第3話 シオンの町にて(2)
生まれた赤子は"ルードヴィヒ"と名付けられた。
表向きの説明は、"グンターの長男ブルーノの末子で、生まれつき体が弱かったため、療養のためシオンの田舎町で育てられている"ということにされた。
マリア・クリスティーナは、産後の日達も良く、一月もしないうちにアウクトブルクの町へとお忍びで帰っていった。愛妾として、皇太子宮へ出頭する日が迫っていたからだ。
マリア・クリスティーナがルードヴィヒに乳を飲ませることができたのは、その短い期間だけで終わってしまった。マリア・クリスティーナは、そのことに罪悪感を覚えた。
幸い、ヴァレール城に務めるベテランメイドであるクリスティン・シュナイダーが一月ほど前に女児のユリアを出産したばかりだったので、ルードヴィヒは、彼女から乳を分けてもらって育った。
◆
シオンの町には、グンターと同様に武術の各流派の第一線を退いた元師範たちが集まっていた。
彼らは体力こそ全盛期よりも衰えているとはいえ、知識や技量に関しては現役の師範に負けるものではない。
こんなシオンの町は、実戦経験を積んだ中堅どころの武術者が再修業をする場として定着していた。
武術者は、これを武術の聖地ツェルター伯国の中の聖地、すなわち武術の聖地の聖地と呼び、皆が皆これに憧れた。
グンターは、ルードヴィヒの背中を見たときから、その才能を確信していた。
(引退を決めたときは少々寂しかったが、むしろ正解だったな……)
こうして、グンターが己の持つ武術の技術と知識の全てを伝授すべく、ルードヴィヒを鍛える日々が続く。
これに関しては、マリア・テレーゼも同様だった。
彼女は世間では"幻の大賢者"と呼ばれる魔術と錬金術の達人だったのだ。
夫が夫なら妻も妻で、揃って規格外の存在だった。だからこそ惹かれあったというべきか……。
◆
そしして時は経ち、ルードヴィヒが生まれて15年が経過しようとしている。
一方、グンター夫婦は、"郷に入っては郷に従う"ということで、すっかりシオンの町の方言になじんでいた。それに育てられたルードヴィヒはもちろんである。
グンターは、ルードヴィヒをアウクトブルグの学校に通わせることを決めていた。
この才能を田舎で埋もれさせておくのは、帝国のためにならないと考えたのだ。
(これが吉とでるか、凶とでるか、賭けではあんのぅ……)
だがグンターは、ルードヴィヒについては楽観的だった。
(まあ……本人がなんとかするろぅ……)
ルードヴィヒは、数年前に町での修行を終えると、従者的ポジションの仲間を連れて、シオンの町の外にある森へと出かけ、魔獣などを相手に冒険を行う日々を過ごしていた。
シオン郊外の森は、高ランクの魔獣の巣窟として知られており、冒険者たちの間では"地獄森"と呼ばれ、畏怖の対象となっていた。
だが、そのようなことを彼は知らない。
地元では、単に"森"と呼ばれていたからだ。彼にとって、"森"が普通であることになんの疑問も抱いていなかった。
「じゃあ。爺さ。森に行ってくるすけ」
「あんま奥まで騒ぐんでねぇぞ」
「わかってるてぇ! ニグルたちもいるすけ、あちこたねぇがぁて!」
しかし、グンターは薄々察していた。
ルードヴィヒは、"森"にとどまらず、遠方の高難度のダンジョンや自分たちでは想像もできない未踏の地へと足を伸ばしていることを……
(もう我らでは手の届かん境地へ至ったか……)
そんな彼が慢心することがないように、グンターは常日頃言い聞かせた。
「ええか。世の中にぁおめぇより強ぇ武人や魔獣はいっぺぇいる。常に謙虚に、努力を怠るんでねぇがぁぜ」
そして、こうも言って聞かせていた。
「本当に強ぇ武人は自分の技を見せびらかしたりしねぇ。技は初見でこそ最高の威力を発揮するからのぅ」
「わかってるてぇ」
「それにレベルやオーラの色もそうだ。敵に自分の強さを悟られたら不利になる。婆さに頼んでフエイクのスキルを習っとくがぁぜ」
「もう習ったてぇ」
「そんだば、ええが……」
ルードヴィヒは生来、素直で真面目な性格だったので、祖父母の言うことは疑うことなく信じていた。
だが、彼は正直過ぎた。技を隠したり、ランクをフェイクでごまかすのは世間の常識だと思い込んでしまっていた。
◆
そしていよいよアウクトブルグに旅立つ日が近づいてきた。
お供をするのは、豹人族のニグル、女騎士のクーニグンデ、そして女治癒士のルークスの3人のはずだったが……。
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