紙上の反論
目の前に広がるのは一面雪景色のようなパソコン画面。
カーソルをハエのように動かしたりしても何も変わらない。
書けるようになるかもしれないと思って新調したデスクチェアは、座り心地が良いだけに集中できない。
新人賞の締切は1週間後に迫っているというのに、一文字も書けない俺は、物語を制作するのに向いていないのかもしれない。
「うぁー!無し!さっきの無し!」
自分の考えを打ち消す。
自分が自分のことを信じられなくなったら終わりだ。
余計に書けなくなるだけだ。
「やるぞ、やる。一文字でも書けばいいんだ。そうしたら勝手に進むってもんだよ。毎回そうだ」
自分に言い聞かせてキーボードに指を乗せる。
そういえば、推しが最新曲を投稿したって、SNSに載せていたな。
マウスパッドに指を乗せると、カーソルは動画サイトの方へ……
「ダメだダメだ!何をしているんだ俺は!」
間一髪で戻ってこられた。
これだからパソコンで物語を書いたりするものじゃないんだよ。
絶対に誘惑が来るんだから。
「よし!」
いっその事パソコンを閉じてしまおう。
そして何を書くかまとめよう。
ノートとシャーペンを用意して……あ、珈琲でも入れるか。そうなると何かつまみたいな。甘いのと塩っ気があるもの。手が汚れるからポテチじゃなくて……何になるだろう。
はっ!
本気で何を食べるかを考えてしまった。
珈琲だけにしよう。
何か食べると"書く”以外の事をしたくなるからな。
ポットに水道水を入れて市販の珈琲粉をマグカップに入れる。
そういえばこのカップって、昔付き合っていたマユミがくれたんだっけ。
「お揃いにしたら離れていても一緒ね」
遠距離恋愛になる数週間前にくれたんだよな。
まぁ、結局別れたんだけど。
元気にしてるかな。
は!
また違うことを考えてしまった。
駄目だ。
何を書くかを考えよう。
いつの間にか沸いていたポットのお湯を珈琲に注ぎ、砂糖と牛乳を入れる。
未だにブラックコーヒーは飲めないのだ。
甘々になったマグカップをデスクに持ってきてノートを広げる。
さぁ、何を書こうか。
投稿しようとしている新人賞は、何も賞を取ったことがない人間に与えられた、最後の砦といわれている。
何を書いてもいいが、テーマは決められていた。
"主人公が子どもであること”
幼稚園児でも小学生でも中学生でも高校生でも良い。
成人していない子どもを主人公にすること。
それを見て、俺は映画『スタンド・バイ・ミー』のような小説を書こうと思った。
原作は読んでいないけど、映画は擦り切れる程観た。
無論全てを真似る訳ではない。
あれを観た時のような感動を、小説で、俺の言葉で伝えたい。
そう思ったのが半年前。
それなのに、物語は一向に進んでいない。
「やべぇよな」
珈琲を啜り、シャーペンをクルクル回す。
社会人の俺は、小説だけで食べていくことなんてもちろん出来ず、昼間は文房具の会社で経理をしている。
男で経理。
周りは女性ばかり。
それでも、男が主体の営業にまわされたら辞めようと思っている。
いつか小説家になるために、8時30分出勤の17時退勤が確実にできて、家に帰って物語を書けるようにしている。
「それなのにな~」
全く書けないんじゃ、意味ないよな。
もう一度珈琲を啜る。
甘ったるいだけで頭はスッキリせず、クルクル回るシャーペンのように、俺の頭もグルグルと廻る。
「誰を主人公にしようか」
やっぱり、スポーツ万能で頭がきれて、みんなから一目置かれている男……の、友達だろうか。
いや、親友にしよう。
年齢は中学2年生。1番多感な年頃だ。
名前は、"足立 優吾”。
俺の知り合いの名前を足した。
優吾の親友は"宮村 誠”。
コイツは出来る奴。
優吾は誠に劣等感を抱きながらも親友の位置にいる、複雑な奴だ。
優吾と誠には、他にも一緒に遊ぶ友人を2人入れよう。『スタンド・バイ・ミー』も4人組だし。
山下 賢治と小坂 大地。
この2人は優吾や誠の友人。
親友ではない。
山下賢治は真面目で勤勉、小坂大地はお調子者。と言った感じか。
そうなると、足立優吾はどんな感じだろう?
