その魔女に気をつけて 〜見通す魔女の運命診断〜
ビルとビルの隙間、昼でもうっすらと暗い路地に隠れるように置かれている『見通す魔女の運命診断』と書かれた小さな看板。
その大袈裟な名前の診断の結果として、私はひとしきりそれっぽい前向きな言葉を並べたて『あなたには輝く未来が続いています』と締めくくると、そこまで静かに聞いていた少女は机の上に置いてる料金表を脇に退けた。
「ねえ、あるんでしょ?」
つるんと艶めく少女の赤い唇がそんな言葉を零す。
小さな机越しに向かい合い、私は演出の為に被ったフードの間から目を覗かせて瞬く。
「なにがですか?」
この辺りではあまり見ない制服をきっちりと着たその少女は、私の答えを聞いて、明るいブラウンの髪が影を落とす整った顔を拗ねたようにちょっと歪める。
対して私はどうかといえば、そばかすの目立つ頬にかさついた肌、黒めがちな切長の目が涼しげと言えなくも無いが、他のパーツとのバランスが少々悪い。長い黒髪も手入れが行き届いておらず、着ている服に至っては魔女っぽさが少しは出るかなと古着屋で買ってきた、薄っぺらな黒い魔女衣装。多分、ハロウィンのコスプレにでも使った後のものだろう。
かたや美少女、かたや低クオリティコスプレ魔女。
そんな意味の無い比較に落ち込みかけている私の前で、少女は言葉を続けた。
「何がって、裏メニュー」
少女は私の目を真っ直ぐに見てブラウスの襟元に手をかけボタンを外した。露わになる白い首元。
そこにはまるで掴まれたような指の跡が赤黒く残っていた。
「触ってみてもいいですか?」
頷いたのを確認してから私はそっと手を伸ばした。触れた肌はひたりと冷たくて、でも体温だけじゃ無い何かがじんじんと指先に伝わる。
「呪われてますね」
遠回しに伝えても仕方ないのでさっぱり言い切り、私は机の端に避けられていたメニュー表をくるりと裏返した。料金表の1番下にある、料金だけでメニュー名が空白の部分を指で示す。
「確かにそれなら裏メニューですね。対応できるかお約束はできないですが、まずは一時間五千円でお話し聞く所からで……」
「話を聞くなら、わたしの家でじゃ、ダメ?」
「家に?」
「相談もしたいけど、今日は親が帰ってこないから一人じゃ怖くて……。明日の朝まで居てもらって五万ならどう?」
私は即座にこう答えた。
「どこまででも着いていきます!」
と。
◇◇◇
私は、手早く机と看板を片付けると被っていた衣装を脱ぎ、ハイネックのニットソーとデニムというラフな格好になる。
そうして少女と一緒にまだ新車の匂いが残るタクシーに乗り込んだ。
「名前は?」
車内で少女に問われ、私は慌てて手にしていたスマホを置いて、バッグから名刺入れを引っ張り出す。
「サリと申します」
「『あなたの運命、必ず見通します』って、すごい強気」
それは、肩書きも無いのでキャッチコピーっぽく名前の横に添えた一文。
「嫌いじゃ無い」
少女は名刺を手に小さく笑う。そんな風に言ってもらえるとなんだか嬉しくなる。
「わたしは、ミク」
「よろしくお願いします、ミクさん」
真面目な顔で頭を下げる私に、ミクは楽しそうに笑った。
◇◇◇
タクシーが二人を降ろして走り去る。
目の前に聳え立つ壁に、思わず、はーっと声が出た。
「タワマンってやつですね」
どちらかというと、マンションというよりホテルに見える上品な外観。
「着いて来て」
内部もホテルっぽい、ワイン色の絨毯が敷かれた内廊下タイプ。
プライバシーを守る為か南と北に分けて数機あるエレベーターの内の一つに乗り込み、ミクは最上階のボタンを押した。
「部屋はここ」
ミクはエレベーターから出ると、真正面の扉を示す。
「親はどっちも出張が多くて、明日の夜まで戻らないんだ」
と言うと扉を開けて私を振り返る。家の中はまだ真っ暗で、その暗闇を背負って私を招くミクの姿には何処か現実味がない。
和風ホラーの幕開けみたいだと思いながら、
「お邪魔します!」
私は元気に声をかけて、家へと足を踏み入れた。
