第43話 詭謀(2)
ルードヴィヒが10歳を迎えた頃……
ある早朝、彼は、脱ぎ捨てたパンツについている謎の物質を眺めながら難しい顔をしていた。彼は、夢精というものについて、初めて気づいたのだった。
(おんや? 今までたんましょんべんちびってたと思っとったがだども……こらぁ何でぇ?)
「それは、主様が大人になった証拠ですよ」
気がついたら、ルークスがそこにいた。
「証拠? こぃが? どういうことでぇ?」
彼女は、その意味することを丁寧に説明してくれた。
精霊である彼女が、なぜそのようなことを知っていたのかは、後に知ることになる。さすがに、今、彼女に問い詰めることはできなかった。
彼女はルードヴィヒの汚れた陰部をきれいに拭いてくれ。汚れたパンツも、メイドにバレないように、こっそりと洗濯してくれた。
以来、ルークスはルードヴィヒの欲望を察して、不定期に処理してくれるようになった。その詳細な内容は伏せるが、本番行為はしていない。
(こらぁ、ルークスには、一生頭が上がらんのぅ)
ルードヴィヒは、そう思った。
ルードヴィヒは、特に冒険中において、このことをクーニグンデに悟られるのではと恐れたが、竜が寝坊助という話は本当だった。このため、終ぞクーニグンデにバレることはなかった。
だが、10代少年の性欲というものは果てしない。
いつまでも本番行為がおあずけという訳にはいかなかった。
14歳で成人を迎えたとき、つるんでいる悪ガキたちに誘われた。
ルードヴィヒは、生来、生真面目な性格だったが、悪事を働いたことが全くないではなかった。
といっても、窃盗のような犯罪行為ではなく、酒、タバコ、博打などであり、これは全て悪ガキたちに教わったことだ。こうなってくると、最後に来るのは女である。
悪ガキたちは、数年前に早々と童貞を卒業していたらしく、童貞であるルードヴィヒはバカにされ、少しばかり焦っていた。
その決断をしたルードヴィヒと悪ガキたちが向かった先は、公衆浴場だった。
この世界の公衆浴場は、単に風呂のみでなく、床屋など他のサービスも提供する総合施設であった。そして、多くの公衆浴場は娼館を兼ねていたのである。
ただし、公衆浴場に務める娼婦は最低ランクのものだった。
その上のランクでは、居酒屋と娼館を兼ねたような施設があり、その上で、性行為のみならず、高い教養に基づいて詩歌のやり取りなどもできる高級娼婦に至っては、庶民から見たら高嶺の花であった。
そして、目的を果たして、帰路についたルードヴィヒと悪ガキたちは、感想を言い合った。
「童貞を卒業した感想は、なじら?」
「意外に簡単で、あっけなかったのぅ」
「バカこけ! そらぁ、相手がプロだったからに決まってるでねえけぇ」
「そうなんけぇ?」
「相手が素人だと大変なんだすけ」
「おめぇ、まさか、素人を相手にしたことが、あるんけぇ?」
「そっけなわけ、なかろぅ」
この世界では、処女性が極めて重くとらえられており、未婚女性はほぼ処女といって良かった。このため、下手に処女を奪ったりしたら、責任問題となりかねない。
かといって、人妻に手を出したら姦通罪(ただし、罰せられるのは女のみ)が問われる。
唯一可能性がある素人は、夫を亡くした後家さんであるが、これは悪ガキたちの興味の範疇にはなかった。
以来、ルードヴィヒは、不定期に娼館に通うようになり、それは現在も続いていた。
◆
リーゼロッテは、"ルードヴィヒが娼館に通っている"という事実を聞いたとき、これまで築き上げた彼との関係がガラガラと音をたてて崩壊していくように感じた。
(ルード様が……他の女性となんて……)
彼女は背筋に悪寒が走り、鳥肌が立った。
(私というものがありながら……不潔……不潔よ……それとも……もともと私なんて眼中になかったとでもいうの……)
恋愛初心者のリーゼロッテにとって、この事実は許容範囲を超えた劇薬のようなものだ。彼女の思考は、どんどん負のスパイラルを描いていった。
学園に通学し、教室に入ったとき、ルードヴィヒに近づくことさえ怖くなった。席が隣でないことが、せめてもの救いだと思った。
つい最近まで、ごく自然に談笑し、少し恥ずかしいながらも手を握ったこともある、その羞恥心にもようやく慣れてきたと思っていた。なのに……
当事者のルードヴィヒは、突然リーゼロッテが距離を置いたことを不思議に思っている様子が見て取れたが、彼の方からは歩み寄ってきてはくれなかった。
彼なら魔法のように自分の心を癒してくれるという期待と、彼が近づいて来ることへの嫌悪という二律背反のジレンマを抱え、リーゼロッテは身動きがとれなくなった。
しばらくして、心配した父ツェルター伯がわざわざアウクスブルクまで出向いてきてくれた。
父は、自分の経験も踏まえながら、男の性とはどういうものか、そして男は男で苦労しながら制御していることを教えてくれた。
「あの年頃の貴族の子息なら、皆がやっていることだ。やっていないとしたら、それは不能者だけだな。
逆に言うと、彼は不能者ではないということが証明されたわけだ」と父は笑い飛ばしたが、そんな簡単なことではない。
実際のところ、まるで天使のような姿をした彼がふしだらなことをする場面など、全く想像ができていなかったし、今でも無理がある。
しかし、現実から逃げたところで、状況は改善しない。
リーゼロッテは、理屈としては理解したつもりだが、彼女が心に受けた衝撃はあまりにも大きく、それが収まるまでに相当の時間を要したし、完全にもとに戻るものではなかった。
夢物語ではなく、現実において男女が結ばれるということの意味を、リーゼロッテが直視することができるようになるには、まだまだ時間がかかりそうだ。
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