第42話 悪意
コンスタンツェは、当時皇太子であったフリードリヒⅡ世・フォン・ホーエンシュタウフェンの嫡出子で次女として生まれた。
彼女は、生来、気が小さく、怖がりで、非常に感受性が強く敏感な気質を持っていた。
場や人の空気がとても気になるし、相手の感情や周りの雰囲気にも敏感で、特に他人からの悪意が自分に向けられることを極端に恐れていた。
このため、彼女は、幼いころから周囲の人間を観察し、同調することで、その心情を察し、更にはこれを先取りして行動することにより、その者の心象を改善するよう必死に努力した。
こうして、周囲の人間の気質、ものの考え方や行動パターンを把握すると、今度は逆に、自らが働きかけることによって、周囲の者の行動を自分に有利な方向へと誘導する術を覚えていった。
長じて知恵が働くようになると、自分が直接働きかけることが難しいBという人間に対し、誘導可能なAを通じて働きかけるといった工夫もするようになった。
更に歳を経て、人間関係が複雑になり、また自らの社会的影響力も高まっていくと、2手、3手先を読んで人間関係を処理していくことに、さながらチェスのゲームのような面白味を覚え、これにのめり込んでいった。
これには関係する他者を取り巻く状況を把握するための情報収集が重要であり、このために、貴族のみならず、侍女・メイド・使用人に至るまで良好な人間関係を築くことも忘れなかった。
もとより、彼女は、社会的地位が下の者であっても、その感情情が察せられるところであったので、これらの者と交わることになんの痛痒も感じなかった。
貴族というものは、とかくプライドが高く、身分が下の使用人などを、そもそも人間扱いせず、動物のようにみなす者が多い中で、これは異例なことだった。
コンスタンツェが8歳のとき、1つ下の弟カールが熱病に罹った。必死の看病の結果、命はとりとめたものの、耳に障害が残り、難聴になってしまった。
コンスタンツェは、弟に深く同情し、これを我が身のことのように悲しんだ。そして、メイドそっちのけで弟の世話をするようになった。
このことは彼女の持つ母性を開花させることになり、やがて病人、心身障碍者、貧窮者などの救済にも手を尽くすようになっていった。
コンスタンツェが12歳で成人し、管轄を任せられたRote Ritter(赤の騎士団)は、身分、性別や人種にこだわらない彼女の気質を反映して、団員はバラエティーに富んだ構成となった。
これを象徴するかのように、Rote Ritter(赤の騎士団)の団長はハールエルフの女騎士であった。
これに対し、兄たちのweiss Ritter(白の騎士団)とSchwarze Ritter(黒の騎士団)の構成員は、全員が人間男性だった。
また、Rote Ritter(赤の騎士団)には情報将校が置かれており、これも特徴の1つだった。
結果、語弊を恐れずに言うと、彼女は現在までに大公国におけるフィクサーの卵のような存在となっていた。
ただし、彼女の興味・目的は、帝国を害するものでは全くなく、自己の利益追求もさりながら、弱者救済にも向けられることとなっている。
彼女はまだ15歳の学園生であり、その行使できる影響力には限界があるが、学園を卒業し、正式な社会デビューを果たした暁には、その影響力の拡大は加速していくことになるだろう。
旧ペンドラゴン邸の修繕工事は、いよいよ終盤を迎えていた。
「こんにちはー! 三毛猫亭でーす」
昼時を迎えたとき、元気な少女の声が工事現場に響き渡った。三毛猫亭のヘルミーネである。
「おお。いつも悪いな」
と応じた者は、身長が1.5メートルくらいと低いが、筋骨隆々としており、見事な髭を蓄えた年配の男性だった。
彼は、錬金や機械いじりなどを得意とするドワーフであり、工事仕事の棟梁をしていた。
ドワーフもまた、妖精の末裔といわれており、エルフほどではないが、人間にも好意的に受け入れられている。
「今日は牛テールの煮込みスープです。また同じものですみません」
「いやあ。あれは絶品だから、みんなが楽しみにしてるよ。
それにしても施主さんはいい人だなあ。毎日こんなことをしてもらえて……まあ、その分はきっちりと仕事で返すがな」