入ってみれば先ほどまでの不穏なイメージはどこへやら、開放的な室内と質の良いインテリアが印象的なおしゃれ空間。
「そこのソファーに座ってて」
部屋を見回している私に、冷蔵庫を開けながらミクが声をかけてくれる。
ボトルを2本手にしてこちらへやって来ると、片方を私に差し出した。お礼を言って受け取る。
「夕飯は冷凍でもいい?」
「好き嫌いないので、なんでも大丈夫です」
「家政婦さんが作り置き、冷凍してくれてるから」
ああ、そういう冷凍。
市販の冷凍食品を想像していた私は、ミクが冷凍庫から次々フードコンテナを取り出す様子に目を丸くした。
温めて盛り付けただけで、ちょっとしたレストランのようなメニューがずらり。ミクに促されるまま私は席に着く。
「それじゃあ、遠慮なく」
私はスープから手を付けることにした。続く綺麗に飾られた温野菜のサラダも美味しい。メインはワインベースのソースで煮込んだお肉。口に入れるとほろりと解ける柔らかさに驚く。
二人では食べきれない量かもと思ったけど、気がつけば完食していた。
◇◇◇
さて、そろそろお仕事かなと構える私の横にミクがスマートフォン片手にちょこんと座る。
「まずは話をお聞きしたいなって」
ミクは私にそう言われて膝の上で拳をきゅっと握る。
「今のところ実害はその痣だけですか? 痛みとかあります?」
「別に痛くない、時々声がするだけ」
「声ですか?」
「うん。時々、耳元で声がするの」
そう言い、ミクは辛そうに眉根を寄せて俯いた。
「どんな声が?」
「許さない、って」
顔を覗き込もうと私がソファーから腰を浮かせたところで、急にミクが胸を抑えて顔を上げた。
「ミクさん!」
呼びかけた瞬間、ミクが顔を苦しげに歪める。
「ぁっ」
微かな声のあと、喉を掻きむしろうとするのを、私は必死に押さえ込んだ。華奢なミクとは思えない力強さに驚く。
掻きむしろうとしていたミクの首元には、さっきより鮮やかに指の痕が浮かび上がっていた。
ミクの口元からヒューヒューと喘鳴が聞こえる。唇の色が一気に褪せてゆく。
「ごめんなさい! ミクさん」
私はなおも暴れるミクの唇に唇を重ねた。キツく閉じているそこをこじ開け割り込み、舌を絡め、吸い上げる。
暴れる力が段々と抜けていく。
静かな室内に、ちゅ、くちゅ、と水音が響く。
そうして、目的のソレを見つけて私はようやく顔を上げた。
私は舌の先に捉えたソレを摘み上げて、満足げに笑う。
「ふふ、居ましたね」
その拍子に支えていた手を離してしまい、ずるりとミクがその場に座り込んだ。
「大丈夫ですか?」
ソファーの上から身を乗り出してそう問うと、ミクは真っ赤な顔を両手で覆っていた。
「あれ? 気持ち良く無かったですか?」
「ちょっとだけ……じゃなくて!」
「冗談ですって、コレを引っ張り出してたんですよ」
私は人差し指と親指で摘んだソレを、ミクの目の前にずいっと差し出す。掴まれているソレは、黒い小さな蛇の姿をしていた。
「え?! それ、わたしの中にいたの?」
ミクの赤かった顔が一気に青褪める。
「これで『呪いの首絞め魔』の事は、しばらく心配しなくて大丈夫ですよ」
「……なんで、それ……」
「あ、その前にちょっと失礼します」
私は指で摘み上げた小蛇を持ち上げて、ひょいっと自分の口に放り込む。舌の上で転がしても満足行く味わいが得られず、私は肩を落とし、しぶしぶ飲み込んだ。
「うーん、やっぱり本体じゃないと、味がぼやっとしてますね」
「え、食べ……て……」
ミクが、じり、と座ったままで後ずさる。
「ちょっとしたオヤツです。……あんまりおいしくは無かったですけど」
首を傾げてそう返すと、絞り出すようにミクが問う。
「ねえ、サリって一体何者?」
「看板に偽り無しの、『見通す魔女』ですよー。……だから『首絞め魔』の事もお見通しなんです」
こちらを信じていいのかという迷いを顔に浮かべたミクの前で、私はポケットから取り出したスマートフォンを見せつけるように振った。
「わたしのスマホ!」
