選択肢が現れた!
学校の一日は、思ったよりあっさりと終わった。
授業の内容はおおよそ覚えていた。
仮にも大学を出た身。高校生程度の授業についていけないとなればそれは少し恥ずかしいことだろう。
だが、現代日本を模した舞台ではあるけれど、所々、記憶と異なる点があるのも確かだった。
その異なる点が顕著に出ているのは髪色だろう。赤に青、黄色に紫。そういえばレインボーのやつもいたな。二度見したわ。
まあ要するに、“ゲームらしさ”がそのまま生活の隅々にまで染み込んでいる。
クラスでは、逢坂遥が中心にいて、ヒロインたちが少しずつ彼に接近しているのが見えた。そのヒロインは五人中二人。望月 凛火と久遠 美弥である。
望月凛火の見た目は明るめの茶髪で、ゆる巻きのポニーテール。カラフルなアクセやネイルもしていて、見た目は完全に“今どき女子”って感じの見た目だ。……今どき女子って死語じゃねえよな?まあ、推しである。
久遠 美弥は長く艶のある黒髪に、切れ長の瞳。どこか人形のような雰囲気。制服もきっちり着ていて“THE清楚”って感じの見た目だ。まあ、推しですねえ。
そんな中で俺――月嶋凪は、とにかく目立たず、騒がず、波風を立てずに一日を終えた。
何事もなく、何も変わらない。うん……だって何をすれば良いかわかんないんだもん。いきなり、『俺は君の未来を知っているんだ!』『俺は君を助けたいんだ!』なんて言われたらどう思うかなんて一目瞭然だろ変態だ!
そんなこんなで今、放課後。
教室を出て、下駄箱で革靴に履き替え、昇降口を抜ける。
――と、そこでふと気づく。
「……俺、家どこだ?」
校門を出た先、夕焼けに染まる通学路。家どこ?
遠くでカラスが鳴いている。家どこですかー?
周囲を歩く生徒たちは、それぞれの帰路についていた。俺の家まで送ってってくれないかなー。
赤みを帯びた夕日が校舎の影を長く引き伸ばしていた。my home is DOKO?
俺は立ち尽くしていた。
視界に広がる通学路。少し先にある商店街、交差点、コンビニ。
それらの風景はどこか懐かしくて、でも“知っているようで知らない”。あーそうそう、こんな感じの素材があったなーくらいしか思わない。n番煎じの背景が今目の前にある。いや待ってちょっと感動するなこれ。
家を知らないなんて当たり前だ。俺は“月嶋凪”として生きたことがない。
プレイヤーとして、彼の姿を見たことはあっても、彼の家がどこかなんて知らない。
プレイ中にそんな描写、一度だってなかった。
イベントがない場所は、存在しないも同然だったこの世界で――
俺は、今になって初めて気づく。
「詰んだ……!」
焦りと共に、足を止めたその瞬間――
バチッ――という音が、脳内で弾けた。
頭の中で、何かがショートするような感覚。
強烈な耳鳴り。そして、世界が、止まった。
目の前の景色が、まるで“スローモーション”の映像を一時停止したかのように凍りつく。色褪せていく。
空を流れていた雲も、帰宅中の生徒たちも、電線の上の鳥さえも――すべてが動きを止める。
(なんだ、これ……)
時間が止まっているのに、俺の思考だけがやけにクリアだ。
心臓の鼓動すら聞こえなくなった静寂の中で、目の前に“見覚えのある”ウィンドウが現れた。
ピコンッ、という電子音と共に浮かぶ白く縁取られたUI。
それは、まさしく――泣きゲー『君と泣きたい夏』の選択肢画面だった。
【選択してください】
【俺のホームはこの街だ!町内を逆立ちで一周してから家に帰る】
【地球が回るなら俺も回るぜ!ハンドスプリングしながら町内を一周してから家に帰る】
文字が滑り、そのウィンドウの文字を理解するのに数秒の時間を要した。
「………………いやいやいやいや!!」
思わず叫びそうになるのを、喉の奥で押しとどめる……ことなんてできるわけなかった。
いや、叫んだところで誰にも聞こえやしない。今この瞬間、動いているのは俺だけだ。
「なんだこのふざけた選択肢は!!」
その選択肢から目を逸らそうと(物理)凪は体を動かそうと試みるがコンクリートに埋め込まれたように体は一ミリたりとも動かなかった。
視線を動かしてもUIは視界の中心に固定されていて、消える気配はない。
目を逸らしても、閉じようとしても、変わらない
時間制限もない。だが、選ばなければ世界は動き出さない。
しかも、キャンセルも、戻るボタンも、存在しない。
──ゲームの“選択シーン”のように。
「……これが、俺の転生特典ってやつかよ……」
改めて目の前に浮かぶウィンドウを見つめながら、俺は自分の目を疑った。
転生した時点で、何かあるとは思っていた。
ただのプレイヤー視点だった俺が、この物語の中に入り込んでいるという異常。
でも、まさかこのタイミングで、こんなバカみたいな選択を迫られるとは。
(どっち選んでも恥ずかしさの極みだろ……!)
どちらも意味不明で、選びたくない。
“町内を逆立ちで一周”と、“町内をハンドスプリングで一周”。
羞恥の極み。選ばされる理由も、意味もわからない。何かの罰ゲームかと錯覚するほど。てか警察案件じゃね?
新生活の第一歩が、地元住民への強烈なインパクトになること請け合いだ。
……けど、選ばなきゃ終わらない。
「っ……くそ、じゃあせめてこっちだ!」
【地球が回るなら俺も回るぜ!ハンドスプリングしながら町内を一周してから家に帰る】
指が選択肢をタップしたその瞬間――
カチリ、と世界が動き出した。
生徒のざわめき。夕日が再び西へと傾きはじめる。吹き抜ける風。車のエンジンの音。
全てが何事もなかったかのように、再び回り始める。
俺は、校門の外に立っていた。
周囲には人がいる。町は、動いている。
「……やるしか、ねぇか……」
誰にも見られないことを願いつつ、俺は──俺の体はゆっくりと両腕を上げるようなポーズを取り始める。
そして、俺は――ハンドスプリングを始めた。
なあ、神様。俺、頑張ろうって思ってたんだぜ?ヒロインの悲しんで絶望に堕ちていく姿なんて見たくないからって……でもよぉ!
「……こんなの、あるかよ……!」
夕暮れの通学路に、ぐるん、と俺の姿が回る。
羞恥と地面の感触とで、涙が出そうだった。……涙って遠心力で飛んで行くのかなぁ。
シリアスだと思った?残念!シリアルでした!