第123話 出征(3)
ダリウスのところには、当然に妻のデリアが見送りに来ていた。
「ダリウス。無事で……とにかく無事で帰って来てくださいね。あなたがいなくなったら、あたし……」とデリアは涙ながらに訴えた。
デリアは幼少の頃からずっとダリウスの存在を心の唯一の拠り所としてきたし、だからこそ不幸の連続であった自分の前半生も乗り越えることができた。そして、ようやく10年越しの再会を果たしたというのに、またダリウスを失ってしまったら……。
自分の心は壊れてしまい、廃人になってしまうだろう。デリアは本気でそう思っていた。
「デリアと離れるのは寂しい限りだからな。さっさと終わらせて、一刻も早く帰ってくるよ。心配するな」
ダリウスは、いとも簡単そうに言うが、デリアには、これが自分を安心させるための強がりなのか、本当に自信があって言っているのかわかりかねた。
実際の彼の実力を知らないデリアは、やはり不安をぬぐい切れなかった。
デリアは、ダリウスの胸に顔を埋め、涙を堪えながら、彼の体温を確かめる。
そして、これが最後かもしれないかと思い、あのことを思い切って言うことにした。
「あのね。ダリウス。あたし……ここしばらくの間、あれがないの……」
「あれがないって、まさか……」
「できたかも……赤ちゃん……」
「デリアっ……」
感極まったダリウスは、デリアを強く抱きしめ、一時の別れを惜しんだ。
一方のダリウスにしてみれば、それなりの自信を持っていた。
ダリウスは、デリアというかけがえのない存在ができたことで、命を顧みない狂戦士じみた戦闘スタイルに、少しばかり変化が生じていた。
手を緩めることなく戦闘に集中しつつも、それを冷静、かつ、客観的に見つめる自分がいる。そんな境地に至っており、それに磨きをかけていた。
本当に熟練した戦士が戦闘に集中したとき、戦況をはるか上空から把握しているかのような感覚を覚えることがあるという。
これを鷹の目といい、戦士たちの中で語り継がれる奇譚となっていた。あるいはダリウスは、この”鷹の目”を会得しつつあるのかもしれなかった。
◆
鷹の爪傭兵団のアウクトブルグ駐屯地に、不相応な豪華な馬車が2台乗り付けられていた。
大公女コンスタンツェの馬車とツェルター伯の娘リーゼロッテの馬車である。
二人は、ルードヴィヒの見送りに来ていた。
身分が上のコンスタンツェが、まず言葉をかけた。
「あなた。あなたには日ごろからお弁当を作ってあげたり、いろいろ世話をしてあげているのだから、その恩義を私に返す義務があります。これを無碍にするようなことになったら、承知しませんからね」
コンスタンツェは、素直に自分の心を伝えられず、心にもないことを言ってしまう。
「そらぁ、そうだのぅ。そりだば、大公女様におっつぁれると容易じゃねぇことんなるすけ、さっさと片付けて帰ってくっかのぅ」
例によって、ルードヴィヒは、のんびりした口調で、そう言った。
コンスタンツェは、痛いほどわかっていた。
こののんびりした口調も、自分を深刻にさせないための下手くそな演技だということを……。
そう思った瞬間、これまで必死に堪えていた涙があふれ出て来た。
コンスタンツェは、感極まってしまい、なりふり構わず、ルードヴィヒに抱きつくと、胸に顔を埋めて泣きじゃくった。
「グスン……とにかく……グスン……あなたの体に傷の一つでもつけたら……グスン……ダメなんだからね……グスン……グスン……無事で帰って来なかったら……グスン……許さないんだから……グスン……グスン……」
少し落ち着いてきて冷静になって見ると、ルードヴィヒの着ていた服が、コンスタンツェの涙と鼻水で盛大に汚れていた。
(あぁぁぁぁぁぁっ! やってしまった!)
「ご、ごめんなさい……グスン……私……グスン……グスン……グスン……」
コンスタンツェは、泣きながらも、ハンカチを取り出して必死に涙と鼻水を拭き取ろうとしている。
「ええがぁてぇ。すっけんこと、どうっちぅことねぇがんに。大公女様の気持ちは痛ぇほどよくわかったすけ」
……と言うと、今度はルードヴィヒからコンスタンツェを抱きしめた。
ルードヴィヒは、コンスタンツェを抱きしめながら、頭を優しく撫でる。
そうしてもらって、心に落ち着きを取り戻したコンスタンツェはお礼を言った。
「ありがとう。もう大丈夫よ」
ルードヴィヒは、抱きしめた手を緩め、コンスタンツェの顔を心配そうに見つめている。彼女は、それが恥ずかしくて、目を逸らしそうになるが……。
(だめよ。彼に、これ以上心配はかけられないわ……)
できるだけ気丈なふりを装って、ルードヴィヒの目を見つめ返した。
真剣に見つけあう二人……。
♡(〃⊃ω⊂〃)キュン♡
このシチュエーションに、コンスタンツェの胸はキュンとしてしまった。
気が付けば、二人の顔はキスができそうなほどの距離に近づいている。
(もう……どうにでもなれ!)
コンスタンツェは、そっと目を閉じてルードヴィヒにアピールをした。
が、そのとき……。
「ゴホン」というわざとらしい咳の音が響いた。
コンスタンツェ付きのシャペロンの仕業である。
その音にハッとした二人は、急いで離れた。
すると、改めて恥ずかしさが込み上げてきて、頬が熱くなるのを感じる。
気が付くと周りは、二人に当てられて、嫉妬と羨望の入り混じった微妙な空気になっていた。しかし、当事者の一方が大公女であるから、露骨に嫌味なども言えようはずもない。
シャペロンが少しばかり嫌味を込めて言った。
「大公女様。もうよろしいですか」
「ああ。そうね。あまり引き留めても悪いから……じゃあ、ローゼンクランツ卿。かならず無事で帰ってくるのよ。わかったわね」
「おぅ。わかったっちゃ」
(だ・か・らぁ! その軽い返事が私を不安にさせるのよ!)
そのように思いつつも、コンスタンツェは、本来の大公女としての威厳のある表情に戻り、堂々とその場を後にした。
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