第38話 黒い子猫(1)
「よりにもよって、あの女が居着くことになろうとは…」
そう独り言を漏らしたニグルは、今日も気分が重かった。
黒豹の頭と尻尾を有する豹人族のニグルは、闇精霊のダルクとの相性が最悪だった。
ルードヴィヒの手前、表立って大喧嘩をしたことはないが、2人が遭遇すると、一瞬で氷点下のような空気感が漂う。
それに、こちらから譲歩しようにも、感情をほとんど顔に出さない彼女を、どう扱っていいのかさっぱり判断がつかない。
だからといって、ニグルは、今のポジションを譲るつもりは毛頭ない。
ニグルにとって、ルードヴィヒは命よりも大事な守護者であることはもとより、育ての親のような肉親とも感じていた。
客観的にみると、実はニグルはいつまでたっても親離れができていない子猫のようでもあり、実際に、度々ルードヴィヒの部屋を訪れては、甘えてゴロゴロと喉を鳴らしている。
これは精悍な黒豹の頭を持つニグルの外見からは著しいギャップがある事実であり、普段はクールを装っている手前、本人は秘密にしているつもりだが、他のメンバーにはバレバレなのであった。
ルードヴィヒが5歳となって間もない頃。
朝、目覚めると布団の中で暖かくて小さいものが、ゴソゴソと蠢いていた。
興味を持ったルードヴィヒは、布団を持ちあげて覗いてみると、感嘆の声をあげた。
「うおーっ! めごいのぅ」
正体は生後1ヵ月程度の大きさの黒い子猫だった。
ルードヴィヒが抱きかかえてみると、抵抗することもなく、喉をコロコロと鳴らしている。
すぐさま情が移ってしまったルードヴィヒは、子猫を飼う許可を得るべく、子猫をそっと抱くと、祖母のマリア・テレーゼの部屋に向かった。
逸る気持ちからノックもせず、いきなりドアを開けた。
祖母は着替え中だった。
一瞬驚いていたが、可愛い孫とわかって、くだけた感じで話す。
「なんでぇ。こんませガキゃ。さては婆の乳が吸いたくなったんけぇ?」と皮肉を言うが、もちろん冗談である。
マリア・テレーゼは、豊満な乳房を隠そうともしていない。
本人は婆などといっているが、マリア・テレーゼはまだ40代の前半で、容姿も衰えておらず、30台といっても十分通用しそうだった。その色気は半端ない。
5歳の幼児に冗談など通用するはずもなく、ルードヴィヒは恥ずかしさで真っ赤になってしまった。
「そんなんでねぇよ!」
「そんだば、なんでぇ?」
「こん子を飼っていいか、聞きに来たがぁだすけ」
確かに、ルードヴィヒは黒い子猫を抱きかかえている。
「ちっと待っとけや」と言うと、マリア・テレーゼは着替えを済ませ、ルードヴィヒのところに歩み寄る。
「でぇでぇ、見してみぃ」
マリア・テレーゼは、ルードヴィヒから子猫を受け取り、抱きかかえると、観察し始めた。
撫でてやるとコロコロと喉を鳴らしている。
「こらぁめごい子だのぅ……」
だが、マリア・テレーゼはあることにハッと気づき、顔色を変えた。
その空気をルードヴィヒも察した。
「婆さ。なじらね?」
マリア・テレーゼは、それには答えず、質問で返した。
「おめぇ、こん子をなじした?」
「ん? 朝起きたら、布団の中にいたがぁよ」
「そうけぇ……」
マリア・テレーゼは、そのまま考え込んでしまう。
少しの間を置いて、マリア・テレーゼは、再び口を開いた。
「こらぁただの子猫じゃねぇ。闇の聖獣んがぁぜ」
「せいじゅう?」
マリア・テレーゼは、「はーっ」とため息をついた。
魔術を学ぶためには、高度な知識を必要とする。そのため、マリア・テレーゼは、魔術をルードヴィヒに教えるのは早くても7歳くらいと踏んでいたのだったが……
(魔術を教ぇるんは、まちっと後と思っとったが……こん子の才能がそらぁ許さねぇようだのぅ……)
「おめぇ。そん子はメイドに預けてから、おれの研究室に来いや」
「うん。わかった」
マリア・テレーゼが研究室で待っていると、子供が走ってくる足音が聞こえた。何か面白いことがあると期待しているのだろう。
(こらぁ元気なこったのぅ……)
その傍らには、母のマリアも控えている。
そして、研究室のドアが勢いよく開かれた。
「おぅ。来たか……」
ルードヴィヒは興味津々とばかりに目を輝かせている。
「婆さ。何教ぇてくれるがぁ?」
「そっけに急くでねぇ。ちっとっつ教ぇてやるすけ」
「おぅ。わかったっちゃ」
ルードヴィヒは、勢いを削がれて、少しシュンとした。
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