第51話 同居人
この世界にも避妊の技術はある。
一つは飲み薬で、もう一つは膣内に塗りたくる膏薬であるが、これを併用することで、ほぼ確実に避妊はできていた。
娼婦などは、当然にこれを常用していたが、それなりのお値段の商品であったため、下級の庶民には手が出るものではなかった。
自然の流れで、下級庶民は、貧乏人の子沢山の状況に陥ったが、生活を維持できず、口減らしをしたり、子を捨てたりする行為が後を絶たないことになっていた。
ダリウスが"Kleiner verrückter Hund"(小さな狂犬)と呼ばれるようになった頃。
ダリウスが塒に帰ろうとしているところで、橋の袂に1歳下くらいの女児が蹲っていた。
顔はよく見えないが、薄めの金髪がなぜか妹のアンネローゼを想起させた。
無防備なことに、足の間からは白いパンツが丸見えになっている。女児のパンツなので色っぽいものではなかったが、不埒な考えを起こす者がいたら悪戯されてしまうかもしれない。
ダリウスは声をかけずにはいられなかった。
「君。こんな場所で何をしている?」
「お父ちゃんとお母ちゃんがいなくなっちゃったの」
(捨てられたな……)とダリウスは直感的に思った。
おそらくは育児放棄されたうえに、親に見放されたのだ。
(間引かれて殺されなかっただけ、まだましか……)
「どこではぐれたんだ?」
「ここで待っていろって言われたんだけど、戻ってこないの」
「君。名前は?」
「デリア」
「俺はダリウスだ」
「うん。わかった」
「では、デリア。こんな治安の悪い場所で君のような子が一人でいたら危ない。とりあえず俺の塒に来い」
「いいの?」
「ああ」
ダリウスは、デリアに手を差し出した。
彼女は疑うこともなく素直に手を取り、立ち上がる。
改めて顔を見ると、女児なのに妙に色っぽい顔つきをしていた。
化粧もしていないのに、目はアイシャドウをしているかのようになまめかしいし、唇はリップクリームを差しているかのように艶々している。
これはますます放っておけないと思った。
ダリウスは、デリアの手を引いて塒の小屋へ連れて行った。
小屋は大人が一人横たわったらいっぱいになるくらいの狭さだったが、子供2人ならばなんとか過ごせそうだ。
「この小屋がダリウスのお家なの?」
「ああ。ここらへんに住んでいる奴は皆こんなもんだ」
デリアは粗末な小屋だと思ったのだろうが、それは口にしなかった。
「腹が減っているだろう」
食べ物を与えるとデリアは貪るように食べた。
よほど腹が減っていたのだろう。
それで安心したのだろうか。
そのまま眠ってしまった。
だが、夢見が悪いらしく、うなされている。
「お父ちゃん……お母ちゃん……どこにいったの?」と寝言を言っている。
ダリウスは、そっとデリアを抱きしめ、頭を優しく撫でてやった。すると少し安心したようだ。
落ち着いて寝息を立てている。
(これは俺が面倒をみるしかないようだな……)
ダリウスは、覚悟を決めた。
翌日。
ダリウスは、デリアをルートに紹介した。
ルートは「わかったよ。あたしもこの子のことを気にかけておくようにする」と言ってくれた。
デリアと生活するに当たり、ダリウスは、食べられる野草や木の実を教え、採取については彼女に任せるようにした。
その分、ダリウスは、仕事(といっても、スリやかっぱらいであるが……)に専念することができた。
デリアは、時間ができると橋の袂で両親を待っているようだったが、終ぞ現れなかった。
念のため、ルートに頼んで、警吏のところで迷子の届け出がないか聞いてもらったが、それらしきものはないようだった。
夕暮れ時に川でデリアと一緒に水浴びをしていると、ルートがやって来て、石鹸で体を洗ってくれた。
ルートは、終始、ニコニコしていた。保護欲の強い子供好きな人なんだろうと思った。
一緒に暮らすうち、デリアはますますダリウスに懐いてベタベタするようになっていった。
ダリウスは、デリアのことを妹のような感覚で面倒をみていたのだが、デリアはダリウスのことを決して「お兄ちゃん」とは呼ばなかった。
ダリウスとしても、血の繋がっていない自分を無理に兄と呼ばせるつもりはなかった。
「あたしね。ダリウスのことが大好き。だってとっても優しいんだもん」
「そうか……」
「あたし知ってるよ。夜、あたしが不安になったとき、抱きしめて頭を撫でてくれているでしょ。それでとっても幸せな気持ちになるの……」
「……………………」
(バレていたのか……)
ダリウスは少し照れてしまった。
デリアは、ダリウスが仕事をしている間、ルートとも親しくしているようで、料理なども習っているようだった。
貧民街で暮らしている者としては、豊かな食材などは用意しようがなかったが、貧民は貧民なりに工夫した料理がある。
自然と料理担当はデリアということになり、料理を作ってダリウスの帰りを待つようになった。
今日はダリウスが小屋に帰ると料理のいい匂いがしていた。
「いい匂いじゃないか。デリア。腕を上げたんじゃないか」
「えへへ……今日は朝にダリウスが獲ってきてくれた鯉の煮物だよ。ルートさんに習ったんだけど、味付けを濃いめにすると泥臭くないんだって」
「そうか。じゃあいただこうかな」
デリアが言うとおり、かなり濃い味付けだが、確かに泥臭さを感じない。それに疲れて帰ってくる身としては、濃い味付けの方がありがたかった。
「なかなか美味いじゃないか」
「これもダリウスがお金を稼いでくれて調味料が買えるおかげだよ。ありがとう」
「そうか……じゃあ、これからも頑張らないとな」
「うん。頑張ってね。
それから、今日は木苺もたくさん採れたの。食べてみて」
と言って、デリアは木苺を摘まむとダリウスに食べさせようとする。
「赤ん坊じゃあるまいし、自分で食べられるよ」と拒否するが、デリアは諦めてくれない。
「はい。ダリウス。あーんってして」
子供のくせに甘えた声を出して迫ってくる。
ダリウスは、ついに折れた。
「あーん」
開けた口にデリアが木苺をそっと入れる。
「ちょうどいい熟れ具合で美味しいな」
「そうでしょう。美味しそうなのを選んで採ってきたの」
「じゃあ。お返しだ。デリアもあーんしろ」
デリアは一瞬恥じらったが、素直に「あーん」と口を開けた。
そこにダリウスがそっと木苺をいれる。
「うん。美味しい。さすがあたしだね。えへへっ」
と自画自賛しながら照れている姿が可愛い。
「あら。お2人さん。仲がいいのね」
そこへルートが声をかけてきた。先ほどのやりとりを見られたらしい。
恥ずかしさを逸らすべく、ダリウスは話題を変える。
「ところでルートさん。何か用ですか?」
「ああ。今朝もらった鯉のお礼を持ってきたのさ」
と言うと、肉を焼いたものが乗った皿を渡された。
「わーっ。お肉だ!」とデリアは大喜びである。
「ルートさん。貴重なものをありがとうございます」とダリウスはお礼を言い、ペコリと頭を下げた。
「今日は鳩がたくさん獲れたらしくてね。上納金代わりにたくさんもらったんだ。気にしないでいい。
じゃあ。2人で仲良く分けて食べなよ。お邪魔虫は退散するからさ……」
ルートに揶揄われて、2人は真っ赤になってしまった。
「じゃあ。食べようか……」
「うん……」
このように同じ食事を食べ、夜は互いに寄り添って寝る。
そんな生活に、2人はいつしか家族のような安らぎを感じるようになっていた。
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