「ミクさんの周りで、何人か首を絞められて倒れていた所を発見された生徒さんが居るんですね。学校から不審者注意のメールが来てました。被害者は表向きは、『急に首を絞められて気を失った、犯人は見ていない』と。でも裏では『呪いの首絞め魔』なんて名前で呼んでる」
慌てて立ち上がったミクが取り返そうとこちらに迫るのを手で制し、私はスマートフォンの画面を指でつっと撫でて言う。
「……中、見たの?」
「見ましたよ。セキュリティが甘々です」
「見通す魔女なんて言って……そんなの占いでもなんでも無いじゃない」
「占いをします、とは一言も言ってないですからねえ」
悪びれもせず返すと、自分の情報が詰まった端末が他人の手の中にあるのが落ち着かないのか、ミクはそわそわと目を泳がせる。
「裏サイトの情報だと、『呪いの首絞め魔』の被害者は、倒れる数日前から首に指で掴まれたような痕が浮かんできてるって書いてました。それがくっきり見えたと思ったら、誰も居ないのに首が絞められて倒れたって」
だから『呪い』だと。
「で、その『首絞め魔』によって倒れたって子。調べてみると、みんな学校の裏サイトであなたの悪い噂を流してた……だからか、みんなあなたが自分達を呪っていると信じ込んでいる様子でした。謝罪のメッセージも次々きてましたね」
ミクは、私を睨みつけて来た。
「そんな事までいつの間に……。それで、わたしが『首絞め魔』だって言うの?」
「それは違いますね。だったらさっきミクさんが『呪い』で苦しい思いをした理由がわかりませんし」
ミクの顔から険がとれ、今度は泣きそうな顔になった。
「そう、なの。わたしじゃない。わたしじゃ、ないのに……」
声が震えている。私は腕を伸ばして丁度胸の高さにあるミクの顔を引き寄せた。ぎゅっと抱きしめると、じわっと胸元が濡れるのを感じる。
しばらくそのままでいると、小さな声でミクが訥々と話を始めた。
「裏で悪い噂が流れてるのは、知ってたの」
私は頷く代わりに、優しくミクの髪を指で梳く。
私が覗いたサイトには、名前こそボカしていたけれど、身近な人間なら直ぐわかるような書かれ方でミクの悪評が並べ立ててあった。
「どうせその内に飽きて消えると思って放ってた。書き込んだのが誰かなんて知りたくもなかったし、下手に否定したら余計ひどくなりそうだったし。そしたら内容は段々酷くなっていって。見ないでいればよかったのに、気になって1日に何度もサイトを見に行って、頭から離れなくなって。学校の皆んながわたしの事そんな風に思ってるんだって思えてきて」
「辛かったですね」
ミクが何度も頷くと、縋る様に私の服を握る。
「あんまり学校にもちゃんと行けなくなって、そしたら、裏サイトに『首絞め魔』の話が書き込まれ始めて……」
そこで言葉を切ったミクは、その時の事を思い出したのか少し震えて言葉を続ける。
「そしたら、今度はわたしも首に指の痕が……。最初は薄かったのに、段々と濃くなっていくから」
「さっきの処置でちょっとだけ呪いの進行は抑えられましたよ」
自分の首元の痕が薄くなっているのを確認して、ミクは肩から少し力を抜く。
「誰にも頼れなくて、相談掲示板に書き込んだの。『寺に行け』とか『神社でお祓いしてもらえ』って人もいたけど、『見通す魔女の運命診断で裏メニューを頼め』って教えてくれた人が居て。なんか怪しいって思ったけど、タクシーならすぐの場所だったし」
「怪しくてすみませんね」
私はため息を落としてそう言うが、ミクは真剣な顔で祈るように私を見上げる。私の胸元を濡らしていた雫が、今度は頬から顎を伝ってぼたぼたと床に落ちてゆく。
「ねえサリ助けて、恐い。こわいよ」
私は上着のポケットから、ハンカチを取り出すとミクに差し出す。
「大丈夫ですよ。私、『運命診断』であなたの輝く未来がちゃんと続いているって言っちゃいましたからね」
「どういうこと……?」
戸惑いながらも、とりあえずは涙を拭くミクに、私は笑って見せる。
「その結果にするために、どんな強引な手だって使うって事です。なにせ『あなたの運命、必ず見通します』ので」
私が不器用に片目を瞑って見せると、そのあまりのぎこちなさに思わずといった様子でミクが笑う。
