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第48話 別離

 神聖ルマリア帝国の刑法には、姦通(かんつう)罪というものが定められていた。


 これは夫婦以外の異性との姦淫行為を行った場合に適用される刑罰であるが、女のみに適用されるという理不尽な刑罰だった。


 特に庶民が貴族相手に姦淫行為を働いた場合には、一発死罪もありえるという重い罪である。

 ダリウスが5歳となったとき、彼の家庭を次々と不幸が襲った。


 まずは、父のドミトルが行方不明となった。


 ドミトルは基本的にソロで冒険者をやっていたが、請われて他のパーティーの助っ人をすることも度々であった。

 今回助っ人をすることになったパーティーは初対面だが、破格の報酬を払ってくれるというので、ドミトルは一も二もなくこれに飛びついた。


「今回の遠征は遠出になるから、子供たちのことを頼んだぞ」


「報酬がいいというのは危険な冒険(クエスト)ではないの?」

「なに。俺の腕があれば余裕だ。それに他のパーティーメンバーもなかなかの腕らしい」

「それならいいのだけれど……」


 だが、そのままドミトルは帰って来なかった。

 フェオドラたち家族の心配をよそに、既に半年が経過している。


 遠出とは言っていたが、半年は長すぎだ。持っていった路銀もとっくに尽きているはず……。


「あのお父さんのことだから、きっと無事で戻ってくるわ。信じて待ちましょう」

 ……とフェオドラは子供たちに言い聞かせたが、自分に言い聞かせているようでもあった。


    ◆


 その冬。

 妹のアンネローゼがインフルエンザに(かか)った。


 フェオドラは、早速、彼女を内科医のもとに連れて行き、診察してもらった。

 内科医は、占星術で病気の原因を占い、薬を与える日時を決める。


 それから薬種業者に行き、内科医が指定した薬を処方してもらった。


 すぐさまアンネローゼに薬を飲ませ、ベッドで休ませたが、目立った効果は現れなかった。


 この世界の医術は未熟であり、呪術的要素も強かった。

 薬といっても、効果が怪しげな物も多く、効果があるものでも、現代の漢方薬程度のマイルドな効き目のものしかなかったのである。


 高熱が続き、小さな子供であるアンネローゼの体力はどんどん消耗していく……。


 熱を下げようと、アンネローゼの額に乗せた濡れタオルをフェオドラとダリウスが24時間交代で交換した。


 結局、必死の看病の甲斐なく、アンネローゼはあっけなく天に召されてしまった。


 インフルエンザは現代でこそ治療法が発達しているが、この世界では人々の命を奪う恐ろしい病気だったのだ。


 この時代、庶民というのは共同墓地に葬られるのが一般的だったが、フェオドラはなけなしの金をはたいて小さな墓石を作り、そこに葬った。


 突然のことで、ものを言わぬ(むくろ)となった妹を見ても現実のことと認識できないでいたダリウスだったが、墓石の前で冥福を祈ったとき、突然悲しみが湧き上がってきて、涙を滂沱(ぼうだ)しながらフェオドラと抱き合った。


