッ⋯⋯
教室の扉が開き、担任が入ってきた。
「今から誰が出ていくか投票で決めます。別に文句ないよね。」
教室は静まり返っている。教卓の中からA4のルーズリーフを何枚か取り、折り目をつけている。ハサミを取り出し定員+1人分を切り出す。
多少ざわつきが出てきた。仲の良いグループで相談しているのだろう。追い出すのは1人だけ。結託すればリスクは減らせる。私は呆然と担任の手元を見ている。投票用紙が動き出した。そして、全員の手元に届いた。
みんなのペンの進みが異様に速かった。
(なんの葛藤もないんだろうな⋯)
そう思いながらペンを置いた。
淡々とことは進み、私は追い出された⋯。
そして、自害した。
あの時どうすれば追放されなかった?どうすれば人間関係を構築できた?どうすればいじめられずに済んだ?どうすれば、どうすれば幸せになれたの?
路は険しく、複雑で、先は全く見えなくて。
耐えることだけを考えて。それでも幸せを掴みたくて。
(ヒューヒュー……ヒューヒュ)
意識は段々と遠のいてゆく。
(次は…次こそは幸せを………)
彼女は幸せだけを望んで幕を閉じる⋯
はずだった。マグマの様に流れ出る血が一瞬にして固まり、個体が形成されてゆく。滲んだ目の奥に微かに映る。黒い。
(なに...…?あれはいったい…?)
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5時のチャイムが鳴った。
(もうちょっと⋯⋯もうちょっとだけ⋯)
もうちょっと寝ていたい気分だった。だってもう学生でも無くなっちゃったんだし。立ち直るにはまだ早いし⋯。
(ん⋯?うーん⋯?私、さっき死んだよね⋯⋯?)
重たいまぶたをまた開けた。光が零れてくる。
「⋯⋯⋯⋯ねこ?」
真っ黒で毛むくじゃらの身体。くりくりとした赤みがかった目。ピンと尖った耳。しなやかに交差する尻尾。
ちょこんと私の前に佇んでいる。
ここまで条件が揃っていると間違いない!猫だ!
「きみは選ばれた」
猫だったものになってしまった⋯⋯。
(なんだ⋯化け猫か⋯⋯)
「きみは人望も無ければ特段運も良いわけじゃない。冴えない人生だった。」
「そして、きみはただの"犠牲"になった。」
(嫌味だけ言いに来たのか⋯⋯心外な化け猫め)
そうは思ったものの声が出ない。それはそうだろう。もう私の喉笛はとうに切れている。だが不思議と痛みが感じない⋯ドーパミンってこんな効果あるんだな⋯⋯。
「そんなきみに朗報がある。きみは"犠牲"選挙に選ばれた。だからきみは⋯⋯"怪物"になる。」
何故だか全くわからない⋯見る見るうちに傷が治ってゆく。汚れた身体が浄化されてゆくが如く完治した。これで言葉を発することができる!
「んん⋯⋯えっと⋯さっきから言ってることが全然わかんないんだけど⋯?」
「⋯分からないのも当然か。まずは傷も治って対話できるようになったようだから⋯⋯名前でも教えてくれないだろうか?」
「⋯『アカネ』だけど」
「そうか『アカネ』と言うのか。私は名前を持っていないから返答はできないが⋯⋯好きに呼んでくれ。」
「⋯そう⋯なんだ。⋯⋯黒いし『クロ』とかでいい?」
「いや、あまりにも安直過ぎやしないか?『クロ』ってただ黒いだけの猫につける名前じゃないか。」
(そうは言ってもあんまり特徴ないしなぁ⋯⋯。)
「じゃあ『クロアカ』!」
「そのアカはあっちの垢って意味じゃないよな?」
「お目目が赤いから『クロアカ』!」
「そうか⋯ただの『クロ』よりましか⋯⋯。」
「で、クロアカはなんで迷い込んじゃったの?」
アカネは小さな子に問いかけるように優しな口調で言った。喋る猫なんて普通の猫じゃない。そんなことは重々承知だ。だが、アカネは喋る猫に喜んでいる。
「いや⋯迷い込んだわけじゃなくて⋯⋯きみが⋯アカネが選ばれちゃったから⋯。」
クロアカは動揺が隠しきれない。ついさっきまで倒れていた一少女に⋯⋯詰められている。
形勢逆転
「何に?」
すかさず返した。
「さっきも言ったろ。"犠牲"選挙に勝って"怪物"って役目になったんだよ⋯。」
「そっかぁ、私怪物になったんだ。ふーん。」
「だから⋯アカネはもうあの時の欲望は叶えられるはずだよ。」
(あのときのよくぼう?あぁ⋯幸せを掴みたいってやつか)
(そもそも怪物ってどういう意味なんだ?)
脳裏に過ぎる。潜在的な特性が何やら理解できた気がした。
「ふーん⋯私怪物なんだけどさ⋯⋯家を曲がってすぐの自販機でコーヒーでも買ってきてよ」
「分かった」
(はやっ⋯⋯随分従順な猫だな。⋯あとお金ない無いよなあの猫。)
(ん⋯⋯⋯?)
確信した私がなんの怪物になったのかを⋯。
私、アカネは他人の幸せを食べる怪物へと変貌したのだ。
言わば "功利の怪物" に変貌したのだ!
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
『犠牲の方程式』は、冴えない日常から突然「功利の怪物」に変貌したアカネと、その傍らにいるクロアカの奇妙な日常と非日常を描いた物語です。
途中、アカネの行動は過激で、読んでいて戸惑う場面もあったかもしれません。ですが、彼女の心の揺れや葛藤、そして微かな希望を感じてもらえたなら幸いです。
この先もアカネの物語は続きます。不定期更新となりますが、次回もどうぞお付き合いください。
最後に、読者の皆様の応援と感想が、執筆の大きな励みになっています。今後ともよろしくお願いします。