「それ、『見通し』てなんかないじゃない」
「問題ないでしょう、結果的に必ず当るのなら」
「ズルい」
そう言ってから、ミクは一拍おいて続けた。
「でも、嫌いじゃない」
泣き笑いのミクに手を差し出す。彼女は恐る恐る私の手を取った。
「さて、それでは呪いの本体に会いにいきましょうか」
私はミクの首の痣に優しく触れ、口の端を不敵に見える様に持ち上げた。
◇◇◇
すでに誰もいない学校。その体育館の奥にある用具倉庫は、普段から昼なお薄暗い。夜となった今は一層暗いが、目を凝らせば闇のその中で、人影が動くのが辛うじて見えた。
「ミクさんとの繋がりが切れて、落ち着かないんですか?」
不意に投げられた声に、入り口から差し込む細い灯りに照らされて、人影がゆっくりと振り返る。
灯りが暴いた影は人の形をしていなかった。ミクと同じ制服を着た少女のスカートから覗く下半身は、蛇そのもの。その顔にはびっしりと鱗が並んでいた。
『あんたが、私の子を?』
「はい、ミクさんの所の子も、ここの子も食べちゃいました」
私は得意げに、人差し指と親指の間に捕らえた小蛇を見せる。入り口を見張っていた食べ残しだ。
「食べ応えがなくて残念です。ちゃんと呪い、込めました?」
『ふざけないで!』
私の物言いに煽られて、蛇少女が蛇身を振るう。私を打ち据えようとした所をひらり躱して、嘲る様に言う。
「はいはい、こっちですよ~」
蛇少女は二度、三度と蛇身を振るが、その尾は私を捕らえきれずに空を切る。
『じっとしてなさいよ!』
再び飛びかかろうとして、蛇少女の動きが止まった。いつの間にか、その尾にはバレーのネットが絡みついていた。
「ほらー、周りをちゃんと見て動かないから」
『なによ! こんなのすぐに切れる……』
尾を振り回し、網を切ろうと蛇少女が足掻く。ぶちぶちと音を立てて網が切れていくが、時間稼ぎは一瞬で良かった。
私は声を上げる。
「今です、ミクさん!」
「うん!」
ミクが飛び出してくる。網に絡め取られて動けない蛇少女のその顔に、ペットボトルから中身の液体をぶち撒ける。
中身は私の血を混ぜた水。
金属を擦り付けるような甲高い悲鳴が上がった。
「あ、やっぱり効きましたね」
蛇少女は顔を押さえて呻き声を上げた。
『痛い、痛いじゃない、なにするのよ! もう、呪いは解いてあげない!』
恫喝する蛇少女の顔が、少しずつ崩れている。
その言葉に私は、ふふん、と鼻で笑って告げた。
「どうせ解く気なんかないでしょうに」
蛇少女が痛みだけでない不快さに呻く。
「さて。まずはアナタの正体、見せてもらいましょうか」
私は手にしていたスマートフォンのライトを点けて、濡れた顔を照らした。そこには蛇と少女が混ざり合った顔ではなく、普通の少女の顔があった。
「この顔、見覚えがありませんか?」
ミクは恐々と覗き込み息を飲んだ。
「ユカ?」
ミクが驚きで目を丸くし、今度はまじまじと顔を見て、え、と小さな声を落とした。
「同じクラスの……割と仲良いと思ってた子」
裏サイトにミクの悪評を書き込んだ相手をあたった所、一人だけまだ被害に遭っていない子が居た。だから確信はしていた。
この場所だって、ユカという子が使っている居場所共有アプリの情報から見つけたんだし。
『何よ!』
顔だけは普通の少女なのに表情は酷く歪んでおり、そこから漏れる声もまた、耳を覆いたくなるほど歪んでいた。
『仲良いわけないじゃない! 私の彼氏を奪ったくせに平気で話しかけてきて! 許さない!』
私はミクの両耳をそっと掌で塞ぐ。びっくりしたように、私を見上げるミクに優しく笑って見せる。
「それは、あなたのカレシが一方的にミクさんを好きになって、あなたと別れたいからそんな言い訳したんですよ~。ミクさんのスマートフォンには、『友達の彼氏だから考えられない』って告白を断ってるメッセージ、残ってましたからね」
『嘘よ!』
「本当ですよ、何に手を出してそんな姿になったのか……呪いに良いように使われてあなたも可哀想ではありますが、だからって呪いをかけた挙句に、それをミクさんが犯人であるように書き込んで他を誘導するのは、まあちょっと同情はできないですね」