    ◆


 不幸は更に続く……。

 しばらくしたある日。フェオドラがヒーマン男爵家に仕事に行って、夜になっても帰ってこなかった。


 フェオドラは翌朝、酷くやつれた顔をして帰ってきた。

 あまりに茫然自失した様子に、ダリウスはフェオドラに声をかけることができなかった。


 そして午後になり、何かをじっと考えていたフェオドラは、意を決したように言った。


「ダリウス。お父さんを探しに旅に出るわよ。すぐに荷造りをしなさい」

「は、はい。わかりました」

 突然のことに戸惑ったが、急いで荷造りをする。


 そして慌ただしく出立しようとしていた時、家の扉が乱暴に蹴破られ、町の警吏が数名なだれ込んできた。


「おまえがフェオドラだな。姦通(かんつう)罪の(とが)で拘束する。おとなしく(ばく)につけ!」


 フェオドラは、泣きわめくでもなく、毅然とした態度でおとなしく手を差し出したが、その顔は真っ青だった。

 警吏が乱暴に手に縄をかけ、引っ立てて行こうとする。


「お母さんがそんなことをするはずがない。お母さんを返せ!」


 ダリウスは警吏に必死にすがるが、警吏はダリウスを警棒で酷く打ち据えると、彼を蹴り飛ばした。

 彼の額から一筋の血が流れる。


「待って……頼むからやめてくれ……」


 母の大事に対し、自分は何と無力なのか……。

 自分の力のなさを思い知る……ダリウスには、もはやなす(すべ)が残されていなかった。


 家を出て、警吏に引っ立てられていく母を茫然と眺めていると、騒ぎに駆け付けた近所の野次馬たちが口々に(うわさ)している。


「あんな美人で清楚そうな人が裏ではふしだらなことをしていたなんて……人は見かけによらないものだねえ……」

「美人なんてのは所詮そんなものさ……」


 透き通るような肌に淡いブロンドの髪の可憐なフェオドラは、あまりにも美しくて(はかな)く、そんな存在が裏では淫蕩(いんとう)な行為を行っていたという噂は、逆説的で、それでいて限りなく人々の想像を掻き立てるものだった。


 淫蕩(いんとう)なのは、むしろそれを想像する人々の方なのに……。


 ダリウスは、そんな人々に無性に腹が立ったが、それに言い返す気概ももはや残されていなかった。


 子供のダリウスには何も知らされなかったが、町人々の噂によると相手は勤め先のヒーマン男爵ということだった。


 ダリウスには、容易に予想がついた。

 あの一途(いちず)な母が父を裏切るはずがない。


 おそらくあの夜。

 フェオドラに懸想(けそう)したヒーマン男爵がその意に反して強引に既成事実を作ったのだ。


 それが男爵夫人に早々に知れてしまい、彼女がフェオドラを警吏に告発したということなのだろう。


 だが、そうなってくるとドミトルが行方不明となったことも怪しい。

 ヒーマン男爵は、裏で手を回してドミトルを亡き者にした後、フェオドラを愛人として囲おうとしていたのではないか?

 いかにドミトルが強いといっても、他のパーティーメンバーがすべて敵ではかなわない。毒でも盛られたら一巻の終わりだ。


 そのうえで、拒否し続けていたフェオドラを強引に……。


 ヒーマン男爵は婿養子で、夫人には頭が上がらないという。

 結局、男爵はフェオドラとのことを夫人に隠し通すことができず、嫉妬深く癇癪(かんしゃく)持ちであった夫人は、怒りの矛先をフェオドラに向けたのだ。


 姦通罪も相手が貴族となると極めて重い罪となる。

 貴族に対する配慮もあって、警吏による取り調べは日和見(ひよりみ)主義的に即決で行われ、フェオドラは翌日には人知れず斬首されてしまった。


 その遺体は遺族であるダリウスに引き渡されることはなく、罪人用の共同墓地に無造作に埋められた。


 罪人用の極めて粗末な共同墓地に立って母に祈りを捧げたダリウスは、もう涙も出なかった。


 ヒーマン男爵への激しい怒り、母を失った深い悲しみ、それに天涯孤独となった自分の将来に対する不安……様々な感情が想起され、混乱の極致にあった。


     挿絵(By みてみん)


 共同墓地で茫然と時間を過ごしていたダリウスが、ようやく踏ん切りがついて自宅に向かった時、ダメ押しの不幸が襲った。


 待ち構えていた大家の夫婦から叩き出されてしまったのだ。

 彼らの主張によると、家賃が滞納となっているので、家財道具はすべて差し押さえるということだった。


 家賃の支払いはフェオドラが管理していたので、ダリウスには真偽のほどはわからない。

 相手が子供と見てつけ込まれているのかもしれないが、反論もできなかった。


「あんたを奴隷に売り払わないだけましだと思いな!」


 それが本当ならば、感謝するところなのだろうが、とても感謝の言葉を口にする気にはなれなかった。


 家を追い出されたダリウスは、アウクトブルグの町を放浪した。

 だが、行きつくべき先はもはや貧民街しか残されていなかった。

お読みいただきありがとうございます。


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