泣きゲー
泣きゲー――そう呼ばれるゲームがある。
可愛らしい絵柄に、甘酸っぱい恋愛模様。
始まりは、そんな俗にいうギャルゲーや恋愛ゲーム、アダルトゲームと大差なかった。
けれど、物語が進むにつれてその仮面は剥がれていく。
明るく無邪気に笑っていたヒロインが、ある日ふと、空を見て泣く。
「なんでもないよ」って、強がるように微笑む。
過去の傷、家族との確執、自分を否定するほどの罪――
その全てに、プレイヤーは真正面から向き合わされる。
心がちぎれそうになる。
プレイヤーとしても、人としても、ただの恋愛ゲームだなんて笑えなくなる。
泣きゲーはそんな物語や登場人物への共感を引き起こす作劇を意図的に用いてプレイヤーの心を揺さぶり、物理的に涙を流させることを売りにした作品だ。
それは心身共に深く結ばれた男女が残酷な運命に翻弄されるような筋立ての恋愛作品を指すことが多く、ゲーム市場のうち人気を博しているジャンルの一つでもある。
『君と泣きたい夏』は、その中でも異質だった。
全てのルートが“重い”わけじゃない。
けれど、誰かを救えば、誰かが壊れる。
そんな設計になっていた。
真っ直ぐで優しい“主人公”は、すべてを救おうとした。もちろん、プレイヤーである人間もそう思っただろう。
でも現実は、そんなに都合よくできていない。
だからこそ――最後に選ばれたたった一人のヒロインだけが、
“生きていてよかった”と言って、物語は幕を下ろす。
美しかった。綺麗だった。感動した。
でも、残酷だった。
そして――俺は今、その世界にいる。
「……逢坂くん、部活どうするか決めた?」
教室の前のほうで、ひときわ明るい声が聞こえた。
その中心にいるのは、整った顔立ちに、自然体の笑みを浮かべる少年――
逢坂遥。
『君と泣きたい夏』の、主人公だ。
ああ、そうだ。
そうだった。
“二年生編”で始まるゲームだけど、遡れば彼らの出会いは一年生の春。
俺が今いるのは、まさにその“プロローグ”の季節。
まだ物語が始まってもいない、けれど――全ての運命が始まる地点。
クラスの中心で笑い、ヒロインたちに自然に声をかけられる存在。
その姿は、画面越しに何度も見た。
――羨ましいと思ったこともあった。
でも今は、それよりも先に、俺の名前が呼ばれる。
「月嶋くん、黒板消してー!」
「はーい、はーい」
自動的に返事をして立ち上がる。
反射的な動作。なんの意味もない日常のひとコマ。……というよりブラックな会社で磨かれた社畜魂が働いたような気がしなくもないが……まあ、それはいい。
月嶋凪。
ゲーム中、ただ一人――“主人公の隣”にいるモブ男子。
軽口を叩き、ツッコミを入れ、時におちゃらけて場を和ませる。物語を繋げるための舞台装置の一つ。
けれど、ヒロインたちの物語には一切関わらない。
彼女たちの涙も苦悩も、救うことはない。関わることもない。救う力がなかったのか、救う覚悟がなかったのか、それともまた別の理由か……。
ただ傍らにいて、何も知らぬふりをしていた。
けれど――プレイヤーだった俺は知っている。
彼だけが。
全てのヒロインを、俯瞰して見ていた当事者であり、“傍観者”だったことを。
そう。俺は、主人公じゃない。
ヒロインたちも、俺を好きにはならない。
俺のルートなんて、存在しない。
……でも。
俺は、知っている。
誰が、いつ、何に絶望するのか。
何が起きれば、彼女たちが壊れ、死に、二度と笑わなくなるのか。
トリガーとなる出来事、関係の破綻、タイミング、言葉。
プレイヤーとして幾度となく見てきた、あの地獄。
ならもし、俺がそれを先回りして潰していけたとしたら――
「……止められるかもしれない」
教室の喧騒のなか、小さく呟いたその声は、誰にも届かない。
でもそれでいい。
これは俺の、俺だけの戦いだ。
俺がやるしかない。
俺しか出来ない。
俺が頑張らなくちゃ。
俺が助けなくちゃ。
俺が助けれないなら傍観者どころではない。ただの見殺し、なのだから。
ゲームの主人公ではなく、
恋愛対象でもなく、
それでも――
この物語の“真の傍観者”として、俺がやるしかない。
次はコメディにする。(真に強い意志)