『嘘よ……』
そう力なく繰り返す少女に、私は一歩ずつ近づく。
私はそこで言葉を切って少女の頬に触れる。触れた所から、チリッと焼け付くような感触がして、私は思わずふふ、っと笑う。
「さて、このまま放っておけば、元の姿に戻れなくなりますからね。私がちゃんと助けてあげます」
優しくそう言っているのに、私の言葉に少女が暴れ出す。
『何をするつもりよ!?』
「ちょっと食事を」
私の言葉に、目の前の少女も後ろのミクも息を飲む。私は尚も暴れる少女の前で腰を折り、顎に手をかけ、優しく諭すように言う。
「ほら、痛くありませんから大人しくして?」
それからゆっくりと顔を寄せる。
「では、いただきます」
『な、何するの?! ヤメテ!』
静止の声を無視して私は強引に唇を重ねる。視界の端で、ミクが呆れた顔をしているのが見えた。
ゆっくりゆっくりと少女の体から抵抗する力が抜け、それにつれて少女の脚は異形の蛇から人のそれへと変わっていく……。
私はそろそろ十分かなと、顔を離した。
「焼けるような喉越し、舌を刺す苦味と酸味、やっぱり呪いは採れたてが一番ですね」
ぺろりと唇を舐め、私はにっこりと笑う。
「ごちそうさまでした」
後には、少女が白目を剥いてへたり込んでいた。
◇◇◇
「全部終わったの?」
ミクがぽつんと問う。
「はい、終わりましたよ。呪いは全部喰べちゃいました」
ミクは恐る恐ると言った風に私に近づいてくる、私は久しぶりの満腹感に大きく伸びをした。
「あ、これお返ししておきます」
私はミクにスマートフォンを渡す。
「ありがと」
受け取り、ミクはそれから改めて私に聞いてくる。
「それで、結局サリってなんなの? 見通す魔女ってだけじゃ誤魔化されないから」
「うーん、そう聞かれると、『呪い喰い』です。としか」
「呪い喰い?」
ミクは不穏なその名前に身を引きそうになるが、ぐっと堪えて踏みとどまってくれた。
「……ちょっと怖そうな名前だけど、サリは怖くない」
「ありがとうございます」
その言葉が嬉しい。頬が緩むのを感じながら、私は口を開く。
「私、『呪殺』を家業にしている家で育ちまして」
「じゅさつ?」
ミクが首を傾げる。
「呪い殺すってことですね」
「そんな事サラッと言う!?」
「え、だって聞かれたので」
そこで言葉を切り、私は自分の胸の辺りに手を当てる。
「私は万が一呪いが返された時に備えて、呪いを『食べる』役割を持つ『呪い喰い』として、外に出ることを許されず育てられた、まあ囚われの身だったんですが」
「その家から逃げてきたの?」
私は首を振った。
「『呪殺』用に育てていた『呪い』に家ごとまるっと飲まれまして。結果、私だけが元気に生き残りました」
皆が『呪い』に食われた後で、それを食い破って外に出た、なんて物騒な話はミクは知らなくていいだろう。
本当なら助けられたのを、見て見ぬふりをした事も。
「外に出られたのはいいんですが、生きるだけでもお金って必要じゃないですか。なので、何かできることが無いかな~って色々とやってみて一番向いてそうだったので、『見通す魔女』をやってます」
私はそう言うと、指で作った輪から目をパチパチと瞬かせそう言う。
「呪い食べるのと、その『見通す魔女』っていうの、どう繋がりがあるの?」
首を傾げるミク。
「ずっと家から出してもらえなかった間、デジタル機器だけは好きなだけ与えられたので、家族が『呪い』を育ててるみたいに、私も私なりの『呪い』をPC上で育ててまして。……感染すると、どんな端末でも裏口から私が入り放題になるっていう『呪い』なんですけどね」
ミクは、手元のスマートフォンを思わず見つめる。
「安心してください、ちゃんと消してます」
「入れてたんだ……」
そう、『見通す』のにはタネがあった。
私なりの『呪い』。バックドアを仕込むコンピューターウイルス。『運命診断』の時は予約のやり取りの時か、飛び込みの相手なら無線接続を通じてその場で感染させる。
