第23話 命の恩人(1)
オークどもがリーゼロッテを襲っていたとき、その様子を密かに見つめる黒ずくめの男がいた。ほとんど気配を消しており、当の召喚術士も気づいていない。
目深に被ったフードからチラリとのぞいた目は不健康に落ち窪んでいるが、その眼光は鋭かった。
彼は暗殺を命じた組織から派遣された監視者である。暗殺の結果は、成功であれ、失敗であれ見届けられねばならない。
召喚術士の頭部が爆散したとき、自分の目を疑った。
召喚術士に命中した岩塊は音速に迫っており、人間の能力では全く認識できなかった。
ただ、岩弾が発動した瞬間は見ていたから、そうであろうと推定できたに過ぎない。
(信じられん! 500メートル以上離れているのだぞ。あれが人間技なのか? それにしても、魔術の発動プロセスを詳細に観察できなかったのは惜しいな…)
だが、リーゼロッテの心肺は停止した。彼は最後まで見届けることなく、その場を後にしたのだった。
しかし、死んだはずのリーゼロッテは生きていた。
これを聞いた彼は天を仰いだが、後の祭りである。
結局、彼は組織の総裁からこっぴどく痛罵された。
マルク・フォン・ツェルター伯爵は、愛娘のリーゼロッテに付けた従者のディータから早馬でもたらされた手紙を読んで卒倒しそうになった。
リーゼロッテがオークの群れに襲われたというのである。
だが、震える手でなんとか手紙を読み進めたのち、「ふーっ」と大きな安堵のため息をついた。
心肺停止という絶体絶命の窮地に立たされたものの、ローゼンクランツ翁の孫に救われたというのだ。しかも、彼は何の後遺症も残さず完璧に治療までしたという。
「まったく驚かせおって……報告書というものは、まず結論から書くものだ」
だが、ベテラン執事であったディータがそのようなことを知らないはずはない。
「奴め。わざとやったな……主人を愚弄しおってからに……」
だが、声は怒っていない。マルクは、現場で実体験したような気分となっていた。極度に緊張し、その緊張から一気に解放されることで、安心感はより強いものとなった。その意味ではディータの術中に嵌ったわけだ。
「まあよい。"終わり良ければ総て良し"というものだ」
だが、事件は大団円を迎えたわけではない。
偶然にオークの群れに遭遇したというならともかく、召喚術士が操っていたということなら、これは暗殺行為だ。しかも、黒幕は不明のままである。
気になるのは、娘を暗殺しようとした憎むべき仇敵の正体だが、ディータが召喚術士の遺体を見分したところ、召喚術士が所持していた魔法の杖にはホーエンシュタウフェン家の紋章が刻まれていたという。
だが、それを真に受けて良いのか?
失敗したときの伏線として、ホーエンシュタウフェン家とツェルター家の仲違いを狙った離間策を仕込んだということもあり得る。そうすると真っ先に候補に挙がってくるのは現皇帝だが……。
そんな深読みをしなくとも、シンプルにツェルター家への恨みを晴らすことが目的という線も捨てがたい。職業柄、方々から恨みを買っているからだ。
いずれにしても、人数的に寡少な召喚術士を使役できる者となると数は多くないが……。
さらに、毒殺など人間による暗殺ではなく、あえてオークに襲わせたという事実も気になる。そのような手口を使う存在なると黒の森にいる魔王らしき者ということも考えられるが……。
「いや……まさか薔薇十字団ということは……?」
そこまで考えて、マルクは頭を振った。ここで心労を重ねたら、それこそ敵の思う壺ではないか。
「さすがにホーエンシュタウフェン家ということだけはないだろう」
確証はないが、マルクの長年の経験に基づく勘はそう囁いている。
そしてこの件は心に留め置くことにし、これ以上の行動は控えることにした。
それはそれとして、当面の問題は、ローゼンクランツ翁の孫の取り扱いをどうするかだ。
「ルードヴィヒといったか……」
マルクは、ルードヴィヒの完璧な立ち居振る舞いと見事な剣技を思い起こす。
あの歳でレベル40の魔法剣士というのは、たいしたものだったが、子爵家の三男坊ということで、少々軽く見てしまっていた。
(それに……真の実力は結局わからずじまいであったな……)
が、なにしろ娘の命の恩人なのだ。ツェルター伯爵家としては、誰もが納得するようなお礼をしないと、世間の笑いものとなってしまう。
(どうしたものか……悩むな……)
お読みいただきありがとうございます。
気に入っていただけましたら、ブックマークと評価・感想をお願いします!
皆様からの応援が執筆の励みになります!