賢治より勉強は出来ないけど、大地よりは賢い。
誠よりスポーツは出来ないけど、2番手にはなれる。
あぁ、そうだ。
2番手。
足立優吾はそういう奴にしよう。
いつの間にか埋まっていくページ。
足立優吾の顔や性格、他の登場人物も同じく書いていく。
俺のいつものスタイルだ。
さて、起承転結はどうしようか。
最初は4人の関係性や優吾の置かれている状況。
その後、4人は夏休みに遊びに行く計画を立てる場面。
そこで誠の家庭環境が複雑だという事実を知る。
優吾、大地、賢治で区切って3人のそれぞれの立場から誠を見る。
最終章は優吾の視点で総括。
旅をさせたりしたいけど、そんな時間はないからこれで行こう。
「よし」
奮い立たせる為に珈琲を一口飲む。
まずは優吾だ。
意気揚々とパソコンを立ち上げて書き始める。
誠と他2人との出会いを優吾目線から始めていく。
親友になる誠に感じる劣等感。
何故親友になったのか。
どうして劣等感を持つのか。
丁寧に描いていく。
半分書き上げ、飽きたら新しく賢治の物語を書く。
誠と同じく家庭環境が複雑で1番誠と境遇が似ているのが賢治。
誠に感じる共感と違和感。
1番書きやすいキャラクターだ。
楽しいまである。
半分以上書き上げた。
次は大地。
「……」
キーボードを打ち続けていた指が止まる。
「あれ?」
おかしい。何も出てこない。
優吾も賢治も性格・顔・環境までハッキリと輪郭を帯びて、まるで存在しているかのようにスラスラと進めることが出来た。
大地はお調子者でテンションがひたすら高いだけの馬鹿。
ただそれだけなのだ。
思考が止まる。
どうしようか。
「消したら?」
声がした。
自分では無い人の声。
「消したらいいよ。僕以外で進めたらいいよ。その方が筆も走るよ」
声は、どこからか聞こえていたが、誰の声かはすぐに分かった。
「小坂、大地?」
「あったり~」
少年の甲高いしゃがれた声。
優吾でも賢治でも誠でもない。
大地の声だ。
声までは考えていなかったが、すぐに大地だと分かった。
「どうやって話しかけてんだ?」
「どうって……それは持ち前の想像力で補ってくれよぉ」
甘えたようにくねくねと動く大地の姿が、見えないが見えた。
しかし、これはどういう現象なのだろうか。
俺の頭はおかしくなったのか。
目に見えない存在が脳に直接話しかけている……いや、違うな。
どちらかというと、パソコン画面に映る原稿用紙からの声だ。
一行目に「小坂 大地」と書かれて、それ以上は何もない画面。
「もうさ、進まないんだったら消しちゃいな。3人でも物語は進むよ。提出できない方が困るだろう?」
「そうだけど……」
大地がいなくても物語は進められるし、応募条件の文字数も確保できる。
だが、俺は渋っていた。
「早くしなよ。そんで誠の話を早く書きなよ」
「うーん。でもなぁ」
「消したくないの?」
「まあな」
「なんで?」
「せっかく考えたしさ」
「本当?」
「そりゃそうだよ。俺は作者だよ?懸命に人物像を練ったんだ。自由に動いてくれたらいいのになぁ」
「ねぇ。僕の設定表見せてよ」
さっき作っておいた人物の設定表を指さす。
「これさ、僕のだけ少なくない?」
「そうか?」
「そうだよ。だって優吾は幼稚園児からの周りとのギャップとか、大きくなるにつれて感じる大人への不信感~とか色々書いててさ。賢治も家庭環境から部活やら何やら書いてるじゃん」
「お前も書いてるよ。クラス内のあれこれとか……」
「うそじゃん」
大地は細い目を更に細めて俺を見る。
「あぁそうだよ!お前のだけ全然書けてねえよ!悪かったな!出来の悪い作者でよぉ!」
声を荒らげた。
思っていた事を言葉にすると、現実が見えてくる。
あぁ書けない。
他は書けたのに、何故か小坂大地だけ書けない。
大地は全く反論しない。
何も言わない代わりに、目だけで訴える。
「なんだよその目」
「別に」
頬を膨らませて目を逸らす。
「なんか言いたいことがあるなら言えよ」
「別にないよ」
「お前なぁ……」
溜息を吐きながら頭をかいた時、デジャヴに襲われた。
この光景、知っている。
不貞腐れた少年に不機嫌になる大人。
でも、不機嫌なのは俺ではない。
そんな大人を見たことがあって、「そんな奴には絶対にならない」と決めた、不貞腐れた少年が俺だった。
学生時代だ。
小学生、俺は小坂大地のように陽気なお調子者だった。人を笑わせることが大好きで、人のことが大好きで、みんなが笑顔になるのが嬉しかった。
みんなに笑っていてほしかった。
だから、ずっと笑ってふざけた事ばかりしていた。
「お前バカだよなぁ」
そう言われるとホッとした。
中学生の時も変わらなかった。
俺が明るくいると、周りも明るくなる。
人気者、だったと思う。
でもそんなある日。
学校内の誰かが泣いた。
なんで泣いていたのか、誰が泣いていたかは覚えていない。
ただひたすらに泣いていた。
笑わせようと思った。
自分なりにおどけたり冗談を言った気がする。
それを聞いた大人に頬を叩かれた。
「お前ふざけているのか」
「何ヘラヘラ笑っている」