現場で働く者は基本的に手弁当である。このため、昼時にはせめて暖かいものをとルードヴィヒが三毛猫亭にスープの差し入れを手配していたのだった。シオンの町では、当たり前のことだったが、アウクトブルグでは、このような習慣は廃れつつあるらしい。
「あれっ? まだ会ったことがないんですか? 女の人のようにきれいな顔をしているので、すぐにわかると思うんですけど……」
「えっ! もしかして、ときどき顔を見せるあの兄ちゃんかい。俺はてっきり使い走りか何かだと……今度会ったらきっちりお礼を言わないといけねえな」
こうして旧ペンドラゴン邸の修繕工事は完了した。一切手抜きのない見事な仕上がりである。ルードヴィヒがまめに差し入れをした甲斐があるというものだった。
ルードヴィヒは、修繕を完了した旧ペンドラゴン邸のことを単に"新宅"と呼んだ。人々はこれに倣い、"ローゼンクランツ新宅"と呼ぶようになっていった。
ルードヴィヒたちは、宿を引き払い、ローゼンクランツ新宅に転居した。
扱いが宙ぶらりんとなっていたカミラとマルグレットは、当面は、この屋敷のメイドとして働くことになった。
併せて、ゲルダもメイド見習いとなった。
ダルクの扱いはもめたが、彼女とニグルを一緒に行動させるのは無理だ。結局、彼女もメイドとして働くことになった。
だが、そこは嫉妬深い精霊のこと。
ダルクだけで済ますわけにはいかなくなり、火精霊・サラマンドラのフランメ、風精霊・シルフィードのヴェントゥス、水精霊ウンディーネのアクアはメイドを、土精霊ノーミドのフェルセンは庭師として庭の管理をするため、現実世界に留まることになった。
ライヒアルトは依然として仕事が見つかっていなかったが、結局、鷹の爪傭兵団のアウクトブルグ駐屯軍に属することになった。彼の腕があれば、入ること自体は造作なかった。
これは、妹のゲルダがローゼンクランツ新宅で預かってもらえるなら、長期間の遠征に出ても平気だと踏んでのことだった。
部屋は有り余っているので、兄弟ともローゼンクランツ新宅に住むことになった。
ローゼンクランツ新宅に引っ越してから、ルードヴィヒは悩みを抱えていた。
もともと上級貴族の屋敷だけあって、屋敷の広さは膨大で、これを維持するには、圧倒的に人手が足りない。
そんな時、ローゼンクランツ新宅を1人の好々爺然とした老紳士が訪ねてきた。
応対に出たカミラに対する老紳士の口調は丁寧なものだった。
「こんにちは。ローゼンクランツ卿はご在宅でしょうか。よろしければ『ディータ・ケッターが来た』とお伝えいただけると有難いのですが……」
「承知しました。少々お待ちください」
カミラは、普通のお客様だと思い、ディータを応接室に案内しようとしたが、彼は固辞した。あくまでも玄関ホールで待つという。
程なくして、ルードヴィヒが姿を見せた。
ディータはルードヴィヒを見ると、品よく微笑んだ。
「おぅ。ケッターさんでねぇけぇ。なじょしたがぁ?」
「実は、ツェルター家のアウクトブルグ邸にはちゃんとした執事がおりまして。リーゼロッテ様をお送りした後、暇を持て余しておりました」
「そうなんけぇ。でも、おめぇさんもいい歳だし、引退してのんびり過ごすつもりでねかったんけぇ?」
「それはそうなのですが、短い間ですが、ローゼンクランツ卿と旅をご一緒させていただいて、私ももう一働きしたいと気が変わりまして……老骨の身で恥ずかしい限りですが……」
「んにゃ。おらぁそんなこたぁねぇと思うぜ」
「ありがとうございます。つきましては、ぜひこのお屋敷で働かせていただきたいのですが……」
「おぉぉ! そらぁほんに有難ぇことだこっつぉ。そんだば、今は執事がおらんすけ、ぜひやってくれねぇけぇ」
「承知いたしました。では、精いっぱい働かせていただきます。旦那様」
「おぅっ。"旦那様"たぁ……そらぁ照れるのぅ……」
「いえいえ、こういうことは、きちんとけじめをつけませんと……」
「おぅ。わかったっちゃ」
こうして屋敷を管理する要である執事は決まったのだが、メイドなどの使用人はまだ不足しているし、メイドをやることになった彼女たちもまだ素人だ。