そこからウェブブラウザの履歴、メールやSNSでのやり取り情報をざっと読み取り、それらしく肉付けして話せば、運命を見通していると誤解してくれるから。
ちなみにミクの情報は、最初にタクシーに乗車した時にはもう一通り見ておいた。
「ズルいのは知ってたし、占いじゃないって言ってたけど……」
私は誤魔化すように笑う。
「せっかく家からは出られたんですが、結局、私は『呪い』の味が忘れられなくて。……あ、さっきの『呪い』も中々美味しかったです」
「全然共感できない感想を聞かされても困る」
眉を下げてそう言うミクに構わず、私は話を続ける。
「『運命診断』なんて占いまがいの事をやってるのも……ああいう場には、オカルト絡みの相談が来ることもあるからなんです。一石二鳥なんですよ。生活費の確保と、美味しい『呪い』探しに。ミクさんが書き込んだ相談掲示板も、そういう情報収集の場の一つですし」
「じゃあ、あの書き込みの答えはサリが?」
素直に頷く私。
そんな私を見て、急に不安そうな表情で、ミクは口を開いた。
「なんで私にそんな事まで、教えてくれるの?」
私はゆっくりと手を伸ばし、ミクの頬に優しく触れる。びくりとミクの肩が震える。
「ミクさんが、逃げられなくなるように」
顔を近づけて耳元で低い声で告げる。
「サリ……もしかして」
私はにこりと微笑みかけ、自分の首元を覆っていたニットソーの襟に指をかけ、引き下ろした。そこには、所謂『喉仏』と言われるものが見えたはず。
ミクが目をいっぱいに見開く。
「女の人だから、ノーカンだって思ってたのに」
身を引いたミクが唇を押さえてふるふると身を震わせ、真っ赤になる。
「ああいう格好してる方が、お客さんウケがいいので」
「……見通してもないし、魔女ですらないじゃない」
ミクは、うーっと唸って私を睨むが、私は笑って受け流す。
「今回の事でミクさんは『呪い』と縁が出来てるみたいなんですよね。だから、私と繋がっておく方が安心ですよ?」
「本心は?」
ミクはじっと私の顔を睨みつけて問う。
「次も美味しい『呪い』を楽しみにしてます」
私の心からの言葉に、ミクは手近な所にあったボールを掴んでこちらに投げつける。
「サリの所なんて、絶対もう行かない!」
私はそれを片手で受け止めて、走り去るミクの背中を笑顔で見送る。
「いつでも、あの場所で待ってますから」
答えは返ってこなかった。
◇◇◇
サリは薄暗い中を落ち葉を踏み締めて歩く。ミクの学校裏の雑木林。
その奥に分け入り、サリは目当ての物を見つけた。
崩れかけた小さな祠。そこに、復讐を願えば叶えてくれる神様が居るという。
「学校の七不思議なんて子供っぽいと思ってましたけど」
確かに、居る。ユカに憑いて呪いを振り撒いてた主が。
先ほど殆ど食べてしまったので、もう残り滓だけど……。
「味は期待できないですけど、お残しはいけないですからね」
サリは笑顔で、大きく口を開けた。
翌日、体育館の用具倉庫で倒れていたユカが朝練の準備に来た生徒に発見され、それも『首絞め魔』の事件の一つという事になった。
すっかり『呪い』に関わっていた時の記憶が消えていたようで、何も覚えていないと言っているらしい。
そしてミクからは、彼女と縁を切ったとだけメールがあった。
◇◇◇
「うーん、なかなかお客さん来ませんねえ」
私はギシギシと音を立てる折り畳みの机に両肘をついて、手の上に顎を乗せ呟く。
何度かスマートフォンの通知を確認するも、予約のメールが来ている様子はない。
顔を俯けると、少しでも雰囲気が出るかなと伸ばしている長い髪が、机の上に小さな渦を作る。
そこにすっと白い手が伸び、机の上の料金表をひっくり返した。
「裏メニューお願い」
素気ない声。
私は、メニューに添えられた手に優しく触れる。
触れた肌はひたりと冷たくて、でも体温だけじゃ無い何かがじんじんと指先に伝わる。
「呪われてますね」
私はにっこりと笑う。
顔を上げると、つるんと艶めくミクの赤い唇が、決まり悪そうに、それでいて少し恥ずかしそうに、きゅっと一文字に結ばれていた。
END