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どーにゅう

はいどーにゅう

 生きている実感なんて、どこにもなかった。


 朝はアラームの音で無理やり目を覚まし、眠気と頭痛の残るままシャワーを浴びる。無言で冷蔵庫を開け、賞味期限の切れたヨーグルトを手に取っては戻す。コンビニの菓子パンで空腹を誤魔化し、満員電車に揉まれて会社へ向かう。そこには“誰がやっても同じ”ような仕事と、“誰でもよかった”ような会話だけが転がっていた。


 たまに感情を持て余した同僚が、「何のために働いてるんだろうね」なんて言うけれど、俺はその問いにすらもう答える気も起きなかった。


 “何のため”なんて、考えたって無駄だ。

 どうせ誰にも、わからないのだから。


 だから、今日も。

 俺はただ、帰るだけだった。


 湿った風がビルの谷間を吹き抜けていく。通りに並ぶ居酒屋から、酔客の笑い声と油の匂いが漂ってくる。地面に落ちたネオンが濡れて滲み、靴の裏に不快な粘り気を感じた。


 駅まであと数分というそのときだった。


 ――赤信号。

 ――横断歩道。

 ――何かが、光った。


 反射的に顔を上げたその瞬間、視界が真っ白に染まった。


 轟音。

 砕ける音。

 飛んだスマホ。

 倒れる体。


 ……あれ? 俺、今――


 世界が傾いた。


 地面に吸い寄せられるようにして崩れ落ちた身体が、どさりとアスファルトに打ちつけられる。その感覚が妙に現実的で、むしろ夢よりもリアルだった。


 痛い、という感覚はなかった。

 ただ、冷たい。


 何かが流れていく。

 それが血だと気づくまで、少し時間がかかった。


 遠くで誰かが叫んでいる。走ってくる足音がする。

 でも、俺にはもう、それすらどうでもよかった。


 もういいや――


 そう、思った。

 もう、終わっていい。

 そんなふうに、自分に言い聞かせるように目を閉じかけた、そのとき。


 ふと、脳裏に浮かんだのは――


 あの“泣きゲー”だった。


 何年も前に、俺が唯一、心を動かされた物語。

 ヒロインがひとり、またひとりと壊れていく。救えなくて、苦しくて、それでもラストで泣きながら「生きててよかった」と言ってくれる。そんな物語だった。


 なんで、こんなときに。

 よりによって、こんな最後の瞬間に。


 でも――


 思い出したのは、あの物語の“終わり”じゃなかった。


 あの夏の日。

 ヒロインたちと過ごした、たわいもない日常。

 ただ教室で笑っていた時間。

 それが、今になって脳裏に浮かぶなんて。


 ああ――


 もう一度、戻れたら。


 俺も、あんなふうに誰かと笑って――

 そう思った瞬間。


 世界が、止まった。


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