「そんなに人をコケにして面白いか」
「お前は人の心が分からない」
「そんなんだから……」
俺は大人にこっぴどく叱られた。
でも、泣かなかったし言い返さなかった。
気持ちがわからないのはどっちだよ、そう思ったことは覚えている。
あと、その大人を睨んだことも。
2度目のビンタがやってきた。
それでも俺は口を噤んだまま、次は地面を細い目で睨んだ。
別にそれだけなら良かった。
怒られたなら次は怒られないようにしたらいい。
別に変わることは何もない。
そう思っていた。
それなのに、次の日から俺は周りから笑われなくなった。
ふざけても、おどけても、誰も笑わない。
困ったように迷惑そうに何も言わずに去っていく。
「あ~れ~?」
最初は何も気付かないように返していたけど、それが出来なくなった。
テレビでお笑い芸人が野次を飛ばし、みんなが笑う。
何で俺には出来ないんだろう。
何で泣いていた人は笑ってくれなくて、あの大人は血相変えて怒ったのだろう。
人の心が分からない俺は、分かりたくて本を読んだ。
感情、考え、思想、話さない言葉を紡ぐ登場人物たち。
虜になった。
お調子者だった俺は、図書室にいる静かな男の子になった。
そして、必然的に自分でも物語を紡ぐようになった。
「どうしたの?」
きょとんとした小坂大地が尋ねる。
「俺は、あの時のお調子者に、ずっとふざけていてほしかった」
「うん」
「でも俺はそれが出来なかった。だから、お前が分からない」
「うん」
「俺は、主人公にも、主人公の2番手にもなれない。スポーツも勉強も中の下だ。でも、お調子者だったんだ。人気者だったんだ。だから、俺が初めて出す作品には俺がいてほしかったんだ」
「僕は、君じゃないよ」
俺は小坂大地と自分を無意識のうちに重ねていた。
過去のできなかった自分を登場させて、昇華しようとしていた。
「僕は小坂大地だ。森下康二、君じゃない」
俺が紡いだ物語は物語の中の世界であって、俺の世界では無い。
「君が紡いでいる物語で1番に考えることは、良い物語にすること。今書いている物語に、僕は必要じゃない」
「そんな……」
俺は俺の分身であった小坂大地を描きたかった。
しかし、今書いている物語に小坂大地が必要でないのなら、消さなくてはいけない。
「消すべきだよ。僕の代わりになる人が必要なら加えたらいい。そうだな……女の子とか?」
「女?」
「そう。優吾の事を密かに思っている同級生の女の子」
「なるほど……そうしたら優吾が女子にも人気があることが分かる。いや、でも……」
「僕は良いんだ。君も、きっと僕のことを本当は最初から消すつもりで書いていたんだよ」
「そんなことない!」
「それなら、"小坂大地”なんて変な名前、付けないよ」
「変、なのか?」
「変だよ。小さいのか大きいのか分からないもん」
確かに、小さい坂に大きな地とは、センスが酷い。
「ね?読者が気になっちゃって物語どころじゃないよ」
「そうなのか……」
「ネーミングセンスは大事だよ。僕らの名前なんだから気をつけてよね」
「すまない……」
「だらか僕はきっと、誰かの物語のモブキャラにはなれない」
「読者の気が散るもんな」
「そう。だからね、僕の話を作ってよ」
「え?」
「誰でもない、僕だけの物語」
「小坂大地の物語……」
「それはきっと、君、森下康二の物語にもなる。そうなったら、過去の君を昇華出来るかもしれない」
「あぁ……あぁ、そうだな。書くよ。今の物語が終わったら、次はお前の話だ」
「絶対に書いてよね。僕の世界だから……」
声はそこで途切れた。
締め切っていたカーテンの隙間から朝日がこぼれる。
「よし」
冷めきった珈琲を飲み干し、パソコンに向かう。
小坂大地の言うとおり、彼の後釜は女の子にした。
ピアニストの如くキーボードを叩いていく。
一夜で書き終えた物語は、次の日に読むと酷いものだった。
提出期限ギリギリまで訂正を重ね、新人賞に応募したが結果ふるわず。
箸にも棒にもかからない物語を、誰でも投稿出来る小説サイトに投稿した。
すると少しだけ反響があった。
コメントをしてくれた人は、登場人物に過去の自分を重ねている人が多かった。
やっぱり、小坂大地を登場させたら良かったかな?
俺みたいな人がいたかもしれないな。
でもアイツ、お調子者で目立ちたがり屋だから、自分が主人公じゃないと嫌だったのかもしれないな。
あの時の俺も、そうだったし。
仕事を終え、投稿した小説のコメントを眺めては頬を緩ます。
「いやいや……喜んでいる場合じゃない。次の物語を書かないといけないんだ」
パソコンを開き電源を入れた。
キーボードに手を置き、予め考えていた文章を打ち込んでいく。
『目の前に広がるのは一面雪景色のようなパソコン画面。』
これから書くのは小坂大地の世界だ。
そして俺の物語でもある。
小坂大地に反論されないような話にしよう。
でも、時々やって来て色々小言を言われるのも、まぁ悪くないかもしれないな。
私は少し恥ずかしい人間なので、「小説を書く」ではなく、「物語を紡ぐ」と言いたいタイプです。