(そかぁケッターさんに仕込んでもらうとして……まちっとメイドかハウスボーイが欲しいのぅ……それに……)
ディータから真っ先に指摘されたのだが、現時点では、執事を除く、侍従などの上級使用人が不在だった。
(そらぁおいおい考えるとして……屋敷を構えるっちぅんもたいそうなもんだのぅ……)
だが……
「まあ……Es kommt wie Es kommt……」(なるようになるさ……)
◆
マリア・クリスティーナは、息子のルードヴィヒからの転居の知らせを聞いて、愕然としていた。
息子の転居先は、旧ペンドラゴン邸だという。
(まさか……あの廃墟だなんて……)
旧ペンドラゴン邸こそが、14歳のときの苦い思い出のあった翌日、父グンターを案内した廃墟だった。
マリア・クリスティーナは、改めて思った。
(あの時は間違えたのだと思ったのだけれど……もし私が本当に精神支配されていたのならば、あの情事のあった館は、旧ペンドラゴン邸で間違いなかったのかもしれない……それに……あの男は、まさにペンドラゴンの姓を名乗っていたわね……)
マリア・クリスティーナは、不思議な因縁を感じた。
旧ペンドラゴン邸が本当に現場だったとするならば、息子は、まさにこの世に生を受けた場所に帰って来たことになる。
(神は、これを粋な計らいとでも思っているのかしら?)
それにしても、心配だ。今度は、あの男が息子の方にコンタクトを取ってくるかもしれない。
父とはいえ、素性の全くわからない男と接触することが息子にとって良いことなのか?
マリア・クリスティーナは、このことを息子に警告すべく、過去のいきさつを話そうかとも思った。
しかし、最終的に、自らの若さゆえの過ちを告白する勇気が持てなかった。
(このことは、機会があれば……いずれ……それまでは、過去の過ちは、胸の奥にしまっておこう……)
マリア・クリスティーナは、そう思った。
◆
コンスタンツェは、それが好意によるのか、父の命によるのかにどちらの理由にせよ、ルードヴィヒを攻略しなければならないが、このためには、学園で得られる情報では全く不足だ。
情念に絆されたストーカー女であるかのように思われたくはないと思いつつも、背に腹は代えられない。コンスタンツェは、やむなくRote Ritter(赤の騎士団)の情報将校にルードヴィヒの身辺の情報を探るように命じた。
しばらくして、報告書が彼女の手元にもたらされ、これに目を通していたとき……
「な、な、なんということ! これは……不潔……不潔だわ……それも、素性もよくわからない女となんて……」
……と言うなり、コンスタンツェは、悲愴な顔をして落ち込んでしまった。
暑くもないのに豪華な扇子を広げると、ヒラヒラと扇ぎ始める。
報告をした情報将校は、なんとかなだめようと口を開く。
「差し出がましいようですが、口を挟ませていただきます。大公女様」
「ええ。なんなの?」
「元来、男など、そういう多情な生き物なのです。ローゼンクランツ卿はよほどまっとうな方です。これより乱倫な貴族や大商人など、掃いて捨てるほどおります」
「それは……そういうことが事実としてあるのは、承知はしているのだけれど……」
コンスタンツェは、父である大公フリードリヒⅡ世のことを思い浮かべていた。
彼は、マリア・クリスティーナという愛妾を抱え、外部の複数の愛人のところへも通っている。それは、まだまともな方だとも理解はしている。
だが、一度男性という存在に対して抱いてしまった不潔感は、簡単に拭い去ることができなかった。
これに何らかの形で割り切りをつけない限り、彼女は大人の女にはなれないのだろう。
そして……
悩むうち、彼女はあることを思いついてしまった。
(こうなったら、あの女にも同じ思いを味わせてやるわ。リーゼロッテ……覚悟するがいい……)
性格的に、他人に悪意を向けることなど終ぞない彼女であったが、この時ばかりは違っていた。
これはリーゼロッテへの嫉妬心からなのか、あるいはルードヴィヒに向けられる女の情念に絆されたからなのか……あるいは……
それは、本人ですら理解できていないことであった。
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